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百夜一夜物語(短編百篇企画)  作者: 矢久 勝基


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045コマッテマッタタマテバコ

四題

もてなし、ふかふかの布団、旅は終わった、グルメ

「ただいま」

 とうとう……このセリフを言う日がやってきた。

 帰ってきたんだ。俺の旅は終わった。不撓の槍と言われるシェイクスピアを引っ提げて、雷鳴の笛と言われるジンバブエで海を割って進み、とうとう前人未踏の地へと足を踏み入れた。海底都市エルグランドではジャマイカという巨大なイカと熾烈な戦いを繰り広げ、失われた文字であるカメルーンを開放して、聖なるカラコンと呼ばれるアル=ジェリアを取り戻し、ついにはエルグランドを平和に導いたのだ。


 俺は家に戻ってきた。実はエルグランドを救うことは世界を救うことだったけど、それを説明しても誰も理解してくれそうにないので、……まぁ、いい。俺は勇者になりたくてエルグランドを救ったわけじゃない。

 家では嫁が出迎えてくれた。もう何年逢ってなかったかな……なのに、嫁は飄々としていて、いつものように「おかえり」といい、いつものようにテーブルの前に座った俺に茶を注いでくれる。

 土産話も、し始めると何日間に及ぶか分からないので、大事なところだけを話した。一言。

「無事、海底都市を救った」

 そして、どうしてその部分が大事かといえば……

「で、もらったのがこれだ」

 俺はちょうど両手に乗るくらいの大きさの箱を嫁に差し出した。それは、貝や真珠できらびやかに装飾が施された箱であり、緒で十字に留めてある。

「だれに?」

「乙姫」

「誰それ、きれいだった?」

「まぁ……」

「え、ちょっと。浮気?」

「してねーよ!」

「七年近くも帰ってこなかったと思ったら……」

「いや、だから、俺はお前ひとすじだって」

「私は浮気してたけどね」

「おいマジか」

「トビウオのアーチをくぐって宝島についた頃、何も失わないと思ってる?」

「マジか!!」

「嘘。浮気なんてするわけないでしょう?」

「……」

 まぁ確かに、嫁によれば、俺たちは七年近くも会っていないらしい。よく帰りを待ってくれていたと思う。

 少しの沈黙の時間を置いて部屋の空気を落ち着かせると、俺は再び箱へと気持ちを向けた。

「この箱くれたのに、『絶対開けるな』って言われたんだが」

「浮気の証拠だから?」

「ちげーよ!!」

「だってきれいだったんだよね?」

「きれいだから浮気するとは限らねーだろ」

「アンタ、私と結婚する前何人と浮気したか覚えてる?」

「したことねーし!」

「いっぱい知ってるよ?」

「お前と付き合う前に付き合った女は浮気とは言わねーー!」

 嫁はめちゃめちゃ美人なんだが、それでいて嫉妬深い。なんなら猫と戯れていても浮気と間違えられる。

「この箱は違うからな!?」

「乙姫とのいかがわしい現場写真であふれてると予想」

「んなわけあるか!」

「じゃあ開けてみてよ」

「開けるなと言われてるんだ!!」

「その女に私のこと言った?」

「言った言った。俺にはかわいい嫁がいるって」

「にもかかわらず人の亭主に手を出すなんて……」

「いや、だから、浮気してねーって!」

「じゃあ開けてみてってば」

「ヤバいもんだったらどうするんだ!」

「浮気以外でヤバいものってなに」

「え」

「こんな箱の中に、どんなヤバいものが入ってるっていうの?」

「爆弾とか」

「その女はアンタに恨みでもあんの?」

「……」

 確かに、恨みでもない限り、ヤバいモノなど入れるはずもない。

 ならなんだ。ヤバくないのに開けてはいけないモノ……。

「だから、私に対する攻撃くらいしかないじゃん」

「へ?」

「その女はまるで浮気したように見せかけて、私が怒って別れたらラッキーくらいに思ってるんだよ。そういうものが入ってる」

「……」

 俺が即答で否定できないのには理由がある。乙姫は、俺がエルグランドから去るのをとても惜しんでいた。もてなしは常軌を逸していたし、自分からは「スキ」とは言ってこなかったが、『これを聞いてきたら脈あり』のリストにある言葉は軒並み並べられた。

