奴隷という手筋
なろう系で頻出する手筋についてちょっと考えてみたり
所謂エッセイ
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その1(頻出する奴隷という展開)
なぜなろうでは「奴隷」が頻出するのか。
これね、多分絶対的に主人公(読者が自己投影している)が傷つかない人間関係だからですよね。
だからファンタジーとしての「奴隷」が重宝される。
でも実際には奴隷なんてそんな人々じゃないですけどね。
そもそも「奴隷」を運用している社会の場合、奴隷は「落ちる」階級のわけない。
というのは「奴隷」は知性はあるが人類とはまた別の種族、と認識していないとそもそも使役する側の精神、良心が持つわけがないからで。
だからロボットや車の様な、大事にはするけど、魂の交流をするものではないもの、として規定しているハズなのです。
欧の人に「メイド萌え」は全く理解してもらえないどころかドン引きしていた、というのもそういう事でしょうし、英国の女性士官は日本人捕虜の前で生着替えしても全然恥ずかしがる様子を見せなかったってのもそういう事でしょう。
だから逆に奴隷の側も親切にしてくれたからって魂が触れ合ったりは本来しない。奴隷側も「同じ人間が使役する」等と考えたら滅入ってしまうので、自分とは関係のない奴らが使役すると規定しているはずです。
今回は奴隷制度について