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プロローグ

 小屋の屋根がひどく壊れ、部屋の中に月の光が差していた。

 スポットライトと化した月光の下で、朱に染まった飛竜が体を横たえている。。

 そしてその光景を、ソラと呼ばれる青年がただ茫然と見ていた。

 傷ついた飛竜は、その長い首だけをソラに近付ける。


 ──死。


 その翼は傷つき、起き上がる力もない。

 しかし、弱っているとはいえ、目の前にいるのは空の覇者だ。

 人間など、その大木すら切り裂く爪で容易に殺せるだろう。

 自らの血を滴らせながら開く口を前に、ソラは動かなかった。

 いや、動けなかった。

 目すら離せず、ただ死が近づいてくるのを待つほかなかった。


 ──ああ、また死ぬのか。


 誰も経験が無いであろう、二度目の死。

 鋭く光る牙、ぬらりと動く舌。

 痛みがないことを祈りつつ、ソラは瞼を下ろして暗闇に身を委ねた。


──────────────────────────────────


 彼は、空が好きだ。

 苗字が所以かは分からないが、空を愛していた。

 この地球に存在するすべての国の空は繋がっていて、どこまでも自由だから。

 そして空は宇宙との間に立ち、この地球を守っている。

 彼は物心ついたときには空を見上げては鳥が羨ましい、そう思っていた。

 ぼんやり空を見上げる彼の姿を見て、少なくとも母親は心配していたようだが。


 彼が中学生になると、父親は彼を航空自衛隊の航空祭に連れて行った。

 普段あまり二人っきりにならない父親との小旅行。緊張して車の中ではあまり話せなかった。

 道中寄ったサービスエリアのアイスクリームを食べながらぼんやりと空を見ていると、父親が彼の隣に座った。


「空はいいよな」


 なんだか自分が肯定されたような気がして彼は嬉しかった。

 航空祭の会場に着いたとき、ちょうどショーが開始するというアナウンスが聞こえた。

 どちらかと言えば内気だった彼が、高揚した気持ちで珍しく大きい声で父親を呼んだ。

 その瞬間、頭上をスモークを出しながらブルーインパルスが駆け抜けた。

 青と白に塗られた機体は通称「ドルフィン」。

 名の通り空を泳ぐ機体が通った道には、空を彩るようにカラフルなラインが描かれていた。

 その時の興奮は今でも覚えている。

 父親も空を見上げながら、少し笑っていたのを彼は覚えている。

 その後の人生はほとんど決まったようなものだった。


 憧れだけで航空学生を目指しだした彼に母親は「危ないんよ」なんて小言をよく言っていた。

 父親は別に止めはしていなかった。

 無口な父親だったが、応援してくれているのかな、なんて勝手に彼は考えた。

 合格した時も、特に祝いの言葉もなかったが、その日の夜に父親がベランダで星空を見ていた姿はよく覚えてる。


 訓練は想像を超えて辛いものになった。2年と半年は座学と準備過程だ。

「空を飛びたい」という漠然とした想いを「戦闘機に乗る」と具体に落とし込むことになった。

 何度もくじけそうになった。それでも空への憧憬が打ち勝った。

 そしてようやく初飛行を迎え、どこまでも美しく、どこまでも果てしない空へ飛び立った。

 そこでは、何もかも自由だった。

 憧れの空から見た地上はまるでテレビ画面を見ているかのような、立体ではない、そんな感想だった。

 この下で人間が普通に生活している。

 不思議な感覚で、心の中には勝手に責任感が芽生えた。

 飛ぶことへの恐怖は無かったが、雲は少し怖かったのを覚えている。

 雲は空に()()