 なんなら、自分の城の中にもかかわらず、俺に「今日は、帰りたくないな……」とか言ってた。

「だから、ヤバいモノだと思うよ。さぁ開けてみよ」

 いやいや、言葉の流れがおかしいだろ。

「お前さ、ヤバいモンだって分かってんのに、なんでそんなに開けたがるんだよ」

「そりゃ、アンタが浮気してる証拠なら是非見たいわ」

「浮気なんかしてねっつーの」

「じゃあいいじゃん。開けてみてよ」

「いやお前、別のヤバいモンだって考えないの?」

「例えば?」

「俺もお前もドラミちゃんになっちゃう呪いとか」

「そんなの全然ヤバくないじゃん」

「ヤベーだろ!!」

「浮気されてる方がよっぽどヤバいよ」

「ちょっと浮気から離れろって」

 俺と嫁はいつもこの調子だ。俺が旅に出る前からずっとこう。


「いや、絶対ヤバいもんだって」

 俺は言った。

 確かに乙姫もきれいだった。美しかった。容姿とかいちいち描写しないけど、アナタが生まれてこの方出会った三番目くらいにかわいい子を思い浮かべてくれたら、それくらいかわいかった。

 だけど、乙姫はヤンデレだった。嫁の嫉妬癖もヤバめだけど、一年でも二年でも続きそうな破格のもてなしを受けた竜宮城から、あえて出ていったかといえば、乙姫がものすっげーヤバい美人だったからだ。

 まぁ、人によっては六畳一間の家に嫁と暮らしてる俺が女王乙姫の好意を手放すなど正気の沙汰ではないとおっしゃるかもしれないが、とにかくすべてをかなぐり捨てても逃げた方がいいと思えるくらいヤバい。

 だから、この箱がヤバいモノであることは容易に想像がつく。『絶対に開けてはいけない』と言われている部分だけが不可解だけど。

 いや……。

 ちょっと思うのだが、『開けてはいけない』と言われるのはフリだとする。だちょう倶楽部の『押すなよ!? 押すなよ!!?』と同じものだとするなら、乙姫も本当は開けさせるつもりで渡したのだと思う。っていうか、本当に開けさせるつもりがなければ、俺に渡す必要がない。

 その上で、『開けてはいけない』と言われたら、少なくとも竜宮城内では開けないと予測できるだろう。なんなら家に帰ってから、開けるかを熟考する。今のように。

 ……となれば、今の状態は乙姫にとって、最適の条件がそろった状態だと言えるのではないか。

「あ! 馬鹿!! 開けるな!!」

 俺は嫁が俺の見てないところで開けようとしている箱をダイビングキャッチ。

「だって、らち明かないんだもん」

「お前に危険なものかもしれないだろ!!」

 そうなのだ。俺が帰ってから開けることを前提とされているなら、ひょっとすればこれは嫁が標的の凶器かもしれないじゃないか。

「どう危険なのよ」

「それは……分かんねーけど」

「だって、私だけに危険なモノってどうやって作るの? 例えばこの中に吹き矢とか仕込んであったら、アンタが開けるって考えてたら、アンタが狙われてるんじゃん」

 おっしゃるとおりだ。

「じゃあ私が開けても同じだよね」

「お前が危ないだろ!」

「アンタが危ないんなら私がくらうから大丈夫」

「……」

 そう。この浮気ばかりを疑う嫁を「お前こそ浮気してるんじゃないか」と疑わないのは、俺のためなら本気で防弾ガラスにでもなる……という姿勢を出会ってから先、貫き通してるところだった。

 もともと別パーティで行動している女だったんだが、俺とコンビを組んでから数度、命を救われた。それも、その身に矢を受け剣を受け銃弾を受け……。

 そのたびによく生きてるなと思うんだけど、だから結婚するなり、いろいろ言い訳をして絶対に旅には同行させなかったし、逆に数年家を空けたとしても浮気をするとは思えなかったし、頭も上がらない。……乙姫がヤンデレじゃなくても、さすがに竜宮城に籍を移すことなどできなかった。

