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キミとの距離  作者: 狼花
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キミとの距離

『キミとの距離』

2013年12月25日

天狐 紅さま・皇和緒さま企画「Noisy Toy Present」参加作品

 私には幼馴染の男の子がいる。


 生まれたときから一緒だった幼馴染。

 幼稚園から高校までずっと同じところに通ってきた幼馴染。

 成績優秀、スポーツ万能、なんでもござれで生徒会長まで任された、完璧な幼馴染。


 そんな『お向かいさん』の幼馴染とこうして一緒にいられるのは、あと何度なのだろうとふと思ったりもする。





★☆





『……真稀(まき)? 聞いてる?』

「えっ、あ、ごめん」


 耳にあてたスマートフォンから聞こえてくる、幼馴染の低くて静かな声。肉声とはやはり違うけど、私は機械を通してでもこの声が好きだ。


 少し考え事をしていたら、幼馴染の言葉をスルーしてしまったらしい。電話の向こうで、彼が少し笑った気配がした。


『どうしたんだ、勉強疲れか?』

「ううん、違うの、なんでもない」


 窓の外はもう暗い。今夜はかなり冷え込むとかで、雪の予報が出ていた。夜の闇という以外にも空は暗くて、どんよりとしている。

 窓のカーテンを開けてしまえば、そこに彼がいるだろう。向かいの家に住んでいる幼馴染とは、よくそうやって話していた。けれど、なんとなく開けるのはやめておいた。だってどうせ、あいつは窓なんて開けてないから。昔は電話するときだって、窓を開けて顔を見ながら話していたのにね。


「えと、それでなんだったっけ?」

『今年のクリスマス。毎年俺か真稀の家でパーティーしてたけど、今年は受験生だし大掛かりなのは止めようって母さんが言っててさ』

「あ、そっか。そうだよね」


 私の両親と、幼馴染の(れん)の両親は、私たちが生まれる前からご近所さんとして仲良しだった。煉のお母さんが催し物好きだったこともあって、クリスマスは毎年一緒に過ごしていたのだ。私の家か煉の家、どちらかに両家族が集まって盛大にパーティーをする。子供のころからの習慣だった。

 でも、私も煉も高校三年生になった。年明けに控えている受験を前に、猛勉強の真っ只中にある。年に一度のクリスマスでも、そう浮かれていられない。実際、来週がクリスマスだということすら忘れかけていた気もする。


「でもちょっと寂しいなぁ。毎年一緒だったのに」

『大掛かりなのは、って言っただろ』

「え?」

『今年はふたりでどこか行かないか。そのくらいの息抜きしても、勉強には障らないだろ?』


 顔が真っ赤になったというのが、自分でも分かった。誰にも見られていないのに、慌てて顔に手を当てる。

 やだ、やめてよ。そんな不意打ちで。


 最近煉は、「どこかに遊びに行こう」と言うことがある。ハロウィンの時は一緒に喫茶店に行って限定メニューを食べたし、テストの後は『お疲れ様会』的に私が見たいと言った映画を見に行ったし。なんだろう、妙に優しくて戸惑う。

 ――勘違い、しそうになる。


「お、おばさんが、そうしろって?」


 咄嗟に口に出たのはその言葉だ。煉が笑う。


『まあ、それもあるけどさ』


 それ以外にどういう思惑があるのでしょう。


 どういうわけか恥ずかしくて、耐え切れなくなって、ベッドに俯せに転がる。お風呂に入ってすぐだったので、少し湿り気の残る髪が布団の上に広がった。


『どうする? 忙しいなら、無理にとは言わないけど』


 私が煉以上に忙しいなんてあり得ない。煉は高校の生徒会長をやっていた。その気になれば推薦で大学に行けるのに、煉はそうしない。一般受験で難関大学を目指しているのだ。私なんかより、余程志が高い。