 太陽の光で浮かぶ陰影が際立ち、雲に突っ込んだときは巨大な壁にぶち当たるようで内心怯えていたが、上官に笑われることを考えて彼は気丈に振る舞った。

 あっという間に24歳になった彼は、戦闘機乗りになった。

 部隊実習でも成績が良かったのは自慢とするところだった。

 特に目測に関しては教官に褒められることも多かった。

 シルバーのウイングマークに浮かれていた彼が所属したのは、中部方面の部隊だった。

 そこで、いずれ心の中で勝手に師匠と呼ぶことになる上官と出会うことになった。

 師匠も空が好きなんだろう、編隊飛行中に師匠の後ろで飛ぶ彼は、まるで生きているように滑らかに飛んでいた。

 休憩時間に同期と談笑する彼に、師匠が言った言葉がある。


「青にも黒にもなる。それが”空”だ」


 深い、深すぎて同期たちの頭には「?」が出ていたが、彼にとっては空を飛ぶ度に思い出す言葉になった。

 配属されてからは忙しさに目が回っていた。

 何故なら緊急発進、スクランブルが毎日のようにある。

 国籍不明の機体、某国なんてことは分かり切ってはいるが。定期的にハンガーで24時間待機して、アラートがあればすぐに空へ。

 始めは飛ぶ度に命を賭す覚悟で空へ上がっていたが、1年を過ぎたころにはそれが日常になった。

 最初の頃はニュースを見た母親から良く連絡が来ていた。

 大丈夫、そのスタンプだけ返していたらいつしかそこまで心配しなくなったのか、連絡は不定期になっていた。

 大体は警告と撮影で終わる任務。

 11月、あの肌寒い日も、そうなると思っていた。


 いつも通りの緊急発進のアラートが鳴った。

 彼は眠気に支配されていた頭をスイッチし、迅速に準備を進めながら時計を見ると、13時を指していた。

 彼と師匠は5分も掛からず空へと上がった。

 いつも通り対象を目視確認できる距離まで近づく。撮影は彼が担当だ。

 師匠は正体不明機と彼の機体を確認できる距離を保って飛行していた。

 距離を徐々に詰めて機体を確認した彼の背中に悪寒が走る。


「正体不明機を目視で確認。コクピットが無く、無人機の模様……」

「ドラゴン1、国籍は?」

「国籍の確認は出来ず」


 領空までは8マイル。相手が無人機である以上、通告は意味をなさない。

 撃墜も考慮しうる事態の中、彼は冷静に無人機の写真を撮り続けていた。


 その時だった。

 無人機が突然視界から消えたかと思うとピタリと彼の機体後方に付けた。

 無人機はパイロットのいる戦闘機では予測できない機動をする。

 訓練を積んできた彼だったが、一瞬で最も危険な状態に追い込まれた。


「ドラゴン2、距離を取れ!!!!」


 師匠の悲鳴に近い声が無線越しに響く。

 気を取り直した彼はフルスロットルで無人機を引きはがしにかかる。

 立体機動では勝る無人機も、流石にスピードではまだ戦闘機には追い付けない。

 無線では撃墜に関して管制官と揉める師匠の声が聞こえてくる。

 心臓の脈打つ音が耳の奥で聞こえてくる。


 ──まさか、撃たないよな。


 そんな思いもむなしく火器管制用レーダー照射のアラートが機内に響き渡った。

 過去にも別の部隊で同じようなことがあった。

 しかしその際は攻撃はなかった。今回は──。


「ドラゴン2! ドラッグ機動!!!」


 ミサイルに長い飛行を強いることで飛翔限界に達するまで距離を取る、それがドラッグ機動だ。

 ということは……。

 ミサイルアラートが鳴り響き、彼の全身から汗が噴き出す。


「ドラゴン1、無人機を撃墜した」


 無線から聞こえた声。


 ──さすが師匠……!


 感心したのも束の間、嫌に落ち着いた声で師匠からの指示が入る。


「ドラゴン2、低高度に降下するんだ」

「や、やってます!」

「もっとだ! もっと!」


 相変わらずアラートは消えない。

 それもそうだ、明らかに射程圏内だった。

 チャフも撒いたが効果は限定的だった。

 最近のミサイル性能は戦闘機の回避能力を越えている。

 座学で習ったことだが、今まさに体で思い知ることになるとは思ってもみなかった。


「ドラゴン2、ベイルアウト!!」


 師匠の声にハッとした彼は座席下のハンドルを思いきり引いた。

 1秒も立たずに座席ごと射出され、彼の体に猛烈なGがのしかかる。

 パラシュートが開くと、静寂が訪れた。

 愛機が遠ざかっていく。

 辺りを見回すと、空の中にぽつんと自分だけがいた。

 静かで、はてしない空だった。

 ああ、やっぱり好きだ。

 さっきまで死にかけていたはずだが、彼は空を見て心が落ち着いてきた。

 ベイルアウト後の訓練も経験している。

 手順を思い出そうとしたその時、後方の遠くから高い音が聞こえてくる。

 遠くだと思ったその数秒後には目の前を通り過ぎて行った。

 愛機を追いかけていくミサイルだろう、一瞬だが彼の目が捉えた。

 そして静寂を破るように、突風が彼を襲った。

 パラシュートが捻じれ、体勢を崩した彼は、()へ落ちていく。

 ぐるぐると回る視界の中で、戦闘機にミサイルが直撃したのか火を噴きながら落ちていく。


 小さい頃、よく彼は空を泳ぐ夢を見ていた。

 その夢と同じように手で漕いでみるが、現実はそう上手くはいかない。

 海面が近づいてくる。


 ──走馬灯ってないんだな。


 彼はただ死が近づいてくる様子を見ることしかできなかった。


 彼は、空が好き()()()

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