9 北限の由来
ルノンと一緒に暮らすことになった。
起きている間は基本ぐーたらしたい俺だが、人の目があると自然と背筋も伸びるというもの。
「朝なのに起きてしまった……」
「あるじ殿、それが普通なのでございます」
クロが目をつむって丸まったままそう言う。
ずるい。
俺だって昼過ぎまで寝てやる。
昼過ぎに朝飯を食ったら夕食まで寝てやる。
最高だな!
「ごはん、できましたよ! クレスさん、クロさん!」
布団をかぶったところで、1階のキッチンのほうからそんな声が聞こえてきた。
クロは爆竹でもくらったみたいにバッ、と跳ね起き、脱兎を追い抜く勢いで階下に下りていった。
どんだけ、ごはん欲しいんだよ。
俺も寝ぼけ眼をこすりつつ後に続く。
「いい匂いだな」
肉の焼ける香ばしい匂いが漂っている。
危篤の老爺も駆け足でやってきそうなほど美味しそうな香りだ。
「今朝は子豚の丸焼きですよっ!」
エプロン姿のルノンがおはようございます、と出迎えてくれた。
ケモ耳エプロン、素敵だ……。
「ノーデンでは、子豚の丸焼きで移住者をもてなすんです」
ルノンが特大の銀の蓋を持ち上げると、こんがり焼けた肉が姿を現した。
食欲をかき立てるスパイスの香りがどっばーんと広がる。
ああ、よだれが止まらん。
「これ、クレスさんがわたしを助けてくれたときの子です。朝一で血抜きして調理したんですよ」
「え、急に食べにくい……」
いやまあ、食べるけどな。
我慢できそうにないくらい美味しそうだもの。
食卓につくと、向かい側に座る猫が咎めるような目を向けてきた。
「あるじ殿、朝はシャキッと起きられませ。着替えも済ませたほうがよいのでは?」
エサに釣られなければ俺と一緒に昼まで眠っていただろう奴が何か言っている。
「着替える必要のない全裸野郎は気楽でいいな」
「我輩を変態扱いしないでくだされ」
「はい、クロさんにはポークジャーキーをあぶったものです」
「にゃっにゃー! 我輩は猫舌ですゆえ、ルノン殿、ふーふーしてくだされ」
「ふーふー」
「おお、ルノン殿のおかげで美味しさ倍増ですな」
「変態オヤジだ。変態オヤジ猫がいる……」
そんな感じで和気あいあいと食事していると、不意にルノンの目尻で涙の玉が膨らんだ。
「す、すみません。楽しいお食事の最中に」
「どうした? ウチのセクハラ猫が嫌だったか? 血、抜くか? 俺も手伝うぞ」
「あ、あるじ殿……」
ルノンは涙を拭ってから小さく微笑んだ。
「こうして、食卓を囲むのは両親が亡くなって以来なので、つい……」
「天使だ……」
「あるじ殿、我輩にも輪っかと翼が見えまする」
だな。
俺には後光すらも見えているぞ。
「今日は何をされる予定なんですか、クレスさん」
空気を変えるように明るい声音で訊かれたので、俺も努めて明るく答える。
「いや、特に何も。何もしないをするつもりだ」
「そうですか、何もしないんですね。いいですね」
「うぐ」
何の気なく放ったであろうルノンの言葉がナイフとなって俺の胸をえぐった。
働き者の少女を尻目に惰眠を貪る俺。
罪はない。
だが、それでも感じてしまうのが罪悪感だ。
見かねたクロが助け舟を出してくれた。
「あるじ殿は狩人になられたのでしたな」
「そう! そうなんだ。狩りだ。常々行きたいと思っていてな。もう森の魔物全部狩り尽くすかもしれん」
俺は鼻息荒くうそぶいた。
午前動いて、午後には寝る。
これなら文句はあるまい。
「……無理はしないでくださいね、クレスさん」
不安げな銀の瞳が一心に見つめてくる。
「ねえ、クロ。勇者時代に俺のことを少しでも心配してくれた人っていたっけ?」
「はて、心当たりはありませぬな。やはり、天使です、あるじ殿」
「ああ、天使だ……」
一人と一匹でケモ耳天使を拝んでおいた。
南無南無。
「これ、お弁当です。豚肉たっぷりサンドイッチですよ」
家を出るとき、ルノンに弁当箱を手渡された。
