登校日
四家の話し合いから既に一週間。
学園に復帰出来る目処も付いた。
恐らくそこでは聖女がルナリアを断罪してやろうと近寄ってくるに違いない。自身が主人公側をプレイしていた時は何も感じなかったが、現実に置き換えると聖女、もとい主人公の行動は令嬢としては有り得ないものだ。
ゲームだから、あれは許されるもの。シナリオだからこそ許されても良いものである。
だが、『ゲームといえど生きている人にとっては現実』なのだと、言われてハッとした。
ルナリアを幸せにしようと決意した時点で、もう既にゲームからは離れているし、父達の一件についても大幅にシナリオからは外れた。
改めて決意した。やれるもんならやってみろ、と。
ルナリアが休んでいる間もミトスは学園に通っていたそうだ。そこでは、聖女様が既に王太子の婚約者のような振る舞いをしており、王太子の側近も骨抜き寸前まで落としこんでいるそうだ。
しかし『此処の世界』はとんでもない実力第一主義の世界。
短期間ではあるが調べた限り、魔獣討伐にも出ていなければ、土地の浄化なども何もしていない。聖女の力は、他に誰も持ちえない『浄化』の力。それを使い、功績を一切挙げていないのは、こちらにとっては好都合でしかない。
王太子も王太子で、ルナリアと正反対の女性に惹かれた上に、ただ居心地の良さを満喫しているだけなのだから、笑いしか出てこない。
制服を身にまとい、当主の証のブローチを胸元に装着する。
深紅の魔石の中には薄らと赤い薔薇が。その魔石に蔦が絡みつくような特殊なデザインの縁取りは、黄金。
ひと目で分かるようにデザインされたそれは、つい昨日に国王から進呈された特殊なもの。ルナリア以外が触れようとするだけで、指先に強烈な電撃が走り、触ることすらできないものとなっている。
王太子といえど、聖女といえど、触れない特殊なもの。
「……ま、あの王太子様は気が付かないんでしょうけれどね」
ぽそりと呟いてカバンを持ち自室を出ると、執事のカイルが控えていたので、手にしていたカバンを手渡して持ってもらう。
先導して歩くカイルの後を続いて歩いていると、不意にカイルが口を開いた。
「王太子殿下からは、公爵様が復学されるというのに何の連絡もございませんでした」
「あら、そう」
「王妃殿下からは祝いの言葉が、ミッツェガルド公爵様からは祝いの言葉と品が届いております」
「帰ってきたら確認するわ」
「かしこまりました」
「それと、わたくしは本格的に公爵の仕事に取り掛かるようになるから、執務室から不要なものは取り除いておいてちょうだいな。お父様が使っていたものは全て取り替えて」
「はい、仰せのままに」
広間に来ると仕事をしていた使用人達が各々足を止めてルナリアに頭を下げてくれる。
朝から静かなのは、いつぶりなのだろう。
ヒステリックに騒ぎ立てる義母も居ない、無駄にイチャコラする兄と義妹も居ない。
ゆっくりとした朝の時間を過ごせていた記憶は、あの人たちが来てからは無いに等しかった。
残りの問題もさっさと片付けてしまおう。
復学にあたっては念の為に準備もした。
アリシアから、『あの学園には特進クラスが存在する。お姉様なら問題なく編入できるだろうから試験を受けてみてください』と教えられたので、問い合せたところ快く編入試験の準備をしてくれたのだ。
幼い頃からルナリアの友として、利益も何もかも無しとして親しくしてくれていた高位貴族の令嬢や令息、ならびに子爵令嬢・子息でも才能があるならばとその家宛に連絡をして、複数名に編入試験を受けるよう促した。
落ちた者もいたが、ほとんどの人は受かったとの連絡が来て、思わず笑みが零れてしまった。
まず、これで王太子と聖女と物理的に遠ざけられる。
学園内では見かけるけれど、クラスには居ない生徒が居たものだと思い返す。
