地獄の3丁目
食堂のピークも過ぎて、テーブルを台拭きで拭いていると、真っ暗な窓の外、真っ白い雪がドンドン降ってきた。
待て、雪なんか降るわけない。ここ地獄。
窓に近づいて見る。遠い上空から白くて小さく丸いものが落ちてきて、真っ暗な暗闇でしかない下層に吸い込まれていく。
「アリーチェ、どうしたの?」
食べ終わったトレーを持ったサジマが首を傾けてやってきた。サジマは別の役所?にステキな許嫁がいる。そんなこんなの身元がハッキリしたことで、私たちは友達になることをリアムに許された。はあ、過保護な保護者でごめん。
サジマはこの鬼の集団でダントツに若く、感覚として世代が近い。それってとっても気安い。
リアムが当初渋ったように、サジマの許嫁さんも私が友達であることイヤかなあと思ったけれど、
「え?『一角鬼の奥さんと友達?絶対間違い起こらないからよし。利用しろ!』って言われた」
したたかな鬼嫁だ。
「ねえ、何が降ってきてるの?」
「ん?……なんだこりゃ?俺も知らない。ぶちょー!」
食事中のジグさんを呼びつけた。
「んだよ、まったく……ほう、今年もそんな時期か」
「ジグさん、あの白いの何か知ってるんですか?」
「サジマも初めてか?そうか、アリーチェ、これは豆だ」
「「豆⁉︎」」
「そ、豆。ここは人界に一番近いからな。冥界の名物みたいなもんだ」
「部長、なぜ冥界に豆が?」
「人間はな、この季節、邪を払うために大豆をまくんだよ」
ま、まさかの節分!!!
「邪を払うために大豆?奇怪な風習ですね。でもなぜこんな界の狭間に届くんですか?」
「何だっけな……『鬼は〜外』とか、鬼鬼連呼するから届くんだよ。言霊ってヤツだ」
鬼を悪者として追い払う行事だったとは、もはや口が裂けても言えない……
◇◇◇
次の日、食堂のメニューは大豆オンパレードだった。
呉汁、納豆、湯豆腐、筑前煮、きなこもち、豆乳プリン……
「ウフフ、昨日ね、仕事の後、拾いに行ったのよー。あ、アリーチェは外に出たら戻ってこられなくなるからダメよ!私は羽があるからギリギリね!」
「はっ、はいー!」
あのブラックホールのような闇に吸い込まれるとか勘弁だ。
お客様への食事の提供が終わると、マシュとリラさんと三人で遅めの昼ごはん。まかないはキツネうどん。
「このお揚げも手作りですか?すごい!美味しいです!」
「そうかそうか。いっぱい食べて大きくなれよ!」
マシュがニコニコと私の頭を撫でる。
そういえば、先日私は実体化した。よくわからないけれど、完全に〈鬼の気〉になったらしい。なのでマシュはますます張り切って私に美味しいものを食べさせてくれる。ありがとう!
「はあ、思ったよりも豆定食、食べ残し多かったわね……やっぱり鬼にはさっぱりしすぎなのかしら」
リラさんががっくり肩を落とす。
「うーん生前は大豆、大人気でしたけどね。ヘルシーなタンパク質で、女性にはイソフラボンが取れるから」
「イソ?アリーチェ、ちょっとそこ詳しく!」
リラさんが身を乗り出す。
「えっと大豆イソフラボンは女性ホルモンととても成分が似ているので、摂取すると女性が輝く?みたいな?」
「偉えなアリーチェは!ちゃーんとあっちで勉強したんだな」
「いいこと聞いた!明日、リベンジね!」
リラさんの目がキラリンと光った。
◇◇◇
翌日、食堂は女性で大混雑だった。
〈100食限定!女性のための女子力アップご飯!!!〉
かわいいイラスト入り看板はリラさんのお友達が書いてくれたらしい。
定食の内容は昨日のものに、鶏皮の酢の物を一品加えただけ。ただ器を女性好みのかわいいものに変えた。
口コミは一瞬でこの冥府の建物を駆け抜けて、ココこんなに女性が住んでたんだ……と驚いた。
リラさんの拾ってきた大豆は綺麗になくなり、私たちは賄いの雑炊をゆっくり口に運ぶ。三人とも食欲がない。
「いや……こうも一気に女性に押しかけられると……疲れる……」
マシュがテーブルにほっぺたをのせてグッタリしてる。
「まあいい経験だったじゃない!たまには目新しいことしないと!この閉塞感しかない建物で、食事は唯一の憩いであり娯楽なんだから!」
元気のいいこと言いつつも、リラさんもテーブルに沈んでいる。私はそんなリラさんの肩を揉みながら、改めてこの愛する食堂の役目を理解した。頑張ろう!