「い、行く! 絶対、行く」


 断るわけがない。


『はは、分かった。また連絡するよ。……そうだ真稀、窓開けて』


 煉に言われて、私はベッドの上に身体を起こした。窓際まで膝立ちで近寄り、カーテンと一緒に窓を開けた。

 夜の冷たい風が部屋の中に吹き込んでくる。あまりの寒さに思わず目を閉じたが、窓を開けた先には煉がいた。


 道を挟んで向かい側のお家。私の部屋の真正面にある煉の部屋。煉はその部屋の窓辺に立って、私と向かい合っていた。

 手を伸ばしても届かない距離にいるのに、声が耳元から聞こえる。


『おやすみ。風邪、引くなよ』

「――うん」


 そうやって答えて手を振ると、煉も振り返してくれた。そうして電話を切って、窓を閉めてカーテンを閉める。


 すごく満ち足りて幸せな気分なのだけど――ひとつ、私は疑問に思う。



 私は、煉のことをどう思っているのだろう、と。





★☆





「……で? お姉ちゃんは煉くんが好きなの?」


 単刀直入に聞いてきた佳那(かな)に、私は肩をすくめる。


「だから、それが分からないんだってば」

「でもさぁ、電話もらえて嬉しいとか誘ってくれて嬉しいとか、それで顔赤くなっちゃったどうしようとか言われても、それは恋でしょって言うしかないんだけど?」


 私は今、高校一年生である妹の佳那と一緒に、地元から三駅ほど離れた場所にある大型ショッピングモールに来ていた。何をしにかといえば、煉にあげるクリスマスプレゼントを買いに、だ。

 クリスマスイヴまで、あと一週間。街を歩けばどこもかしこもクリスマス一色で、ちょっとうきうきする。

 地元の駅前にも大きなデパートがあるが、わざわざこっちまで来たのは複雑な心情があるためだ。例えば、『鉢合わせたらどうしよう』とか。


「……なんて言うか、さ」


 雑貨店を歩き回ってあれこれ考えつつ、呟く。


「私にとって煉は、ただの幼馴染だったんだよ。恋愛対象になるわけがなかったのに……いますごくドキドキしている自分が、信じられないっていうか」

「……煉くんが不憫に思えてきたわ」


 佳那が呆れたように溜息をついた。


「煉くんはすっごいモテるんでしょ? それなのに今まで一度だって彼女を作らなかったって時点で、なんかありそうなもんでしょ」


 そう、佳那が言うとおり煉はモテる。あれだけ勉強できて運動神経抜群で優しくてルックスが良ければ、女子が黙っているはずがない。けど、煉は女子の告白に一度も頷いたことがないのだ。


「まあ、あれだよ。こういうのはお姉ちゃんが自分で自分の気持ちに気付かなきゃ意味ないからさ」


 私よりずっと恋愛経験豊富な佳那は、『あ、このマフラー良くない?』と言葉を挟みつつ、私に言葉を投げかける。


「煉くん、ずっと昔からお姉ちゃんのことしか見てなかったと思うよ」





 ……そうなのだろうか?


 妹に言われても、どこか納得できないところがある。確かに煉は優しいけれど、その優しさは誰に対しても同じものだった。

 特別に思われていたなんて、一度だって感じたことはない。


 でも逆にそう思うということは、私は煉に特別に思われたかったのかもしれない。





★☆





 ついにその日はやってきた。


 十二月二十四日。クリスマスイヴ。


 今日はお昼過ぎに煉と駅前で待ち合わせして、そのまま午後一緒に過ごす予定だ。


 クリスマスプレゼントは、佳那の助言通りマフラーと手袋にした。寒がりな煉は、冬場はそのふたつを欠かすことができない。もう何年も同じマフラーと手袋をしているので、新しいものを贈ろうと思ったのだ。

