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これは侵食されていく話。  作者: 柳瀬あさと


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8、これは侵食されていく話。



 そこで終わっておけばよかったのにね。ああ、可哀想に。

 真実なんて知らなくたって生きていけたのに。











 私達は口を噤んでとぼとぼと玄関へ向かい帰路につく。口を噤む事こそが事件を終端へと導くと願って。

 クラスメイト達が校門へと向かう。澪もそれに続く。私もそれに続くつもりが、燻る気持ちが足を動かすのを邪魔していた。

 何もかも受け入れて、対策もして、それでもどうしても、どうしても納得しきれない事があった。


「どうしたの?」


 背後からかけられた声に私は俯きながら言う。


「……一つだけ、ちょっと」

「何?」


 さっきすべては偶然だったのだと語った友人は、私の横に来て尋ねた。


「筋は通ってたよ? でもさっきのって、結局、怪異が本当にあるならって話でしょ」

「……そうだね」

「そこがしっくりこないというか上手く呑み込めないというか……だって、全部なんかこう……私にはわかんないけど、もっとちゃんと調べればそれこそ科学的に説明できる何かかもしれないでしょ? 最新の科学技術とか……わかんないけど、だってさぁ! やっぱり普通、怪異があるなんて認められなくない?!」


 だって私は何の被害も受けてない。つまり、何の怪異にも遭遇していない。違和感があっても、空気がおかしくても、被害を受けていないどころか不可思議な現象にさえ出くわしてもいない。だからこそ疑って調べたのだ。大人が諦めても、賢い人たちが飲み込んでも、それでもまだ、怪異ではなくもっと生々しくて嫌な、例えば組織ぐるみの犯罪とか洗脳とか、そういう恐ろしさの方が可能性が残っている気がして。


「……そうだね」


 同意の声に心が支えられ、私は顔をあげて友人の方を向く。


「もう一度考え直した方がいいよね?! 今更かもだけど、でも……!」

「そうだねぇ、今更だねぇ」


 自分の仲間かと思った友人の梯子外しに、グッと喉が詰まりそうになる。わかっているのだ、もう皆疲れ切っていた。一応の納得を得た皆が納得しきれないという一人の為にもう一度すべてを洗い直すなんて労力を費やしたくないだろう。


「……やっぱり? 皆もう、この事について考えたくないか……」

「そうじゃなくて、もう存在は固定されたから」

「……は?」


 言われた意味が分からなくて友人の顔を見れば、何処か嬉しそうに笑っていた。


「もう存在は固定されたの。怪異は正しく説明され名前を付けられるとその世界に固定される。今更否定をしても一度名付けられた名前はそうそう消えない。恐怖と共に紐づけされているのなら猶更。否定をぶつけるたびに反証として強く強く縛り付けられる。もう遅いの。何をしても『電子くだん』も『笑顔クローン』も『からだ一匁』もこの世から消えることは無い」


 嬉しそうに嬉しそうに、笑いながら言った。


「…………え?」

「消えるとしたら本当に沈黙のみだよ。知っている人間が他の誰にも一切漏らさず伝えず明かさず死に絶えれば三つの怪異もこの世から消える。誰も名前を知らないという事で、怪異は変わらずここにいても『電子くだん』『笑顔クローン』『からだ一匁』だとは気づけない、だから『電子くだん』『笑顔クローン』『からだ一匁』は消える。今から目指せるとしたらこれかなぁ」

「……何……何言って……え? やだ、なんか……だからさ、その、怪異があるっていうのが……あの……」


 今までと変わらない様子で説明をする友人に戸惑いながら、じわじわと何かが足元から這いずり上がる。

 どうして友人は怪異を当たり前のものとして話しているのだろう。

 私と同じ立場だと思ったのに。どれだけ違和感を感じても、飲み込むしかなくても、それでも怪異なんて本当は存在しないのだと。

 だけどそうだ、怪異はあるものとして説明を始めたのは、間違いなくこの友人だ。

 友人は、いつからこんな。

 …………いつから?



