あやめぐさ
加代子が聞かされた戦況は兵力差だけで言えば厳しいものだった。
「高天原はクーデターが起こり、軍部が暴走している状態。神皇産霊神らは民間人を抱えた状態で空からの攻撃を必死に護っている状態。雅は魔縁の者達を掻き集めて、海上と海中から応戦って事?」
「はい、左様にございます。」
「そうなると、数の差でどうこうっていうより、戦術や武器によって戦況が変わる感じ?」
天狐はこくりと頷き、国常立尊にとっての勝利条件を教えてくれる。
「目下の目標は三つ。天之御中主神に高皇産霊神の抱える禍津日神を抑えていただく事、心の太柱の権限を取り上げ天之麻迦古弓の無力化を図る事、新たな心の太柱を生み出されないように貴女を守り抜く事の三つです。」
「わ、私?」
「はい。しかし、その三つが達成出来ても、主様は《停戦に持ち込むのがやっと》と仰せでした。」
黄泉の国との戦いも劣勢からスタートしたものの、あの時は高天原軍を退けて勝利した。そんな雅でも「停戦に持ち込むのがやっと」と言うのだから、どれだけ窮地にあるのかが分かる。
「ただ、にわかには信じ難いのですが、先方は主様のおっしゃる通りの動きをしてくださっており、《これからの動きが変わってしまうとしたら、加代子さん起因なので、くれぐれも大人しくしててもらうように》との仰せです。」
「あ、はい・・・・・・。」
「なお、《そうは言っても大人しくして下さる保証がないので、加代子さんからの質問は極力答えるように》とも。」
「う・・・・・・ッ。」
口元を抑えて、くすくすと笑う天狐の様子に、加代子は口を尖らせる。そして、式が用意してくれた脇息に凭れた。
「雅は、今頃、何してるの?」
「まずは主将たる神皇産霊神と打ち合わせを、その後は副将として心の太柱に向かうと伺っております。」
「副将自ら、敵陣に向かっちゃうわけ?」
「はい、その辺りが主様らしいところでして・・・・・・。」
文目も分かぬ闇に紛れて、方舟でひと騒ぎを起こして高皇産霊神の気を引いたところで、心の太柱に潜入する。そして、天之御中主神への謁見と、心の太柱の権限の書き換えをして天之麻迦古弓の無力化をするらしい。
「その間、この地が手薄になるため、私は竜爪の篭手と御方様を護衛する手筈になっています。」
「竜爪の篭手?」
「はい、何でも天之麻迦古弓と拮抗する武具との事ですが、今は使えないとの仰せでした・・・・・・。」
加代子が「じゃあ、劣勢には変わりないのね」と肩を竦めていると、女性の声で「もうし」と声が掛けられた。
加代子が天狐に「誰?」と訊ねれば、女官が姿を現し、膳を運んでくる。しかし、加代子は女官が一礼して下がっても、差し出されたものを見たまま押し黙ってしまった。
「いかがなさいましたか?」
「あ、うん、ちょっと、驚いてしまって。」
いや、まさか本当に玄米グラノーラが出てくるとは。
試しに匙を取り、シャクシャクと目の前の玄米グラノーラを掻き混ぜて、豆乳を注ぎ、口にする。
「美味しい・・・・・・。」
加代子の知るものよりは、甘味は控えめで、口当たりも軽い、素材の味を生かしたものではあったが、間違いなく玄米グラノーラだ。というより、こっちの方が甘さ控えめな分、加代子にとっては口に合う。
「凄い、まさかこんなところで玄米グラノーラが食べられると思わなかった。」
「焼き米がお口に合いましたようで何よりです。仰せになっていた麦、大豆、南京の種なども煎って混ぜております。」
そう言いながら、美味しそうに食べる加代子の様子を几帳越しに見て、天狐はふふっと声を立てて笑い「主様はこれを見越して、我らに焼き米を作らせたのかもしれませんね」と話した。
「ん? 雅、じゃなかった、国常立尊が作らせたの?」
「はい。御方様がお休みになられていた際に、神皇産霊神から御方様宛に《精米、吸水、煮炊きとなると、稲は使い勝手が悪く、何か良い調理方法が無いか聞きたい》と連絡が来て難儀していたところ、主様が《焼き米を作ればいい》とお答えになりまして・・・・・・。」
「ああ、それは私も心配してたの。やっぱり、方舟で調理するのに炊飯は大変だよね。」
それ以外にも水加減、火加減などが難しく作るのにはコツがいることや、出来上がった白飯を日持ちがしないあたりも問題になったらしい。