 煉が好きな、黒色で統一されたふたつだ。気に入ってくれると……いいのだけれど。



「お姉ちゃん、楽しんできてね。あ、折角買ったんだからプレゼント忘れていかないでよ?」


 玄関でブーツを履いていると、佳那が見送りがてら余計なことを言ってくる。私はむっと膨れて、玄関わきに置いてあった紙袋を持つ。


「そんなドジしないわよっ」

「そりゃ失礼しました。あれ、なんか顔赤いけど緊張してる?」

「す、するに決まってるでしょ……煉とこんな風に出かけるなんて、初めてだし」


 図星を刺され、顔の赤さを隠すように手を頬に当てる。佳那がにやにやしている視線が分かるから、私はついそっぽを向く。


「……だ、大体、お向かいさんなのにどうして駅前で待ち合わせするのかなっ。家出て合流したら、そのまま行けばいいのに」

「それじゃムードがないだろうよ!? 駅前で待ち合わせとか、お約束じゃないの!」

「お約束? なんの?」

「……ええい、面倒! 早く行ってしまえっ」

「わわわっ」


 佳那に押し出されるように、私は玄関から飛び出した。


 冬の空は雲一つなくて、痛いくらい寒い。コートの前をしっかり合わせて、私は家の門を開けて道路に出る。目の前に建つ大きな家が、煉の家。

 ――ちょっと早めに待ち合わせ場所に着くように家を出たのだけれど、煉はまだ家の中にいるのだろうか? それとも、私と同じようにもう出かけたのだろうか。


 ああ、まだ顔が赤い。頭が軽いな。どうしたんだろう、煉と出かけるのは初めてじゃないのに、すごく緊張している。こんな風に待ち合わせして、まるで恋人――。


 な訳ないけど。





 地元の駅前もかなりの混雑だった。歩いていく親子と親子、恋人と恋人。「人混みは嫌だな」という意見が合致し、煉と一緒にこの時期駅前に来たことはない。友達とは来たけれど、やっぱり恋人と一緒に歩いているのは羨ましいと思ったこともあった。


 待ち合わせの時間にはまだ早い。どうしよう、適当に店の中を回って時間を潰そうか。それとも、大人しく待ち合わせ場所で待っていようか――。


「……あれっ、杉浦(すぎうら)さん?」

「え?」


 思いもしない方向から名前を呼ばれて、私はあたりを見回した。すると、商店街の一角にある書店から、クラスメイトの鳥海(とりうみ)くんが出てきてこちらに手を振っている。


「鳥海くん! どうしたの、こんなところで?」

「いや、息抜きがてらに散歩だよ。クリスマスの気分だけ感じにさ」


 鳥海くんは中学から一緒の友達だ。煉とも仲が良いし、私もその繋がりで中学の時から仲良しだ。クラスの中で目立つことこそないけれど、いつだって冷静で真面目だから、信頼もされている。あまり見慣れない私服姿が新鮮だった。


「杉浦さんこそ、どうしたの?」

「あ……うん、ちょっと煉とね」

市ヶ谷(いちがや)!? まさか、ふたりで!?」

「え? うん、そうだよ」


 どうして鳥海くんはそんなに煉の名前を聞いて驚くのだろう。鳥海くんは頭を掻いて呟く。


「あいつヘタレのくせに、ついに杉浦さんと出かけるなんて勇気出したのか……しかもクリスマスに」

「鳥海くん?」

「あ、ご、ごめん、こっちの話」


 そうはぐらかした鳥海くんは、じっと私の顔を凝視する。何か言いたそうな顔だ。少し待っていると、意を決したように鳥海くんは口を開いた。


「杉浦さんて……市ヶ谷のことどう思ってるの?」

「ど、どうって……幼馴染だよ?」

「それだけ? ほんとに幼馴染ってだけなの?」


 鋭く切りかえされて、私はつい黙ってしまう。それから視線を足元に落とした。


「……分からない」

「放課後に『一緒に帰ろう』って言い出すの、大体杉浦さんだよね。それはどうして? 杉浦さん、よくお菓子作ってくれるけど、真っ先に持って行くのは市ヶ谷のところだよね。それは?」

「それはっ……煉と少しでも一緒にいたいし、煉に喜んでもらいたいから……」


 苦し紛れに言うと、鳥海くんはにっこりと微笑んで言うのだ。


「それが『好き』ってことだよ。杉浦さん」

「好き……?」


 私が、煉を?


