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序の続きです。

A本編の始まりは、ここからになります。


1:『それは、気だるい昼休み』


「せぇええっんせぇえええっっ――!!!」


(――?!)

 突如、小さな野獣の咆哮が、昼下がりの校舎に響き渡った。


 それを耳にした瞬間――俺は背にしていた落下防止の金網から驚異の瞬発力で飛び退き、緊張の色を濃くした瞳で周囲を警戒した――――。



 ……残暑厳しい日差しのなかにも、時折、涼やか風で下界の息苦しい空気を押し流してくれる場所――そこは、屋上と呼ばれている。

 本来ならば、誰の立ち入りも許されていないその場所で俺――水上みなかみ すうは、静寂と安寧だけを友に優雅な昼食タイムを満喫していた。

 それを――『特定の誰か』に見られたのではないかと恐れながら、ゆっくりと……体制を低くして――声の聞こえた方向を、のぞいてみた。


『先生ぇっ! どこぉ~っ?』


 三年生の教室の並ぶ四階廊下を、大声で叫びながら歩く女生徒が見えた。

「……あいつか…」

 はぁ…と、疲れたため息を吐く。


『せんせぇ…どこにいんだよぅ……』


 ほぼ同じタイミングで、女生徒も疲れたため息をもらす――が、あちらは肉体疲れで、こっちは精神的なもの。

「…………」

 もう少しくらい、このまま安穏とした空気を味わっていてもバチは当たらないだろう――そう判断して無視を決め込もうとしたとき、


『――てか、マジ……どこ居んだよ……』


 イラツキが混じり始めた声に、何やら嫌な予感がする。

 詳しい経緯は省くが、現在、『ヤツ』が三年生の教室近くにいる――というだけでもかなり危険な状態なのだ。これでもし、特定の上級生と接触するようなことにでもなれば……


『……お? センパイじゃねぇか?』


――て、思ってるそばから?!


『ぁあ? ……あっ――お、お前はっ!?』

『うぃ~っす、先輩。怪我はもう治ったのか?』

『おい!! 来てみろよ! あのチビが居んぞっ!』


 …………はぁ。

誰か俺に、安息の一時を……



 広げていた弁当を急いで片付け、足早に四階まで降りていくと――そこはもう、殺伐とした空気をそこら中に撒き散らしている、迷惑この上ない戦場と化していた。

「オイこら。どチビ」

 妙に柄の悪い…というか、本当に高校生か(?)というような女が、一人の見知った女生徒に絡んでいる。

 『ドチビ』と言われたことに、多少なりともムッとしているようだが、女生徒はそれを隠すように不敵に笑った。

「へっへっへ……せんぱぁい? 動物だって絡んじゃいけない相手が分かるってのに、先輩には分からないんスかぁ?」

じろじろ上級生の腕を見て、

「今度は繋げられないくらいにしましょうかぁ?」

「――な!?」

 思わず右腕を庇うように抱いた上級生は、じりじりと後ろに下がる。

 そして、入れ替わるようにして別の女生徒が前に出てきた。

「オイコラ!りん姉さんにたてついてんじゃねぇよ!!」

 こっちはまた恰幅がいいというか……小デブと言うか……

 そんなことを考えていると、小柄なほうの女生徒が小さく首を傾げ、

「『タテツク』ってどういう意味?」

 …………

「………あ?」

「……んぁ?」

 ……は?

