第1章 アサンブラージュ
ティリリリ、ティリリリ
部屋中に携帯の電子音が鳴り響く。
これで何度目だ?頭に響いて敵わん。
睡魔に襲われながらも、ボヤける視界の中、携帯を探しながら考える。
昨日やっとヨーロッパでの絵画の買付が終わって、帰ってのは深夜を回ってからだ。久々の休暇。寝る前にアラームを全て切ったはずだ。
…
…
となると、あ〜電話か。
私は時計に目をやる。午前十時。私の出張を知っている友人が電話をかけてくるはずがない。
内心で、疑問を抱えながら、携帯を掴み取った。寝ぼけて霞む視界で携帯を操作し、どうにか、電話に出ることができた。その瞬間、ブツッと音が切られてしまった。
はぁ~……。ふざけるな。邪魔するだけ邪魔して、切りやがって。
私はそのまま倒れ込むようにして再び眠りについた。
* * *
それからどれくらい経っただろう。今度は玄関の扉を激しく拳を打ちつける音が聞こえる。
ゴッン!ゴッン!
その音と重なるように女性の叫び声が聞こえる。
「……ちょ…!……かんちょ…!」
聞き覚えのある声……。あれはアシスタントの煖華の声だ。もしかして、電話の相手は彼女か?しかし、営業時間に画廊を離れるような子じゃない。どんな要件だ?
扉越しでなにを言っているのか聞き取れない。あの声、何やら焦っている様子だ。いつもより声が高い。
私はベッドから体を引きずるようにして起き上がると玄関まで向かった。
「煖華。朝は早くどうした?私は今日休暇を取ると伝えたはずだが?」
やっと、私が出たことに扉を叩くのを止めると、扉の向こうではホッとしたように声が漏れ聞こえる。
『真心館長!大変です。ついにウチの画廊にも出たんです!』
ホッとした様子が伝わったのは一瞬だけ、途端にその声は慌てた様子に戻る。
これじゃあ、ご近所さんからクレームがきそうだ。
私は、鍵を開け、ドアノブを捻ると、煖華も扉を開けようとしたのか、捻ると同時に彼女が部屋に転がり込んできた。煖華はそのまま私を押し倒すようにしてクッション代わりにする。
煖華は私から離れると、深く頭を下げながら謝罪した。
彼女に怪我がないのなら、それでいい。
「謝罪はいい。それよりどうした?何が出たんだ?窃盗犯か?だが、今は個人的な特別展示期間で高額な品物は取り扱っていないはずだ。それとも幽霊でも出たか?」
私は煖華を落ち着かせるために部屋に招き入れ、焦る彼女に飲み物を差し出した。よほど喉が渇いていたのか、一言も発することなく、それを一気に流し込む。ようやく落ち着いたのか、フッと息を漏らすと、事件の概要を話し始めた。
「真心館長が出張中に、この国を騒がせ続けているアイツが!今回はウチを標的にしたです。アイツ!あのハーティカの!」
* * *
煖華の話をまとめるとこういうことだ。
この数ヶ月の間、日本各地の美術館、画廊、ギャラリー、果てはデパートやレストランに至るまで色々な場所の絵画を無差別に破壊していく者がいた。
その人物の名は『ハーティカ』。警察が付けたわけでも、誰かがそう呼んだわけでもない。本人がわざわざ現場に残しているらしいカードにそう書かれているようだ。
現在に至るまで二ヶ月で十件。私の画廊で十一件目だそうだ。
全ての絵画は何らかの形で壊されていた。
刃物で切り裂く。
薬品で溶かす。
蛍光塗料をぶち撒ける。
方法はさまざま。
どれも芸術的価値のない贋作やレプリカ、素人の落書きをまるで本物のように展示している絵画ばかりが標的になっているようだ。
しかし、これだけ被害が出ていても犯人は未だに捕まっていないらしい。
「それでそのハーティカが私の画廊に出たと?」
煖華は小さく頷くと携帯を取り出し、操作すると私に見せた。受け取った携帯には、私の画廊であろう床の上に一枚のカードが落ちている写真だった。私はそれを見て、眉間に皺を寄せる。
【
私は、ハーティカ。真の芸術を追い求める者。
偽りの芸術に憤怒の炎に身を焦がすその熱を
持って偽りを浄化する。
この世に残るべきは、ただ一つ私が示す真の芸術のみ 】
頭の悪いナルシストが書いたような内容だな。
私は携帯を煖華に返すと、そのまま携帯をカバンに戻す。
「今、画廊を警察が現場検証中で、その間に館長を電話で呼んだんですが、全然出てくれませんでしたね」
煖華はどこか棘がある言葉と共に、現状を教えてくれた。
仕方ないだろう?日本に着いたのは日が変わってからだぞ?そんなに早く起きれるか!
