3-11 第一章 完
「ちょっと、待ってよ!」
アトリが叫ぶと同時に、エナガは壁に手をおいた。エントランスへの出口があいた。後ろは振り返らなかった。
「走れ、エナ!」
カウントダウンは五秒を切る。エナガを引っ張り、アトリは階段を駆け上がる。壁にぶつかるようにエナガは手を置いた。ふたりは倒れるように地上に出た。
「アトリ!エナちゃん!」
ヒクイが駆け寄る。アトリとエナガは振り返った。そこには元に戻ったレリーフがあるだけだった。地上は地下のことなどなんにも知らないとでもいうように、陥没どころか、揺れてさえいなかった。雨上がりの静かな夜だった。
「操縦室はどうなった」
ヒクイがアトリに尋ねる。
「館長さんの依頼通り」
アトリは白い銃をヒクイに渡した。
「弾は全部使った。ただの玩具になったよ」
「そうか。オークロは、死んだか?」
出てこなかったことからヒクイは察した。
「同情はしない。けど、時間教徒にとって、タイムマシンが墓場になったんだから、夢が叶ったってことだろう」
アトリはやるせなく笑った。悲しい皮肉だった。
「エナ、大丈夫か?」
頷いたエナガは二人の方に向き直った。
「勝手に抜け出してごめんなさい」
抜け出しておいて、助けをを求めた。エナガが申し訳なくて俯ていると、アトリは人差し指でエナガの額を押すと、デコピンをした。
「これで許してやる。これで終わりだ。もうこの話はしない」
「俺らもエナちゃんを侮ってたからね。この数日で顔が変わったね」
「そうですかね」
「うん。よく頑張ったね」
ヒクイはエナガの頭に手を乗せて褒めた。
「ガキかよ」
「アトリもやってあげようか?」
「金にして今度ちょうだい」
ふたりの兄弟喧嘩を見て、エナガは自然と微笑んだ。けれどオークロのことがすぐによぎった。レリーフの方を見つめる。黄色い部屋の中でオークロはひとり死んでいった。望みも叶えられず。エナガもオークロに同情するわけでも、今回のことを許したわけでもなかった。けれど、とてつもなくむなしく、切ない人としてエナガの記憶から消えることはないと思った。
「生れてこなければよかったと思わせたまま死なせてしまいました」
アトリのように生きることを諭すには、オークロのいうとおり、エナガはいい子過ぎた。人の生きる力になるというのはまだエナガには、遠い星のようであった。
「そういう思いで死んでいく人間もこの世にいるってことさ。それでもあいつの命が安かったわけじゃない。どうしようもなくても、どうしようもなく生きてたんだからさ」
アトリは夜空を見上げた。雨上がりの星の光は弔いのようにしとやかに輝いていた。
「なんだ、からかい損か。まあ、俺の仕事を終わらして貰ったから、弟さんに感謝しないといけないってことか」
プリベストは不服そうにいった。
「強い弟さんをお持ちでうらやましい」
プリベストはヒクイに嫌味ぽくいった。
「ありがとうございます」
ヒクイは微笑んで礼をいった。プリベストはつまらなかった。
「おい、ヒック。なんでこいつとそんな親しげに話してるんだ?こいつオークロの仲間だろう。ってか、お前、そんな声だっけ?」
この場で、プリベストをまだヤマガラだと思っているのはアトリだけであった。
「親しげにとかいわないで」
「この人、世界統合機構の人だそうです」
エナガはつい、アトリに教えてしまった。すると、プリベストはエナガの横に座る。
「あーあ、秘密っていったのに。口が軽いオンナはタイプじゃないね」
「え、ああ、すいません」
エナガは思わず謝る。
「エナちゃんそいつに謝る価値ないよ。俺にも普通にべらべら教えてくれたから」
ヒクイはにこにこしながらプリベストに辛辣な態度を取る。エナガはこんなに口が軽いなら、そのうち世界統合機構をクビになりそうだなと思った。そんな失礼なことを考えているエナガの耳元でプリベストは囁いた。
「タイムパラドックスの話は絶対に口にしないでね。もし喋ったらあなたと、喋った相手を殺しにくるから」
プリベストは満面の笑みでエナガに忠告をした。エナガは顔を引きつらせるけれど、プリベストは今、エナガを殺すつもりはなさそうだった。
「あんた、世界のお偉いさんか何か知らないけど、めっちゃ、腹に据えかねるんですけど」
「安定過ぎる同意だ」
さてと、とプリベストは立ち上がると、肩を回した。
「俺は後始末と、世界機構の暇人共のコーヒーのお供のために、報告書を書かなければならない。悪いけど、君たちの名前も書かせてもらうから」
三人は揃って嫌な顔をした。
「時間教と時間犯は別だとわかったけれど、まさか世界機構の人だったとは」
プリベストの後ろにニオが立っていた。アトリとヒクイはやばいと固まった。ニオはふたりを睨む。
「勝手にパトカー乗りやがって」