「――その顔だと、やっぱ自覚なしか。市ヶ谷もよくまあ粘る」

「ど、どういうことなの?」


 鳥海くんは笑みに困ったような色を浮かべた。


「市ヶ谷と杉浦さんのこと、中学の時から友達として俺が一番傍で見てきたって自信があるんだよ。なのにまったく進展しないから、俺のほうがやきもきしちゃってさ」

「え、えぇ……?」

「市ヶ谷は奥手だけど、杉浦さんしか見てなかった。杉浦さんも、自分で思うよりも市ヶ谷のこと好きなんだと思うよ。この日になってやっと勇気を出した親友・市ヶ谷煉に、俺からのささやかなクリスマスプレゼントだ」


 何が何だかさっぱりなのだが、ひとつだけ分かったことはある。



(……ああ)



 私は。



(私は、煉のこと、好きだったんだ)



『私』が気付かなかっただけで、『私』はずっと前から。


 私だって、煉しか見てなかったんだ――。



「……だからさ。自分と、市ヶ谷の気持ちに、向き合ってみてよ」


 鳥海くんの声は、諭すように優しくて、力強い。


「うん……ありがとう」


 その優しさが滲みて、ちょっぴり涙ぐみそうにもなる。けれどぐっとこらえ、私は感謝を伝える。鳥海くんは、私の心に気付かせてくれた恩人だ。

 鳥海くんと別れて歩き出した私の耳に、彼が呟いた言葉など届くはずもなく――。




「……相手が市ヶ谷じゃなきゃ、俺だって杉浦さんのこと好きだったのに。まったく世話が焼けるよ。……メリークリスマス、ふたりとも」









「真稀?」


 聞きたかった声が聞こえて、身体が強張った。振り返ると、そこに煉がいる。おまけのようにくっついているのは、煉の後輩で今の生徒会長である本間(ほんま)くんだ。

 待ち合わせ場所は駅前の噴水の前だったのに、どうしてこんな商店街のど真ん中に。


「煉! 本間くんも……」

「あれれっ、杉浦先輩だったんですかっ。髪結んでなかったから分からなかったです!」


 本間くんが寒さにも負けずにこにこと笑う。小柄でちょっと幼い印象のある本間くんだけれど、生徒会長というだけあってしっかり者だ。

 いつもは髪を結っている私も、今日ばかりは下ろしていた。寒いというのもあるし、その方が大人っぽいと佳那に言われたからだ。背中の半ばまである長い髪だ。


「早いな、時間まだあるのに」


 コートのポケットに手を突っ込んでいる煉の言葉に、私は頷く。


「う、うん……ちょっと、早く家出ちゃったから」

「そうか、俺もだ。そうしたら、ばったり本間と会っちまって」

「そうなんです! もう運命かと思っちゃいました、まさか冬休み中に市ヶ谷先輩に会えるなんてッ!」

「お前、もう黙っとけどっか行け」


 ぐいぐいと接近してくる本間くんの頭を、煉は掌で押し返す。本間くんは煉にべったりというか、煉に懐いている仔犬みたいだ。

 本間くんはよろめきつつも、嬉しそうに言う。ハイテンションだ。


「では、僕は買い物がありますのでこれで! メリークリスマス、先輩がたッ!」

「はいはい、メリークリスマス」


 投げやりな煉の言葉に見送られ、本間くんは軽い足取りで人混みの中へ消えていく。煉が昔から「本間といると元気を吸い取られる」と言っていたけれど、なんとなく分かるかもしれない。

