第642話 鬱々とした曇り空だって、楽しく飲めば印象は変わります
厨房に寄ってからてくてくと歩いて、工房に到着すると、本日の業務は終了したのか、ちょこちょことお弟子さん達が出ていっているのが見える。こちらに気付くとぺこりとお辞儀をしてくるのは、前に飲み会に参加してくれた人だなと。手を振りながら、工房を覗き込んで声をかける。
「ネース、いますか?」
「おう。火ぃ落としてる。ちっと待ってくれぇ」
工房奥から響く声。棚に乗るサンプルを見つめ、手に取ってコツコツと叩きながら待っていると、カラカラと引き戸を開ける音が響き、ネスが奥から出てくる。
「すまんな、確認作業に手間ぁ取った」
「いえ。終わるだろう程度の時間で来たので。ちなみに、これ、純鉄の加工品ですか? これだけ、質が違うように見えますが」
今までの剣より若干だが軽い。それに重心が顕著に違う。
「んぁ? あぁ、そうだ。良く分かったな」
ネスが眉を上げながら言う。私は軽く振ってみて、重心の確認と重さ自体を改めて確認する。
「軽いですし、重心がかなり違いますよね。従来は全体的に重くて手元に重心が来ていた感じがしますが、全体が軽くなった代わりに先端の方に重心が乗った気がします。軽いので取り回しはしやすいでしょうし、重心が先に来た事で降り抜く際は重さが乗りそうですね」
「そうだな。若干は軽くなっているな。先には少し混ぜ物をして重さを加えた。試作なんで、重心をどこに置くかは思案中だな」
顎に手をやりながら、ネスが答える。
「ふむ。もし数を必要であれば、出しますが?」
「いや、まだ前のが残っている。面白ぇんだが弄る暇も無ぇ」
ネスが苦笑を浮かべながら、後方の事務所の方を右手の親指で指す。あぁ、設計図を隠しているのか。
「お手数をおかけします」
「いぃや。領主様の命令だぜ? まぁ、俺らを守ってくれる兵達の命を預かるんだ。なるべく楽してもらいてぇしな」
「そう言ってもらえるとありがたいです。まだまだ作ってもらう物は沢山ありますし」
そう言うと、ネスが目を見開く。
「かぁ、まだあんのかよ。領主様はお知恵がおありのようで」
「まぁ、冗談はさて置き。竜の件をノーウェ伯爵閣下に報告しましたが、本人が来られます。その際に献上したい物があります。木工だけで可能なので、一旦投げてもらう事は可能ですか?」
そう告げて、休憩中に書いていた設計図を渡す。
「ん? んー。リバーシとチェスとのあいのこみてぇだな……。角ばってはいるが……。これ、駒の大きさ変えないと駄目か?」
「そうですね。正式には変えた方が良いです。ただ間に合わないというのであれば、試作と言う事で揃えて下さい」
「ノーウェ閣下の到着予定は?」
「鳩の返事の段階でもう出ると書いてあったので、遅くて二十二日でしょう」
「そいつぁ、きついな。木工の方も稼働が大分詰まってるぞ……。建材絡みの仕様が大分細かいからな……。ねじ込むか」
「二十一日の夕方までには欲しいです。駄目なら、端材で適当な駒にしてもらっても良いですが」
「駒の形にも意味はあんだろ。裏表か……。焼き印って話だが、試作は自分で書いてくれ。駒と盤の方は作っておく。勿論駒の大きさは均一だぞ?」
「構いません。ノーウェ伯爵閣下にはサンプルと伝えますから。今回は流石に予想外の訪問です」
そう言うと、ネスが呆れたような表情を浮かべる。
「竜が来たんだ。そりゃ確認するだろ……」
「そうですね。確認は必要だと思いますが、即本人が来る話でも無いかなと。全権委任の家宰辺りが現状確認して、問題が無ければ良し。有れば本人が来ると踏んでいたんですが……。全く領地に影響は無いですし、個人の友誼の話ですからね」
「個人の友誼っつっても、相手は大陸規模だっつぅ話だろ? 相手の方がでかすぎらぁ」
「至って理性的な相手なんですが。もう少し常識の部分を擦り合わせたら、一緒にノーウェティスカにお邪魔しようと思っていたので、その旨も記載したんですが」
