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20 川岸 3

 椿山軍の渡河を制してから、菊丸宗勝は光春らを伴い、上凪国かんなぎのくにの戦線へ向かっていた。そんな中、宗勝のもとに急を知らせる伝令が駆け込んできた。

 知らせを聞き、宗勝は青ざめた。夕暮れの中でも、蒼白なのが分かるほどだ。

 都の東方を攻めていた宗勝の父菊丸宗忠が討たれ、同行していた宗勝の弟が降伏したというのだ。


「そんな、まさか……。」


 口元を押さえ、宗勝が絞り出す。

 だが、同じ火急を報せる伝令は他にも到着した。

 敵は戦線を突破し、梅蔵の都へ向かっているという。宮中にいる今上帝と、皇太子である蓮宮はすのみやを狙っているのだ。

 帝たちは、と宗勝が問う。万が一、二人ともが討たれでもしたら、椿山方にいる二の宮が直ちに帝位継承を宣言するだろう。そうなれば、宗勝たちが逆賊になるのだ。


「は。すでに平葦ひらよし殿が満願寺に匿っているとのことです。」


 平葦徳兵衛。菊丸家の家臣だ。

 満願寺は都がある伊佐国いさのくにから西へ行ったところ、下原国しもはらのくににある寺だ。大きな寺で、住職の権力は計り知れない。

 昔から、寺は見えない結界で守られている。寺は、女子供を逃したり、人を匿う場所としてよく使われてきた。

 配下の名前が出たことで、宗勝は少し落ち着きを取り戻した。しかし、膝が震えている。

 悟られてはならない。人に動揺を気づかれてはならない。そうは思えども、身体は意思に関係なく反応する。

 まさか父が。弟の宗隆むねたかまで降伏したとは。

 母や他の弟は無事だろうか。もし捕まれば、女子供とて容赦はすまい。良くて終生島流し、悪ければ市中引き回しの上打ち首か。

 都に向かった敵軍はどれくらいだろうか。帝や蓮宮は満願寺か。今の様子は。

 一度に考えがまとまらない。


「宗勝様。」


 ふと顔を上げれば、光春が跪いている。


「我らが都を見てきましょう。母君や弟君を、安全な所へ逃して参ります。」


 宗勝は数秒、光春を無言で見つめた。驚いているようだった。頼む、と宗勝が頷く。そして目を伏せ、光春に言った。


「すまないが、清殿に会えないだろうか。」


 懇願するような言い方だった。

 一瞬、ムッとした表情で光春は宗勝を見た。今の宗勝は平静を装っているが、唇が震えている。目はきょろきょろと落ち着きがなく、明らかに動揺している。

 無理もない。つい今しがた、父親の討死を聞かされたのだ。


「あれは実清です。清とは仮の名に過ぎません。出る支度が整うまでの半刻、ここに来させましょう。」


 不満をなるべく出さないようにし、けれど少し嫌味っぽく、光春は立ち去った。

 代わりに実清を呼び、宗勝のもとへ行かせた。実清は表情を崩さず、了承した。その背中を光春はじっと見ていた。

 宗勝がどんな思いを実清に抱いているかは知っている。自分の中にもある感情だからだ。それを露わにすれば、実清を『清』として縛りつけることになる。それを望まなかったからこそ、以前、宗勝も実清に選ばせたのだろう。



 実清は言われたとおり、宗勝がいる場所へ行った。夕闇の中に一人、彼はいた。空が朱色に染まる中、宗勝は太陽に背を向け、梅蔵の方角へ手を合わせていた。手には数珠がかかっている。実清に気づき、手を下ろした。


「忙しい折に、呼び立ててすまない。」


 実清は一礼した。

 逆光で宗勝の顔は見えない。


「光春殿が経を読むのを叱っておいて、私は亡き父を拝んでいる。」


 おかしなことだ、と宗勝は自身を嘲笑った。

 経をあげるのは生きている己自身のため、と言った光春の気持ちがよく分かる。

 そんなことはございません、と実清が口を開く。


「死者を悼むことに、おかしいことなどありません。ましてや血を分けたお父君です。」


 少し間を置き、宗勝は小声で礼を述べた。


「すまない、少し……情けないが、心細くなった。私の家臣には、この姿を見せられない。」


 次期大将軍たる者が、侮られる。隙を見せたら負ける。

 しかし、光春や実清は別だと思う。以前、良き友になりたいと言った言葉に偽りはない。友であればこそ、見せられる姿もある。

 付き合いは長くない。だが、確信するのだ。この二人は裏切らない。


「必ず、母君と弟君たちを救ってみせます。」


 そう言って実清は目を伏せた。

 その言葉が、何の救いにもならないことは分かっている。報せもすぐには届かない。宗勝の元に届くには数日かかる。今声をかけてほしいと家族が願う瞬間には、宗勝は彼らのそばにいてやることも、遠くから祈ることもできないのだ。