私は内心で悪態をつくながら、「すまなかった」と謝罪した。煖華に私がどうしてほしいのか尋ねると、「画廊に向かいましょう」と彼女は当たり前とばかりに席を立ち、出かける準備をするように促すと、その場に留まっている。
「君が居ては着替えられないだろう」
「私は気にしませんよ?でも、そうですね。マンションの入口まで車を回しておきますので、早く来てください」
そう言い残すと、煖華が部屋をあとにした。その背中を見送ると、私はタンスから新しい服を取り出し手早く着替え、部屋を後にした。
マンションのエントランスを出ると、そこで待っていた煖華は私を車の後部座席に押し込まれた。
そういえば、彼女の車には初めて乗るが………汚い。普段の仕事は細かいとこまで気が利くいいアシスタントだが、私生活は違うのか。
私は彼女の意外な一面に驚きつつも、自分の座るスペースだけ作るとそこにちょこんと座る。私の乗車を確認すると画廊に向かって走り出した。
* * *
「それで誰の作品が被害に遭った?旧木か?それとも対馬さん?」
私は車が赤信号で止まったタイミングで聞いてみた。煖華は信号を見つめながら、思い出すように首を傾げながら告げる。
「どちらでもないです。畏芸先生の作品が被害に遭いました」
その答えに私は頭を悩ませていると、信号は青に変わり、車は動き出した。
私の画廊に到着するまで、まだ時間はあるはず。その間に思考を巡らせる。
畏芸先生が?あの人が贋作を描くとは到底思えない。ハーティカとやらは、誰かの絵と間違えて破壊したのか?
新紙や盟人が本当の標的だったら理解できる。新紙は高校時代、美術部であったが、それ以降は趣味でしか書いていない。盟人は職業柄、目が肥えていたのと本人の才能で、最近書き始めたばかりの素人だしな。
じゃあ、子豆か?可能性は低いな。現在、育児優先で活動していないが、少なくとも畏芸先生と同じで本物の画家であることは間違いない。
初心なんて論外だ。アイツは紛れもない本物の天才画家だ。今年に入って、世間がスランプに入ったと騒ごうがそれでも、そこら辺の画家より抜きん出てる化物だ。
そう考えると、誰かの絵と間違えた可能性はないだろうし、「偽り」と断じられる可能性はないだろう。それなのになぜ……。それとも別の理由が?
ともかく、彼ら彼女らには申し訳ないことをした。折角参加してもらったのに、こんな形になるとは……。この詫びはいずれしないとな。
展示会後について考えていると、運転席から話しかけられた。
「真心館長。着きました」
私は煖華にお礼を言うと、車を降りた。目の前には私の画廊がある。いつもは閑散としている趣のある私の趣味にあった素晴らしい建物だ。しかし、今は警察が行き来しており、騒々しくまるで別の建物のように感じた。
そんな中、そこが私の画廊であることを示すように看板が一つポツンと立てかけられている。
【期間限定。我が友人たちによる絵の展示販売。どうぞお立ち寄り下さい】
私の拙い絵とともに煖華のきれいな文字で書かれた看板だ。
「私、先に車を置いてきますので。その間、そこで待っていてください」
そう言い残すと、煖華は再び車に乗り込み、駐車場に向かって消えていった。一人残された私は、去ってゆく車を目で追うことしかできない。
私が一人ここで待っていると、警察に怪しまれないか?
