プロローグ
読んでいただきありがとうございます。
こちらの作品は異世界とミステリーを混ぜた作品となっています。
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——深夜零時。
王都アルヴェリア。
昼間の賑わいが嘘のように静まり返った街に、けたたましい馬の嘶きが響き渡った。
石畳を蹴りつける蹄の音。
車輪が激しく軋み、街灯の明かりが次々と後方へ流れていく。
一台の馬車が、夜の王都を猛然と駆け抜けていた。
その速度は尋常ではない。
曲がり角に差しかかるたびに車体が大きく傾き、今にも横転しそうになりながらも、馬車は一向に速度を落とそうとはしなかった。
「もっと速度を上げろ!」
馬車の中から男の怒号が響く。
「し、しかし団長! これ以上は馬が持ちません!」
「構わん! 今は一刻を争う!」
御者の訴えを一蹴したのは、王国近衛騎士団の副団長だった。
銀色の甲冑を身に纏い、腰には長剣を携えている。
その表情には、歴戦の騎士らしい冷静さが残っていた。
しかし、額にはわずかな汗が滲んでいた。
馬車の中には彼のほかに、数名の近衛騎士が乗り込んでいる。
そして、その中央には一人の少女が座っていた。
四宮響子。
この世界とは異なる場所から召喚された、勇者の一人である。
「……本当に、間に合うんですか?」
響子が不安げに尋ねた。
団長は窓の外へ視線を向けたまま答える。
「分からん」
「そんな……」
「だが、我々にできることは何が何でも急ぐことだけだ」
響子は唇を噛んだ。
窓の外では、暗闇に包まれた建物が次々と通り過ぎていく。
普段なら美しいと思える王都の街並み。
しかし今夜ばかりは、その景色を楽しむ余裕などなかった。
「……どうして」
響子は小さく呟いた。
「どうして、こんなことになっちゃったんだろう……」
誰も答えなかった。
ただ、馬車の車輪が石畳を叩く音だけが響いていた。
「団長!」
窓の外を監視していた騎士が声を上げた。
「前方の大通りに人影が!」
「何だと?」
「一人です! こちらの進路を塞いでいます!」
副団長は身を乗り出し、前方を睨みつけた。
遠くの街灯の下。
確かに一人の人影が見えた。
それを確認した瞬間、副団長の表情が険しくなった。
「……まさか」
「知っている人ですか?」
響子の問いに、団長は答えなかった。
代わりに腰の剣へ手を伸ばす。
「全員、警戒しろ」
その一言で、馬車の中の空気が変わった。
騎士たちが一斉に武器を構える。
響子は息を呑んだ。
馬車は速度を落とさない。
前方の人影も、動かない。
「団長! このままでは!」
「分かっている!」
団長が叫ぶ。
「全員、衝撃に備えろ!」
次の瞬間。
暗闇の中で、何かが光った。
◇
同時刻。
王都の裏路地。
荒々しい足音が、静寂を切り裂いていた。
「はぁ……っ! はぁ……っ!」
一人の男が走っていた。
黒い外套を翻し、狭い路地を全力で駆け抜けていく。
服部宗平。
探偵を名乗るその男は、今まさに何かを追っていた。
「くそっ……!」
額から汗が滴り落ちる。
呼吸は荒く、肺が焼けるように痛む。
それでも足を止める気配はない。
路地を曲がる。
木箱を飛び越える。
目の前に現れた荷車を避け、壁に手をつきながら無理やり身体の向きを変える。
普段の彼を知る者なら、きっと目を疑ったことだろう。
常に冷静。
どんな状況でも取り乱さず、皮肉めいた笑みを浮かべる男。
そんな宗平が、今はなりふり構わず走っていた。
「……まだだ」
宗平は息を吐きながら呟いた。
「まだ、終わっていない……!」
前方に人影が見えた。
黒い外套を纏った何者かが、路地の奥へと駆け込んでいく。
宗平は目を細めた。
「見つけた……!」
さらに速度を上げる。
だが、相手もこちらの存在に気づいたのか、突然進路を変えた。
右へ。
そして左へ。
入り組んだ路地を迷うことなく走り抜けていく。
宗平も後を追った。
やがて、二人の距離が少しずつ縮まっていく。
「待て!」
宗平が叫んだ。
しかし、人影は振り返らない。