 宗勝が数歩、歩み寄った。


「触れても良いだろうか。」


 相変わらず控えめに問う。実清は今回は、はいと答えた。


「我が主人にはどうかご内密に。以前、須佐にいらした時のことは、聞いておられたようで……。」


 少し困った様に実清が笑う。

 そうか、と宗勝がつられて笑った。


「それで、先程私にあんな態度をとっていたのだな。分かりやすいやつだ。」


 裏を返せば正直と言えよう。

 宗勝は革手袋をつけたまま、実清の頬に触れた。そして、額と額をくっつけた。息づかいも瞬きも分かる距離だ。宗勝からは強い白檀の香りがした。


「怖いのだ。情けない、本当に情けない……父上に合わす顔もない。」


 気丈に振る舞おうとしても、声と手はかすかに震える。

 父にはよく叱られた。叱られてばかりだった。嫡男だからという理由で、とにかく幼い頃から何事も他者の模範となるようにと叱られた。褒められた記憶はほとんどない。

 弟たちは可愛がられ、甘やかされていたように見えた。特に、まだ幼い弟たちは目に入れても痛くない、という具合だった。

 昔は父のことが苦手だった。なぜ私ばかり、とふてくされた。

 厳しさのありがたさが分かったのは、任官以降だ。

 最近、やっと父と少しずつ話をして、父の気持ちも理解してきたところだったのに。


「そなたまでも行ってしまうのか。」


 すがるように宗勝が言う。そして、言い聞かせるように続けた。


「行かないでくれ。ここにいれば良いではないか。私のそばにいてくれ。女子の身で、戦に出る必要はないではないか。」


 実清は、ちらと上目遣いで宗勝を見た。彼は目を閉じ、まるで祈っているようだ。

 天下人とは思えぬ有様だ。額には脂汗が滲む。目には堪え切れぬ涙が溜まる。

 ああ、と実清は嘆く心地だった。哀れみに近いかもしれない。

 この人は、いつも誰かと共にあれど、いつも一人なのだ。そう求められ、そうあらねばならないのだ。悲しいときに悲しいと言うことすら、許されぬお人なのだ。

 気の毒とは思えど、幼い頃より仕えた主以外に心変わりなど起きはしない。武人であることを誇りに思う実清に、光春は刀を置けと言ったことはない。例え目も眩むほどの金銀財宝を差し出されても、光春と共にいる時間には変えられない。

 頬に添えられた宗勝の手をとり、実清は微笑んだ。


「私は、あなた様を打ち負かした水穂一の剣士です。必ずや、生きて戻ってみせましょう。」


 心強いことだ、と宗勝が微笑んだ。その手は震えていなかった。もう大丈夫だと言い、宗勝は名残惜しそうに実清の手をほどいた。

 必ず、と宗勝が呟く。


「必ず戻ってきてほしい。」





 実清が戻ると、光春がすでに軍装を整えていた。光春は甲冑姿のまま、梅蔵の方角を向いて手を合わせていた。おそらく、宗勝の父を拝んでいたのだろう。

 若様、と実清が声をかけた。もうよいのか、と光春が訊ねる。実清は、はいと答えた。

 そばでは、騎馬武者三人が控えている。馬が鼻息を荒くして待つ。

 大丈夫か、と光春が尋ねた。


「お話しておりますうちに、かなり落ち着いたご様子でした。」


 そうか、と光春が答えた。

 実清のことを心配して尋ねたのだが、うまく伝わらなかったようだ。

 よもやこの戦場において、無体なことはするまい。そうは思っていても、宗勝は実清に想いを寄せている。実清のことを、頑なに清と呼ぶのもそのせいだろう。

 ふと実清を見れば、流した黒髪が陽に透けて輝いていた。

 何を話したのだと聞きたかった。しかし、無粋な気がして出来なかった。実清も、変わったことがあれば光春に言うだろう。

 今さら何を迷うことがあろうか。全てを捧げてくれたのだから、信じるのみだ。

 日が陰る中、彼らは上凪国から梅蔵の都へ向けて出立した。

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