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百夜一夜物語(短編百篇企画)  作者: 矢久 勝基


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54/54

054ウソがホントに変わる時

四題

大炎上、主人公、イベント攻略、嘘告

 修学旅行最終日の夜、女子部屋ではちょっとしたイベントが行われていた。まぁイベントといっても朝比奈あさひなのいる班の女子たちが夜の自由時間を使って戯れにやっていたことなのだが。

 部屋に備え付けてある湯呑を割り箸で運ぶというもので、当然器用な者もいれば不器用な者もいる。女子たちはそれらの成功と失敗に大口を開けて笑いながら、沖縄の夜を楽しんでいた。

 そのうち「次負けたら罰ゲームね」とか言い出す女子がいて、なし崩しにそういうことになって……。

 さっきまでうまくやっていた朝比奈が、痛恨のミスを犯してしまったところから、物語始まる。


「あっ!」

 高台のある湯呑のくびれの部分に引っかけてあった二本の割り箸が、不意のくしゃみでよじれたのだ。バランスを失った湯呑を立て直すことはできず、畳に落としてしまった時には、平行に保たれていたはずの箸はクロスしてしまっていた。

「やっちゃったーー」

 てへぺろな朝比奈が眉尻を下げれば、それがまた部屋の笑いを誘う。落ちた湯呑も割れなかったし、もちろん中に液体は入ってないのだから、彼女らにとってのそれは、笑いのツボでしかない。

 結局朝比奈が罰ゲームということになったのだが、一位を獲った夕顔ゆうがおは「罰ゲームかぁ……何がいいかねー」と、周囲の顔色を窺いつつ、不敵に笑った。

「じゃあ、嘘告ってのはどう?」

 朝比奈の表情が微妙にひきつる。

「えぇ~? 誰にぃ?」

 嘘告とは好きでもない男に嘘の告白をするというもので、人によって、告白した方にも罰ゲームだが、大概は告白された方も迷惑を被るシロモノである。

「真昼くんとかどう?」

「ええーーーーーー」

 言われた途端の朝比奈の表情……。それは明らかに嫌悪感であった。

 夏野真昼という、華々しい名前を持っているにもかかわらず、陰気で何を考えているか分からず、クラスで彼と話したことのある女子はいないという男だった。告白以前に、ただ話しかけるだけでも勇気がいる男……。

「みんなも傍にいるよね……?」

 朝比奈の不安げな表情を見れば、夕顔もだんだん調子づいてきた。

「いないよ、いるわけないじゃん。罰ゲームだって、やる前からバレちゃうし」

「……」

 朝比奈は風呂上りの香りがするロングヘアを揺らし、しばらく目を泳がしてから、

「ねぇ、ホントに真昼くん……?」

「そんな顔するなら罰ゲームには最適じゃん」

「しくった……」

 ……喜んでおけばよかったと頭によぎった朝比奈だった。


 ということが、修学旅行中にあった。

 修学旅行最終日、嫌が応にも真昼を意識してはみたのだが……。

 それで初めて気がついた。真昼は修学旅行に参加していない。おかげでその日は家に戻り、土日を挟むことになる。

 朝比奈はそのクッション期間でこのイベントが忘れられることを期待したが、どっこい週末明けて月曜になると、女子の一人が超小型の録画機能付きカメラを持ってきたのを見て、思わずうなだれた。

 告白するのはいつでもいいが、隠しカメラとして録画して、後でみんなに見せなさい、ということらしい。表に出る部分は胸元に引っかけられるコインみたいなデザインで、ちょっとした装飾品にしか見えない。

 こんなのが世の中に売られてる時代なのだ。いつどこで自分の姿がSNSに投稿されてても不思議はないと、カメラに心の中で八つ当たりするしかなかった。

 授業中、ぼんやりそのカメラを指の中で転がしながら、彼女はちらりと真昼に目をやった。

 容姿はそれほど陰気でもないのだが、全身を取り巻く雰囲気に黒いオーラを感じ、そのオーラが彼を冥府の底へ沈めているかのような薄暗さがある。もはや夏野真昼なんて名前は、なんかの法律に違反してそうな勢いだ。

 そんな真昼でも、一人きりになることはなかなかない。授業中はもとより、休み時間もまったく教室から出ていく気配がないのだ。学校である以上、教室に彼以外誰もいなくなることなどなく、朝比奈は真昼と同じくらい無言で、一日中彼を観察していた。