そう告げると、ネスが呆れたように笑う。
「知らねぇ人間からすりゃぁ、怖かろう。まぁ、しょうがないだろう」
「そうですね。もし可能なら、冷蔵箱をもう一個、お土産用にお願いします」
「げ……。本気かよ……。ノーウェ閣下かぁ……。今後を考えたら嫌ったぁ言えんなぁ……。無理でもねじ込んどく」
「助かります。私は前に少し話した通り、隠れるつもりなので。竜の飛行能力を確認したら、少し遠出します。その間は依頼は出さないですよ?」
「っけ。朝のネタで手一杯だ。はぁ、シェルエも駆け回るったぁ、このこったぜ」
あの享楽を司どる神様すら走り回らないと事態の収拾が付かないという意味なので、非常に正鵠を射ている。
「まぁ、今日は木工屋もお開きでしょう。奥様はいらっしゃいますか? ツマミは持ってきたので、食事前に軽く一杯と行きましょう」
下げていたバッグから、ワインとエールの瓶、それにおつまみとしてスルメと試験的に作り始めたポークジャーキーを取り出す。
「おぉ。奥に行くか?」
「雨もぎりぎり降っていないので、ここのテーブルで良いんじゃないですか?」
「分かった。どうせ飲むだろうって、今日は外食のつもりだったしな。今度出来た角の料理屋が美味いって評判だ」
「んー。あぁ、元肉屋さんが始めたお店でしたっけ? デパートでトンカツを食べて感動したからって、トンカツ屋を出すって言ってましたね。野菜の伝手が欲しいってフェンと調整をしていたのを覚えています」
「あぁ、元々デパートの料理なのか……。それなりの金額だが、美味いんでな。それに油を使う料理なんて、家で作れねぇし。競馬場で食うくらいしか機会が無かった」
「元々トルカに住んでいたら機会自体無かったじゃないですか」
流石に私も苦笑を浮かべると、ネスも笑い返してくる。
「違ぇねぇ。おーい、お前。領主様が一緒に飲まねぇかって。……いいよ、ツマミも持ってきてくれてる。あー、非常識とかいいよ。どうせ飲むだけなんだぜ」
ぱたりと扉が閉められると、すごすごとネスが戻ってくる。
「どうしました?」
「いや、野菜だけでも持ってくるっつってた……」
「良い奥様じゃないですか」
「ありがたい話だがな」
そんな感じで奥さんが来るまで、四方山話に盛り上がりながら、アタリメとジャーキーを細かく毟っていた。
暫くするとひょこりと事務所の扉から奥さんが顔を出したので、挨拶をする。手には大皿のサラダとキャベツっぽい小皿を持ってきてくれている。
「すみません。逆にお手数おかけしました」
「いえいえ。いつもお世話ばかりおかけして申し訳ございません。これ、少しで恐縮ですが」
そんな事を言いながら、テーブルに取り分け用の小皿やカップ、フォークなどを用意してくれる。私とネスは冷蔵箱の前に立つ。
「んじゃ、開けてみて下さい」
「おう。どれどれ」
ネスがきゅぽっと冷蔵箱を開けると、ほのかにひんやりした空気が流れ出る。
「お、冷えてる、冷えてる」
「早く閉めないと、冷気が逃げますよ」
「お、悪ぃ」
パタンと扉を閉めて、エールの瓶をテーブルに置く。私もさっと上部の扉を開けて氷の大きさを確認する。
「確かに冷えてんな……。この温度で肉や野菜も保存出来るって訳か」
「そうですね。夏場でも一日置いているのに、この温度でしょう。氷も見ましたが、半分以上は残っているので、一日一回の交換で大丈夫ですね。氷屋は今調整中ですが、まずは成功でしょう。豪商や貴族辺りが揃えて、氷の価格が下がってきたら一般の家庭にも普及するでしょう」
「氷はどのくらいの価格になるのでしょうか?」
一番使うであろう奥さんが興味津々に聞いてくる。
「今の想定だと、肉屋なんかが大型のを必要とすると思います。それが入れば、廃棄していた筈の生肉を利用出来るようになるので、氷と相殺以上の価値は出ます。その価値を価格に反映させてもらいます。その価格差と家で保存する期間分の価格で氷が買えるくらいを狙っていますね」
