16-16 結局パンツが全てを持っていく
「いやぁ、寝言で笑う人とか怒る人はいるけど、寝泣きは初めて見たね。シーツもタオルケットも水浸し……じゃなくて涙浸しかあ。ビッチャビチャになってて驚いたよ。那由多ちゃんは本当に面白いなあ」
「それはどうも」
泣きすぎてぼんやりした頭と叫びすぎて嗄れた声で、私は運転席の志貴さんに適当極まりない返事をした。
「夜泣きとは違うのか。見たかった」
寝泣きの原因を作ってくださったマグロの中身が後部座席から言う。
貴様も一度味わってみるがいい。自分より二十キロ以上重い重石を乗せて、数時間過ごしてみるがいい。じわじわと痺れが広がって感覚が失せていく恐怖を体感するがいい。
両足は死なずに無事生還した。
しかし六時きっかりに起床した真央さんによって重石を退かされてから血が通い始めると、アホほど痺れ始めて死ぬかと思うほど辛い目に遭った。
人が動けないのをいいことに、面白がって突っ付いてきたマグロは、一生許さない。
今日から十一月だ。
フロントガラスから見える秋晴れの空は目に優しい爽やかな青で、ささくれた私の心を癒そうとしてくれているように思えた。
「制服、本当に置いてきて良かったんですか? クリーニングまでしてくれなくていいのに。大して使ってないし、これから使う予定もないんですよ?」
「私もお借りしたからね。礼儀としてそのくらいはさせてよ」
志貴さんがパンツスーツなのも、有瀬くんが制服を着せられているのも、礼儀の一環らしい。
首の怪我の件を、私の両親に謝罪するためなんだって。ここまでしなくていいと思うのにな。
制服を置いてきた私は、城咲さんに借りたニットのカットソーとロングスカートといった格好だ。
怪我の具合がわかるようにしてほしいと言われて首元の空いたものを選び、髪もさっくりまとめてアップにしたけど、有瀬くんのご機嫌が斜めることはなかった。もう慣れたようだ。もっと早く慣れてほしかったよ。今更だよ。
我が家に到着すると、志貴さんはインターフォンを押して自己紹介と挨拶し、玄関扉が開かれると同時に三和土に土下座した。
「有瀬留佳の母の有瀬志貴と申します。この度は誠に申し訳ございません。ウチの息子が、そちらの大切な娘さんを傷物にしてしまいました!」
出迎えに現れたパパもママも、恒河までもがぽかーんとしている。もちろん、私もぽかーんだ。
え、何? そんなに謝ること?
「ほら、留佳! お前も謝るんだよ! ちゃんと教えただろう!?」
「……すみませんでした。責任取ります」
思い出したように、私の隣にいた有瀬くんが頭を下げる。
治療費の話してんの? こんなのほっときゃ治るでしょ? オーバーすぎん?
「あの……ええと、ど、どういう?」
パパが恐る恐る尋ねる。
「そうでしたね! すみません、申し訳なさから先走ってしまって……さあ那由多ちゃん、首を見せて!」
立ち上がった志貴さんに指名を受け、私は玄関に入って両親に左側の首元を見せた。
「こういうことなんだけど……」
次の瞬間、パパは飛び退き、ママは口を押さえてへたり込み、恒河は引っ繰り返った。
「え、そんなにひどい? もしかして見えないだけでやばいことに」
「留佳! ほら!」
「すみませんでした。責任取ります」
不安を口にした私を遮り、次の指名を受けた有瀬くんがまた同じ台詞を繰り返す。
仕方なく私は玄関口で佇んだままの有瀬くんに近付き、下げた頭をぺしぺし叩いて顔を上げるよう促した。
「責任とかいいから。大丈夫だって。有瀬くんだけが悪いんじゃないよ、私も悪かったんだよ。有瀬くんがずっと我慢してたことに気付いてあげられなかったんだから。これは二人の責任だよ」
「ぐふっ!」
破裂音が聞こえたので見ると、一緒に三和土にいた志貴さんが口元を押さえている。
この人、今噴き出した? あー、ゲラの人って緊張感高まると笑っちゃいけないとこで笑っちゃうらしいもんね。
「すみませんでした。責任取ります」
有瀬くんがまた繰り返す。
「もういいってば。二人の責任だって言ってるじゃん。有瀬くんが責任取るなら私も責任取るよ。それでいいでしょ? ほら、もう頭上げて。ねえ、パパも黙ってないで何か言ってよ。有瀬くん、こんなに反省してるんだよ? 許してあげて」
私が諭すと、パパはやっと声を発してくれた。
「あ……うん、そ、そうですね。娘もこう言ってますし……ウチの娘にも、至らないところがあったと思うので……こういうのは、その、二人の問題ですし……もし万が一のことがあっても、どちらが悪いと責任を押し付け合うのは違うのではないかと……」
「そう仰っていただけると、こちらとしても嬉しい限りです! 本当に申し訳ございませんでした! あっこれ、私と夫の名刺です。何かございましたらご連絡ください。それでは失礼いたしました! 留佳、帰るよ!」
「もういいのか?」
「いつまでもお邪魔していたらご迷惑だろ! 那由多ちゃんだって慣れないことしたんだから休ませてあげなきゃ!」
慌ただしく志貴さんが有瀬くんを引っ立てて連れて行こうとする。
「あ、そうだ、那由多」
しかし有瀬くんは志貴さんを引きずって、三和土で呆然としていた私の元にやってきた。
あ、今日初めてまともに有瀬くんの顔を見たかも。
朝からマグロ下敷き事件もあって、バタバタしてたし。だらしない格好は失礼だと志貴さんにブラシをかけられていたから、珍しく寝癖がない。
おかげでちょっときちんと感が増した有瀬くんは、ちょっときちんと感が増した超絶美形だった。
うわぁ……私、こんな美形に恋しちゃったのか。何とまあ分不相応な。芸能人にガチ恋するのと変わらないじゃん。
バカだなぁ、自分。星に手を伸ばしたって、届かないものは届かないのに。
「俺のパンツ、大して可愛くなかっただろ。那由多が履いてるのはどれも面白いから、俺もあんなのがほしい。今度選んでくれ。『テレビ。』みたいなジワ系がいい」
が、吐き出された言葉は、やっぱり有瀬くんだった。
「ごふっ!」
志貴さんが血反吐を吐くような声を放つ。
「ジワ系」
そして私は、切なみが急速に冷めるのを感じながら、リピート再生で相槌を返した。
「そう、ジワ系。頼んだ」
「それ、今言うことかな……?」
「昨日は眠くて聞けなかったから。忘れない内に言っといた。ジワ系な、期待してる」
「る、留佳、もう本当……帰ろう……わ、私……げ、限界……」
絞り出すように言って、志貴さんは再び有瀬くんを引きずって帰っていった。
志貴さん、車に乗り込む前に限界迎えちゃったみたいね……人のものとは思えないような凄まじい笑い声、こっちまで聞こえてきたよ? ゲラも大変だ。
まあそれはさて置き、有瀬くん、本当にありがとう。
その調子で雑を発揮し続けてくれれば、きっと幻滅作戦はうまくいくよ。許すかといったら、それは別問題だけどね!