恐らく学園側から声がかかったのだろう。
ルナリアに声を掛けようとしていたが、王太子妃教育の忙しさを考慮して、あえて声をかけなかったのだと言われた。
確かにそれは納得だ。
実際、王太子妃教育はある程度の淑女教育を受けていたルナリアにとっても、相当きついものであった。
学園の授業が終わると王宮へ直行し、教育係の侯爵夫人から、王家の一員としてふさわしい行いや行動、そして学園で習うものとは別の王家の歴史や諸外国とのやり取りのマナーにルールなど。
学ぶことがありすぎて休憩すら惜しい程に、只ひたすら学習内容を詰め込んでいた。
貴族の婚姻に愛がある方が珍しいと思うし、家同士の繋がりを強固にするため、あるいは家柄が申し分無ければあわよくば娘を王家に差し出して王太子妃に、ゆくゆくは王妃にと考える親も多い。
ルナリアは四大公爵家、筆頭家の令嬢。兄もいた事だしわざわざルナリアが家を継がずとも問題はなかったが、今はそうも言っていられない理由が出来た。
王太子と婚約を結んだのは元来よりも遥かに遅く、ルナリアと王太子がそれぞれ13歳の時。
少しずつ互いの事を話してある程度親睦は深めていたが、次第にルナリアの事を王太子が疎ましく思い始めていたのは感じていた。息苦しかったのかもしれない。
二人セットにして話をされる事も、彼は嫌だったのかもしれない。これが6歳程度の幼子であれば少しでも理解しようとしたけれど、年齢が年齢だ。色々なことが分かり始めているのにそれは無いんじゃないか? と率直に感じてしまった。
でも、もうそれも終わる。
馬車に揺られながら、家を出て学園へと向かう。
白亜の学舎が少しずつ見えてくると、それに伴い馬車通学をしている生徒の馬車もちらほら確認できる。
馬車に入っている家紋で、どこの家の馬車かはすぐ分かる。
ルナリアの久々の登校日に合わせて自分も登校する、とミトスからは文が届いていたので馬車の中からきょろきょろと探していると、アストリア家の家紋を発見した。
内側から仕切り越しに御者へと合図をすると、馬車はゆっくりと止まり、扉が開かれた。
馬車を降り手を貸してくれた御者にお礼を言うと、彼は柔らかな微笑みと共に胸に手を当て頭を下げる。放課後にはまた迎えをお願いして、引き返していく馬車を見送った。
「さて、と」
「ルナリア、おはよう」
これからミトスのところに向かおうとカバンを持ち直した矢先、頭上からの声。ミトスだ。
「ミトス、おはよう。良かったの? わたくしの登校に合わせて登校してくれるだなんて」
「良いんだよ。あとお前が居ると聖女様避けにもなるだろ」
「まぁそれはいいけれど、口調」
並んで歩くと否応にも視線を集める。
四大公爵家の二人が並んで歩き、しかも片方は昨日まで短期休学していたソルフェージュ公爵。
すでにルナリアが公爵となった事実は、社交界に知れ渡っている。
それらの理由からだろう、ちらちらと見てくる令嬢達。彼女達へ限りなく優しい笑みを向けると、きゃあ! と嬉しげな悲鳴が上がった。
「よくやるわ、お前」
「あら。色々と聞いた限り、わたくしは何もしていないんだもの。普通に、今まで通りにするだけよ」
まぁ確かに、と呟くミトスがふと足を止めた。
「わりぃ、俺はこっち。騎士科だから」
「知っているわ。ありがとうミトス、わたくしは手紙に書いたとおりのコースに行くわ」
「何かあったら使い魔飛ばせよ」
「えぇ、そちらもね」
互いに告げて歩き始めたその矢先。
仁王立ちをしてこちらを睨む王太子と、泣きそうな聖女様(多分)。そして王太子の取り巻きの生徒が勢揃いをして、立ち塞がっていた。
「随分と偉そうなご登場だな? アストリア家令息に取り入ってエスコートか」
「ひ、ひどいですルナリアさん! 自分が筆頭家だからって!」