そう答えると、若干残念そうな顔になる。保存期間が延びても、トータルの価格が変わらなければ庶民に意味は無いだろう。
「今はまだ水魔術士が不足していますから。そこを補えば、氷の価格は下がります。私も水魔術で家一つくらいなら平気で出せますし、休めば延々と作れますしね。人数が増えれば価格に反映させます。それまでは冷えた物を気軽に楽しめる辺りを価値として見てもらえればと思います」
そう言いながら、エールを各人のカップに注ぐ。
「では、開発完了に」
「おう、ありがとよ」
カップを掲げ、こくりと口に含む。川から上水は引いているが、夏場は気温が上がってかつ『リザティア』全体的に流れている間にやはり温くなる。キンキンに冷やすにはやはり氷が必要だろう。冷えた液体が喉を通り、パチパチと弾ける感触。豊潤な香りが喉奥から上がって、鼻から抜ける。コクを感じる前に、次々と流し込んでしまう。贅沢なとは思うが、昼過ぎからは湿度と温度のダブルパンチでうだるように暑かった。
「ぷっはぁぁぁ。うめぇ!!」
ネスが飲み干したのか、ドンとカップをテーブルに置く。奥さんも嬉しそうに、こくりこくりと飲んでいる。
「と言う訳で、物を冷やすだけの装置ですが、ご感想は?」
「欲しいな!!」
「あなた……」
「あ、いや……。でもな、美味えだろ?」
「うーん、そうねぇ……。生のお肉とかをまとめて買えるなら安くしてもらえるし……。それを保存するって話なら……。でも氷の値段次第ね……」
奥さんも欲しそうだが、現実を見ている。ネスはネスで若干悲哀に満ちた顔で攻防戦を繰り広げている。
「試験用と言う事で、領主館の氷室に氷を置いておきます。私達が出ている間はそれを切り出して、冷蔵箱の仕様を確認してもらえますか?」
そう言うと、ネスの表情がぱぁっと明るくなる。奥さんも苦笑しながらも、お礼を言ってくれたので、使ってもらえるだろう。
「このポークジャーキーっつったか。干し肉とも違う感じだが、塩も程良いし、柔らかくて美味えな」
「干し肉と言っても、塩漬け肉を乾燥させたような作り方ですしね。必要最低限の塩分と香辛料、それに適度な乾燥をさせているので、今までの干し肉よりも食べられる期間は長いですよ。ただ、価格はまだまだ高いです。大量生産を始めないと、置き換えは無理ですね。『リザティア』だと塩も安いので、他の領地の干し肉より安いが『リザティア』の干し肉よりは高い辺りで落ち着くと思います」
「あんな塩の塊を食うぐらいなら、こっちを食うけどな」
ネスの言葉に、奥さんも同意を返してくれる。ふむ、奥様方も同じ意見なら、温泉宿で出してみるか……。部屋飲み用のおつまみとして出してみて、本格的に保存食として流通させるかな。
そんな事を考えながら、持ってきてもらったキャベツの漬物にフォークを伸ばす。表面に散っている黒い物は、昆布なのかな? はくりと口に入れると優しい昆布の香り。水分はキャベツから出たものだけだろう。適度な塩気と野菜の強い甘み、昆布の出汁、それにくたっとしながらも芯にしゃきっとした感触が残るキャベツが優しい調和で美味しい。日本に住んでいる時に偶にキャベツが安い時に買ってきて、塩昆布と一緒に浅漬けにしていたのに似ている。こっちは旨味が優しいのと、キャベツの鮮烈な青い香りが顕著に出て、個人的には好きだ。
「このキャベツの漬物は美味しいですね。昆布の香りも良いですし、塩加減が絶妙です」
絶賛してみると、奥さんが照れたように俯く。
「だろ。言われたから、こいつが買って試してみたら、美味えのよ。パンと食っても意外といけるし。今までの酸っぱいのも嫌いじゃねえが、塩気がきついしなぁ。冬場はそれで良いんだが、普通に買える夏場まであれを食いたいとは思わねぇ」
ザワークラウト未満な物は不評か。香辛料は集まったので、作ってみたいのだが、中々暇が見つからない。ちょっと本気で作ろう。
そんな感じで、冷えたエールが切れればワインを、ジャーキーを食べ終わればアタリメを楽しみながら、小さな飲み会は盛況のまま終わった。