「アリーチェ?」
カウンターの向こうから、伺うような声がかかる。リアムだ。
「お疲れ!帰っていいぞ!」
「アリーチェ、また明日ー!」
「お先に失礼します」
リアムの迎えにバタバタと更衣室に走った。
◇◇◇
「ランチタイムは食堂に近づけなかったよ?」
「うわあ、ごめんね。男性の皆さんたちからひょっとして不評だった?」
「いや、面白がってたな。日頃部屋から出ない奥さんまで、食堂に走ったって喜んでた。でも毎日だと困るかも」
「なるほど」
リアムに手を繋がれて、久しぶりに公園に来る。
ポプラに似た木の下のベンチに仲良く座る。
私はポケットから紙で包んだ大豆を出す。
「はいどうぞ!」
「大豆だな」
リアムはもちろん、人間界でどういう意図を持って撒かれるか知っていて苦笑いだ。
「それにしても、外部に出てこれを拾うとは、リラの逞しさにビックリだ。この白い衣は?」
「軽く炒ったあと、砂糖がけしたの。甘くていくらでも食べられちゃうよ!」
ぽりぽりと私が食べる。リアムも指でつまみ口に入れる。
しばらくお互い無言で食べる。止まらない。
あっという間に大豆はなくなった。
リアムの肩にもたれて咲き誇る花を眺め、視線をリアムに戻すと、リアムが片手で顔を覆っている。あれ?顔が赤い。
「リアム?」
「……アリーチェ、どの辺が女子力上がったんだ?」
「え?きっと全部?えへへ!」
「そうか……じゃあ至急チェックしなければね」
「は?」
あっという間に腰に手を回されリアムに肩に担がれた。
少なくない公園で寛ぐ人々に生ぬるい目で見られながら退場する。
自室に着き、ベッドに下される。
「ヒドイ!また担がれて注目浴びすぎました!どうして普通に歩いて帰らないの?」
リアムにごつんと頭突きされる。痛い。
「アリーチェが悪い」
「悪くないです!」
「そんなに女子力上げて、艶めいた姿、他の男に見せられない」
「は?」
「鬼は執着心が強いと教えただろう!牽制しなければならなかった!女子力アップ?の効果、甘く見ていた!」
首に顔を寄せられて、スンと匂いを嗅がれた。
「やだ!何してんの⁉︎」
1日働いて汗かいてるのに!恥ずかしい!!!睨みつける!!!
「全く、こんな芳しい香り振りまいて……こんなに潤んだ瞳で見つめて!アリーチェが誘ったんだ。今日は覚悟して?」
全身に体重を乗せられ、両手で顔を包まれてキスされる。ドンドン深くなり……脳が痺れる。
イソフラボン……まさかマジで効いたの???と思ったのを最後に、私は意識を飛ばした。
◇◇◇
翌日、マシュの元に男性鬼達から「アレはヤバすぎる」「いや、かわいいから定番メニューにしてくれ」などなど賛否両論が寄せられて、上層部で会議が開かれた。
女子力アップメニューは年に二回の長期休暇前日限定メニューということで、各方面の折り合いがついた。
節分番外でした 。大豆を食べよう !