「とにかく、開けるなら俺が開ける」

「じゃあ開けてよ」

「……」

 嫁からぶんどった箱を握りしめ、また躊躇する俺。

〝あの〟乙姫が、〝開けるな〟と言って渡した箱だ。この生活に有益なものであるはずがない。

 言っておくが、俺は大王ジャマイカを倒し、エルグランドを救うことのできた男だ。しかしその上で、嫁とどっちが度胸があるかといえば、ぶっちぎりで嫁に軍配が上がる。

「決めた!」

 俺の声が六畳間に鳴り響く。

「捨てよう!!」

「だめ」

「即答……」

 まぁ、浮気を疑っているのだ。嫁としては、そうだろう。


「分かった!」

 俺は再び叫ぶ。

「クロムを呼ぼう!」

 クロム……この街では有名な占い師だが、もともとは俺と同じパーティにいた異能力者だ。

「三十分以内に来てくれ」

 と連絡すると、この漫画みたいなグルグル眼鏡をかけた男は本当に三十分でウチの家のドアを叩いた。

「おお、セントルシア、会いたかったぞ」

「呼んだのは俺だって」

 セントルシアは嫁の名前である。

「お前、帰ってきちゃったんだのう」

「死んでほしかったみたいに言うな」

「その時はやむを得ず、セントルシアを引き取ろうと思っておったからのう」

「その時はよろしくね。クロム」

「おいおい」

「ちなみにアンタ、民法三十条的には、旅立ってから七年消息不明だったら死亡扱いだったんだからね」

 嫁がそう言うと、クロムが舌打ちをする。

「惜しかったのに……」

「……俺、旅に出てから何日いなかった……?」

「二五五二日」

「後、三、四日で七年じゃないか!!」

「誠に残念だわい」

「あぶねーー」

 危うく帰ってきたら家がない、みたいな状態になるところだった。っていうか〝日〟で即答できる嫁が怖い。

「ほいで、なんだ。我に何か用事かの」

 用事も分からないのに来いと言っただけで来てくれるクロム。まぁしかしそれは、決して俺との友情ではなく、嫁に会いたかったからだったりする。

 六畳一間の部屋のテーブル中央に置かれた〝箱〟。嫁は言った。

「旦那が乙姫っていう色ボケねーちゃんからこれをもらってきたのよ。でも『絶対に開けてはいけない』って言われてるんだって。……だから、クロムに中が何かを教えてほしいの。私としては浮気の証拠が入ってて、私と旦那を別れさせようっていう魂胆みたいなんだけど」