 睨みつけていた恰幅の良い方と後ろに下がっていた女生徒……ついでに俺も、いきなりの少女の言葉に思考が停止した。

「……あ――っと…さ、逆らうなって事だよ!!」

 なんとか気勢を取り戻そうとしたカップク(愛称決定)が、焦ったように答える。

 するとチビ(めんどくさいので)が、さっきと同じ笑みを浮かべた。

「『当たらずとも遠からず』ってやつかな? 正確に言うと、


【楯突く】――目上の者に対して素直に従わずに反抗する


――ていう意味だっ」

「あ――、え? そ、そうか……」

 カップクは、何かよく分からないままに頷き返し……

「――て、そうじゃねぇだろっ!!」

いきなりキレて右腕を振り上げた。

 瞬間――チビの姿が消えた。

 実際は、カップクの恰幅腹の下に潜り込んだのだろう――が、上級生二人組の背後に立っていた俺の位置からでは死角になって見えない。

 故に、その時俺が視認できたのは――


一瞬、何故かバランスを崩したカップクが、右腕を振り抜き――そのまま側宙する姿。


……後は、こちら側に突き出された小振りな尻――を包み込んでいるものが、眩しいほどに純白を主張していることくらいだった――。


 ……俺は、一抹の寂しさを感じながら、ポツンと雲の浮かんだ青空を見上げる。

「……白…か。アイツは柄物派だと思ってたんだがな……」

 争いというものは、いつも、虚しい現実を叩きつけてくる。

「………んな感想はいらねぇ」

 いつのまにか女生徒(チビ)が、目の前に立っていた。

「ぅお!?」

「……そんなに驚かれても困るんだけど」

 俺にシロイ目を向けていた女生徒はそう言って、小さくため息を吐いた。


 そろそろ紹介しておこう。

箱石はこいし かなめ』一年F組の問題児。元気が有り余っているのか、とにかく騒がしく、『お騒がせ』な奴だ。

ちなみに俺のクラスの生徒でもある。

「で、なにやってたんだ?」

「何って……先生を探してたんじゃん」

「俺を? なんでまた」

「部活入んのに先生の判子がいんだよ」

 そう言って要が取り出したのは、先日渡した『仮入部届け』と書かれたプリントだった。

「……ああ、そういえばそういうのもあったな」

 すっかり忘れていた俺は、頭を掻きながら要からプリントを受け取った。

「だいたい……つい三日前に渡されて、『三日後までには出せよ~。それ以降はメンドイから受け取らん。』なんて、無茶苦茶だって」

 非難めいた口調と視線に、ただただ焦りながら、

「あ、ああ……そんな事を言ったような気も――するような気も……」

「……カナリ大変だったんだぜ~? 三日以内に全部活を見学しまくって、どこにするのか決めんのって。もう……マジ……めんどくせぇ……」

 軽く俺の足を蹴りながら、要はぶつぶつ文句を言い始める。

「適当で良いって言っただろ?どうせ仮入部なんだし……」

「うっせぇ。仮入部たって……入部しちまったら、そこに一年間顔出さなくちゃなんねぇんだろ? それなのに、変なとこ入っちまったら……一年も欝に過ごさないといけないじゃん。……あと半年しかないけど」

「……お前、変なトコ真面目だよな」

「……うっせぇ」

 ゲスゲス……

……どうやらだんだんと強くなる仕組みらしい蹴りに、若干軸足が鈍い痛みを感じ始めている。

 俺はこれ以上余計なことを言わないことに決め、彼女の態度に似合わない――丁寧に三つ折りでたたまれた仮入部届けを広げてみた。

「…………」

 そこには――これも、性格に似合わない――綺麗な書体で書かれた硬筆文字。


『書道部』


……俺が顧問をしている部活だった。


「……お前は、俺をノイローゼにする気なのか?」

「…………」

 何も言わずにひたすら蹴り続ける要。つか、マジで痛いって。

「ふぅ―…ま、別に良いけどな」

 なくなくため息と共に承諾すると、

「当然!」

要はへっへっへと嬉しそうに笑い、蹴るのをやめた。

(……この無邪気な笑顔を見ていると、そんなに問題を起こしそうな奴に見えないんだけど……な)

 思わず苦笑を浮かべ、執拗な攻撃に感覚がなくなりつつある足を引きずるように方向を変えると、

「んじゃ、職員室行くからついて来いっ」

「ういっス!!」

元気いっぱいに要が答えた。


……そういえば、三年生二人組はどこに行ったんだ?



