むかえ
フリードリッヒの葬儀は、彼が入院していた病院の中にある教会で行われた。参列者はほとんど病院関係者で、人づき合いが少ないフリードリッヒの寂しい生活を想像させた。
クラウスは葬儀中涙一つこぼさず、フリードリッヒの棺が地中深く埋められていく時も、じっと静かに見守っていた。
参列者が去った後も、クラウスと俺はその場に残った。
新しい墓特有の湿った土の匂いが、あたりに立ちこめていた。
「フリードリッヒは自殺したのかな」
やるせない気持ちを呟くと、クラウスが感情のない静かな声で、
「おそらくそうでしょう」
と答えた。
「兄さんは僕に言ったんです。死ぬ前日に。もう、楽になってもいいかな? って。僕は、引き留めることができなかった。兄さんが本当に求めているものがわかっていたから。ようやく、牢獄の中に閉じこめていた自分自身を解放する気になったんだ。そう思えてうれしかった。新しくやり直していくには、兄さんは傷つきすぎてしまった。本当の安らぎがあちら側にしかないのだとしたら、こちら側に留まれと言うのは酷すぎるのではないか。そう思えて。僕は、黙って兄さんの問いかけにうなずいた。兄さんは、ありがとうと僕に言った。迷いのない澄みきった笑顔を浮かべて。僕は、死のうとする兄さんの背中をこちら側に引き寄せもせず、逆にあちら側に押したんです。最後の引き金を、僕が引いた」
クラウスの両手が小刻みに震えている。
「行かないでって泣いて呼び止めたら、兄さんは死ななかったのでしょうか」
夏の日の緑を思い出させる深緑色の瞳から、涙が零れ落ちた。
「頭では間違っていなかったとわかっているのに。やりきれないんです。もっと兄さんと一緒にいたかった。あんな消毒液の匂いがしみこんだ狭い病室ではなくて、もっと明るくて暖かな美しい場所で。何もしゃべらなくてもいい。ただ、同じものを見て、同じ空気を吸って、一緒に座ている。それだけで」
最後に会った後、許されたことでよほどほっとしたのかフリードリッヒの容体が急変した。よくあの状態で真夜中にたった一人病室を抜け出し、木立の中まで移動出来たものだと、フリードリッヒの担当の医者が話していた。
「おまえがフリードリッヒの背中を押したわけじゃないさ。たとえ呼び止めたとしても、フリードリッヒは逝っただろう。事前にお前の許しを得られて心置きなく逝たんじゃないか? ほんと、最後まで自分勝手な奴だよな」
クラウスの涙が伝染したのか、目の前がぼわぼわとゆがんだ。
「ほんと、馬鹿野郎な人でなしだ。ひどいじゃないか。俺たちの気持ちはまるで無視で、こんなに突然、さよならの一言も言わせないでさ」
あの時と一緒だ。
父が死んでフリードリッヒがいなくなった時と。
あの時も俺は、フリードリッヒにさよならと言っていない。
あまりにも突然に姿を消してしまったから。
俺はようやく会えたフリードリッヒに、死ねだとか必要ないとかそんな悪態しかついていなかった。
思い通りにならない気持ちにいらだって、フリードリッヒに八つ当たりしてた。
小さな子供のように。
フリードリッヒの前にいると、あの頃の俺に戻ってしまう。俺の気持ちを受け止めてくれる、父よりも身近な存在だったから。
今度もそうしてくれると思ってた。彼に甘えてたんだ。どんなにひどいことを言っても判ってくれるって。本心じゃない。ちゃんと伝わってるって。
俺は、フリードリッヒに死んで欲しいだなんてこれっぽっちも望んでやしなかった。
「本当は、また会えてうれしかったんだ」
ずっと気にかけてくれたことを知って。捨てられたわけじゃないんだとわかって。
「俺はフリードリッヒがいなくなった淋しさを、ずっと彼を憎むことでごまかしていた。そのことを認めたくなくて見栄を張っていた。俺は素直じゃなかった。まだ何もフリードリッヒに伝えてない。俺はまだ、何も言えてない。言いたいことを一つも。なのに、ひどいじゃないか」
気持ちが高ぶる。押さえきれない気持ちが、口から外にあふれ出ていく。苦しくて仕方がなかった。
「ふざけんな!」
クラウスは何も言わず、ただ俺の手を取って寄り添った。飛び去ってしまいそうな心を、つなぎとめようとするように。こんなに細くて小さな手なのに。とてつもない力を感じる。圧倒的なたくましさではない。細くしなやかな、竹のような強さだ。
「ヴァルター。兄さんのことを見殺しにした僕のことが憎いですか?」