「それゆえ、主様は手間をかけず、玄米のまま、丸一日、給水させ、焼いて食べてはどうかと話されたのです。」
加代子はしょんぼりとして「手間暇や保存性ね、考えがそこまで及んでなかったわ、ごめんなさい」と言えば、天狐は「何をおっしゃいます」と否定した。
「今までの暮らしを失い、狭い方舟の中で押しやられて閉じ込められている者達にとって、食事は娯楽のひとつです。それまで奪われては鬱憤も溜まるというもの。」
国常立尊の調理法は、味はまあまあなのだが量を食べれば口の中の水分を持っていかれてしまうし、かと言ってお湯に浸して食べると食感が苦手で食べられない者もいるのだという。
野狐は「携帯食や保存食に良い」と評したものの、食いしん坊な赤狐と、味にうるさい地狐からは炊いたご飯の方がいいと大ブーイングだったらしい。
「確かに赤狐は腹持ちの良さ重視だし、地狐はグルメだもんね。」
加代子はくすくすと笑うと「赤狐はもう少し大豆を増やしたものを、地狐は私と同じように豆乳を一緒に出してあげれば、喜ぶんじゃないかな」と話せば、天狐は「焼き米を美味しく食べられるようにしてしまうとは、宇迦之御魂神の名を冠するだけありますね」と褒めそやす。
加代子は天狐が良かれと思って言っているのは分かったが、雅の料理の腕前を思うと苦々しげな表情になる。きっとこの場に雅がいたら、くすくすと笑うに違いない。
「それ、彼の前では言わないでね。」
「それ?」
「宇迦之御魂神って言われてるって話。」
きっと既に知ってはいるんだろうけど、と思いながら、加代子は器の中の玄米グラノーラをシャクシャクと混ぜる。
(兄様に聞いて、誓約の姫の意で宇迦之御魂と呼ばれていると思っていたのに。)
雅に揶揄されるネタを提供する日が来るとは思わなかった。
◇
その頃、「兄様」こと、八嶋士奴美神はエレキギターに化けた斎を背負い、なごみやから渋谷駅近くまで逃げてきていた。
初めこそ死神界を逃げていたのだが、ぐんぐん数を増す追っ手の検非違使の数に、葦原中国へ逃げこんだ状態だ。
《ああ、なんでこの時間! バスがあれば楽なのに! ひとまずタクシー乗り場に向かってください!》
「どっちだ、それ?」
《右です、交差点渡ったところ! 乗ったら國學院大學近くの氷川神社のところまでって言って乗せてもらってください。》
「言っとくが葦原中国の金は無一文だぞ?」
《電子マネーになってきてるんで、そこんところは何とかなります。多少の小銭もポケットに突っ込んできたんで。》
ギターケースと話す怪しい男と化した八嶋士奴美神は、シャッターの閉まったJR線の渋谷駅の前を通り抜けると、南口の階段を飛び降りるようにして下り、タクシー乗り場へと向かう。
「くそ、もう高天原から追ってきたかッ!」
高低差のある渋谷駅は《坂》がいくつもあり、あちこちで異界への道が開く。
しかも、今は丑三つ時。
追っ手がキョロキョロとこちらを探している合間に、タクシーに乗り込むと「氷川神社のところまで」と呼吸が整わぬままに告げた。
車が動き出し、初老のタクシー運転手に「渋谷氷川神社でいいですか?」と聞かれる。八嶋士奴美神は「ああ」とだけ答えると、近付いてくる異界の者達にも、運転手にも気が付かれぬようにこっそりと印を結んだ。
《根の堅洲国に逃げ込めば、何とかなりますでしょうか?》
(分からぬ。同時に根の堅洲国も襲われている可能性もある。だが、危険はあるとはいえ、まずは父上に合流するのが得策だろう。)
信号で止まったりしたのを除けば五分ほどで渋谷氷川神社の前につき、斎の言う通りに支払いをすれば、タクシー運転手は神様を乗せた事を気が付かぬまま走り去っていく。
渋谷氷川神社の鳥居までは十メートルもない。しかし、八嶋士奴美神は二、三歩、足を進めたところで「そこにいるのは誰だ?」と訊ねた。
「へえ、さすが神様やね。気配殺してたのに、気付かれてしもた。」
そう言いながら鳥居の影から、十五、六歳くらいの女の子が姿を現す。八嶋士奴美神が警戒の色を露わにすると、背負っていたギターが形を崩し人の形に戻ると二人の間に立った。
「彩女ちゃん。そこ、通して。今、追われてるの。」
