2019/10/08『温かい』『絶望』『紫』
「さよなら」
無機質な声が、転がっていく。
「あなたの事はもう、忘れたから。もう、お互い楽になりましょう」
——待って、待ってくれ。
俺の声は誰にも届くことなく喉の奥で消え、彼女は車椅子を半回転させて遠ざかっていく。
こんな、こんなの、ありえない。
あるのだとしたら……神様はとんでもなく意地悪だ。
それは、一年前のこと。まだ彼女と付き合っていた、幸せだった時の話。
その日、俺はあの子との待ち合わせに遅刻した。
噴水のある、海辺の公園。俺が告白され、カップルが成立したそこが、待ち合わせ場所だった。
公園に向かって走る。あの子を待たせたくなくて、一心不乱に走った。
だから、気付かなかった。
公園の目の前にある道路、そこを渡っている俺に、トラックが迫ってきていたことに。
——突如目の前で舞った紫色。
それにドンと押され、死を免れた。
が、俺を押した紫色、その色のワンピースを着たあの子はそのまま……。
彼女はその事故で、昏睡状態に陥った。それが続くこと半年間。俺は目が覚めることをひたすら祈った。温かな手を握りながら、何度も、何日も。
祈りが彼女に届いたのか、ある日意識を取り戻した。
が、脳に障害が残ったのか、下半身が麻痺。それだけならまだいいが、彼女は記憶を失っていた。
俺は今までのことを語った。写真を片手に、毎日、毎日。
けれど彼女は、俺のことを思い出せなかった。その結果が、今。
——ああ、こんな絶望が待っているなら、あの時に死んでしまいたかった。




