第736話 良く分からない話
執事のノックに引き続き部屋に入った私が見たのは供も連れず、一人で座っている男性の後姿だ。色々な人と会った経験から言うと、この世界で話し合いの時に誰かを連れてこないのは、余程込み入った話をする場合だけのようだ。そうでもなければ、口頭で言ったの言わないのにならないように認識合わせが出来るように複数人を連れてくる。これに関しては、ノーウェから言われたので間違いないだろう。余程私が一人でちょこちょこと動き回っているのが奇異だったらしい。ただ、議事録を書く事に慣れていたので、特に困る事は無かった。会議の基本はアジェンダありきなので、そんなに話が極端に飛ぶ事は少ない。
頭の中でぽへーっと刹那考えながら奥に向かい振り返ると、男性とは言ってもかなりの若者が神経質な表情で座っていた。年の頃は二十台前半だろう。大学生か新社会人くらいの感じだ。この年齢で国一つの物流をマネージメント出来るというのは、また凄いなと感心しながら席に着く。
「初めまして、塩ギルド西部管轄区局東方面代表のルーマントです」
笑いもせずに、淡々と述べる名乗りに疑問が浮かぶ。
「初めまして、アキヒロ・マエカワです。こちらは妻のリザティアです。さて、まず確認をしたいのですが、本日ご訪問の約束をしておりましたのは、西部管轄区局長とお聞きしておりましたが、いかがでしょうか?」
そう告げると、若干ぶすっとした表情でルーマントが口を開く。思ったよりも表情に出るというか、短気な感じだな……。
「局長は別件のため少し遅れます。お時間を取らせるのも問題ですので、私の方で話をまとめます」
と言う事は申し込んできた人間とは別人なのか。手紙の感じだと、挨拶に関してはそれなりに好感が持てた印象だったので、彼が書いたのなら偉いなと思っていたのに。しかし、東方面代表ってどんな規模を管理しているのか、良く分からない。そんな資料手元に存在しない。
「そうですか。どのような用件か存じ上げないので、まず前提条件を確認したく思います。ワラニカ側に提供されている報告書に関しては、決裁者が全て西部管轄区局長名義となりその権限範囲は理解しておりますが、その中をどういう形で細分化し組織として管理しているかが分かりません。まず、東方面というのは……」
そんな感じで肩書と権限を確認してみたが、正直この子、そんなに強い権限を持っていない。この場合の東方面というのはワラニカの東側、ダブティアの三割を管理している組織らしい。『リザティア』が正式に発足したので、ダブティア側とワラニカ側の在庫を行き来するのにうちの倉庫街を使い始めたので、『リザティア』までを東方面に含んだらしいが規模としてみればそんなに大きくない。子爵領五つか六つ分くらいだろう。大きい町が十あるかないか。小さな町が二十あるかないか。しかもこの場合の代表とは代表取締役の代表と言う訳ではなく、あくまで代表者としての代表らしい。この子自体には東方面の管轄権限は無い。厳密には管轄権限を有する合議団体の一員だというだけだ。
途端に話が分からなくなる。話すべき相手でもない人間と、何を話せば良いというのだろうか。
「ルーマントさん、貴方の立場は理解出来ました。その上で質問ですが、今回頂いた内容は面会の要求でした。請願では無くです。国権を持った国王陛下より自治権を下賜された領主に対して、要求するというのは些か不遜かと思いますが」
領主も忙しいので、煩わしい事は調整したい。会うのを向こうが希望するなら、こっちの要望を飲んでもらうというのも様式だ。それを一方的に要求されても純粋に困るし、ギルドに言われて要求を呑まないといけないという話でも無い。
「王権を盾に取れば、我々が引くと考えますか?」
至極普通な会話をしたはずなのに、微妙な答えが返ってきて、自然と首が傾げる。
「引くも何も、面会の要求ですよね? しかも書状に記載されていたのは挨拶をしたいと言う事です。何の話でしょうか」
そう尋ねると、はんっと人を小ばかにしたように鼻で笑ったかと思うと、首を上げる。
「この領では、塩を秘密裏に採掘している可能性がある。その件に関して、明確な回答と賠償を要求する」
分からん。この子何を言っているんだろう。あまりの言葉に頭の中にはてなマークが飛び交う。
「えぇと……。何の話でしょうか?」
「この町及びワラニカの周辺の町に関して調査を行ったが、塩の購入量が下落している。またこの町に関しては、建設以降ある時期より著しく購入量が落ちた。この町は塩を採掘するために開かれた町だろう!!」
何の嫌疑があっていうのか、本当に分からない。リズの方を見てもぽかーんとしている。うん、私もぽかーんとしたい。
「……全く身に覚えのない話ですが、もし何らかの証拠をお持ちであれば、提出して下さい。議論はそれからです。お引き取り願えますか?」
にこやかに微笑み、取り敢えず追い返す事にした。
が、帰らない。証拠も無いのに、延々何か悪い事しているだろうみたいな内容で話をされるので困る。塩ギルドの権力でどうにかすると言っているのだが、そのどうにかの部分もはっきりとさせないので対処に困る。塩ギルドに関しても、ギルドとしての権限はあるのであまり無茶な事は出来ない。精々塩の流通を遅延させたりだろうか。それも、今となっては対処は可能だ。国レベルでの流通は無理でも、設備を増やせばロスティーに関わる領地にバラまく事は出来るだろう。流通もこっちで見ないといけないので、安価な、の部分は消えるが無いよりはましだ。と言う訳で、もう、何を要求されているのかも分からない、困ってしまってワンワンワワンな状況で延々話を聞くだけになってしまっている。挨拶からもう一時間くらい、この戯言を聞いていてもう限界だと、実力行使に出ようかなと思って立ち上がろうとすると、応接間にノックの音が響く。聞くと、西部管轄区局長が訪問したらしい。遅れると言っていた人間が来たのか……。この上で同じ事を言われるようなら切れても良いよなと思いながら腰を落ち着けると、正面のルーマントが青い顔をしている。
はて、先程までの気勢はどこに行ったのかと思っていると、改めてノックの音が響く。
「初めまして、子爵様。塩ギルド西部管轄区局長のゲールデンです。お会い出来て光栄です」
三十くらいだろう男性が優し気に挨拶をしてくる。長身だが威圧感を感じさせないのはその痩身故だろうか。あぁ、やっとまともそうな人が来た。これできちんと話が出来ると思っていると、つかつかとゲールデンがテーブルの方に向かう。
「ルーマント……何故そこにいる?」
ゲールデンが先程の優しさはどこに行ったのかと思わんばかりの冷えた声音で呟いた瞬間、縮こまった背中がびくりと動き、錆びたネジを回すかのようにぎぎぎとルーマントが振り返る。
「ゲールデン……さん……これは……」
はて、なんじゃこりゃ。私はリズを見てみるが、リズもぷるぷると首を振る。ですよね。