「クロさんのジャーキーも一緒ですからね」
「ご配慮痛み入りまする、ルノン殿」
丘を下っていく俺たちが見えなくなるまでルノンは手を振ってくれていた。
ホント天使。
15年前、俺にもあんなヒロインがいてくれたら魔王討伐も捗ったのに。
たぶん、3年くらいで片をつけていたと思う。
どうせだ。
鬼教官どももボンデージ姿の女王様とかだったらよかったのに。
思い出したら、腹が立ってきたぞ。
「なぜ人一倍頑張った者が頑張らないことに罪悪感を抱かねばならんのか」
「人とは元来働き者なのでありましょう」
俺は肩の上で講釈を垂れる黒猫を地面に下ろした。
で、鼻っ面に指を突きつけてギンと睨む。
「お前、猫になってすっかり歩かなくなったな。お腹ぽよぽよじゃないか。ルノンに頼んで半分出荷してもらえ」
「猫のお腹も元来ぽよぽよなのでございます。……半分出荷ってなんですか」
まあ、文句ばかりも言っていられない。
心優しい狼少女の善意に付け込んだヒモ男などと噂が立っては困る。
ここらで村の人々に俺の実力を少しばかり披露するのもアリだな。
あまりやりすぎると身バレになるから、ほどほどにな。
そうこうしてるうちに、村を囲う城壁の前までやってきた。
城壁と言っても木の板を打ち付けただけの簡素なものだ。
それも、あちこち壊れてしまっている。
魔物に襲われたのだろう。
「あんたか? 最近越してきたっていう都会モンは」
城壁の補修をしていた若い男衆が詰め寄ってきた。
威圧的な言葉遣いに都会モンへの敵意を感じる。
少し離れたところでは、若い女衆が俺を見てあれこれ言い合っていた。
「あら、けっこう可愛い顔しているじゃない」
「少し歳はいっているけど、全然アリよね」
「都会の風が吹いてるわ。ウチのむさい田舎男どもとは持ってるものが違うわよ」
ほう、割と好評じゃないか。
俺も捨てたものじゃないな。
しかし、男衆に睨まれている原因はこれか。
「モテる男は辛いな」
「あるじ殿、モテているのは都会という属性だけですぞ」
うるさい。
可愛いって言われたもん。
褒め言葉なのか、馬鹿にされているのかは判然としないが。
「あんた、狩人なんだってな」
「まあな。クレスという。よろしく頼む」
「チッ、スカした野郎だぜ」
リーダー格らしき青年がガニ股で詰め寄ってきた。
しかし、俺の無駄にデカイ肩幅と無駄に厚い胸板に気づいたか、くるりと踵を返して3メートルほど距離を取る。
くるんとしたアホ毛が可愛い奴だった。
「あんたは知ってんのか? この村が『北限』と言われる理由を」
「王国の最北端だからだろ?」
「それもある。だが、あんたに関係するのはもうひとつの由来のほうだ」
「もうひとつの由来?」
アホ毛の青年は薄ら笑いを浮かべて言った。
「ここはな、人類が活動できる限界の地なんだよ」
言われた意味がわからず首をかしげていると、アホ毛はノーデンベルク山脈のほうに目を向けた。
「山の麓に黒い森が見えるだろう」
「ああ」
緑の樹冠の向こうに黒く染まっている一帯がある。
白と黒と緑のトリコロールが鮮やかだ。
「まんま『黒の森』ってんだがな、あそこは腕利き冒険者でも泡を食う魔物がわんさかいるんだ。立ち入ったが最期、生きちゃ戻れないって噂だぜ?」
なるほど。
あながち、ただの噂話というわけでもないだろう。
魔王国を滅ぼし、今や大陸の覇権を握りつつある王国ですら、ここに国境線を引かざるをえないのだから。
強力な魔物が潜む森とノーデンベルクの極寒地獄か。
北限の名は伊達じゃないな。
しかし、俺は魔王を討った男だ。
魔物など恐るるに足らず。
「大物を背負って帰ってこよう。行くぞ、クロ」
「どこまでもお供しますぞ、あるじ殿」
「ね、猫がしゃべっツァ……!?」
ということで、意気揚々と村を出た俺たちであった。
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