 煉がこちらに向きなおる。煉、と呼ぼうとした瞬間、私の額にひんやりと冷たいものがあてがわれた。煉の右掌だ。


「れ、煉?」

「……お前、ちょっと熱ある?」

「え?」


 煉はじっと私の目を覗き込んでいる。

 ひとつの仕草の度に、いちいち心臓の鼓動が速くなる。なんでこんなにドキドキしているのかな。やっぱり、鳥海くんの言った通り、私は煉のことが好きなんだ。


「なんか顔色悪いし、元気なさそうだから」

「そ、そんなことないよ? ほら、煉の手が冷たすぎるんだよ」


 額に当てられていた手をそっと外す。やっぱり煉の手は冷たい。昔から、煉は手先が冷えやすいのだ。


「本当に? 無理してたら俺、怒るよ?」

「本当に大丈夫!」


 ――実際は、ちょっと体調悪いような気もしたけれど。

 このくらいで、せっかく煉と出かける機会を潰したくない。心配もかけたくない。


 強がってみると、煉は困ったように苦笑いを浮かべた。もしかしたら全部見透かされているのかもしれないけれど、煉は黙っていてくれた。


「じゃ、行こう」

「うん」


 歩き出した煉の後を、私は小走りに追いかけて隣に並んだ。





★☆





 まずは少し落ち着こうということで入った喫茶店で、私は煉にプレゼントを渡した。マフラーと手袋――素っ気ないプレゼントかもと思っていたが、杞憂に終わった。煉は結構本気で喜んでくれたのだ。毎年手作りのお菓子ばかりあげていたから、物を贈るのは慣れていない。佳那がいてくれて良かったと心の底から感謝する。


「真稀」

「ん?」


 顔をあげると、煉がテーブルの上に長方形の箱を置き、すすっと私の方へ押しやってくる。綺麗な包装紙に包まれた小さな箱だ。

 手に取って軽く振ると、カタカタと音がする。それを見て煉が吹き出した。


「なんで振るの?」

「え、なんとなく」

「そういう癖、直ってないんだな」


 手に取ると無意識にそれを振ってしまう癖。煉は本当によく覚えているなぁ。


 包装紙を開ける。そこにあったのは、腕時計だった。薄ピンク色をした細いベルトの、小さなアナログ時計。数字の傍に、子猫のシルエットが描かれている。

 紛れもなく、前回煉と出かけたとき「可愛い」と口走った時計だった。


「煉、これ……覚えてたの?」

「うん」

「有難う、とっても嬉しい……!」


 笑ってみせると、煉は照れたように頭を掻く。――煉だって変わってない。照れたときには極端に口数が少なくなって頭を掻く癖。


「煉のことだから、合格祈願のお守りでもくれるのかと思ったよ」

「クリスマスにそんなことしねぇよ!? まあ、初詣とか行った時ならいいかもしれないけど」


 呆れたようにコーヒーを口に運ぶ煉を見て、自然と笑みが浮かぶ。初詣――誘ったら、来年も一緒に行ってくれるかな。


「勉強はかどってる?」

「うん。煉は?」

「俺も朝から晩まで。もうほんとに、窒息死しそうだ」


 煉は私より高難易度の大学を狙っているんだもの。それだけ勉強が大変なのも、当たり前か。


「でもまあ――ふたりで第一志望いけたらいいよな」


 明るい言葉に、私も頷いた。





 結局、受験や勉強関連の話題はこれ以降喫茶店を出ても一切出なかった。それを連想させるような話題もない。ただ今流行りのゲームだとか本だとかの話をしたり、クラスメイトの話をしたり、小学生くらいのころの昔話をしたりした。

 ショッピングモールの中をぶらぶらと散策して、お店に立ち寄ってあれこれ見て。ふとした瞬間に触れた煉の手は、もうすっかり暖かかった。


 まるで恋人みたいだな――本当にそうだったならいいのに。


 煉のことが好きだと気付いてから、どうしても落ち着けない。その横顔を見るだけで、心臓が破裂しそうになる。意識するってこんなに変わるものなのか。そう言う意味では気付かせてくれた鳥海くんに感謝したいけれど、はたして夜までもつのだろうか、私は。



 辺りが暗くなってきた。冬の日の入りは本当に早い。それを見計らって、私と煉は外に出た。商店街を歩いてみれば、イルミネーションが本当に綺麗。広場にある巨大なクリスマスツリーもライトアップされていて、昼間とはまったく違う場所にいるみたいだ。


「うわぁ、綺麗!」


 ライトで作られたアーチの下を歩いていく。煉もイルミネーションを見上げる。それから私の方を見て苦笑を浮かべた。


「こけるなよ」

「こけないもんっ」


 そりゃあ確かにヒールの高いブーツを履いて来たけど、上を向いて歩いて転ぶような年齢じゃない。でも、こんなブーツを履いても、煉と肩を並べるには届かない。身長幾つあるんだろう、この人。