 だが、放課後になり、意外なチャンスが訪れた。真昼は授業が終わっても一向に席を立つ気配がないのだ。一人で何かの本を読みながら、ただひたすらに時間を教室でつぶしている。

 そんな彼に話しかける者は誰もいない。一人減って二人減って……がらんと広くなっていく教室で、彼は無言を貫いていた。

 窓側の一番後ろの席に座っている真昼の……朝比奈はノートになにがしかを書くふりをしながら、廊下側前列席で、気配だけを窺っていた。

 やがて……教室から彼以外の気配が消えた。廊下にも人通りがなくなって、場は異常な静寂に包まれる。

 二人ぼっちであった。真昼はそうなったことに気づいているのだろうか。朝比奈がいてもいなくても変わらないであろう顔をして、黙々と本を読んでいる姿に彼女は不気味さすら感じる。とりあえずこの罰ゲームをこなさないことには女子同士のパワーバランスが保てないことを知りつつ、今さらながらにあのイベントが攻略できなかった代償の大きさに打ちひしがれた。

(くしゃみさえなければ……)

 彼女は溜息一つ……。胸元のビデオカメラをオンにすると、ゆっくりと立ち上がる。立ち上がろうとも全く気づく様子もない男の方へ踵を返し、彼女は一歩ずつ距離を詰めていった。

「真昼……くん……」

「ん?」

 名前を呼んでも気づかれないかとすら思ったが、意外に一回で振り向いた。切れ長で鋭く、他人を寄せ付けない眼力がある。本人は睨んでいるわけではなさそうだが、とりあえず告白を受けるような雰囲気では全くない。

「あ、あのさ……」

 というか、嘘告なんかして根に持たれないだろうか。名前とか覚えられるだけで厄介なんじゃないか。

 こんな男はスクールカースト最下位なのだから何をしても許される感はあるのだが、その後の人生に影響しそうな予感が浮かび、彼女の声と、長い黒髪が震える。

「あの……」

「なに?」

 っていうか、嘘告って『告られた方が告った方に気があるかもしれない』と思える時に有効なんじゃないの……? とか思う。罰ゲームなんだからその限りではないのかもしれなくても、相手が自分のこと好きかもしれないと思えばまだ気も楽なのに……。

 そんな気配が微塵もなくて辛い。この際、私にはそんなに魅力がないのかと、この男に問い詰めたい。その際、割とかわいい方だと思うのだが、と、ちゃんと注釈を入れてやりたい。

 ……そんな思考が頭を回って忙しい。


 とりあえず、『好き』と言う、と思うからいけないのだ。彼女は思い直す。

 『すずき』を言い間違えたとか、『すき屋のすきやき』を言いかけたりとか『ストライクキングダム』をファイナルファンタジー風に略して頭文字を追えばいい。いっそのこと『隙あり!!』と彼の頭を小突いてみてもいいかもしれない。

 ……彼女は覚悟を決め、乾いた唇を一度舌で舐めると、機械的に言葉を並べた。

「す……き……」

「え……?」

「えっと……」もう一度、「す……き……」

「すき……?」

「うん、そう。……すき」

 三度目には、何となくさらっと言い切ってしまえた朝比奈。真昼はじ……っと、目じりに黒目を預け、そんな彼女の顔を見上げた。それに気圧される。

 嘘告というのは、すぐに『うっそーん』と言うものではない。相手の返答を待ち、それに被せるようにして嘲笑交じりにカミングアウトする。もし、相手に想いがあるなら、タチの悪いいたずらとなるのがこの嘘告であった。

「どう……? 答え、くれる……?」

 朝比奈は目をそらし、それを泳がせながら、息を止めている。返答はどうでもいいが、目の色を覚えられるとその後恨まれそうで怖い。

 真昼は、不自然なほどにそのままだった。白いブラウスを見上げ、白い肌の覗く首筋を見上げている。

「早く答えを教えて」

 と言いたいが声にならない。この空白の時間が辛い。あるいは本物の告白なら空気で諦めることもできるかもしれないが、嘘告だと逃げ場がない。

 ある意味、はにかんでいるようにも見える朝比奈に、やがて彼は呟いた。

「俺、変態だけどいい?」

「は……?」

「変質者だけどいい?」

「ぇぇ……?」

 まさかの返答だった。『興味はない』と言われる可能性九割。『俺も好きだ』と言われる可能性一割で、その後の切り替えししか考えてなかった。

 どういうことだ。受け入れたのか。嘘告とバレた上での切り替えしか。

 いずれにしても変質者って……。

「キモ……」

 思わず声に出た。それで、真昼の目の色が変わる。

「へぇ……お前、知っててここにいるのか」

「へ……?」

 さらに分からない返答がやってきた。知ってるというのは、彼が変質者であることを知った上で告白してきたのか……ということか?