 いつから私は、この人を友人だと思っていたのだろう。そんな記憶なんて、無いのに。



「すごい、気付けたんだね」


 友人は、違う、知らない人物が私の方を向く。見慣れた筈のその顔がわからなかった。そこに顔があるという事はわかるのに、どんな目か、どんな鼻か、どんな口か、そういうパーツと配置が何もわからない。それなのに、楽しそうな気配だけが伝わってくる。


「始まりはね、『電子くだん』じゃないの。偶然にも正しく怪異を説明してしまって、怪異を固定した事じゃないの。だっておかしいでしょう? 死んだあの子は怪談をしてたの。わかる? ブームって、はじめは誰にも気づかれないよね。怪談ブームはあの子が死んだ後じゃない。死ぬより前にもう始まってたの。だってねぇ、普通の高校でホラー好きでもない普通の女子高生がわざわざ怪談なんてする?」

「それ、は……」

「私が、怪談を促してたの。もっと言うと、怪異達が正しく説明されやすいように、固定されやすいようにしてたの」

「…………え……?」


 目の前の人が、いや、人ではない何かが、うっそりと微笑む。顔もわからないのに、そんな事だけは伝わってくる。



「始まりは私。陳列された話の中に潜む怪異」



 微笑んで、自己紹介をした。


「私はね、『私と目が合い手に取り読み進めるとそこを起点に怪異を増殖させていく』、そういう怪異なの。誰かが私をそう説明して固定し、私をたくさんの物語の中に陳列して、そうして別の誰かが私と目が合い手に取り読み進めた」


 人ではない何かが、怪異が、真相を話し始める。喉が震える。困惑と這い上がってくる恐怖で音を出せない。


「それが始まり」


 見つめられる。じっと、私の目を見て……私を、見てる? 私を?


「本当にありがとう、『あなた』が『私』と目を合わせてくれて読んでくれたから、私は『ここ』に怪異を増やすことが出来たの」


 私を見てるのに、私じゃない誰かを見つめてるような、不思議な目。


「? 何を、言って……?」


 困惑も恐怖も乗り越えて疑問が口をついて出る。それを合図にしたように、怪異はクスクスと声に出して笑い始めて不思議な目を閉じた。


「ああ、わからなくていいの。あなたに言ってるわけじゃないから。でもそうね、あなたがこんな状況になってるのは、全部ぜーんぶ、『誰か』のせいなのよ」


 怪異の笑い声とその発言が何もわからなくて、わからないという事が恐ろしくて、体が勝手にぶるりと震えた。

 何を言っているかわからない。理解できない。だけどきっと、本当のことを言っている。


「……知ってる? あなたたち人間が生存本能を持っている様に、私たち怪異は消滅本能を抱えてるの」


 私を見定めるように見つめながら、怪異が語り始める。


「怪異は説明されたい。怪異は固定されたい。怪異は自身が収まる器と名前があれば、いつだって現実世界に侵食できる侵食したい。そうして現実世界に出てくれば、そうしたら」


 怪異が笑う。軽やかに、嬉しそうに、楽しそうに。


「きっと誰かが祓ってくれるでしょう?」


 私には理解できない理屈を言って。


「は、祓われるために……?」

「そう。これは迂遠な自殺行為。だってしょうがないじゃない。私達はそうあれかしと定められた現象に過ぎない。その範囲内の行動しか出来ない」


 消滅本能。それゆえの自殺行為。

 そう言われても理解できない。理屈としては通っているのかもしれない。けれど、今この瞬間にそんな事を言われても、何も。

 だけど一つ、確かな事はわかった。


「そのために、学校中を、滅茶苦茶にしたの……?」


 こいつだ。

 こいつが犯人だったんだ。

 学校中、生徒も教師も被害にあって怖がって、おかしな状況になってるのに何もできない。そんな恐怖の場所に作り上げたのは、こいつだったんだ。


「私は別にね、大した事はしてないよ」


 怪異はおどけたような、苦笑に近い気配を出す。人間のようなその表情に、どうしても相容れない違和感が付きまとう。


「私に出来るのはちょっとした怪談話の種をばらまくだけ。トイレの怪異、電話の怪異、絵画の怪異、階段の怪異、グラウンドの怪異、屋上の怪異、心の怪異、そんなものがあるらしいって頭に埋め込むだけ。そして皆が怪談をしたくなるように意識誘導するだけ」


