2019/06/29『魔法』『氷河』『過去』
久々の更新です!
心優しい魔法使いのもとに、一人の男の子がやってきた。
「魔法使いさん、お願いがあるんです」
「なんだい?」
魔法で男の子の考えていることが分かっているはずなのに、魔女は男の子の言葉を待つ。
しばらく恥ずかしそうに、もじもじしていたが、ようやく男の子は、顔を赤くしながらはっきりと言った。
「僕の記憶を取り戻すのを、手伝ってください!」
「——僕、記憶がないんです」
「何の記憶が?」
「……家族の。お父さんや、お母さんの記憶が、ないんです」
男の子は身の上を語り出した。
自分は今祖父母の家で暮らしているということ。
昔は両親とともに暮らしていたはずなのに、ある日気がついたら祖父母の家にいたこと。
祖父母は両親についてなにも教えてくれないこと。
「でも僕、知りたいんです。お父さんとお母さんのこと」
「……」
魔女は何も言わずに、香を焚き始めた。
黄昏時のような紫色の煙をあげる香は、魔女と男の子の頭を冷静にさせ、心を落ち着かせた。
魔女は、自らの色素の薄い目を、ゆっくりと、閉じる。何事かを考え、そして、ゆっくりと、目を開ける。
「……やめておいた方がいいよ」
——それが、魔女の結論だった。
「お前さん。"記憶の氷河"を知っているかい?」
「記憶の、氷河?」
キョトリと目をパチクリさせる男の子に、魔女はため息をひとつ。黄昏時の色をした煙が、その息でふわりと揺れて、男の子を包む。
「記憶の氷河には、ひとが忘れ去った記憶が埋もれている。忙しさに紛れて忘れ去られたものも、忘れたいという無意識の元に忘れ去ったものも」
魔女の言葉を、男の子は一言一句聞き漏らすまいと聞いていた。
「わたしはね、今、記憶の氷河に行ってきたんだよ。さっき、目を閉じたあの時に。そして、お前さんの過去を見つけてきた。だか、あれは……あれは、お前さん自身が忘れたいと、無意識のうちにそう思って、自ら忘れた記憶さ。そんな記憶を取り戻しても、すぐに忘れてしまうか、自分が壊れてしまうかのどちらかさ」
「……」
そう言われて、理解はできても納得はできない男の子に、魔女は再びため息をひとつ。
「お前さんはねぇ……虐められてたんだよ、両親にさ。お前さんは両親から逃げ出して、祖父母の家に行った。そしてそのまま倒れて、その時に記憶を忘れ去ったのさ。さ、もういいだろう。お代はいらないから、早くおじいさんおばあさんのところに帰るんだね」
心優しい魔女は、男の子の心を壊さないため、敢えて記憶を取り戻す手伝いはしなかった。