「ねえ煉、このあとお夕飯食べに行くんだよね?」

「ああ、向こうの通りのレストラン予約してあるんだ」

「予約!? え、なに、高いお店?」

「違うよ、ただ席確保しておきたかっただけ。クリスマスイヴだし、混むだろうと思って」


 そんなことをさらっと言えるのがすごいと思う。

 歩き出した煉の後を追って一歩踏み出した瞬間に――私の視界の中で輝くイルミネーションの光が、ぐらりと揺れた。


「えっ……」


 前へよろめくと、煉の背中にぶつかる。驚いたように煉が振り返り、私の腕を取って支えてくれる。


「大丈夫か?」

「あ、あはは……踵高いから、よろめいちゃった」



 笑って誤魔化したけれど、内心では焦りが募る。


 今何が起きたんだろう。急に足の力が抜けたみたい。

 顔をあげる。やっぱりイルミネーションのオレンジの光はぐらぐらしていて、なんだか気持ち悪い。

 煉の顔も、どこかぼやけているような――。



「やっぱり、夕飯なしにするか?」


 煉の言葉だけはっきり聞こえる。条件反射のように、私は首を振った。


「ほんとに、大丈夫だからっ、ね……?」

「けど……」

「大丈夫だよ、ほら、元気でしょ」


 ああ、まずい。本格的に、自分の声が遠くなっていく。



『真稀、おい真稀!?』



 名前が、呼ばれた気がした――。





★☆





 身体が小刻みに上下に揺れている。


 うっすら目を開けると、さっきまでのイルミネーションの光は一切なかった。それに、駅前の賑やかな人々の声も聞こえない。やけに静かで、暗い。

 視界に入ったのは紺色のコート。あれ……? これ、煉のコートじゃなかったっけ。どうして私、煉のコートを羽織っているんだろう。


 足音。一人分の足音だ。そういえばなんだか目線が高い気がする。それでいて、私が頭を預けている部分はとっても温かい――。


「目、覚めた?」


 すぐ傍で煉の声がする。


「煉……?」


 さっきから目元にちくちくすると思ったのは、煉の後ろ髪だ。


 背負われている――? 自分のものに加えて煉のコートまで羽織らされた、もこもこな私を、煉がおんぶしている。


「もうちょっとで家着くから、じっとしてろ」


 下ろしてよ、煉。


「だめ」


 私、体重いくつあると思ってるのよ。


「四十……五くらい?」


 ピンポイントで正解しないでよ、ばか。


「ごめんごめん。でも、真稀は身長あるんだからそんなもんじゃないの。むしろ痩せすぎ」


 体重の話しないでってば。


「禁句だったっけ、失礼しました」


 もう。


「無茶したら怒るって言っただろ」


 無茶なんてしてないもん。


「そういうのが無茶っていうの。……無茶させたの、俺だよな。ごめんな……やっぱり昼間帰っておくんだったな」


 嫌だよ、帰りたくなかった。だって折角、煉と――。





 次目が覚めたとき、私は自分の部屋のベッドに寝かされていた。視線を横にずらすと、毛布をかけてくれる煉の姿が映った。


「煉」

「ごめん、勝手にバッグ漁って鍵使わせてもらった。なんか誰もいないんだこの家。多分俺の家のほうに集まってるんだと思うけど」


 そうか、私と煉を送り出して、残った人たちは例年通りクリスマスパーティーをしているんだ。去年は杉浦家でやったから、今年は市ヶ谷家。


「ちょっとおばさんたち呼んでくるから、待ってて」


 煉が立ち上がる。遠ざかろうとする煉の後姿を見て、私は思わず手を伸ばした。煉のシャツの裾を掴み、引き止める。


「真稀……」

「……い、行っちゃ嫌」


 引き止めたって、どうせ煉のことだから行ってしまうんだろうと思った。けれど煉は微笑んで、頷いてくれた。


「……分かった」


 勝手知ったる他人の家、とはよく言ったものである。幼いころから杉浦家に出入りしていた煉は、この家のどこに体温計があるのかということを知っている。とりあえずそれだけ持ってきた煉に促されて熱を測ってみると、四十度一歩手前の高熱だった。


