031 醜悪な者たち
薄暗い部屋の中で、無残な姿で固定された獣人女性の死体が、ぼんやりと浮かび上がっている。
胃の中のものが全て吐き出された後も吐き気が続き、全身の震えが止まらない。
鼻腔を焼く錆びた鉄と薬品の匂い。まだ生々しい血の跡が残る作業台。その上で途中まで皮を剥がされた獣人女性。
目を背けたくなる。いや目をそむけた。しかし、そむけた先でまた酷いものが目にはいる。
「うわあああああ!」
俺は耐えられず叫んだ。
ここまでどんな攻撃を受けても耐えられた。痛みも我慢できた。しかし、目の前の光景は心が耐えられなかった。
「んあああああ!」
世の中には、残酷な事件や戦争や犯罪がある事は、知識として知ってる。手術室で働いてたから、血の匂いや肉が焼ける匂いにだって慣れてる。
でも、人の醜さをこれほどまでに見せつけられたことはない。
「なんでこんな真似ができるんだ!」
殺しただけじゃない。これは尊厳を踏みにじり、魂まで侮辱する行為だ。
「なんでだ! なんでなんだよ!」
俺の叫びが響き渡る中、部屋の外から足音が近づいてくる。
「許可はとった。全てを灰にしろ!」
証拠を消す気か?
「ファイアーボール!」
そう聞こえた次の瞬間、眩い光と共に、炎の塊が室内に撃ち込まれた。その光で、室内の惨状がより鮮明に見えた。
この人たちを助けたい。こんな最後ではなく、ちゃんと人として弔いたい。そう思ったが、壁に着弾したファイアーボールの爆風と炎がそれを許さなかった。
俺は力任せに床を蹴った。
ズガン!
砲弾のように跳躍し、天井を破壊して二階に飛び出た。炎が追いかけてくるように火柱をあげ、部屋に火が広がる。
「上に逃げたぞ! 奴を追え!」
「焼き払っていいのは、秘密の部屋だけだ! 他の部屋への延焼は止めろ!」
そんな声が下から聞こえてきた。
下から登ってきた炎が、人の焼ける匂いを連れてきた。俺は灼熱と匂いからドアを蹴破って逃げた。
廊下に出ると、その先に華美な扉が見えた。全てが華美な建物だが、その中でも特に華美な扉だ。
俺はその先にこの屋敷の主が居ることを予感して、その扉も蹴破った。
ドカン!
そうやって飛び込んだ場所は広いホールだった。
豪華な調度品と美しいカーテンが目に入る。そして一段高くなった場所に人がいた。
強そうな兵士たちが並び、その奥に豪華な服を着た人たちが3人。
「こ、ここまで来るとは」
「無能な兵士は解雇しましょう」
「こんな男一人に対応できないなんて、情けない兵士たちね」
「あの部屋はどうなった!」
貴族の家族が俺を恐れた目で見る。この人たちには罪悪感が微塵も見えない。むしろ被害者の態度だ。
「諜報員か賊なのか知らないが、ここまで来てくれて助かった。確実にしとめなさい」
「逃げられたら危なかったですね」
「絶対に逃すな。必ず殺せ!」
悪い事をしてる自覚はあるらしい。獣人狩りは禁止されてるって言ってたもんな。なのに、なんで?
禁止されてるのに、それでもあんな酷い真似をする理由がわからない。少し姿が違っても、人は人だろ?
「なんで……なんで、あんな真似ができるんですか!」
絞り出した俺の声は震えていた。
貴族の家族が不快そうに顔を歪める。
「あの部屋を見たのか」
「芸術を理解でいない連中は嫌ですね」
「我らの伝統を理解せず、破壊しようとする王家の犬め。このアストレア家に土足で踏み入り、無礼を働いた事を後悔させてやろう。切り刻め!」
白髪交じりの貴族が威厳すら感じる声で堂々と言い放った。並んでいた兵士5人が俺に向かってくる。しかし、その中の1人が足を止める。
「隊長、こいつはおかしい。変だ」
その声を聞いて兵士全員の足が止まる。
「どういう事だ。短く説明しろ」
大剣を持った男が応える。
「俺の警戒スキルが……絶対に戦うなって」
「お前より強いだけだろ」
「違う! この感覚はそんなんじゃない。こいつから感じる脅威は、前に見かけたSランクと同等か、それ以上だ!」
兵士たちの表情が変わる。
「馬鹿な。こんな覇気のない男に、そんな力あるわけがない」
「あのメイスを見てみろ。初心者用だぞ」
「そ、そうだけど、だけど、こいつは……無理だ!」
兵士の一人が、そう言ってどこかに走り去った。
「あの馬鹿! 逃げやがった」
「隊長、どうする?」
残った兵士の一人が、大剣の男に尋ねる。
「気にするな。あいつは警戒スキル以外無能な男だ。この男がたとえSランク相当の力を持っていたとしても、我ら4人はAランク相当。負ける道理がない。囲め!」
一瞬で取り囲まれた。その動きだけで、これまで相手にしてきた兵士とは別物だと分かる。
「そうだ。お前たちには大金を払ってるんだ。そんな男、さっさと殺せ! そしてラウル、あの部屋の後始末はお前にまかせる。行け!」
「え、僕?」
若い貴族が間抜けな声を出す。あいつがラウルか。気の弱そうな男に見える。
「あの部屋はお前が作った部屋だ。責任を持て! 証拠を残すな、全てを処分しろ!」
「は、はい!」
あいつがあの部屋であんな残酷なことをしてたのか!