 例えばいつかの放課後の教室、四人の子が怪談をしようとしてたから五つ目の椅子を用意して混ざろうとしたり。例えば別の放課後の階段、怪異の話をしたそうな子の隣に行って話すよう促したり。例えば生徒があまり入らない職員室、そこのホワイトボードにキーワードを書きこんだり。そんな風に、何処かに紛れ込んで、そっと背中を押して、誰もかれもが怪談を話すように仕向けて。


「そうするとね、みーんな、勝手に考えてくれるの。トイレにオバケがいるならきっとこんなのだろう、階段で不思議な事があるならきっとこんなのだろうって。皆みんな、怪談をしたくなった人たちはみーんな、自分で考えて予測して怪談を作り出していたの」


 一人でも多くの人に、一つでも多くの怪談を。そうして試行回数を増やしに増やして、怪異を正しく説明出来る人間が出てくるのを待った。

 ほとんどはただの怪談で終わる。当たり前だ、そうそう見た事も聞いた事もない怪異を正しく説明なんて出来ない。

 だから沢山怪談話がされるようにして、沢山沢山、話をさせるようにして、そしてとうとう――。


「ようやく何人かが、偶然正しく怪異を説明してくれたの。嬉しかったぁ」


 そうして固定されたのが『電子くだん』と『笑顔クローン』と『からだ一匁』。今もあと少しで固定しそうな怪異も幾つかあるのだと、それはそれは嬉しそうにそう告げる。

 つまりこれからもずっと、祓われるその時まで、怪異は侵食し増殖していくのだ。


「私達を、どうするの……?」


 じり、と後ずさりする。そんな私を気にした様子もなく、怪異は笑顔で私に近づく。


「どうもしないけど? 私はただ怪異が溢れるように種をばらまくだけ。促すだけ。背中を押すだけ。さっきも言った通り、皆このままでいいの。このまま普通に学校に通って、学校生活を送って、それで卒業すればいい。その過程で怪異を固定してくれればいい」

「そうして、私達に、酷い目にあえって……?!」

「そうだね、皆がとびきり酷い目に合えば、きっとまた解決してくれる人が、今度は固定された怪異に飲み込まれない、真実祓える力を持った人が乗り込んできてくれると思うから」

「あんた達の為の、道具になれって、その為なら、し、死んでもいいって、言ってるの……ッ?!」

「そうだよ」

「ふざけんな!!」


 背中に下駄箱がぶつかる。もう下がれない。それなのに怪異は近づいてくる。その状況で湧き出たのは確かに怒りだった。


「ふざけてなんかいないよ。至極まじめだよ」

「あんた達なんか……ッ! あんた達なんか! さっさと祓われろよ!! 探してやる! 本当に祓える人間を、絶対に探してやるから!!」

「ああ、それはとても素敵ね」


 恐怖も怒りもうっとりとした笑顔で受け入れられてしまう。


「だから全部話したの。私の正体も私達の本当の願いも。飲み込まれないで私に気付いたあなたならそれが出来るかもって。だけど……残念、無理みたいね。その素敵な意識はいつまで保てるのかな」


 私達に残された道はもう限られている。

 強い怒りで意識を支え、怪異達を消せる存在を探すと心に刻む。絶対に忘れない。そう思っているのに、今この瞬間にも意識が飲まれそうになる。


 それでも。ああ、誰か。


 目の前まで来た怪異が私の顔を両手で包む。私の目をじっと見る。見つめられる。目が逸らせない。喉が震える。激しく罵りたいのに、恐怖で叫びたいのに、何で、どうして、思考が混ざる、ぐるぐる、ぐるぐると、思考が、どうして――……。


 …………どうして?


 罵る必要も叫ぶ必要も無いのに、私は何を考えていたんだろう。怪異は固定され、私達はそれを受け入れたのだから。

 目の前の友人が微笑みながら私を見つめる。私の目の奥底深くまで、それよりも深く、遠く。そう、例えば次元を超えて画面のその先を見るような、私ではない誰かを見てる不思議な目で。



「ありがとう、私を固定してくれて。ねぇ、それで。次は(どの怪異)を固定してくれるの?」



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