第20話 シェルピンクの魔女
「何も聞かないの?」
食堂へ向かう途中、黙ってしまったミラを振り返って尋ねた。
食堂へは朝も来た。部屋で食べても良いらしいが、寮のキッチンには、まだ何も揃っていないのだ。
朝来た時は空いていたけれど、今は廊下から混雑している。
「さっきのエルダー先生のこと? 聞きたい気持ちはあるけど、私に聞かせなかったってことは、やっぱり聞いちゃいけないのかなって……私、ルミを困らせたくない」
ミラを見つめた彼女は「ミラは……本当に優しいのね」とぽつりと言った。
「え」
聞き返そうとしたが、ルミが立ち止まった。
ぶつかりそうになって、慌てて止まる。
「というか……ずっと思っていたんだけど、気がつくとミラ、私の後ろを歩いているわよね」
眉を寄せて、顔を覗き込まれる。
「え! ごめんなさい! ずっと付いていくの、さすがに迷惑だったよね……わた」
「ちがう! そうじゃなくて、こうよっ」
ぐいっと腕を引かれる。
ルミの隣に、一歩踏み出す形になる。
「どうして後ろを歩くの? 友だちなんだから、隣を歩くものよ普通」
ね?と、ルミが微笑を浮かべた。
隣で歩きながら、ミラは心の中で、とても喜んでいた。
一面の花畑を見つけた時のような、たっぷりのミルクが入ったカップを覗き込んだ時のようなじんわりとした気持ち。
スカートを履いたウサギがミラの周りでスキップを踏んでいるのに、それをどう表に出したら良いか分からない。
おしゃべりが再開されたのは、注文を終え、席にようやく座った時だった。
食堂は若い魔女たちで騒然としている。
二人は「今日のプレート」を頼んだ。
焼き立ての美味しそうな湯気が出ている丸いパンと、空みたいに真っ青なスープ、サラダ。
ミラの家では出たことのない、鳥の卵のようでそれより少し大きめのミルクホワイトの球体がお皿にのっていた。
試しにスプーンで軽く突いてみる。
感触からして中に何かが入っているようだ。
隣でルミが、くすくすと笑っていた。
「それはね、もう少し力を入れて割ってみると良いわ」
やはり割って食べるものらしい。えい、とスプーンに力を込める。
芳ばしい香り。ひき肉と、ジャガイモ、後は何だろうか。ミルフィーユ状に詰められたその料理は、食べる前から絶対に美味しいものだと、すぐに分かった。
一口、口に入れると濃いめの味がしっかりと付いていて、パンにとてもよく合った。
外側のミルクホワイトの殻も混ぜて食べてみると、シャリシャリとした食感と甘じょっぱさが、更に食欲を倍増させる。
「この辺りの伝統料理よ。私、これ大好きなの」
意外にもルミは、それを両手で割ってから食べていた。
それでも上品さは保たれたままだ。所作が綺麗だなと素直に思う。
真っ青なスープは、「空豆」といって、空まで伸びる木から採れる豆で、作られたものらしかった。
ほんのりと甘くて、後味がすっきりとしている。朝食の時も飲めば良かったとミラは思った。
「ここいい?」
二人の席はカウンター席で、窓の外に何故か海が見える場所だった。ルミが言うにはこれも魔法で、本物の海を映し出しているそうだ。本当にリアルな海だ。魚が跳ね、白い鳥が飛んでいる。初めての景色。
ルミ、ミラ、と座っている席のルミの隣にトゥーリが腰を下ろした。
持っているのはカップだけだ。近くに来ると、やっぱり爽やかな香りがした。
「もちろん」
トゥーリだけかと思ったら、その隣にもう一人、オーロラが座った。トゥーリと対照的に、お盆に沢山のお皿と食べ物がのっている。小柄なのによく食べるようだ。前髪で隠れた顔からは、全く表情が見えない。
オーロラは座るなり、黙々と食べ始めた。
吸い込まれていくようだ。
「トゥーリはそれだけ?」
ルミが尋ねる。
「オーロラの付添。私はお昼は食べない主義」
淡々と無駄無く答える。漆黒の液体をずずっと飲んだ。何となくそれが何なのかは、聞かないでおこうとミラとルミは思った。
「オーロラは食べるのが好きなんだね」
ミラが端から端に向けて、少し大きめの声を出した。
「どれが美味しい?」
「あ、もしかして好き嫌いが無いのかな? 美味しそうに食べるね」
めげずに話しかけてみようと思ったミラだったが、心が折れかけた。右から左である。自己紹介もできなさそうだ。
「ちょっと、オーロラ、一言くらい話しなさい」
ルミが痺れを切らして口を開いた。
「あ、大丈夫だよルミ、食べてる最中だし。話したくないときだってあるもの。ごめんね」
「でも! やっぱり無視は良くないわ。ねえ、オーロラっ」
ルミが少しイライラしてきているのが分かった。
ちらりとトゥーリの方を窺っても彼女は、我関せずという感じで、二人を取り持つ気はないようだった。また、黒い何かをずずっと飲んでいる。
「あ、あの」
ミラがもう一度止めようと、口を開きかけた時だった。
「……うるさい」
小さな声だった。
「……さっきから、うるさい……特にルミ、話しかけないでくれる。わたし、あなたのこと苦手だって、まえ、言ったよね」
ダルそうな、眠そうな声だった。
それでも相手を拒絶する色が、ちゃんと含まれていた。
「……知っているわ、そんなこと。でも、ミラに失礼な態度をとるのは違うと思うの」
心にひびが入ったような声だった。
また空気が重くなる。オーロラは食べる手を一旦止めて、ミラの方を向いた。髪で隠れて、やはり表情はわからない。
「…………ごめん」
綺麗に食べ終えたオーロラは、お盆を持ち立ち上がると、早足で去っていった。トゥーリに声をかけることもしないようだった。
やっとカップを置いたトゥーリは、ふわあっと猫のような欠伸をする。綺麗に切り揃えているボブの横髪を耳にかけた。
「難儀。まあでもひとつだけ」
人差し指をぴょんとあげる。表情を変えず、しれっと話す。
「無視じゃない。あれは考えてるだけ。あんたも分かっていたはず」
一息でそう言うと、手をひらひらとさせて、オーロラが行ってしまった方へ、ゆっくりと歩いていった。
それから何度かミラは、オーロラとの接触を図ったが、行動が全く読めない彼女は中々捕まらなかった。 ようやく見つけて話そうとすると、トゥーリが代わりに話すし、ルミの姿が見えると、オーロラはいつの間にかいなくなってしまう。
せっかく始まった授業も、心ここにあらずという感じだ。