「高いな……そりゃ意識も朦朧とするか」


 一階の冷蔵庫から氷枕を取って戻ってきた煉が、私の頭を持ち上げて枕の上にそれを滑り込ませる。


「とりあえず今夜は大人しく寝て、明日病院行こう。この時期にインフルエンザとかだったら大変だし」

「行こうって……煉も行ってくれるの……?」

「まあ……俺に原因あるようなものだし、付き添うよ」


 煉はそう言って、絨毯の上に座った。――煉がこんな風に部屋の中にいるなんて、いつ振りだろう。


「ごめんね……夕食、キャンセルさせちゃって……」


 実際にキャンセルしているところを見た訳ではないが、きっとどこかで店に電話していたのだろう。申し訳なくて仕方ない。


「そんなこと気にするなって」

「気にするよっ……だって、折角のクリスマスだったのに」

「クリスマスは来年も再来年もあるだろ」

「そうじゃないっ。煉とのクリスマス、だったのに……」


 煉は軽く目を見張った。あ、やばい、いま私何言っちゃったんだろう。


「――じゃあ、来年も行こう。ふたりで」

「え……」

「受験なんて憂いごとなしに」


 今度は私が驚く番だった。煉は気まずそうに頭を掻く。


「……なんでそんな意外そうな顔してるんだよ。大学別になったらもう二度と会わないなんて思ってるのか?」


 そう思っていた。家は確かにお向かいだけれど、明らかに煉と生活パターンが変わってしまう。だから、そうそう気軽に会えないはずなのに。


「そんなのは俺が嫌なんだよ」

「煉」


 来年。来年も煉と一緒にいられる。


 こめかみを伝って滴が落ちるのが分かった。あれ、と思いつつ手の甲でそれを拭う。煉が困ったように笑い、そっとそれを拭ってくれる。


「……なんで泣く」

「う、嬉しく、て。だって、煉のこと好きだからっ……」

「え」


 煉が固まる。言葉の箍が外れた。煉が困ろうが構うものか。


「好きなんだもんっ、やっと気づけたのに……会えなくなっちゃったら寂しいっ」

「す、ストップ!」

「なんで止めるの……っ」


 顔を真っ赤にした煉が制止の声を投げかける。けれども、私の涙は止まらない。嬉しいはずなのに、なんだか切なくて、胸が痛い。

 身を乗り出してきた煉の胸の中に、思わず身体を起こして飛び込んだ。抱き留めてくれる煉の腕は、昔のようにやっぱり優しい。


「真稀、落ち着けって……ほんともう、お前昔から泣くと言いたいこと全部言うよなぁ……」


 頭を軽く撫でてくれる煉の手が、優しい。


「――でも、ひとつ勘違いしてるぞ」

「勘違い……?」

「俺のほうが、ずっとずっと前からお前のこと好きだった」


 囁かれる、その言葉。



『煉くん、ずっと昔からお姉ちゃんのことしか見てなかったと思うよ』



 ……佳那は、本当に、よく見てる。





「……来年は、あのイルミネーションのアーチ、手を繋いで歩きたい」

「ああ、そうしよう。今度もまた、レストラン予約しておくから」

「うん……」


 煉の言葉に笑みがこぼれる。熱で頭はふらふらなはずなのに、とっても幸せ。

 私の身体がベッドに横たえられる。でも、煉は私の右手は握ったまま。そのまま、ふわっと唇に何か触れた。それはほんの一瞬のこと。驚く暇すらなく、煉は素早く立ち上がった。


「……い、いい加減おばさんたち呼んでくるよ。待ってて」


 煉はばたばたと部屋を出て、階段を降りていく。



 あっという間にいなくなった煉に呆然としつつ、私はそっと唇に触れてみる。




 ――いま、キスされた?




「……ヘタレ」


 こみ上げる笑いとともに呟いてみて、私は毛布に顔をうずめる。


 熱が出てクリスマスが台無しになって、なんて今更思わない。

 だって、こんなにも最高のクリスマス――。





 このあと家に戻ってきた佳那に、根掘り葉掘り聞かれて騒がれて熱が上がってしまったのは煉には内緒だ。

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