そう思い始めると、余計に居心地が悪くなってしまう。無意識に辺りをキョロキョロと視線が彷徨い、目立たないところを探し始めると後ろから突然、声を掛けられた。
「少し、よろしいですか?」
私は肩をビクッとさせながら、ゆっくりと後ろを振り返る。そこには中年男性の制服警官が優しそうな目でじっと見つめていた。
「は、はい!なんでしょうか?」
これじゃあ、本当に不審者じゃないか!
職質なんてされた事がない私はどう対処していいか分からず、オドオドしてしまった。それを見た警官は慣れた様子で小さく微笑んだ。
「私、中区警察署の富泉といいますが、こちらの画廊にご用事でしょうか?見ての通り、警察が調査中です。申し訳ありませんが、立ち入りはご遠慮下さい」
どうやら、お客と勘違いしているらしい。
疑われていないと分かり、胸を撫で下ろす。私は落ち着きを取り戻すと、胸ポケットの名刺ケースから名刺を一枚取り出し、富泉へ渡す。
「オーナーの崩ヶ城と申します。アシスタントの右京 煖華から報告を受けて来ました」
富泉は「失礼」と一言、名刺を受け取った。名刺を確認すると少し悩み、「お待ち下さい」と言い残すと、画廊の扉をくぐり奥へと消えていった。
* * *
しばらくすると、真新しいスーツ姿の若い男性と着古したスーツ姿の中年男性を連れて富泉が戻ってきた。彼が私を指さしながら、何か二人に話をしていると、その途中から中年の方が私の方に申し訳なさそうに近づいてきた。
「いや~すみません。僕達も今日引き継いだばかりで、ソチラさんまで手が回りませんでした。あ~、そうそう僕は、県警 刑事課の竹藪と申します」
竹藪が警察手帳を見せながら、自己紹介をした。竹藪がいないことに気づいた若い方は富泉に深く頭を下げると、小走りで彼の横まできた。
「同じく刑事課の美浜です。この後、ご自宅までお伺いする予定でしたが、崩ヶ城さんの方から来て頂けるとは助かりました」
自己紹介もほどほどに、美浜はそう説明した。
うん?
ちょっと待てよ?
自宅までくる予定?
私は煖華に連れられて、ここにいる。だが、それは警察が呼んだわけではないのか?まさか、アイツ。一秒でも早く、営業を再開させるために、わざわざ私を呼びに来たのか?
私は頬を引きつらせながら、煖華にはめられたことを悟った。しかし、そんな私に美浜は「お話、よろしいですか?」と容赦なく尋ねてきた。
私は心に疼く感情を沈めながら、美浜に視線を向ける。
「構いません。では、一階の商談の部屋……は捜査中ですね。でしたら、二階のオフィスに……。もしかして二階も捜査を?」
私は事務所の扱いがどうなっているのか、尋ねた。だが、その件は既に煖華が解決してくれていたようだった。
「あ~大丈夫、大丈夫。事件現場は一階だけなんで、二階は入っていませんよ。それに入ろうとしたら、そちらのアシスタントに睨まれましてね。『保管庫があるため、部外者を入れたくないです。二階に上がるなら令状をお願いします』って言わちゃいましたよ」
笑いながら話す竹藪を、隣の美浜は呆れた様子で見つめていた。その視線を気に留めることなく、竹藪は煖華の仕事ぶりを褒めていた。
煖華のヤツ。仕事に関しては完璧なんだが……。
「鑑識業務も一段落し、今は撤収の準備を始めています。商談室の利用で問題ありません」
美浜が真面目に説明すると、竹藪と私を画廊へと案内し始めた。