「それはすぐに開けなさい」

「調べる前から言うな!!」

「セントルシア。中身が浮気の証拠なら何とする」

「アンタと結婚してあげる」

「早く開けなさい!!」

「中身が危険物じゃないかを見ろって言ってるんだ!!」

「大丈夫大丈夫。お前が開けたら万一罠で死んでも好都合だわい」

「……」

 これほど信用のおけない『大丈夫』もない。その脇で嫁がクロムをけしかける。

「いいから、調べてもらっていい? このままじゃウチの人、絶対開けないし」

「ふむ……」

 嫁が言うとすぐに取り掛かるクロム。瞬きもしない間に答えが返ってきた。

「大丈夫よ」

「信用置けん!!」

「もういい。私が開ける」

「「それはやめろ!」」

 二人の声がハモって、俺が叫んだ。

「やっぱあぶねーんじゃねーか!!」

 コイツ……俺のことを本気で殺しにかかってやがる……。


「おい、いい加減にしろグルグル眼鏡!」

「グルグルしてるわけじゃない! 単なる瓶底眼鏡よ!!」

「ちょっとグルメなグルグル眼鏡~とか、コイツの前でラリってたじゃねーか!」

 コイツがまだ冒険者時代の話だ。嫁に気に入られようと思ってずいぶん笑わせにかかっていたが……。

「とにかく、ちゃんと調べやがれ!」

「何も入ってないよ」

「まじめにやれーーー!!」

「ホントだって。ホラ」

 ホラと言われ、振り返って、思わず俺は頭皮から髪の毛が三センチ浮くくらい驚いた。

 何も入ってないよ……はクロムの声ではなかったのだ。

「開けたのかぁぁぁぁぁ!!!」

 嫁が、右手に蓋、左手に身を載せて、こっちに見せている。

「アンタらに任せてたら日が暮れるわ」

 緒が完全に解かれて、中身が顕わになっている箱を見下ろして、しかし怪訝な想いだ。

「何も入ってない……」

 どういうことだ。もちろん、何も入ってないことも疑問だが、乙姫が何も入っていない箱を『開けてはならない』と言って渡した理由も大いに疑問だ。

 しかし、言えることはある。

「これで、俺が浮気をしてないことは証明されたわけだ」

「浮気をしてないことの証明にはなってないけどね」

 ……一瞬で論破されてしまうが、俺は断じて浮気などはしていない。

 その時、家の扉を叩く音がした。とりあえず箱騒動は収まったことで、安堵した俺の腰は軽い。誰よりも早く立ち上がり、ノブに手を掛ける。

 外にいたのは、見慣れない子供だった。歳は五歳……とかだろうか。俺を見るなり目を輝かせて、

「じゃじゃじゃじゃーーーん! わらわだよ!!」

 とか言ってる知らない子供だ。が、その知らない子供は次の瞬間、家全体をひっくり返すようなことを言い出した。

「逢いに来たぞ。父上」

「はぁぁぁぁーーーーー!?」

「どうしたの? 誰?」

「だれでもないっ!!」

 嫁がこっちを見てるのに焦って、俺は瞬発的に家を飛び出して扉を固く閉めた。そして子供を抱き上げるようにして二十メートルくらい家から遠ざけると、

「誰だお前!!」

「父上の娘じゃが」

「んなわけあるかーーー!!」

 子供は構わず、両腕に抱えていた箱を俺に差し出した。

「母上のお遣いじゃぞ。渡す箱を間違えたとのことじゃ」

「……」

 その箱の形が、乙姫が俺に渡してくれたのと同じ、緒で十字に結ばれた、俺の両手にちょうど載るくらいの大きさの箱だった。俺は瞬きが止まらない。てか止まらなすぎて過呼吸になりそう。