 が、彼はさらに、〝訳が分からない〟を上乗せしてきた。

「キモラスティス……くるぞ」

 真昼が立ち上がる。朝比奈は思わず「ひっ」と身をこわばらせたが、彼の視線は彼女を飛び越していた。

「……?」

 反射的に視線を追った朝比奈。その視線の向こう、教卓の脇に、銃を持った軍人のような影が突如浮かび上がって、彼女はぞっと背中を凍らせた。男は白目をむき、とても正常な精神を持ち合わせているようには見えない。

「だ、だれ!?」

 朝比奈の悲鳴とその銃口が彼女に向けられるの……そして、真昼が床を蹴ったのは同時だった。

「!?」

 朝比奈にとっては、真昼が瞬間移動したかのように見えた。それほどのスピード……そしてほぼ同じタイミングで軍人が崩れ落ちる。彼が何をやったのか、見ててさえ理解が及ばない。

「え、ちょ……ちょっと、なに……!?」

 呆然としているのもつかの間、教室の引き戸から別の白目が躍り込んできた。その数五人。いずれも先ほどの軍人よりも大きなマシンガンを持っており、教室の入り口に展開するなり、真昼に向けて発砲を開始する。

「きゃぁぁ!!」

 窓やら机やら花瓶やらが、一瞬で粉砕される暴力的な音にへたり込む朝比奈。その悲鳴が呼び水となって、二丁の銃器が放射状に破壊を続けながら、彼女の方へと移動する。

 真昼は地面すれすれを駆け、一度腕を交差させそれを開くような動作をした。両手首から伸びる白い刃。真昼は加速し、朝比奈を狙う二人を突き抜ける。それだけで……朝比奈への暴力は止まった。

 朝比奈は腰を抜かして地面を舐めている。何が起こったか分からないが、あと五十センチで銃弾が自分を撃ち抜いたことは間違いない破壊が、教室の最前部を覆っていた。

 だがそれ以上に真昼だ。彼は両腕から伸びた刃を自在に閃かせ、一瞬でマシンガンを持った残りの四人の息の根を止めてしまっていたのである。

「こ、殺したの……!?」

 真昼はこの世界にいる異物を見るように、朝比奈を自分の肩越しに見た。

「こいつらはもともと死んでる亡霊だ。殺したんじゃねぇよ」

「わ、わけわかんないこと言わないでよ!」

 そんな話じゃなかったはずだ。修学旅行で罰ゲームをもらって、この陰気な男をからかって……それでおしまいの話なはず。

「私はラブコメの住人なの!! こんなホラーアクションなんて聞いてない!!」

「なにを訳分かんねぇこと言ってんだよ」

「ってか、アンタ何者!?」

「変質者だって言ってんだろ」

「変質者って……」

「変質者を知らねぇのかよ。〝性的な目的で人に迷惑をかける男〟だろ。こいつらが来なければお前相手にウハウハだったのに」

「はぁ!? 死ね!!」

 腰を抜かしたまま、声だけは復活した朝比奈が真昼を毒づくが、頭の中は大混乱である。

 何が起きている。なんで学校がいきなり襲われ、ただの陰キャであるはずのこの男が、いきなりファンタジー世界の主人公みたいになってるのだ。

「いや……お前俺に告ってたからな。この際は合法だったのか……」

「わけわかんないこと言わないで! 誰がアンタなんか……!」

 朝比奈の声は嫌悪感に満ちているが、しかし一方で、この得体のしれない恐怖を一瞬で解決したこの男が、少しだけ……頼もしく見えてもいる。

 隙のない堂々とした姿。その立ち居振る舞いには彼の印象を百八十度覆す勇壮さが見える。今まで全く気が付かなかったが、夏服の制服から覗く腕がたくましく、その両腕からさらに伸びている、光を帯びた刃を携えて立っている様が、無駄にミステリアスでかっこいい。