しかし、彩女は目を細め、小首を傾げてにこりとすると「それは聞かれへん話やわ」と答えた。
「うち、あの子のこと、首突っ込んだらあかん、言うたよね?」
そう言うとぱちんと指を鳴らし、いくつも鬼火を生み出す。
「お前、知り合いなのか・・・・・・?」
「ええ、店の従業員です。本来は気立てのいい小鬼の女の子なんですが。」
言いながら、斎も護符と呪符を取り出し、印を結び出す。
「へえ、今日日、気立てのいい小鬼の女の子は日本刀を佩いているものか?」
刀をすらりと抜き、構える彩女の姿に八嶋士奴美神は「神聖な社の前で刃傷沙汰を起こす気か」と眉根を寄せた。
「何、言うてますのん? 自分の言う神聖な社は鳥居の向こうや。そこまでは我ら天鬼の一族が司る境界。」
その言葉と共に身体にエレベーターに乗った時のようなGが掛かり、葦原中国から死神界に一気に引き戻される。
「彩女ちゃんッ!」
「気安く呼ばんといて。」
一気に走り込んできて、間合いを詰められる。八嶋士奴美神は斎の襟元を掴み後ろに引き倒すと、いつの間にか生み出した鞘に収めたままの刀で受け、薙ぎ払う。
彩女はそれを受け流し、懐に入ろうとしたものの、八嶋士奴美神はあっさりと彩女の胸ぐらを掴むと力任せに放り投げた。
「天鬼の一族だが、何だか知らぬが、父上の社の玄関先で暴れ、国津神の前に立ちはだかるとは良い度胸だ。」
暗い夜から、昼間に引き戻されて、目が眩んでもおかしくないのに、八嶋士奴美神は意に介さないと言わんばかりだ。
吹き飛ばされて、砂埃が立つほど強か身体を打ち付けただろうに、彩女は立ち上がると切れた頬の血を乱雑に拭った。
「うちが一人で来とると思うとるん? ここで待っとったんは《神様の言う通り》やからよ。」
ずらりと姿を表したのは赤い服を着た検非違使の面々。それから、モノクルの眼鏡を掛けた男が立っていた。
数メートル先の氷川神社の鳥居が酷く遠い。
斎は八嶋士奴美神の背を守るようにして背後についた。
「思兼神・・・・・・。」
八嶋士奴美神が苦虫を噛み潰したようような表情で澄ました表情の男の呼び名を口にする。
「久しぶりですね、八嶋士奴美神。こうして相対するのは、国譲りの時以来でしょうか?」
「国譲りとは聞こえがよすぎやしないか? 我らは須勢理毘売命と五十鈴姫を人質にした、侵略戦争だったと記憶しているが、思い違いだろうか?」
検非違使の者が俄にざわめき「国津神風情が粋がりおって」などと野次を飛ばす。
八嶋士奴美神はふっと口の端に笑みを浮かべると「インテリ眼鏡で机上の空論ばかり論じている奴に俺が引けを取ると?」と嘯いた。
「インテリ眼鏡で机上の空論ばかり論じているとは言ってくださいますね。」
「気に入らないか? じゃあ、大己貴命のケツを追い掛け回している奴とでも言えばいいか?」
思兼神を小馬鹿にするようにして笑い飛ばせば、検非違使の面々は唸り声をあげた。
「先鋒に天鬼の一族だったか? 小娘一人とは些か歯ごたえもない。掛かってくるなら纏めて掛かってくるがいい。」
思兼神は八嶋士奴美神の様子に目を細めると、「何をこの後に及んで企んでおる」と告げる。
「すでにそなたは包囲されている。たとえ、氷川神社に逃げ込んだとして、この数ぞ? 神域に逃げ込む前に消え去ろう。」
「それは些か俺を侮っていないか? 俺を誰の息子だと思っている。」
「昔は逃げてばかりだったように思うが?」
「ああ、あの時は事情があったからな。」
そう言って「清之湯山主を名乗るからには、お行儀良くしておけと言われていたが、害なす者にまで行儀良くする必要はないよな?」と刀を抜くと横一閃、咄嗟に伏せたり、跳んで逃げたものを除き、一気に半数ほどを手負いにした。
「ああ、やっぱり一発ではやられてくれないか。銛なら一突きで終わるんだけどなあ。」
薄緑色のシールドで防御したのだろう。思兼神は苦々しげな表情になる。
「なるほど、初めから氷川神社に我らを立ち入らせないのが魂胆でしたか。」
思兼神の目を盗み、何とか鳥居に辿り着いた斎は護符で結界を張っている。
「ああ、この程度のこと、俺で収められねば、父上に半殺しの目に合わされてしまう。これで邪魔は入らんよ。」
八嶋士奴美神はにいっと笑った。