「判子判子っと……」

 職員室に戻ってくると、早速判子を探しにかかる…のだが、

「……どこだ?」

 最近持ち出したかな?

 むむむ…と考えてみるが、なかなか思い出せない。ま、簡単に思い出せていたら、いちいち自分の机なんか探していないのだが。

「うわ、きったねぇ」

「………」

 横から覗き込んでいた要が、本当に嫌そうに顔をしかめた。

「整理ぐらいしとけよ。大人だろ?」

「……大人でも散らかすもんなの」

「それにしたって……これじゃ机が使えないじゃん」

 確かに要の言うとおり、俺の机には古くなった教本や資料が散乱し、ノートパソコンまでもがど真ん中に陣取っているため、机の上で何かしようと思っても出来そうにない。

「……いいんだよ、茶ぐらいは飲めるんだから。それに俺は書道部顧問だから『学習室』という個室もある。なんか仕事があるときはそっちでやればいい」

「おいおい、部室を私物化してんのかよ」

 『学習室』というのは多目的教室とも言い、教室内では出来ないこと(例えば機械を使った工作。多数のコンセントや、大型の机が設置されている)や、多人数の班に分かれての授業等に使われている部屋だ。

教室三つ分という広大な広さがあり、内二つを『工作室』。区切った一部屋を、畳敷の『和室』と呼称している。

書道部はこの『和室』を使って活動していて、顧問である自分が教室の責任者として管理している。

「ばれたらまずいんじゃねぇの?」

「ばれなきゃオッケーだっ」

「もうばれましたが……?」

 ――!?

突然会話に入ってきた声に、思わず肩が跳ね上がった。

……恐る恐る背後を振り返ってみると――そこには、一人の女性が立っていた。

「や、やあ須藤すどう先生…………いつから?」

引きつった笑顔を振りまきながら話し掛けると、

「さきほどから。正確に言いますと、『大人でも…』と、水上先生が仰られていたあたりからですわ」

と、眼鏡の端をくいっと押さえながら答えてくれた。

 す、須藤先生? 何故かあなたの眼差しが、若干痛いのですが……?

「い、いやぁ、まぁ……声ぐらいかけてくれても良いんじゃないですか?」

「かけようか――とも思いましたが、箱石さんが私に素敵な微笑をくださいましたので」

 視線をチビに移動。

「……箱石?」

「うん☆気付いてたよ♪」

 可愛らしくにっこり素敵な笑顔を振りまいて下さる要さん。

「そうか……新手の教師虐待だな……」

「愛の鞭と言ってくれてもイインダヨ、せんせ?」

 ニコッ☆

「却下だ」

「……本当に、先生がたは仲がおよろしいのですね」

 クイッ クイッ

「仲が良いように見えるんですか? ていうより……須藤先生も箱石も、その喋り方で俺をこれ以上追い詰めないでくれ……」

もう悲しくて、涙が出そうになる。

「……そうですか?」

「つまんねぇ……」

 いつものニコニコ笑顔に戻った須藤先生と、見るからにキャラが変わってしまった箱石をため息とともに見つめ、

(お前等は二重人格者か)

