五日目……一難は去ったけど
どうしよう、ミシェイスが明らかに困ってるんですけど。眼がきょとんとなってるし。そんな顔も素敵だけれども。
まさか私たちの言い争いの渦中にいるのが、こんな見たこともないヘンテコな小動物だとは思いもしなかったのだろう。どう反応すべきなのか頭の中で必死に考えている姿を見ていると、本当に申し訳ない気持ちになってくる。
「はっきり言いますが、私は生物の臓器に興味はありません。心理や行動には興味ありますが。皮膚を切り裂いて中身を見たいなど思ったこともない。あまり血を見るのが好きではありませんしね」
絹糸のようにさらさらと風に揺れる髪を押さえながらリオンが言う。
そうか、彼は血が苦手なのか。まあ私も好んで見たいとは思わないけれど。
「……じゃあ本当に私の能力だけを評価して、助手にしたいと言ったと?」
「そうです」
うーん、さすがに特務騎士の前で嘘は付かない、か。絶対そうに違いないと思ったんだけどなあ……勘違いなのかなあ……勘違いなんだろうねえ…………悪いのは私なのよね……はぁ。
「分かりました、信じます。早とちりしてすみませんでした」
頭を下げて謝る。顔を上げると、自然な笑みを浮かべたリオンと眼が合い、心臓が大きく脈打った。
ほんと、彼の中には天使と悪魔が同居してるなぁ。
「では助手になっていただけますね?」
「それは……ごめんなさい。お誘いは本当に嬉しいのですが、行かなければならないところあるんです。……最初からこう言ってお断りすればよかったですね」
もう一度深く頭を下げる。リオンがどんな表情に変わっているか正直見るのが怖かったが、いつまでも上げないわけにもいかないので、心持ちゆっくりと上体を起こす。すると、驚いたことに彼は表情を変えていなかった。
「仕方ありませんね、とても残念ですが諦めることにします」
「本当ですか!?」
ぜぇぜぇ言いながらここまで追いかけてきたのだ。簡単には引き下がらないだろうと思っていたのだが、リオンは“出来た大人”だった。ナナがカラッとハム揚げにされると勝手に思い込んで逃げ出した自分が恥ずかしくなった。
「無理強いしたくはありませんから。私の誘いを断るのは貴女が初めてですよ、ヒュリさん」
「ですよね……」
初めて誘いを断った女として彼の記憶に残るのかと思うと顔がひきつる。
「またユーシュカーリアに来られたときは訪ねて来て下さい。助手になっていただくことは無理でも、話し相手にはなっていただきたいですから」
多分もう二度と来ない……来れない。そう考えたとき、気が付いた。
雷華が旅を終えれば、全てなかったことになる。この世界の人の記憶から私は消え去る。――彼女がそうであるように。
「どうかしましたか?」
「きゅ?」
返事をしない私を、ナナとリオンが不思議そうに見てくる。
「……ええ、是非」
混乱する気持ちを押し隠して私は笑顔で頷いた。
「ミシェイス殿、申し訳ありませんがヒュリさんを通用門まで送っていただけますか? 私はモウロクジ、いえ聖師ブラウに先ほどぶつかった謝罪をしに……ミシェイス殿? 聞いておられますか?」
「は、はいもちろん。ヒュリさんをお送りすればよろしいのですね」
少し慌てたように、ミシェイスは頷く。
この人、今までずっとナナのこと凝視してたからなー。彼女がどういう生き物なのかが気になって、私たちの会話があまり耳に入っていなかったんでしょうね。それでも大事な部分は聞き逃してないから流石というべきか。
っていうか、リオンさん今明らかにモウロクジジイって言いかけたよね? ブラウさんってもしかして私がぶつかりそうになった人のことかな。
「特務騎士の貴方にお願いすることではないことは承知していますが、よろしくお願いします。それではヒュリさん、失礼します。また会うのを楽しみにしていますよ」
「私も、楽しみに、しています。お元気で、リオン様」
来た道を戻っていくリオンの後姿を見送る。色々あった――事をややこしくしたのはほぼ私だ――けど、彼と会えて良かった。これで仲良し? 三人組で会っていないのはルークだけだ。黒犬王子を見れるのはいつになるだろうか。
「では、お送りします」
かしこまった仕草で私をリオンとは反対の方角へ誘うミシェイス。賓客を扱うようなその態度に、私は足を動かす前に異を唱えることにした。どう考えても間違っているし、何より落ち着かない。
「お願いします。あ、あの最初の時みたいに喋ってもらってもらえないでしょうか。私はこれ以上ないほどの一般市民ですので、敬語はその、何ていうか気まずいといいますか……」
「……ああ、分かった」
ミシェイスが頷いたのを見て歩き始める。先導するのかと思っていたら、歩く速度を合わせて並んできたので緊張で口から心臓が飛び出そうになった。
「君はリオン殿の客人という地位を驕ったりしないのだな」
緑溢れる静かな道をしばらく歩いていると、ミシェイスがぽつりと零した。緊張を景色で落ち着かせようと努めていた私は、一瞬彼が何のことを言っているのか分からなかった。
「え、驕るって何をですか? リオン様の客――と言えるのかすら微妙ですけど――だったとしても、私自身の立場は何も変わらないですよね?」
「まあそうだが」
「それに……騎士様に剣を向けられたりしたら、地位を威張るも何もないと思いますよ」
「ははっ、確かにな」
声を出して笑うミシェイスは鼻血が出そうなほど格好よくて、私は慌てて顔の下半分を手で押さえながら視線を逸らした。




