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エピローグ 婚約破棄10日後

 弓というのは不思議なもので、矢を放った瞬間、当たるか外れるかがなんとなく分かってしまう。

 この感覚は私だけのものではなく、生まれながらの狩人であるハイエルフたちも同じらしい。


 私の放った矢が、吸い込まれるようにしてウサギを背中から貫く。

 ウサギは衝撃で倒れたあと、ヨロヨロと立ち上がった。

 それから2、3歩ほど進んだところでバタリと倒れる。 


「アルテ姉様、お見事ですっ!」


 隣でモニカが歓声を上げた。

 

「これで5匹目ですねっ!」

「ええ。ディアナ様への供物としては十分でしょうね」


 私は弓を降ろすと、モニカを連れてウサギのところへ向かう。

 

 ここは王都から少し離れたところにある『レニアの森』と呼ばれる場所だ。

 貴族たちが狩猟や遠乗りに使う場所であり、王都の騎士団が常駐して巡回を行っていた。

 おかげでならず者が住み着くこともなく、人里離れた場所ながらも治安は良好といえる。

 今日、私がレニアの森に来たのは《請願》の対価として狩猟の成果を捧げるためだ。

 すでに息絶えているウサギの近くに膝をつき、祈りの言葉を呟く。


「月と狩猟の女神ディアナ様、《請願》の礼をお受け取りください」


 直後、銀色の光が弾けた。

 あまりの眩しさに瞼を閉じ……開いた時には、ウサギの死体は消えていた。

 ディアナ様は供物を受け取ってくれたようだ。

 狩猟の成果としては5匹目となる。

 ……ん?

 4匹目までと違って、今回はまだ銀色の光が僅かに残っていた。

 光はうねうねと動き、宙に花丸の形を作る。


「アルテ姉様、これは何ですか?」

「供物はもう十分って意味ね」


 私がモニカの質問に答えると同時に、花丸はスッと消えた。

 月と狩猟の女神であるディアナ様は神々の中でもお茶目な性格らしく、可愛らしい方法で神託を下すことが多い。

 私はついついクスッと笑っていた。

 

 サマーパーティの夜から、10日が過ぎている。

 クロイツの廃嫡はすでに大々的に発表されており、貴族だけでなく平民たちのあいだでも大きな話題となった。

 反対の声がほとんど上がらなかったのは、クロイツが公的な場での失言をこれまでに何度も繰り返していたからだろう。



 

「そういえば、どうしてアルテ姉様はクロイツと婚約することになったんでしたっけ」


 狩猟を終え、川のほとりで小休止を取っているとモニカがそんなことを訊ねてきた。


「アルテ姉様の意思ではないですよね」

「ええ、もちろん」


 私は大きめの岩に腰を下ろし、両足を川に浸しながら答える。


「クロイツと私の婚約は、王家と我が家の思惑が一致した結果ね」

 

 詳しく事情を説明するなら、まずはローズアロー公爵領の位置関係について述べねばならないだろう。

 公爵領はブルークラウン王国の北部にあって、西側で他国……グレイスローン帝国と接している。

 帝国はこのところ軍備の増強に努めており、国境線近くでたびたび不穏な動きを見せていた。

 もし彼らがブルークラウン王国に攻め込んでくるとすれば、真っ先に狙われるのはローズアロー公爵領だろう。

 だから我が家としてはもしもの時に備えて王家との結びつきを強くしておきたかった。

 一方で、王家としては次の国王たるクロイツの人望が薄いことを憂慮しており、女神の末裔として知られるローズアロー公爵家の血を入れることで人々の支持を得ようとしたらしい。


 ただ――


 私に魔法の才能があり、しかも《請願》の使い手であることによってすべての前提が崩壊した。 

 極端な話、戦争が始まったら「グレイスローン帝国を滅ぼしてください」と願えばなんとかなってしまう可能性があるのだ。

 実行するなら相当の代償が必要になるだろうし、そもそもディアナ様がそんな願いを叶えてくれるかどうかは分からないが、《請願》が抑止力として機能するのは確かだ。


 さらに言えば、私はハイエルフの女王であるセレル様と懇意にしている。

 セレル様はあいかわず公爵邸に滞在しており、恋愛小説を読み漁る……どころか自分で作品を書き始めて毎日のように私とモニカに意見を求めてくるのだが、ともあれ、グレイスローン帝国にとっては非常に厄介な状況だろう。