 それでも……本当に腰が抜けてしまって立ち上がれない彼女は、彼に手を貸して、とは言えないでいた。この、学生の皮を被った救世主は、己を変質者だと明言したのだ。その響きの方が、普段の彼とマッチしているからなおさら、現実に引き戻される。

「いいから、戦えねぇんなら端っこにでも寄ってろ。まだ来るぞ」

「う、うん……」

 だから、両手だけでなんとか這いずって、ナメクジのようにのたのたと進んだ。顔をしかめたのが真昼だ。

「立てねぇのかよ。情けねぇ」

 しびれを切らしたように近づいてくる彼に、朝比奈はどうしたらいいのか分からない。

「待って。こないで……」

 時間がほしい。気持ちを整理する時間。……しかし、男は立ち止まらず、むしろ力強く彼女との距離を縮めていった。

「ちょっ!! 待って!! 嫌!!」

 次の瞬間、真昼は地面に貼りついて喚く彼女を飛び越し、着地後さらに床が抜けるような強さで踏み込んだ。彼女の視線がそちらに引っ張られる。そこには、牛の頭を持つ黒い影が四体。飛び出した真昼へと腕を伸ばしていた。

 刹那、炎が風に煽られるような音が牛頭の腕で猛る。風は赤い炎の弾丸を形成し、周囲の空気を焼きながら真昼に襲い掛かった。

 真昼は反応し、机に乗り上げてさらに跳ぶ。彼の足元をかすめた炎弾は朝比奈の頭をもかすめて教室の前方で炸裂し、引火して巨大な炎の壁を立てた。

「ひぃぃ!!」

 朝比奈は必死で引き返す方向に這う。髪が乱れているとかスカートがめくれているとか気にする余地もない。もはや世界の終わりの日を逃げ惑う動物と変わらない。

 その向こうで救世主は右に左に鮮やかな体さばきを見せ、今しがた炎弾を放った牛頭を打ち砕いている。

 残り三体はたじろいだものの、それぞれに衝撃波を撃ち出した。教室最後列の机と窓、壁が粉砕され、天井に備え付けられていたエアコンが落ちて、破片が周囲に飛び散る。……しかしその時には三体とも、彼の絶え間ない刃の連撃の前で、なますのように斬り刻まれていた。


 教室前部はすでに大炎上している。朝比奈はその背中に容赦のない熱を感じながら、この世の地獄にいることを痛感し始めていた。視界の向こうには、また四つの影を叩き斬って血振りをしている堂々とした男がいる。

「助けて……!」

 言わざるを得ない。このまま燃え広がったら、火は彼女を飲み込むだろ。

 真昼は両腕を返してなにがしかを呟いた。それで一度刃が消え、踵を返すと朝比奈の方へと歩き出す。そして彼女を見下ろして立ち止まった。

「……変質者だが……いいか?」

「……」

 言葉を失うしかない。告白なのか何なのかすらわからない。

 しかしとにかく背に腹は代えられない。死ぬとか絶対にありえない。必死に手を伸ばし、彼の手が伸びてくるのを待った。

 真昼の大きな手が、それに応える。彼女はかろうじて立ち上がったが、腰も膝も完全に笑っていた。人間って本当の恐怖を味わうとこうなるのだと痛感しながら、彼の腕にしがみつく。情けないが、なりふり構ってる場合ではなかった。

 間近で立ってみて初めて、この男が思った以上に背が高いことを知る。朝比奈の背が低いのもあるが、ずっと座っている彼しか見てなかった彼女にとって、この身長差は意外であり、この際は頼もしい。

「だめだな」

 彼はおもむろにそう言った。

「なにが……?」

「お前、走れねぇだろ」

 確かに、まったく自信がない。

「外は亡霊たちの巣窟だ。そんなんじゃ逃げ切れねぇ」

 言った瞬間、彼女の身体が浮いた。彼女は軽々と背負われてしまったのだ。

「ちょっ……!」

「亡霊に食い殺されたくなければちゃんと掴まってろよ」

「……」

 彼女は黙って、男の背中に身体を密着させるしかない。恐怖か火の影響か、彼女は水を被ったようにぐっしょりと汗をかいていて、それが真昼の背中を伝って彼を濡らすことが恥ずかしい。


 教室を出た時、彼女は言葉を失った。そこは、彼女の知っている廊下ではなかった。赤黒く錆びついていて、辺り一面、血とヘドロで汚れている。ゆらゆらと蠢いている人型の何かは肉が削げ落ち、おぞましい姿を見せていて、彼女は思わず、彼の首に絡めた腕の力を強めていた。

