第一話 ある日の音守処
音守処は今日もただそこにある。
音守処 ここはある地方都市。街並みに溶け込み過ぎて見逃しそうな建物がひっそりある。鳥居に似た看板には音守処とある。
ここは唯一音を祀るためのお堂ーー音堂だ。
冴えない見た目だが、ここだけ空気感が違う。それが音守処。
店の入り口にはきれいな湧水がちょろちょろと流れ、小さな柄杓が置かれている。誰も何も言わないのに、客は皆、入店前に手と口を濯ぐ。
『聖地』と呼ぶ人もいる。
店内には軽快なBGMが流れており、心が洗われるとは、よく言ったものだ。ここに来ると何とも言えない癒し空間にほっとする。
そう広くもない店内であるが、欲しいものは必ず見つかる。CDやレコードだけでなく、それが蓄音機であろうが最新型のDTM機材であろうが、必要ならば手に入る。
店の奥のちょっとしたカフェコーナーでは時折ミニライブも開催される。
ドリンクはタブレットから注文するようになっているが、なぜか店員はいない。注文品はカウンターまで自分で取りに行き、食器は自分で返す。全てセルフサービス方式だ。
ある人は言う。「音守処は必要とする人にしか見つけられないのよ」と。
きっとそうなんだろう。実際、ここは地図にすら載っていない。町内会長や税務署でも探しきれない。
だけどフォロワーは0人のはずなのに、SNSからピンポイントで告知が来る。まるでお店がターゲットを決めて呼んでいるように。
音守処はいつから存在するのか誰も知らない。ただ、神話の時代には既にそこにあった――そんな話だけが残っている。
ある平日の昼下がりのこと、音守処のカフェコーナーはいつになくにぎやかだった。
今日のBGMは最新のJ-POPだ。男性ボーカルの伸びやかな声、女性アイドルグループのかわいらしいハーモニー。どれもが今日の雰囲気に合っている。
にぎやかなのは理由がある。女子高生のグループがいるのだ。
『たぶれっと』を操作する少女が声を掛ける。
「注文するよ。何飲む?」
「アサイー!」
「私もー!」
「私はタピオカミルクティ。」
「えーっ、久しぶりに聞いた。」
「だって、たまに飲みたくなるじゃん。」
「うん、わかる~。やっぱり私もーアサイーやめてタピオカにする!」
たまには、こんなにぎやかさも悪くない。
カフェコーナーに弾む笑い声が響く。
「支払いはこっちでいいんだよね。」
と言いながら、『音納 』と書かれている小さな木箱にチャリンとお金をいれる。
「私さ、『音感謝』、ホームルームの時間に書いちゃった。だって、MilkyJamのライブ当たったんだよ~。嬉しくってさ。」
満面の笑みを浮かべながら、
ピンクのキャラクターものの封筒を音納に入れた。
なんとも甘ったるい名前であるが、MilkyJamとは売れっ子のボーイズグループの名前である。歌唱力、ダンス、ルックス、どれをとっても一歩抜きんでたグループだ。
奥のカウンター席にはひとりの女性が静かにコーヒーを飲んでいた。
女子高生たちの会話も自然と耳に入る。
「ねぇねぇ、今日の授業でさぁ、『古事記』やったじゃん。」
「あー、イザナギとかイザナミとか?」
「私、やっぱりアマテラスオオミカミが一番好きだな。
隠れたことで世の中真っ暗になるじゃん。
世界を照らす太陽神だなんてカッコイイじゃない?」
「私はわがままな神だなって思ったよ。
自分がいなくなるとみんなが困ると知ってて隠れるんだもん。」
「我慢、ってことを知らないと社会に出てやっていけないよ。」
「ほらほら、サクラコは長女だから、親から厳しくしつけられている。」
どっと笑いが起こる。と同時にサクラコと呼ばれた少女の顔が膨れる。
「もう~、うちだけが厳しいわけじゃないから・・・」
あれこれ好き勝手に自分の思うままを仲間たちと分かち合っている。
「でもね、ニニギノミコトってひどい男と思った。」
「そうそう、私も思った。なんでひと目みただけで姉だけを返すわけ?」
「イワナガヒメ、かわいそう。好きで醜く生まれたわけじゃないのに。」
「面食い男は滅びろ~~!」
カウンターの女性は聞こえてくる他愛のない会話を楽しんで聞いている。
「しかもね、せっかく娶ったコノハナサクヤヒメ、一夜で身ごもったから俺の子じゃない、浮気してたんだろ、って何様よ。」
「おれさま~~」
きゃ~、っと爆笑が起きる。
女性は、少し感慨深い顔をしながら物思いに耽る。
あの人ならきっと、「ほらな」と満足げに言うだろう。
「悪人は俺一人でじゅうぶん」
と胸を張って言った彼の言葉を思い出す。
でもね、かわいいところもたくさんあったんだよ。
『魂の16連射』とかいう効きもしない必殺技を使うわ、『ふりーどりんく』に釣られるわ、掃除といっては箒をふりまわすわ。
でも、とても素直だったの。
『あなたが言った通りの展開になったわね、ありがとう』
そしてかわいい妹。
業を乗り越えるため、火を放った。そして文字通り命をかけて子を守った。
数多の神の罪を私たちは背負い、この世界を救った。
そして彼は今、愛おしい私の妹のもとで、約束どおり眠ってもらっている。
私はこれからも沈黙を守り続ける。それが彼とあの娘との約束だから。
「今日は掃除する時間がなさそうね。明日は早い時間に来るわ。」
女性が立ち上がったコーヒーカップには桜の花びらが一枚浮かんでいた。
音守処は今日もただそこにある。




