戦火の中で(2)
「あなたのおかおは。」
ヴァルドはリュシアをみながらもっていた手綱を握り直した。
「見せない。」
「どうして。」
「見せたくもないし、見せる必要性がない。」
「こわいの?」
リュシアは怖いかどうか尋ねてくる。ヴァルドは静かに答える。
「今まで生きてきて顔を晒してきて良いことはなかった。色々な者に狙われて殺されそうになった。だからいつしか顔は誰にも見せることはなくなったな。それに舐められる、私は他者に畏怖される存在でいなくてはいけない。」
静かにリュシアは聞いているが、ヴァルドは自嘲気味に笑う。兜があるので、目の部分は分からないが、口元のみでリュシアは表情を読むことができない。しかし。顔の頬や、鼻の部分に傷跡が見える。深く、皮膚が陥没し、傷跡の部分の皮膚は硬くなっている。この人は誰かに命を狙われることもあったのだろうかと。
そしてこの大きな存在はさらに口を軽口を叩く。
「もしかしたら、お前の言うように怖いのかもな。」
口元は笑っているが、本心は誰にも分からない。だが、私を保護して守るつもりがあるのだけは理解できた。私を支えている手は、だた、優しく不器用に支えられている。簡単に私なんて殺すことはできるのだろうから。この兜の下の顔は誰にも分からない。
「あなたも、こわいんだ。」
「人間基準でいうと、人並みにはな。」
その返事があまりにも普通過ぎて、私は思わず、少しだけ目を開いてヴァルドを確認する。
魔族の騎士で、黒く大きい鎧、恐ろしく、人間の畏怖の対象になる人。何人も私たちを殺してきて来た人。
そう思っていた相手が、自分と同じように“怖い”と言ったのだ。
リュシアはまた前を向き、ぽつりと呟く。
「……へんなの」
暗黒騎士は鼻でわずかに笑ったようだった。
「よく言われる」
その時、後方から部下が馬を寄せてくる。
「暗黒騎士様。このまま本陣へ?」 「ああ」 「その子どもは、やはり捕虜として――」
言い終わる前に、暗黒騎士の声音が冷える。
「その子ども、ではない」
「……は?」
「リュシアだ」
部下は一瞬きょとんとしたあと、慌てて頭を下げた。
「し、失礼しました」
リュシアはそれを聞いて、少しだけヴァルトを見上げた。
名前を覚えていた。ちゃんと、ただの拾い物としてではなく。
ヴァルトはは視線を前へ戻したまま言う。
「この子は私の預かりにする。勝手な詮索も手出しも許さん」
「はっ」
部下が後ろに戻り、隊列に加わる。
リュシアは小さく唇を結び、ためらいながら言った。
「わたし、にげないよ」
「賢明な判断だ。」とヴァルトはリュシアをじっと見つめる。
六歳なりの精一杯の本音だった。
暗黒騎士は少し黙ってから、低く返す。
「なら今は、それでいい」
やがて前方に、魔族軍の陣営が見え始める。
黒い旗、並ぶ天幕、焚き火の煙。
リュシアの体がまたわずかに強ばるのを、ヴァルトは腕の中で感じ取った。
「……怖いか」
「うん」
今度の答えは早かった。
暗黒騎士は少しだけ手綱を緩め、騎獣の速度を落とす。
「私のそばを離れるな」
「……うん」
「誰かに何か言われたら、私の名を出せ」
「なまえ……?」
一瞬の沈黙。
暗黒騎士は今まで名乗る必要などほとんどなかった。
皆が勝手に“暗黒騎士ヴァルト”と呼んだからだ。
だが、腕の中の小さな少女にだけは、それでは足りない気がした。
「……ヴァルト」
リュシアが小さく繰り返す。
「ヴァルト……」
「ああ」
「暗黒騎士じゃなくて?」
「それは通り名だ」
「じゃあ、ヴァルト」
その名を幼い声で呼ばれた瞬間、ヴァルトはほんのわずかに目を見開いた。
誰かが、肩書きでも蔑称でもなく、自分の名だけを呼ぶ。それがひどく遠い記憶のように感じられた。
昔に、何もないただのヴァルトだったときに、呼ばれたような。ぼんやりとしたなにか。もう、思い出してもしょうがない。昔の事だ。
「……なんだ」
「おちたら、やだ」
「落とさない」
「ほんと?」
「何度も言わせるな」
リュシアはそこで、ほんの少しだけ、かすかな笑いに近い息を漏らした。
焼けた街のあとに。
敵同士のはずの背中と、小さな命。
その距離はまだ遠く、痛みも疑いも消えてはいない。
それでも、少女は彼の外套を掴んだまま離さず、
暗黒騎士――ヴァルトは、その小さな体を確かに守るように腕を添えたまま、魔族の陣営へ入っていった。