 差し出しているその箱は受け取らず、目だけを配して、

「じゃあその箱をもって、黙って母上のところへ戻れ」

「それじゃ、お遣いにならんじゃろ!」

「あー分かった。じゃあ受け取っておく。ありがとう。気をつけて帰ってな」

 とりあえず、丸く収めるならそれしかない。俺は差し出されたそれを受取ろうとしたが、彼女は逆に、それをひっこめた。

「何を言っておるんじゃ。わらわはお泊り会に来たんじゃぞ?」

「はぁ!?」

「母上もいいよって言ってくれたし」

「ちょっと待て。聞いてないぞ!」

「父上のおうちでお泊り会するのに予約がいるのか?」

 だからいいよねっ、っと走り出す子供。

「あ! 待て!!」

 その瞬発力に負け、俺は彼女の不法侵入を許してしまう。

「せめて俺の子みたいなことは言うな!!」

 そういう声だけが彼女の背中を追いかけたが、その瞬間、俺はそれが死ぬほど失言であることに気が付いた。


 理由は言うまでもなく、開いた扉の向こうに丸聞こえだったから。

「浮気の証拠が走ってきたわ」

 嫁に無邪気に抱き着いている子供を見た時には、嫁からはそういう死の宣告が発せられている。旅から帰ってきた時とは別の意味で、旅は終わった……と思った。

「待て! 落ち着け!!」

「落ち着いてるよ」

「よしっ! じゃあ聞け! それは俺の子じゃない!」

「証拠は?」

「証拠はまだない!」

「通用すると思ってる? 夏目漱石さん」

「まてまて、我が超能力で調べてやるからのう」

 一瞬の光明がクロムから差してくる。しかしそれは実際、テカってる罠でしかない。

「紛うことない、お前の子よ」

「いい加減なこと言うなーー!!」

 俺は子供と顔を並べるため、子供の横に正座して、嫁の方を見上げる。もともと見上げてる子供との対比が容易なように。

「ほれ見ろ! 全然似てないだろ!」

「超似てるよ」

「どこがだーー!!」

「目が二つ、鼻が一つ、口が一つ……」

「誰でもそうだぁぁぁ!!」

 俺は子供の両肩をわっしと掴み、

「お前、ホントに俺の子か!?」

「そうじゃよ?」

「証拠はあるのかーーー!!」

「しょうこ? は知らんが、わらわは、モナ子じゃ」

「名前を聞いてるんじゃねー!」

 どうすればいい。これは正直、ラスボスだったジャマイカの放った必殺の気絶攻撃、『タジ=キ=スタン』を食らった時よりピンチだ。

 お前の母上は誰か……など聞くまでもあるまい。彼女は乙姫がくれたものと同じ箱を持っているし、そもそも他にこんなヤツ差し向けてくるヤツなどはいない。

 モナ子は葛藤する目の前で、再び箱を差し出した。

「ともかく母上からの玉手箱じゃ。受け取っとくれ」

「……」

 そうだ。そしてこの、〝開けてはいけない箱リターンズ〟じゃないか……。

 まったく悪夢だ。今日はもう、ふかふかの布団は期待できない。いうなれば不可不可の布団となってしまった。

 おそるおそる受け取る箱。玉手箱というらしい。わざわざ自分の娘を寄こして間違いを正してきたのだ。今度は空っぽってことはないだろう。

 呆然としている俺を尻目に、クロムが眉間で勝ち誇っている。

「セントルシア。どうだ。コヤツは浮気をしておったようだぞ」

 が、心中修羅場不可避のはずの嫁は飄々としたままだ。

「さっきの約束は〝箱の中に浮気の証拠が入ってたら〟って言ったよね」

 モナ子に目を移し、これは例外、という表情で語る。自然、俺もそっちに目が行くが、よく見れば、確かにちょっと俺に似ている気もしてきてつらい。

 しかし、その上で少し違和感だ。なんだろう……

 よく分からないまま、俺は苦しいいいわけをした。

「俺は確かに国賓級のもてなしは受けた。けど……別に俺は、モテなぃし……」

「〝もてなし〟と〝もてないし〟を掛けて言いたかっただけでしょ!」

「ともかく、もてなしは受けたけど、浮気はしてないってことだ」

「なるほどね。浮気はしてないけど、子供は作っちゃったわけね?」

「違うーーーー!!!」

 淡々とした修羅場で、下の方から声がする。

「父上。それ、わらわが開けてもよいか?」

 玉手箱を指さしてるモナ子。

「え? ……いや、だめだだめだだめだだめだ」

「大丈夫じゃないの? さっき空だったし」

 嫁があっけらかんとした顔をしているが、

「馬鹿。わざわざ『間違いだった』って言って持ってきた新しい箱だぞ。さっきのは間違いだったんだよ」

「じゃあ我が調べてしんぜよう」

「いや、お前アテになんないからいい」

 なんかもう、すごい疎外感。六畳一間にこんなに人がいてミチミチなのに、味方一人もいない感……。

「でもな父上」

 モナ子が相変わらず俺を見上げている。

「母上は、この箱を『開けてもいい』って言っとったぞ」

「え……?」

 ……まさかの展開だ。

「開けていいのか……?」

「張り切って開けさせちゃってーーーって言っておった」

 まさかの気変わりだが、いやしかし、『開けてもいい』からとて、開けて無害とは限らない。自分の娘がいる今、影響が広範囲にわたる可能性は下がったものの、依然乙姫の意図は謎のままだ。

 それよりも、先ほどから感じていた違和感の正体に、俺は気づき始めていた。

 俺は微々しゃがみ、モナ子に視線を合わせる。そして、

「あのさ、モナ子は何歳?」

「六歳」

「六歳なのか」

 やけにちっちゃいけど、俺はその答えに内心でほくそ笑んだ。その年齢ではどうあっても子供は産めない。……なにせ乙姫と初めて会ったのが一年前なのだからな!