「なにここ……」

 それらの化け物に向かって、すでに真昼は飛び出している。彼女を片腕で背負ったまま、右の手だけ刃を活性化させ、応戦をしながら突破口をこじ開け始めた。その合間に怒声が飛んでくる。

「キモラスティスだろ! お前知ってたじゃねぇか!」

「知らないよ!!」

「簡単に言えばパラレルワールドだよ! この学校は、地場の都合でチャンネルが変わりやすいんだ!!」

「なにそれ……」

 ……そんな話はにわかに信じられるはずもないが、確かにこの状態は、他の何かで説明することができない。

「私たち……帰れるの……?」

「死ななければ戻る! 接続は一過性なものだ!」

 走りながら彼女を支え、刃を閃かせながら、廊下をぐんぐんと前進していく。その動きは背中に密着している彼女には異次元のものに見え、そう見えるほどに彼女の気持ちは揺れた。

「アンタ……何者なのよ。……ホントに人間……?」

「だから、変質者だって言ってんだろ!?」

「そんなの聞いてないし!!」

 朝比奈は続けた。

「それに、そういうこと言わないでよ! お尻支えらえれてるのが嫌になるから!!」

 首にしがみついて密着している彼女を片手だけで支えてるのだ。当然バランスを取るために手の平は尻の下にあり、彼女は嫌が応にも意識せざるを得ない。

「お前が何者だって聞くから……!」

「いいからその手をやらしく動かさないで!!」

「だって損だろ!!」

「もう降ろして!!!」

「降ろしていいのか?」

「嘘! 絶対ダメ!! 降ろさないで!!」

 間近で見る化け物たちの白目を剥いた顔が、彼女の感情と表情をカチコチに氷りつかせる。こんなところで放置されたら、死ぬよりもっとひどく死ぬ。この男がいなければ生きていけない。

 その渦中にあって、真昼の動きが衰えない。アサルトライフルが火を噴いているのに、弾痕が彼の一瞬前にいた場所を追うばかりで捉えきれない。まるでジェット機に乗っているのかというような急激なGをその身に受けながら、朝比奈はバサバサと斬られては取り残されていく死体に自分が加わらないよう、真昼の背中に強く、さらに強くしがみついた。

 階段を駆け昇る真昼。踊り場にはなぜか、壁に貼られた高校の校歌を見上げて感動しているカッパとかがいる。人畜無害なために真昼は構わず脇を駆け抜けたが、朝比奈にとってはその滑稽が耐えられない。

(ここがパラレルワールド……?)

 赤茶けた世界。火器を乱射してくる化け物たち。その怪人たちに対し、腕から剣を生やして無双している自称変質者。校歌を見上げて感激してるカッパ。

(情報量多すぎてわけわかんない!!)

 夢なのだ。これはきっと夢なのだ。

 きっと、嘘告をするために真昼が一人になるのを待ってたら、そのまま自分の席でうたた寝をしてしまったのだ。そうでなければおかしい。

 ……しかし、背中伝いに感じる真昼の体温。耳にかかるほど間近な彼の息遣い。銃弾がかすめれば硝煙の臭いが鼻につくし、なんなら激しい揺れの中でスカートのすそが垂れ下がってしまい、尻を支えてる彼の手は直接下着と太ももの付け根に触れている。その感触のすべてが、夢であることを否定していた。


 二人は屋上まで昇り切った。塔屋から吐き出されるように屋上のスペースに飛び出すと、屋上の化け物たちを一掃してから真昼は朝比奈を降ろす。そして塔屋の扉を閉め、ようやく尻もちをついたようにしてへたばった。

