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第31話 帝都上陸。氷の令嬢、社交界の「悪臭」を断罪する

「……臭いですわね。鼻が曲がりそうですわ」


 帝都ヴィクトリア。

 大陸で最も華やかで、最も進歩的だと称されるその街の門を潜った瞬間、私の口から出たのは感嘆ではなく、率直な拒絶だった。


 石畳を飾る馬車の列、空を突く時計塔、そして色とりどりの装束。視覚的には「楽園」かもしれないが、嗅覚的には「地獄」である。

 下水の処理が追いついていない澱んだ空気、馬の排泄物の臭い。そしてそれを誤魔化そうとして塗りたくられた、質の悪い動物性香料ムスクの混ざり合った異臭。


「エルゼ。……不快なら、今すぐ引き返してもいいのだぞ」


 隣で馬を並べるゲルハルト閣下が、不機嫌そうに銀髪を揺らした。

 黒銀の軍服に身を包んだ彼は、帝都の住民たちから見れば「北の戦鬼」そのものだ。彼の放つ圧倒的な威圧感のせいで、周囲の群衆はモーセの十戒のように割れ、誰一人として私たちの進路を妨げようとはしない。


「いいえ、閣下。……ビジネスのチャンスは、常に『不快感』の中に眠っていますの。この悪臭を断罪し、私の香りで塗り替える。……それだけで、金貨が山を成すと思いませんか?」


「……。貴様は相変わらず、転んでもただでは起きん。……だが、俺の側を離れるな。帝都の男どもは、貴様の『価値』を読み違えて寄ってくる害虫ばかりだ」


 ゲルハルトが私の腰を抱き寄せ、自らの馬へと引き寄せようとする。その独占欲は、帝都の重苦しい空気の中でも一切衰える気配がない。……むしろ、周囲の視線を感じるたびに、彼の殺気は研ぎ澄まされているようだ。


 ◇


 その夜。皇帝オーギュスト主催の歓迎夜会が、帝宮「黄金の間」で執り行われた。

 ザイフリート領が帝国の経済的パートナーとなったことを記念する場だが、集まった貴族たちの視線には、明らかな嘲笑と侮蔑が混じっていた。


「まあ、あれが噂の『辺境伯夫人』? 北の田舎で砂を煮ていたという……」

「皇帝陛下も、あのような成金と手を組まれるとは。……品格というものを知らぬお顔ですわね」


 扇の陰で囁かれる毒。

 私はそれをBGMのように聞き流しながら、会場に漂う香りを分析していた。

 ――ジャスミン、アンバー、そして……あ、これは最悪ですわ。


「あら。辺境からのお客様が、私の香りを気になさっているのかしら?」


 声をかけてきたのは、帝都社交界の女王と名高いロゼリア伯爵夫人だった。

 彼女の首元には、帝都で今最も流行しているという『黄金の雫』の香水瓶が揺れている。


「お初にお目にかかります、ロゼリア様。……その香り、非常に『個性的』ですわね」


「ふふ、わかるかしら? これは帝都最高の調香師が、マギウス教国の聖なる花を魔法で定着させた、一瓶で金貨百枚もする代物ですのよ。辺境の石鹸しか知らぬ貴女には、少々刺激が強すぎたかしら?」


 伯爵夫人の取り巻きたちが、一斉にクスクスと笑い声を上げる。

 私は、手にしていたグラスをテーブルに置き、彼女の数センチまで顔を近づけた。


「刺激、というよりは……『危険』ですわ。ロゼリア様、その香水、調合から三ヶ月以上経過しておりますわね?」


「え、ええ……。熟成された方が香りが深まると……」


「それは魔法的な迷信ですわ。……化学的に分析しましょうか。貴方のその香水に含まれる未精製の動物性脂質は、帝都の湿気で既に酸化($oxidation$)を起こしています。……今、貴方の首元から漂っているのは、花の香りではなく、脂肪酸が分解されて生じた『古い油の悪臭』ですわ」


 会場の空気が、一瞬で凍りついた。


「な……っ!? 悪臭ですって!? 失礼な……!」


「失礼なのは、その香りを撒き散らして周囲の鼻腔を汚している貴方の方ですわ。……さらに申し上げれば、その酸化した成分は日光に当たると皮膚炎を引き起こします。……今、貴方の鎖骨のあたりが赤くなっているのは、ドレスのせいではなく、その『ゴミ』のせいですわよ?」


 私は懐から、ザイフリート領の新作香水『氷華アイス・フローラ』の小瓶を取り出した。

 

「アンナ。……皆様に、本当の『浄化』を教えて差し上げて」


 侍女のアンナが霧吹きで一吹き。

 刹那――。

 伯爵夫人が纏っていた重苦しい油の臭いが、一瞬にして消え去った。

 代わりに広がったのは、北の雪原に咲く透明な花を思わせる、背筋が伸びるような冷たくて気高い香り。


「……っ!? なに、この香り……。呼吸が、楽になる?」

「今までの香水が……まるで汚物のように感じるわ……」


 周囲の貴族たちが、うっとりと目を閉じ、私を囲む。

 ロゼリア伯爵夫人は、自身の赤くなった首元を押さえ、羞恥と衝撃で顔を真っ赤にして立ち尽くしていた。


「……陛下、そして皆様。……帝都の美学は、どうやら『数字』と『真実』が足りていないようですわね。……私がここへ来たからには、皆様の帳簿も、その鼻も、すべて正しく書き換えて差し上げますわ」


 私は、ゲルハルト閣下の逞しい腕に手を添え、最高に不敵な微笑みを浮かべた。

 

 辺境の魔女が、帝都に上陸した。

 その事実は、一晩にして帝都の流行を「破壊」し、新たな「支配」の始まりを予感させた。


 だが。

 その熱狂の最中、会場の二階、カーテンの陰から私を冷徹に見つめる一つの眼差しがあった。


「……ふん。面白い娘だ。……だが、その『知恵』が過ぎれば、それは神への背信となる」


 老婆のしわがれた声。

 帝国の実質的な最高権威――皇太后エリザベート。

 彼女の手に握られた古びた聖遺物が、エルゼの存在に反応するように、不気味な鈍い光を放ち始めていた。

第31話、お読みいただきありがとうございました!

ついに帝都へと舞台を移したエルゼ様。

「臭いですわ」の一言から始まる、帝都社交界への容赦ない宣戦布告……。

内政モノの醍醐味である「知識による価値観の破壊」を、まずは嗅覚から攻めてみました!


そして、帝都の軟派な男たちを寄せ付けまいと殺気を放ちまくるゲルハルト閣下。

彼の溺愛(独占欲)は、環境が変わっても絶好調ですわね!


「エルゼ様の正論パンチ、帝都でも健在!」「皇太后様の不穏な影が気になる……」

と思ってくださった方は、ぜひ【下部の☆☆☆☆☆】をポチッと押して評価、または【ブックマーク】をお願いいたします!

皆様の応援が、帝都をザイフリート色に塗り替える魔力となりますわ!


次回、黄金の檻。エルゼ、皇太后からの「毒入り茶会」を化学分析。

老獪な権力者との、女同士の命懸けの商談が始まります。

お楽しみに!

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