と、聞かれないくらいの小声で愚痴ることしか出来なかった。

 ここで須藤先生を紹介しておくと、

須藤すどう 美和みわ』一年B組担任の先生二年生だ。

 性格は明るく、裏表のない…と思われていたが、やっぱり人間色々あるんだとしみじみと思う。歳は二十四歳で、ちなみに俺は今年で三十一だ。もう、おっさんだよな…はは……

「あの――それで話は変わりますけど……水上先生はいったい何を探していたんですか?」

 もともと糸目である彼女は、困ったような顔をしていても、全然そういうふうには見えない。

「もうすぐ次の授業が始まりますけど?」

と言いつつも、自分の机に落ち着く彼女の姿を見ては……尚更、危機感を抱くはずもなく。

「ちょっとこいつの

 「こいつ言うな!」

 うるさい。

箱石の入部届けを出さなくちゃいけないんで、判子を探してるんですけど……」

「判子? ……それって、これじゃないですか?」

 そう言って差し出された須藤先生の右手には、青い判子ケースに入った……

「あ、俺の判子」

「せんせ、パチった?」

「――箱石さん?」

 クイッ

「……ごめんなさい」

 …………

「で、どこにあったんですか?」

「……何を言ってるんですかぁ」

 はぁ…とため息を吐いて判子ケースを俺の手に乗せ、

「つい昨日、私のところに判子を置いていったじゃないですか。『ホイ』とか言って」

 ……昨日?

「……ああ、そういえば。先生とこのクラスの生徒が、書道部に入りたいとか言って……俺が先生に判子を渡したんでしたよね?」

「そうそう」

「どうもすいません。あの時は急いでたもんで、判子押す暇なかったんですよ」

「それくらい押してくださいよ」

「いやぁ……」


「……………で、いつまで手ぇ繋いでるわけ?」


 ぅがっ!?

 いきなり、背中をナイフで刺されたような――そんな幻痛を感じて、今日何度目かの負担が心臓にかかる。

 須藤先生は物凄いスピードで手を離していた。

 え……そこまで嫌っすか?

「……いきなり驚かすなよ。俺が今日一日でどれだけ驚いてると思ってるんだ? その内『驚愕死』なんて蚤の心臓扱いの嫌な死因を作ってしまう勢いだぞ?」

「ワタクシは、ずっと、ここに、居りましたがっ? それとも……居りませんほうが、よろしゅうございましたかぁ――?!」

「…………ごめんなさい」

今度は要の冷たい視線が突き刺さってきて、思わず謝ってしまった。

 そうさ…みんな俺が悪いのさ……俺の弱さが……ううぅ……


 キーンコーンカーンコーン――


「や、やば!?先生授業!」

「あ、まずい!?そ、それじゃ急ぎましょう、須藤先生!」

 要に腕を捕まれて、俺は急ぎ支度しながら須藤先生に声をかけた。

すると、

「え? 私は次、授業ありませんよ?」

「…………」

ああ、それで困っているようには見えなかったのか……。

 いまさら気付いても後の祭りというやつで、支度を終えた俺は、要に引き摺られるように職員室を飛び出していった。



「あ――……水上先生、入部届け忘れてる」

 そんな須藤先生の言葉も届かなかった。


 *§*


「あーい、お疲れさーん」

 俺が声をかけると、とたんに教室が喧騒に包まれる。

 やっと迎えた放課後をどうやって過ごそうかと話し合う生徒達を眺めながら、俺は頭の中を部活の事に切り替えた。

(どうすっかな…そろそろ墨でも磨らせるか………)

 今まで部活では、市販の墨汁をそのまま使っていたのだが……それだと人によっては薄すぎたり、粘り気が足らなかったりする場合がある。そのため、ある程度自分が使い易い濃度、粘性を持った墨を作るのも書道には大事なことだと考える。それに精神を落ち着かせる意味もあるし。

「……よし」

 部活の予定が決まると、後は職員室に顔を出して部室に向かうだけだ。

 俺は自分の道具に墨がまだ残っていたかどうか思い出そうとしながら、職員室へと向かった。


 そろそろこの学校についても話しておかなくてはいけない。


 ここは『私立皇丞女学院』三十年くらい前にできたらしい。

 女学院というのだから、この学校には女生徒しかいない。男性教師も、俺を含めて三人のみ。俺と校長(学院長?)と教頭だけ。しかし、実質教師と言えるのは俺だけだった。

 そんな中で多少もてるのは役得というか……多少しかもてないことに少し傷ついてしまうような。

 とにかく、かしましい教え子達に振り回される毎日に、一日一日を充実して過ごしながら、最近特に増えてきた白髪が気になるそんな日々だった。



 あの女生徒が来るまでは…………

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