第七十九話:喪失の日々
アルカディアとの死闘が終わり、崩落した地下神殿から仲間たちに助け出されたミオは、数日間の昏睡を経て、世田谷の自宅へと戻っていた。
身体の傷は治り、世界には平和が戻りつつある。 けれど、ミオの心には、底の見えない巨大な穴が空いたままだった。
「……あ、痛たた」
まだ少し痛む体を引きずりながら、ミオは夕暮れの街を歩いていた。駅前のスーパーでの買い出し。カゴの中には、無意識に三パックの特売肉と、周防が好きだった銘柄のコーヒー豆、それに影縫が好みそうな渋い和菓子が入っていた。
「……あ」
レジの手前で、ミオの足が止まる。 肉を三パックも買っても、今の家にはそれを平らげる大食漢はいない。
「……そっか。……もう、いないんだ」
ミオは静かに肉を棚に戻した。喉の奥が熱くなり、視界が滲むのを必死に堪えて、自分一人のための質素な食材だけを持ってレジを済ませた。
家に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。 かつては「事故物件」と呼ばれ、不気味な霊素が渦巻いていた折原家。今はその気配もなく、ただの古びた一軒家として静まり返っている。
玄関を開け、ミオはいつもの癖で声をかけた。
「ただいま……」
返事はない。 いつもなら「遅いぞ! 腹が減って死にそうだ!」という獅子王の怒鳴り声が聞こえてくるはずの玄関先には、静寂だけが横たわっていた。
リビングに入る。 獅子王が座椅子を軋ませて座っていた特等席には、誰もいない。 書斎の扉をそっと開ける。 難しい顔をして古文書を広げ、ミオの勉強を見てくれていた周防の机には、埃が薄く積もり始めている。
自分の部屋に戻り、部屋の隅に視線をやる。 天井近くの梁の上や影の中に、気配を消して潜んでいた影縫の姿も、もうどこにもなかった。
「……」
ミオは荷物を置くのも忘れ、そのままベッドに倒れ込んだ。 天井を見上げると、かつてはそこら中にいた「うるさい家族」の記憶が、濁流のように押し寄せてくる。
「……寂しい」
ぽつりと、独り言が漏れた。
「……すごく、寂しい……っ」
ミオは枕に顔を押し当て、声を殺して泣いた。 世界を救うため、自分が望んで選んだ別れ。師匠たちが「誇りに思う」と言ってくれた最期。頭では分かっているのに、心が追いつかない。
暗闇の中で、ミオは自分の右手を握りしめた。 そこに宿る「力」を感じるたび、あの日消えていった三人の光がフラッシュバックする。
最強の力を手に入れた少女は、今、人生で一番深い「孤独」の中にいた。 かつて幽霊を怖がっていたあの頃よりも、今の「誰もいない静けさ」の方が、何倍も怖かった。
「……師匠……」
泣き疲れて眠りに落ちる寸前、ミオの耳にふと、風の音に混じって「泣くな、バカ」という幻聴が聞こえた気がした。