そのとき、宗平はあることに気づいた。
追っている人物は、先ほどから一度も足を止めていない。
道を確認する素振りすら見せない。
まるで、最初から逃走経路を知っているかのようだった。
「……なるほど」
宗平の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「そういうことか……」
走りながら周囲の建物を見渡す。
左手には古い時計塔。
右手には使われなくなった礼拝堂。
そして正面には、王都の中心部へと続く大通りがある。
宗平は一瞬だけ足を緩めた。
何かがおかしい。
相手は逃げている。
しかし、本当に逃げようとしている人間が、これほど分かりやすい道を選ぶだろうか。
「……ふっ」
小さな笑い声が漏れた。
「ははっ……!」
呼吸が乱れているにもかかわらず、男は笑っていた。
「そうか……そうだったのか!」
宗平の目が見開かれる。
「実に面白い……!」
追われている人間が、追う人間を誘導している。
それが意味するものは、一つしかない。
「僕を連れていきたい場所があるわけだ」
宗平は再び地面を蹴った。
黒い外套が夜風に翻る。
「いいだろう……!」
息を切らしながらも、口元には笑みが浮かんでいた。
「付き合ってやろうじゃないか!」
前方の人影が、時計塔の脇にある細い路地へと消えた。
宗平も迷わず後を追う。
しかし、路地へ飛び込んだ瞬間。
彼の足が止まった。
「…………」
そこには誰もいなかった。
行き止まり。
左右には高い石壁がそびえ立ち、正面には古びた建物の壁がある。
人が通れるような隙間は見当たらない。
宗平はゆっくりと周囲を見渡した。
「……おや?」
確かに、ここへ入ったはずだった。
相手が路地へ曲がる瞬間を、この目で見ている。
それなのに、姿がない。
宗平は壁に手を当てた。
次に地面を見た。
そして、足元に落ちている小さな金属片を拾い上げた。
「これは……」
街灯の光にかざす。
それは、何かの紋章が刻まれた銀色の留め具だった。
宗平の目が細くなる。
「……なるほど」
しばらくの沈黙。
そして。
「ふっ……」
男は笑った。
「ふふっ……はははっ!」
誰もいない路地に、乾いた笑い声が響く。
「いやあ……素晴らしい!」
宗平は額に手を当てた。
「まさか、ここまで用意しているとはね……!」
先ほどまでの疲労など、すっかり忘れているようだった。
その瞳には、異様な光が宿っていた。
「しかし……」
宗平はゆっくりと顔を上げた。
正面の壁を見つめる。
「一つだけ、君は間違えた」
その声は、驚くほど穏やかだった。
「僕をここへ誘い込んだことじゃない」
一歩、前へ進む。
「逃げ道を用意したことでもない」
さらに一歩。
「君が犯した間違いは……」
宗平の口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「僕に、考える時間を与えてしまったことだよ」
そのとき。
遠くから、けたたましい鐘の音が響き渡った。
王都の時計塔が、深夜零時を告げていた。
宗平はその音に耳を傾ける。
そして、静かに笑った。
「さて……」
手の中の銀色の留め具を握り締める。
「君は一体、何を隠しているんだい?」
誰も答えない。
ただ、夜風だけが狭い路地を吹き抜けていった。
宗平はゆっくりと歩き出した。
その表情には、もはや焦りなどなかった。
残されていたのは、底知れぬ好奇心。
そして、真実を暴こうとする異常なまでの執念だった。
——この世界には、魔法がある。
勇者がいる。
そして、魔王がいる。
しかし、どれほど不思議な力が存在しようとも、人間の欲望だけは変わらない。
人は嘘をつき、他人を欺き、ときには自らの目的のために命さえ奪う。
そんな世界で、ただ一人。
真実を追い求める男がいた。
正義のためでも、誰かを救うためでもない。
ただ、知りたい。
それだけの理由で、彼は今日も犯罪者たちを追い続ける。
——これは、異世界に召喚された一人の少女と、正義とは程遠い一人の探偵が織りなす、数々の犯罪の物語である。




