第四話 『白い羽根が落ちた』
「っ、だああああ! 聞いてねえぞクソが!!」
下町の入り組んだ地形を利用して、少女を担いだまま全速力で走る。
背負った方が早いのだが、後ろからは銃火器を持った複数の人型の何かが追いかけてきており、少女の背がガラ空きになり危険だと判断した。そのため、いわゆる姫抱きという状態で走っている。
―――わりと、きつい。
軍医に転職してから二年が経つが、まだ運動はしてきた方だ。それなのにこんなにも息が切れているのは、やはり運動不足だからなのか、少女を担いでいるからなのか、それとも、『力』を分け与えたからだろうか。
そんなことを考えながら、この現状に対して大声で文句を言っていると、装着している通信機器から切羽詰まった少年の声がもれる。
『お、落ち着いてくださいコウさん! それともう少し持ちこたえて!』
「お前らと違って現役じゃねえ人間に無茶言ってんじゃねえぞ!」
『コウなら行けるって。そこ左』
「りょう、かい!」
少年とは違う別の声に指示された通り左に曲がり、そのまま走り続ける。
いつまで走って逃げ続ければいいのだろうか。
コウの頭の中はそんなことで埋め尽くされていた。
―――何で、こんなことになってるんだ。
時間は数十分前まで遡る。
◆
「これで全員か?」
住人を移動用の自動四輪に乗せているとスイが呟いた。ハンドガン片手に辺りを警戒しているようで、視線は車の方には寄越さなかった。
スイの問いかけに対して、自動四輪の中で資料を見つめながら住人の人数を数えていたキョースケが「情報が間違ってなかったら」と答える。
ユキは年老いた夫婦やまだ小さな子供に着いており、コウは無心で怪我をしている人の治療を続けていた。
いつ敵がコウ達の方に気付くかわからない以上、移動作業はなるべく早く終わらせなければならなかったし、治療もなるべく簡単なもので済ませる予定だった。情報では若い人間と書かれていたため、テキパキと動くことができるであろうと考えていたのだ。
しかし、実際に現場に到着するとそこで待っていたのは、まだ幼い子供や年老いた人が半数だった。そのため、作業は当初の予定より遅くなっていた。
「あ、あの」
コウが治療を続けていると、治療を受けている少女がコウに声をかけた。
子供に怯えられやすいと自覚しているコウは、なるべく怯えさせないように、優しい声色で少女に問いかける。
「……どうした?」
「あ、あのね、きらきらのお姉ちゃん、けがしてるの」
―――きらきらの、お姉ちゃん?
この場にいる住人の怪我は、簡易的かつ一時的なものだがコウが治療した。だから、目に見えた怪我をしている人物はいない、はずだ。
治療をするのはこの少女が最後で、そもそもこの場には少女がお姉ちゃんと言うような年齢の女性はいない。
ということは。
「……そいつ、ここにいるか?」
「ううん、いないの。さっきはぐれちゃったの」
少女は目に涙を浮かべながらそう答える。
―――嫌な方の予想が、当たった。
自動四輪の窓の部分から身を乗り出す。その場に立っていたキョースケが「吃驚した!」と呟くが、そんなことなど御構い無しにコウはキョースケの持っている資料をその手から奪い取る。何やら文句を言っているような気がするが、それを無視して資料を捲っていって、やはり確信した。
少女の言うお姉ちゃんとやらは情報にはない。記入漏れか、後でここにきた人間か。記入漏れという可能性の方がかなり高いとは思う。虚偽の報告をするくらいなのだから。
キョースケに資料を叩き返し、自動四輪から飛び出す。
「ちょ、コウさん! もう出発っすよ!」
「まだ一人足りねえ。すぐ見つけるから待ってろ!」
「それお前じゃなくて俺らの仕事だから!」
「怪我でもしてたら大変だ―――ろ?」
「コウ!」
コウは引き止めようとして叫ぶユキとキョースケに対して、言葉を返しながら走っていた。もちろん、少し振り向き気味で。前、というより足元を一切見ていない状況だった。
それが幸か不幸か――確実に不幸なのだが――コウの足が、地面の歪みにハマった。
次の瞬間、地面が音を立てて崩れ、コウは下に落ちていく。
キョースケが後を追おうと走ったが、スイに手を取られて下に降りることは叶わなかった。
◆
少女は疲れていた。
先程まで人型の何かに追われていた少女は、足を負傷した上に、ひどく疲れていた。
負傷したから、疲れていたから、安全だと判断した場所で一時的な休息をとっていた。
煌びやかなステンドグラス。
等間隔に並べられた座椅子。
神へ祈りを捧げるための祭壇。
地下にあるということを忘れそうになるくらい、神秘的な雰囲気を纏わせるその場所――元アナスタシア教会は、少女にとって安息の地であった。
教会内だけでなく、地下全体を包む静寂。何やら今日は朝から上が騒がしかった。少女を追いかけてきたものか、それ以外の何かが行動しているらしい。
どうにか、どうにかこの状況を打開して、他の住人と合流しなければ――そう考えていたのも束の間、教会の外から大きな音が聞こえてきた。何かが崩れたかのような、大きな音が。
先程の奴らが来たのかと警戒しながら、少女は外に通じる扉から離れ、祭壇の方から扉を睨みつける。
しかし、いくら待っても誰かが入ってくる様子はなく、歩く音すらも聞こえない。そのことが気になって、扉に手をかける。警戒を解くことはない。
キィ、と軋む音を鳴らしながら扉は開かれる。開かれた扉から、清浄な空気しかなかったその場所へ砂埃や土煙が侵入し、混ざり合う。
少女が小さく咳き込みながら外へと出れば、何もなかったはずのそこに、瓦礫の山が出来上がっていた。
瓦礫が元あったであろう上を見れば、僅かな光が差し込んでいた。光に照らされて砂埃がきらきらと宙を舞う様子が見れた。
不意に、裾を引っ張られたような感覚がしてそちらを向く。そこにはもちろん、誰もいない――と、思っていた。
少し離れた場所に、見覚えのない少女が立っていた。感情のない瞳でこちらを見据えて、瓦礫の方を指差して。声をかけようとすると、瓦礫の向こうへと走っていく。気になって追いかけてみたものの、少女はいなかった。少女"は"、いなかった。
「男の、人?」
積み上がった瓦礫のすぐ傍で、一人の男が倒れていた。
年齢は十代後半から二十代前半くらいだろうか。少女より年上だろうということは何となくわかるらしい。真っさらだったのだろう白衣は土や砂で汚れていた。
赤みを帯びた、猫みたいな癖っ毛の茶髪や随分と白い顔にも小さな瓦礫がついている。手で払い除けてやると、固く閉じられていた瞼が震えた。
うっすらと、ゆっくりと、瞼が上がる。まだ意識は朦朧としているのだろう。焦点の合わない目で少女の方を見ていた。そして、少女の姿を捉えたかと思うと、小さく、か細く、何かを呟く。
何と言ったのかは、わからない。けれど、彼の赤い瞳を見て、少女は思った。
―――私の探していた人は、この人かもしれない、と。