「お前がラウルか、おまえだったのか!」
ロイネを囚えた男だ。許せない。どうしていいかわからないけど許せない。
「言葉を慎め! 我ら貴族の伝統に、貴様ごとき下賤な者が口を挟むでない!」
貴族の女性、ラウルの母親らしき女が怒気のこもった声で言う。
「そんな伝統が……あってたまるか!」
叫ぶと同時に、正面の大剣をもつ兵士にむかって踏み込み、メイスを振った。
バキーン!
横っ面にメイスを受けた大剣が、砕けて飛び散り、部屋の調度品を破壊し、カーテンを切り裂いた。
「馬鹿な、俺の剣が!」
大剣の兵士が、折れた大剣の握って顔を青ざめさせる。次の瞬間、背中に衝撃がはしり、前によろめく。そして一瞬遅れて痛みが走った。
「いっ……」
かなり痛い。槍で突かれた時より痛い。何かが背中に刺さった。
振り返ると、細い剣を持った兵士が後ずさっている。
「ありえない。俺の突きが刺さらなかった!」
刺さったよ。痛かったよ。本当に痛い。クソ、背後からの攻撃にまったく対応できない。
そう思った瞬間、また背中に衝撃を受け、俺は地面に転がった。
「んぎっ!」
今度は肩から腰まで。急いで起き上がり振り向くと、曲剣を持った男が後ずさっている。
「なんだこいつ、硬すぎるぞ」
またやられた。痛い。これは切れてる。背中に手を回し、傷を確認するとヌルっとした血が手についた。
俺はわるい予感がして背後を見た。
「うおおお!」
予感は当たった。ロングソードが振り下ろされた。俺はメイスでロングソードを受け止めた。ギリギリだった。そして男の足を蹴った。
ゴキィ!
「ぎぃやあああ!」
ロングソードの兵士が、膝を曲がってはいけない方向に曲げて倒れる。俺は背後を取られないように壁際へと逃げた。
「お、お前たち、何を遊んでるんだ。さっさと殺せ!」
白髪交じりの貴族が、引きつった声で叫ぶ。
「隊長!」
「隊長!」
細剣と曲剣をもった男が指示を仰ぐ。
「て、撤退だ! こいつは無理だ!」
折れた大剣の隊長が、あっさりと撤退を決めた。
「貴様ら、我らを裏切るつもりか!」
白髪の貴族が叫ぶ。
「すまないが、無理なものは無理だ。こいつはSランクなんてもんじゃない、化け物だ」
「ふざけるな。お前たちにどれだけの金を払ったと」
「金で命は捨てられねぇんだよ! あとは勝手にやりな!」
隊長が足の折れた男を抱えあげ、走り去っていった。
「ふ、ふざけるな、こんなことは、ゆ、許されない!」
残された貴族3人の顔に、恐怖と怯えが浮かんだ。この人たちには戦う力はない。あったとしても、さっきの兵士たちほどじゃない。
ホールの入口に、他の兵士達が来てるが、入ってくる様子がない。きっとさっきの4人が逃げたからだ。もう終わりだ。
ピュイー……ピュイー……ピュイー
笛の音が聞こえてきた。3回。救出成功の合図だ。俺の時間稼ぎ終了の合図でもある。
行こう。俺の役目はこいつらの悪事を暴くことじゃない。ここは俺の居場所じゃない。ここには居たくない。
そう思い、その場から立ち去ろうとした俺の目に、巨大な氷が見えた。
「アイスランス!」
こんな状況なのに、空中に氷が浮かんでいる不思議な光景に目を奪われた。1メートルくらいある三角錐の氷だ。だけど、それがダメだった。
バガーン!
ものすごい勢いで飛んできた氷の塊を腹に受けた。その衝撃で俺は貴族たちの足元まで転がった。そして、見たくもない貴族たちの顔を近くから見た。
その顔は俺に怯えた顔だった。だけど、怯えた顔なのに、なぜか酷く醜悪なものに見えた。