クラウスは泣きそうな顔のまま、口元にだけに微笑みを浮かべた。
「いいですよ。憎んでも。それであなたが元気になるのなら」
俺は涙をぐっと拭って、クラウスの頭を軽く叩いた。
「やめておく。そんなことをしてもいいことない」
そもそもそうしたせいで、ひどい回り道をすることになったんだ。また同じことを繰り返すのは正直しんどい。
「あの、ヴァルター」
クラウスが俺の名を呼んで、何か話しだそうとした。しかしひと言も言わずに、口を閉ざしてしまう。
「何?」
先を話すよう促すと、別に何も……と一度は打ち消しかけたが、クラウスは軽く唇をかんで目をつぶり、すぐに開いた。
「またあなたに会いに行ってもいいですか?」
俺は驚いてクラウスの顔を見返した。
「だめ、ですか?」
クラウスの声が、尻つぼみに小さくなっていく。
俺は問いに答える代りに、不安そうに震えている彼の唇を奪った。
驚いた彼は、昼日中なうえに兄の墓の前という背徳感から身を離しかけたが、すかさず下唇を強く吸って舌を絡め取ると、徐々に抵抗は弱まった。
「突然ひどいです」
ようやく唇をはなした俺を、クラウスはにらみ抗議した。
「言葉よりも、俺の気持ちが伝わっただろう?」
クラウスの顔が、みるみる紅潮する。
思わず俺は噴出して、笑い声を立てた。
かさかさと風が音をたてて通り過ぎる。
俺はフリードリッヒの墓に背を向け、歩き出した。
「はやく来ないと置いて行くぞ」
クラウスが追いついてくる気配を背後に感じた。
フリードリッヒが死んでしまったことは残念でならない。
でも、彼の死で、俺たちは囚われていた囲みから解き放たれた。
これからは二人で足りないものをおぎあいながら、なくした過去を取り戻していくのだろう。
そして、もう聞くことができなくなってしまったあの人の声を聞くんだ。誤解が生んだ、悲しみを乗り越えて。
フリードリッヒが全てを結び付けてくれた。彼がいなければ、クラウスに出会うこともなかっただろう。
フリードリッヒ。
やっぱり俺、あんたのことが好きだったよ。
今まで待っていてくれて、ありがとうな。
氷のように冷え切った闇の中。
物音さえ、凍りついてしまいそうな静けさの中。
木の根元に寄りかかって、一人迎えを待っていた。
彼は折り重なった木々の間から姿を現し、真っ直ぐこちらに向かって歩いてきた。
少年は相変わらず美しかった。
顔ではなく雰囲気が。
こうやって目の前にしていても、彼の顔はぼんやりとしか思い浮かばない。
会うたびに違う顔に見える。
今日はどことなく、ヴァルターに似ている気がした。
クラウスにも似ている気がする。
目の前で足を止めた彼は、じっと僕を見おろした。
何も言わず。
「僕にはまだ、資格がありますか?」
手をさしのべると、白くひんやりした手の平が、僕の手を取った。
少年の顔はいつのまにか、ハイネスさんの顔になっていた。
「行こう。フリードリッヒ」
懐かしい声がそう言って、座りこんでいた僕の体を引き上げた。
「もう何も、心配いらないよ」
僕は戻っていく。
ずっとずっと昔へ。
まだ、罪を犯すことのなかった無垢な時代へと、戻っていくんだ。
― 終 ―
どうにか最後まで書き終えることができました。
結構穴の多い出来上がりになってしまったけれど。
考えれば考えるほど、こいつがこんなこと言うかな? とか、こんなことするのかな? と気になって仕方がなかった。
もっとドロドロした話になる予定だったのですが、登場人物たちに情がうつってこのありさまです(笑)
しかし、ずるすぎる兄弟になってしまった。
遠慮しがちに見せかけて、ぐいぐいと追い詰めていくあたりが。
途中でヴァルターが気の毒で仕方がなくなってしまった。
東ドイツ感があまり出せなかったところが残念でした。
ここおかしいんじゃない? ってところがたくさんあるだろうし(だけど強引に書き進めちゃったけれど)
昔NHKで放送された海外ドキュメンタリーが元ネタっていえば元ネタなのかな。
もちろん男同士の怪しい話ではなかったです。
子供と彼の子守をしていた女のひと(子供の両親の情報を流していた)の話だったはず(記憶が定かではないけれど)
信頼していた人が実は情報提供者だったことを知って、その後の人生が変わった人もいたんじゃないかなと思うとやりきれない気持ちになります。
どうせなら、何も知らせずにいてくれたらよかったのにと。
最後までおつきあいいただきありがとうございました。