「あーー重かったーー」

「重くないっっ!!」

 礼を言うべきか……思いつつ。いつもこの男はせっかくのアドバンテージを圧倒的なペナルティで埋めてくる。とりあえず別の言葉が口を突いた。

「その剣……どうなってるの……?」

「ダズブレイドのことか?」

「……やっぱ、説明してくれなくていい……」

 説明されても絶対分からない。情報量がこれ以上増えたら頭がパンクしてしまう。

「なんで、外に向かわなかったの……?」

「今、キモラスティスが展開してるのはこの学校の敷地内だけだ。その境界線の外は、帰ってこれなくなる」

「他の人たちは、誰も来てないの?」

「この接点でのキモラスティスはあの教室から展開すると決まってる。誰もいなくなったと思ったのに、……まさか残ってる奴がいたとは思わなかった」

 ……自分のことだ。彼女は思わず「ごめん……」と呟き、

「で、アンタは、何者なの……?」

「だからぁ、変質者だって言ってんだろ」

 途端、朝比奈はカッと顔を赤らめた。

「わかってるわよ!! よくあんな全力疾走しててエロいこと考える余裕があるよねぇ!?」

 あの手の動きは絶対わざとだ。しかも何が怖いって、それも仕方ないと思えてた自分が一番怖い。

 落ち着こう。朝比奈はとにかくそれを忘れようと思った。なかったことにする。……微々黙り、あらためて……ここから見える異様な風景を見回した。

「本当に……異世界なんだね……?」

 ここは本当に……自分の知っている学校ではない。校庭が黄土色の砂漠と化しているし、空は夜のように黒いのに、辺りが暗いということもない。

 こんなに広い世界にいるのに、閉じ込められている実感がある。それなのに……。

 彼女の心底から、不思議と恐怖心は消えていた。そして、背中の向こうで座っている男が、その恐怖をすべて打ち消してくれていることを、彼女は分かっている。その安心感を与えてくれる存在に、彼女は包まれていた。

「ねぇ……」

 茫洋とした世界を眺めながら、朝比奈は言う。

「ホントに戻れる……? 戻れなかったら、生きてる人って、私たちだけなの……?」

「まぁ、いつもの調子でいけば戻れるはずだが」

「戻れなかったら……どうしよう……」

「そんなの決まってる」

「え……?」

「そしたら、お前は俺の変態行為から逃れられないだけだ」

「……」

 彼女は口をつぐみ、しばらくして「ふーん」と、気のない返事をした。その上で彼女は沈黙を嫌い、男に切り込んでいく。

「さっき私、〝すき〟って言ったよね。……どう思った……?」

「だから、答えたろ」

 変質者でもいいか、と。朝比奈は苦笑うしかない。

「あれなに? 嘘告したことへの当てつけ?」

「嘘告だったのか?」

 彼女ははっとなって小さく「あ……ヤバ……」と目をそらす。

「まぁ、俺の返答は変わらねぇよ。……変質者でもいいか?」

「嫌だけど……」

 しかし……と朝比奈は真昼を見た。この男がそれを言うことに、違和感がなくなっている。

 この男は、どうも自分たちとは違う、特殊な運命をたどっている。突き抜けた存在であるのだから、感性が違っていてもおかしくはない。……気がしてくる。

「そういえば、修学旅行、来てなかったよね」

「行くはずがない」

「どうして……?」

「俺の姿は、大人には映らないからな」

「え!?」

「俺があのクラスにいることを、クラスの全員が認識してるかさえ怪しいよ」

 ……確かに、誰も話さない、誰とも話さないで、一日中教室にいる存在なのだ。

 修学旅行にいなくても誰にも認識されない存在。

「なんで私には見えるの……?」

「さぁな」

「私にも見えなくなるの……!?」

 変質した彼女の声に答えることなく、真昼は立ち上がった。その視線を追えば、砂漠と化した校庭に、巨大な影が盛り上がっていくのが見える。その大きさは校舎に匹敵していることを知り、彼女は目を丸くして再び全身をこわばらせた。

「あれ……まさか敵……?」

 みるみる形成されていくのは、角が幾重にも生えている白目をむいた魔物であった。とにかく巨大な身体を引きずっているが、身を起こせばゆうに屋上まで手が届きそうだ。

 それが、まっすぐこちらに向かっている。朝比奈の青ざめた顔が魔獣と真昼の間を行き来した。

「あんなの……無理じゃん……」

「お前にはな」

 が、真昼は悠然と屋上の床を蹴った。朝比奈が悲鳴を上げる。ここは屋上なのだ。こんなところから飛び降りたら……

 しかし、宙を舞って光の刃を展開した真昼は、風をはらむとロケット花火のような加速を見せて落下する方向を変えた。魔獣はそれを迎え撃つように腕を振り回したが、彼の身体は空中を自在に飛び回り、そのすべてをかいくぐった。スピードレンジが違い過ぎる。