 なにせ、公爵領に手を出せばハイエルフが種族まるごと敵に回る危険性があるのだから。

 

 ハイエルフたちは全員が生まれながらの狩人にして、豊富な知識を持つ熟練の魔法使いだ。 

 マトモに戦えば大きな被害は免れないだろうし、グレイスローン帝国が公爵領に手を出すことはないだろう。


「――そういうわけで、ローズアロー公爵家としては王家との繋がりが不要になったの」

「なるほどですっ!」


 私の説明を聞いて、モニカは大きく頷いた。


「要するに、アルテ姉様のおかげで公爵領の平和は守られているってことですね!」

「それは言いすぎじゃないかしら……?」


 《請願》はディアナ様の力を借りているだけだし、セレル様と仲良くなれたのだって、私がたまたま狩猟を趣味にしていたからだ。

 このあたりを勘違いすると、第2、第3のクロイツになってしまうかもしれないから気を付けよう。

 ああ、そうそう。

 今回のクロイツのやらかしについては、王家からローズアロー公爵家に慰謝料などの補償が行われることになっている。

 王家としてはハイエルフと繋がりのある我が家を粗雑に扱うことはできないだろうし、どんな結論になるかちょっと楽しみだ。



 * *



 小休止の後、私たちは公爵家の馬車に乗って王都へ戻ることにした。

 馬車の周囲には我が家の騎士だけでなく、ハイエルフたちの姿もある。

 女王のセレル様がわざわざ護衛として付けてくれたのだ。


「ハイエルフの人たちって親切だけど、ちょっと心配性ですよね」

「無理もないわ。彼らにしてみれば、人間はガラス細工みたいに脆い存在だもの」


 ハイエルフは不老不死に近い存在だ。

 種族として老化が遅いだけでなく、肉体が衰え始めるとハイエルフの国の中心にある『世界樹』という巨木に還り、新たな肉体を得てこの世に再誕する。

 もちろん、それまでの記憶を保ったままだ。

 不慮の事故に遭った場合、あるいは何者かに殺害された場合であっても、その魂はいずれ世界樹に帰還し、復活を遂げるらしい。

 そんなハイエルフにとって、100年も経たずに死んでしまう人間というのはあまりに儚い存在に思えるのだろう。

 

 ちなみに――


 セレル様から聞いた話だが、世界樹には意志のようなものがあって、気に入った人間をハイエルフへと生まれ変わらせることがあるらしい。

 まあ、私には縁のない話だろう。

 そんなことをぼんやり考えていると、馬車の向かいの席に座っていたモニカと目が合った。

 モニカはニコッと笑みを浮かべ、口を開く。


「アルテ姉様、今日は一緒にお出かけできて楽しかったですっ! ありがとうございました!」

「どういたしまして。かなり歩いたけど、足は大丈夫?」

「平気ですっ! ちょっと疲れましたけど、おかげで夜はぐっすり寝れそうですっ!」


 モニカはそう答えた、ところで……と言葉を続ける。


「アルテ姉様、今はもう誰とも婚約してないんですよね。新しい縁談は来てないんですか?」

「来てることは来てるみたい。でも、しばらく王国を離れることになるから全部断っているわ」


 私は半年間の留学を終えてブルークラウン王国に戻ってきた……のだが、秋からは再びハイエルフの国に向かうことになった。

 というのも、世界樹から「新たな《請願》の使い手に会わせてほしい」というお告げがあったらしい。

 それもあってセレル様は転移魔法で私たちのところにやってきたようだ。

 なお、今回はモニカも一緒に連れて行くことになっている。

 彼女は《鑑定》が使える、つまりは魔法の才能があるからだ。

 そのことが決まったのがちょうど昨晩で、モニカは「留学中もアルテ姉様と一緒にいられるんですね!」と大喜びだった。 

 私としても、可愛い妹を近くで眺めていられるのは喜ばしい。

 正直なところ留学しているあいだは寂しかったし、王国に残ったモニカが健やかに暮らしているか心配だったからだ。


 私はフッと笑いながらモニカの頭を撫でる。


「どうしたんですか、アルテ姉様」

「なんとなく、かしら」

「じゃあ、わたしもなんとなく甘えちゃいますっ!」


 モニカも笑いながらぐりぐりと頭を押し付けてきた。

 願わくば、このまま仲の良い姉妹でいたいものだ。



お読みくださりありがとうございました。本編はこれにて完結です。

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