 俺はどこかの名探偵よろしく立ち上がり、子供を指さすと、

「コイツは、俺の子じゃな……」

「この馬鹿太者ーーーー!!」

 が、セリフを食って嫁の回し蹴りが俺をなぎ倒す。

「へぶしぃぃ!!!」

 俺は床に突っ伏して転がった。嫁が仁王立ちでキレている。

「根拠があるにしても当人の前でそんなこと言ったら傷つくでしょうが!!」

 首から上が取れそうなほどの衝撃で、俺の視界的には嫁も世界もグルグル回っているが、嫁の言う通りなので二の句が継げない。

「はい」

 それをきっかけに活性化された嫁は、テーブルに置かれた新しい箱を、無残な死体となって転がっている俺の目の前に「ドン」と置いた。

「罰として、とっとと開けなさい」

「ええっ……!?」

 情け容赦のない嫁に、俺は空気の抜けた風船みたいな声を上げる。

「アンタが今の今傷つけた、いたいけな少女がはるばる持ってきた箱なのよ!? おわびとして彼女の目の前で開けてあげるのが誠意だと思う!」

「だって、死んじゃうかもしれないジャン……」

「アンタは今、それくらいのことをした」

「あのぅ、俺のこと、ホントにアイシテマスカ……?」

「愛してなかったから七年も浮気しないとかないわよ」

 こんなハイエナさんもいるというのに……とクロムを目に留める。いや、アナタもわりと悪いこと言ってる気もする……。

「さぁ、根性一発開けちゃいなさいよ。さっき、私開けたよねぇ?」

「……」

 超絶美人なのに、心の中は完璧肝っ玉カーサンだ。ここで断ったらそれこそ愛想を尽かされかねない。

 だけど……

 ……

 ……絶対、アブナイと思うんだよなぁ……。

 シチュエーションと、乙姫のヤバさを鑑みて、『箱を開けたら幸せになりました』という将来が思い浮かばない。

 だけどもう、どうしたらいいんだろうっていう余地も与えられてない。あと一撃クリティカルヒットをもらったら、間違いなく死ぬHPしか残ってないからだ。

 俺は座り直し、ゆっくりと箱の緒に手を掛ける。少し引っ張るだけでするすると抵抗もなく解かれる玉手箱。

 そして俺は……目をつむって覚悟を決めた。


 きらびやかな貝と真珠で彩られた蓋。これだけで宝物のようではある。

 それを静かに持ち上げ、身の丈だけずらした俺はその次の瞬間……目を見開いた。

 箱からはまばゆい光がほとばしった……わけではなく、煙幕のような白い煙が急速に広がっていった!!

 ……のでもない。

 箱の中には、ハサミで不揃いに切った小さな紙が、何枚も束になって入っていたのだ。

「……」

 訳が分からないが、その一番上の紙。何もしないでも目に入ってくるその紙に一言。すっごいヘタクソな文字が書いてあったのだ。

『おかえり』

 俺は何も言えず、嫁を見上げる。何かしゃべりたいが、口が開かない。

 やっとの思いで喉から出た言葉は、

「なんだと思う……? これ……」

 嫁は、ニコニコと微笑んでいた。その隣でモナ子も、なんかニヤニヤしている。

「おかえり、だよ。パパ」

「パパ……?」

 嫁の言ったことが理解できない。俺がキツネに頬っぺたつつかれたような顔をしていると、嫁はモナ子を指さして、

「これ、ホントにアンタの娘よ?」

「え……?」

 モナ子は同時に俺の方に駆け寄って、箱の中の紙に手を伸ばし、

「ほれ、ちゃんと見てくれんか」

 箱をひったくって、代わりに中にあった紙の束を渡される。みれば、『おかえり』の次の紙には、ヘタクソな文字で『かたたたきけん』と書いてある。以後全部、一枚一枚手書きの『かたたたきけん』であった。

 俺はまだ釈然としない。顔を上げて、「どういうこと……?」という表情で説明を求めると、ようやく嫁が動いた。

「つまり、アンタこの子を乙姫の子だと思ったんでしょう? だからこんなに大きい子がいるわけないとか思った」

「……」

「だけど、もう一人、これくらいの子を産める女が、アンタの身の周りにいるでしょう?」

 クロムは面白くなさそうな表情を浮かべてはいるが、もはや誰も気にしない。俺は座ったまま、呆けてしまっている。

「……お前の子……?」

「それと、アンタの子よ」

「え……いつ生まれたんだ」

「アンタが旅立つ直前の置き土産」

「マジかーーー!!」

 いやしかし、疑問が残る。

「この箱と、乙姫が渡した箱が同じだったのはどういうことだよ」

 モナ子はしかも、『間違って渡した』と言っていた。乙姫と通じてなければできない話だろう。

 が、嫁の答えは明快だった。

「私、エルグランドの出身なの」

「え!?」

「ついでに、乙姫の妹なの」

「ええええええ!?」

 あの姉をしてこの妹ありか!!!