 真昼は程なく魔獣の懐に潜り込み、かまいたちのような連撃を加えてさらに高速で移動し、一度消えたかと思うと今度は魔獣の背中を切り裂いて飛ぶ。魔獣の反応が間に合わない。朝比奈もはるか頭上から俯瞰しているのに、その動きが捉えきれない。

「……」

 朝比奈は落下防止の手すりにしがみついてその様を見つめていた。

 こんな不思議な存在が、自分のクラスにはいる。そして彼の言う、『大人には見えない』が本当であれば、この男の姿を見ることは早晩できなくなる。それが今は耐えられない。彼女は高鳴る心音を聞きながら、彼を一秒だって見逃さないよう、目を見開いた。

 直下で飛翔する真昼の動きは残像すら捉えられない速度だった。刃が風を纏い、魔獣の四肢を切り刻んでいく。

 こんなのは絶対夢だ。夢なのだが……今はその夢が、限りなく誇らしい。

 右前足の腱を断たれた魔獣が膝をつく。それを見下ろすように舞い上がった真昼の右腕が、めいっぱい袈裟に振り挙げられている。そしてその身が回転すれば、魔獣から断末魔と血しぶきが上がった。

 地響きと砂煙が舞い上がる校庭が見えた時……。


 朝比奈は、目を覚ました。ふっと見上げれば教室だ。誰もいない、がらんと殺風景な教室の机に一人突っ伏して眠っていたらしい。窓の向こうはすっかり夜の帳が下りていて、周囲には人影すらない。

 ただひたすらに空虚で不気味でもある夜の教室だが、見回しても弾痕一つついてはおらず、先ほどの狂騒が現実であったことを示す証拠は一つもないことの方が、今の彼女には不気味だった。

 がっという音を立て椅子を引くと、ゆっくりと立ち上がる。そして、窓側最後列、真昼の席まで歩いていく。真昼はいない。家に帰ったとするのが最も自然だが、今ではそれすら信じられなかった。

 全ては夢だった。しかし、それを堅固に否定する自分がいる。夢なはずはない。だって……。

 もやもやした気持ちのまま彼女は下校したが、家に着いて洗面所でうがいをした時、鏡を見て、つい声が出た。

「あ……」

 胸元についているコイン。これは、彼女が嘘告をしたことを証明するためのビデオカメラじゃないか。

 でも……それを再生しても、何も映ってはいなかった。……なんとなく、分かっていた。


 翌日、何となく浮かない顔をして登校した朝比奈は教室に入るなり、何かをひっくり返したように色めき立った。真昼が机に突っ伏して寝ていたのである。

 夕顔を含めた修学旅行の女子班の皆が、朝比奈の元へと集まってくる。

「昨日、告白した? ビデオ持ってきた?」

 皆の好奇心丸出しの顔を見て、朝比奈は静かに笑った。

「まだだよ」

「え? じゃあ、いつ? 今日の放課後?」

 ニヤついている彼女たちに、彼女は言う。「……今」

「えっ!?」

 その目に見守られる中、彼女は窓側最後列に向かった。突っ伏してる真昼の肩をとんとんと叩き、

「おはよう、真昼くん」

「んあ……?」

 微々、首を持ち上げ上目に彼女を捉える。

「昨日は、ありがとう」

「覚えてるのか。なら分かってんだろ? 疲れてんだよ俺は」

 鬱陶しそうにして再び突っ伏す真昼。ちらりと周囲を見回せば、そんな二人のやり取りを意外そうに見てる者もいれば、気づいていない者もいる。ひょっとすれば、気づいていない者には、この男自体が見えていないのかもしれないとか……朝比奈はちょっと思った。

「分かった。じゃあ一言だけ……」

 彼女は彼の机の両端にそれぞれの手を置いて、真昼の額に顔を近づけた。そして……さらさらと流れ落ちる黒髪に彼を隠すようにして、言った。

「好き……」

 真昼の額がゆっくりと持ち上がり、鋭い切れ長の目が再び、彼女を映し出す。

 その口が何かを言い出す前に、彼女は続けた。

「私が大人になるその日まで……私の彼氏でいて」

 彼を見下ろす目は瞬きもしない。真昼はまた、不自然なほどに彼女をしばらく、じっ……と、見つめていた。

 やがて真昼は視線をそのままに、呟く。

「俺、変態だけど、いい?」

 ……朝比奈は静かに口角を上げ、彼の額に、自分の額を重ね合わせた。

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