エナガ救出のため、アトリたちは喫茶ヤドリギの前にあったニオたちが乗ってきたパトカーを拝借したのだった。
「ごめんなさい」
アトリは素直に謝った。
「お金を出す」
ヒクイは金で解決しようとした。ニオはため息を漏らした。
「あとお前ら、バンが目覚めたら覚悟しといた方がいいぞ」
「バン君どうしたんですか?」
「こいつらが殴って気絶させた。今、喫茶ヤドリギで寝てる」
エナガはアトリを見る。
「優しさだ。仲間の仇っていうから。あとで俺に感謝するよ。だって相手は、世界統合機構の人間だぜ」
「もしかして、あのバイクに乗っていた子たちのボスですか。申し訳ない」
不信用な男の例えような嘘くさい大げさな笑顔、をプリベストはニオに向けた。ニオの不機嫌な顔に磨きがかかる。
「はじめまして、刑事さん。わたくし、世界統合機構にこき使われているプリベストと申します。偽名ですけど」
「偽名なんですか」
「はい、本名は教えられない立場でして。事故に遭った子たちの治療費はこちらで払います。こちらに連絡をしてください」
プリベストはニオに名刺を差し出す。受け取った名刺を見たニオの眉間から皺が消えた。
「世界統合機構、事務次長の名刺……」
「いや、次長は五人いるから。その人が俺の直属の上司の上司なんです。三回しかあったことないんですけど。車とか買うとき、その名刺見せたらタダで変えますよ」
「本当ですか?」
「嘘です」
ニオはプリベストを一瞬で嫌いになった。あと、素直に期待してしまった自分を恥ずかしく思った。普通に考えれば、ありえない。
「サンシ橋の費用もいってください」
「それは本当ですか?」
「本当です。気に食わない上司で、どんどん困らせたいんでどんどん請求してください。じゃあ、俺はここで」
「送りましょうか?」
ニオが親切心を出すがプリベストは断った。
「この顔をはずしたくてね。素顔は誰にも見せられないんです」
ヤマガラの顔で微笑むプリベストはやはり得体の知れない、影の人間だった。
「じゃあ、エナちゃん。また運命が交わるときに会いましょう」
プリベストがエナガに手を振る。
「これから先、お前と俺らの運命は永久に平行線だ」
アトリがあっかんべをする。
「平行線でも交わるさ。時空と時空の間でね」
プリベストはそれさえも愉快そうにして、のんびりと夜の闇へと消えていった。
「さて、帰りますか」
ヒクイが立ち上がると背伸びをした。
「そうだな。ほれ、エナ」
アトリがエナガに手貸す。
「ありがとう」
エナガは、手を借りて立ち上がるが、ふらついてしまい、とっさにアトリの肩を掴んだが、抱きついてしまった。
頭をなでて抱きしめてよ。
操縦室のホールで聞いた幼き日のアトリらしき声。違うかもしれない。けれど。エナガはそっとアトリの頭を撫でるように抱きしめた。変えられない過去だとしても救いたい。諦めの中の希望だとしても。忘れていても希望だったのだから。救いの切れ端だったのかもしれないのだから。ある意味これも再認の追加になるかもしれない。エナガは幼い子どもにいうように優しくゆっくりと伝えた。
「きてくれてありがとう」
沸き立った恋しさ。届かなかったものに不意に届いてしまった嬉しさのむずがゆさ。アトリは溢れ出す感情にどんな言葉を並べても、吐息のような声を漏らすだけの力しかでなかった。エナガはそっと離れる。
「エナ」
アトリは震える声で呼んだ。
「落ち着いたら、お前に話がある。すごく昔の話ででもそんなに昔の話じゃなくて、ややこしてむずかしい話だ。俺の、母親の話も聞いて欲しい。あと、お前の父親の話も聞きたい」
「いくらでも」
「おい、いちゃいちゃしてないで早く乗れ。ニオが送ってくれるって」
ヒクイが呼ぶ。エナガはアトリの手をひく。
「行こう、アトリさん」
エナガはたまらなく嬉しそうにした。
「おう」
アトリが奪ったパトカーは無事、ニオの元に戻った。エナガを真ん中に、アトリとヒックは後部座席に乗る。ニオが車を走らせる。
「最初にハルガヤ家に寄ってくれないか?」
ヒクイはニオに頼む。
「馬鹿め。最初の行き先はハーリキン市警だ。話を聞かせてもらうぞ。話したいこともあるしな」
三人は真顔になる。ニオのジャケットのポケットから、ブルーベルの手紙の角が見えていた。
「いっただろ。猶予は三日だと。タイムオーバーだ。忘れてのこのこパトカーに乗りやがって。それと、アトリとヒック。このパトカーを盗んだのは別件だからな」
「返したじゃん!ってか、盗んでないし!借りただけだし!」
アトリが噛みついた。
「返した借りたで片付くなら、この世に窃盗事件はないんだよ!」
ニオは珍しく高笑いをした。
「あの、話ってどのくらい時間がかかりますか?」
エナガが不安げに聞く。ニオはいった。
「それはすぐには答えられないな」
(第一章 完)