 今の今、すべての謎が解けた俺に、嫁は続けた。

「七年前に、アンタにエルグランドの窮状を話したの、覚えてる……?」

「……」

 そういえば……。

 長い旅だったからすっかり忘れていたが、エルグランドがジャマイカの侵略を受けていることを初めに語ったのは、他でもない嫁の口だった。

 だから旅に出た。それが分かってるから、嫁は七年も辛抱強く待っていてくれた。のか。

「アンタが帰ってくる前に、姉さまから連絡があったのよ。『ありがとう』って。そして『お主に負けたわ。幸せにな』って」

「じゃあこの箱が同じものだったのは……」

「その時に姉さまが送ってきてくれたものよ。もともとこれは文箱なの」

 な……なるほど……。

 思えば、今までにもいくつか、その真実をを導き出すヒントがちりばめられていた。

「父上。わかったか! わかったら遊ぶぞ!!」

「お前のしゃべり方が紛らわしいんだ!!」

 こんな言語教育を施すとか、さすが嫁だが、確かにあるいは竜宮城で育ったなら、幼少期にこのしゃべり方をさせるのも納得できる。竜宮城にいた童たちはみなこういうしゃべり方の特徴があった。嫁がエルグランドの民であるのなら……。

 それにしても、嫁はともかく、コイツは大した役者だなと思う。母親と打ち合わせたことを忠実に守り、自分を演じきっていたのだから。

「お前もそれに一役買ってたわけだな?」

「セントルシアの頼みだからの。やむを得ずよ」

 この、決して結ばれないのに一途なオジサンのクロムも、完全に口裏を合わせていたことになる。嫁には、困ったら俺がクロムを呼ぶということも完全に想定内だったのだろう。

 サプライズ。……確かに我が子の存在は、厳しい旅から戻ってきた俺への、最大のサプライズだと言えた。


 ……まぁしかし、これで本当に旅が終わった気がする。俺はほっと胸をなでおろした。

「父上、お外行こう!」

 とんだもてなしだったけど、俺にも本当の平穏が訪れたってことだ。俺はモナ子に手を引かれながらそんなことを考えていた。

 これでやっと、ふかふわの布団に眠り、グルメに興じることもできる。子供と戯れ、妻に愛され、この温かみのある集落で身を落ち着けることができる。

 ……そんなことを考えながらモナ子と外で遊んでいると、遠くからペタンペタンと地面を踏み鳴らしてこちらに向かってくるモノを発見した。

 いやまぁ、普通の人間なら気にも留めないのだが、そのペタンペタンは、人ではなかったのだ。

「ども、お久しぶりです」

「おお、お前か!!」

 俺がエルグランドへの旅に出てから、セネガル海岸に到達した時、なんかトランプみたいな子供たちにいじめられていた海ガメだ。確か名前をカナダ(金田)という。

「元気か金田」

「元気ですが、この道のりは少々海ガメにとっては酷ですなぁ」

「そりゃ、ずっと陸だからな。っていうかなんで来た」

「いや、乙姫様から遣いを頼まれまして。それならぜひわたくしめに……と名乗り出たのですわ。貴方様にも会いたかったですしなぁ」

「それはわざわざスマン。それで……乙姫のお遣い……?」

「はいはい」

 そういうと、……というか、もともと甲羅の上に括りつけてあったので丸見えだったのだが、家にある二つの箱と同種の箱をヒレで指さした金田は、「受け取ってください」という。

「また、玉手箱……?」

「はい。それと、乙姫様からの伝言で、『やっぱくやしいから、こっちも渡しとく』とのことですわ」

「おいっ! またか!!」

 しかも『やっぱくやしいから、こっちも渡しとく』……?

 ヤバいフラグしか立っとらんのですが!!

「『決して開けるでないぞと伝えてほしい』と、会心の乙姫スマイルで言われましたんで、相当なものだと考えていいですなぁ」

「持って帰れーーーーー!!!」

「もらっていい? 父上」

 手を伸ばすモナ子。に、ひきつけを起こす俺。

「やめろぉぉぉぉーーーーーー!!!!」


 ……前言撤回、俺の平穏はまだ始まってないようだった……。

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