よく分からない思考回路の二人に、ルナリアの表情が無になる。
これまでなら少なからず何かしら反応をしていたのかもしれないが、訳の分からないイチャモンに対して反応するほど暇ではないのだ。
「何か言え! 貴様、俺の言葉を無視するつもりか!」
「……恐れながら、我が国では身分の高いものからの許しが無ければ、お声がけは出来ぬよう定められております」
正論をぶつけると、ぐ、と王太子が言葉につまる。
「貴様! 王太子殿下であるデイル様になんという口の利き方!」
時間に余裕をもって登校して良かったと思う反面、こんな風に面倒な輩に絡まれてしまうのならばギリギリに登校するのも一つの手段か。などと考えていると、噂の聖女が王太子を庇うように前に出た。
その、更によく分からない行動にルナリアは、とりあえず黙って成り行きを見守ってみることとした。
「この学園では、身分は関係ありません! だから言わせていただきます! デイル王太子殿下様に、失礼な態度を取るなんて……あ、謝ってください!」
「プリメラ嬢……なんと勇気のある……」
「さすが聖女様ですね!」
ぴたりと、時が止まった。
目の前には、光る複数のウィンドウ。
『聖女の言葉を窘めますか?』
『王太子への謝罪をしますか?』
『聖女へと、身分について諭しますか?』
聖女の言葉については窘めたりしないし、王太子に謝罪する理由もない。
学園内では確かに身分は関係ないが、そもそも身分とは何かについて諭したとしても、己の『聖女』という身分に拘っているのは聖女自身だ。
ルナリアは尽く窘めていたようだが、何の効果も無いのは、今し方のあの反応でよく分かる。ならば、してやる必要はない。よって今回は、あえて生徒の居る前で、貴族として接するだけ。
ポチポチと、目の前のウインドウから反対の行動を選択し終われば即座に時が動き出す。
「謝れ、ですか。そうですか、それは大変失礼致しました王太子殿下、聖女様。誠に申し訳ございませんでした。では、わたくしはこれで。授業が始まりますので」
「へ?」
「は?」
王太子と聖女の間抜けな声が重なる。
「皆様も、授業に遅れぬよう、各々の教室へ向かうことをおすすめいたします。それでは、御機嫌よう」
膝を折り綺麗なカーテシーを披露した後、その場をさっさと立ち去る。
それを見ていた周囲の生徒たちから向けられるのは、仄かな尊敬の眼差し。
「当たり前の事を注意しているというだけの光景なのに……どうしてこうもスッキリするのかしら。……良かったわ、ルナリア様が戻ってきてくださって……」
「妙なことであの人達に絡まれると面倒なんだよな……」
「聖女様、王太子殿下の婚約者ではないのに」
「王太子殿下のお気に入りなんだから、滅多なこと言ったらこっちがお取り潰しになるぞ……」
「側近の方々も……あれでは……」
ひそひそと聞こえて来る話し声の内容に、バレないように笑みを浮かべた。
どうやらあの連中は、思ったよりも横暴な振る舞いを普段からしているらしい。
そんな態度を日頃から取っていたら、周りからどう思われるかも分からない人だったのかと、王太子への評価を改めた。
──────────
「なんで……なんで、ルナリアは悔しがらないの……?あの時みたいに私のことを諌めないの……?」
その場に取り残された御一行は、ぽかんと目を丸くしているので気づいていない。
己たちに向けられる視線が、どのようなものなのか。
「ルナリア……、きみ、は……」
そして、己が興味を示していないとタカをくくっていたのに、微塵ほどの興味も示されていなかった王太子も、呆然としていたのだった。
明けましておめでとうございます。
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