*16 威力偵察
翔子の選んだ武器リストと、翔子の壊したビデオカメラ。この二つが、今日の仕事である。
敵地襲撃の予定は、三日後。それまでに準備を終わらせないといけないので、この二つに掛けられる時間は一日が限度だ。
尤も、ビデオカメラを解析した結果如何によっては、予定が伸びたり縮んだりするのだが。
ただ、今日の仕事は半日以内に終わりそうだった。
リストアップされた武器の整備はそこまで時間のかかる項目ではないし、問題のビデオカメラも、そこまで深刻ではなかったのだ。
いや、ビデオカメラ本体の破損は、深刻を通り越して手遅れなレベルである。無事な部品がほとんどなかったので、型式を調べて新しい本体を買ったほうが早い。
しかし、データは無事だった。
このカメラ、データ保存にはSDカードを使っていて、それが幸いしたのだ。その薄さ故か、外装や端子こそ傷ついていたものの、データが保存されている部分は無事だった。これなら、すぐに中身が読み込める。
データのサルベージは、一時間で終わった。慣れない作業なので苦労したが、時間には十二分の余裕がある。
しかし、録画中に機器が破壊されたからか、データの一部に破損が見られた。しかたがないので、サクサクっと修正。完全復元とまでは行かなかったが、必要なデータは手に入るだろう。
早速、データを検閲することにした。
動画ファイルの長さは、五分。そんなに長いものではない――というか、短い。翔子がかなり早いうちに破壊したのだろう。
再生時間は短いのだが、未圧縮なので容量はそれなりにある。最高画質なので、検証も捗るだろう。
動画を再生。
最初に映ったのは、どこかの研究施設だった。ハッキリとは断定できないのだが、この壁からは研究施設の臭いがする。結構な時間を研究施設で過ごした、響子の勘だ。
これは恐らく、ベクターズを生産している研究施設だろう。映像を、一時停止してみる。
……とは言うものの、映っているものといえば壁ぐらいだ。素材は、恐らくチタンだろう。厚さはわからない。実際に触ることができれば、おおまかな厚さや強度はわかるのだが。
現状、こちらが保有している破壊力での破壊は、可能なのだろうか?
襲撃の際に壁を破壊したくなる可能性はある。侵入、牽制、脱出……戦術の他にも、長期的に相手の行動を阻害するために研究施設を破壊するというのも、戦略としてはアリだろう。
無論、壁が破壊できなくても大丈夫なようにいろいろ策は巡らせているが、壁が破壊できるならそれに越したことはない。
……現場に着いたら、確かめよう。
響子は、映像を再び再生させる。
ミュートで撮影していたわけではないらしく、物音などの雑音が混ざっていた。人の声も、聞こえる。
『八重坂さんは簡単に言うが、トランセンデンターに協力してる企業なんて、どう調べればいいんだよ』
その人物――声的に考えて、男だろう――は、何やら愚痴をこぼしているようだった。聞きなれない人物名と単語は、響子の興味を誘う。
『ああ、俺もわからん。主任も今回は頭に来たみたいで、こんなアホらしいことさせたのも、八重坂さんへの当て付けだって噂だ』
もう一人の男の声。どうやら、八重坂とかいう上司のことで、愚痴をこぼしているらしい。口ぶりから察するに、八重坂には何度か無茶な要求をされているらしい。
『なるほどな……。確かに、よくわからない施設の映像を送りつけるってのは、会津さんらしいな……。子供っぽいというか、しょうもないというか……』
よくわからない施設――ちょうど今響子の居る、この施設のことだろう。確かに、ここがインセクサイドの研究施設であることを知っている人間は、少ない。
会津というのは、先程のセリフで出た "主任" と同一人物だろう。
『そもそも、あの施設がトランセンデンターに協力してる企業だって証拠もないしな。トランセンデンターが入り浸ってて、かつ怪しいってだけで』
この何度か出ている "トランセンデンター" という単語は、恐らく翔子のことだろう。この施設に入り浸る外部の人間は、翔子ぐらいしか居ない。
そして、翔子のことをトランセンデンターと呼んでいるということから、彼女に対して何らかの知識を持っていると推測できる。トランセンデンターの呼称は、多分 『超越した』 の意味を持つ 『Transcendent』 をもじったものだ。用意したベクターズを殺害する邪魔者という認識なら、こんな大層な名前をつけるのは不自然だろう。
だとすると、むしろ翔子の融装能力に注目している可能性が高い。
ここから導き出される結論は、二通りある。
まず、 『この組織はベクターズの研究を行っていたが、何度も翔子に邪魔をされるうちに、彼女に興味を持つようになり、調査を開始した』 ――というもの。
次に、 『この組織は、翔子の融装能力の根幹に関わっていて、今も彼女についての調査を行っている』 ――というもの。
響子が推すのは、後者だ。なぜなら、 "できすぎている" からである。
これまでのベクターズの目撃報告には、ある共通点があった。
それは、どれも 『翔子がすぐに駆けつけられる範囲』 、ということだ。
そもそもベクターズとまともに戦えるのが現状では翔子とキャサリン以外に居ない。この二人が対応できない場所にベクターズが現れれば、犠牲者が出て、問題は表面化するだろう。しかし今は、化け物の噂程度で住んでいた。
勿論、全くの偶然の可能性もある。
しかし、ベクターズを生み出している組織が、 "意図的" に翔子の活動圏内にベクターズを放っていたのなら、どうだろうか。
できすぎた偶然は、狙われた必然となる。
『もうわけわかんねえな……って、おい。この筋肉ウサギ、勝手に録画始めてるぞ』
『うわ、マジかよ。お前しょうもないとか言ったの主任に聞かれるぞ』
『それは厄介なことになりそうだ……後で編集するか?』
『それがいいだろうな……。これ以上聞かれるのも面倒臭いし、とっとと現場に転送するか』
『ああ、行くぞ』
『転送開始!』
会話はそこで途切れ、ボタンを押すような音と共に、映像が明滅した。しばらくよくわからないものが流れた後、夜の景色が映し出される。施設の付近だ。それから少し経って、翔子の声と、やけに可愛らしい悲鳴が聞こえ、カメラが落下し、雑音と同時に映像が停止した。
施設の近くに転送されて、翔子の蹴りを喰らい、カメラは落下し、踏み潰されたのだろう。翔子の証言と同じ流れだ。
短い映像だったが、興味深い情報が得られた。
翔子の融装能力は、ベクターズを生み出している組織と関わりがある。もしかすると、その組織が融装能力の出処かもしれない。
今まで、融装能力についてあまり深く追求してこなかったのは、翔子が何も知らなかったからだ。ある日突然得た能力で、心当たりといえば蚊に刺されたことぐらいしか無い――というのが、彼女が吐いた嘘とは思えない。
だから、ある意味で彼女は被害者だ。それも通り魔のような、突発的に起こった出来事の被害者。そんな相手に深く追求したところで、当時の状況ぐらいしかわからない。
しかし、容疑者の見当がついた今なら。
あの能力をどうしたいのか、彼女の意志は聞いていない。しかしもし、心の底で拒否していたのなら。
なら、どうする。
答えは、そこまで難しいものではない。むしろ、力の出処がベクターズと同じかもしれないという事実のほうが、扱いにくかった。
最近はあまり考えていないようだが、翔子は自らが化け物なのではないかと悩んでいたことがある。
あの時は響子が励ましたが、今回は励ましきれるかわからない。何しろ、由来が同じかもしれないのだ。
化け物と人間の違いだとか、訊かれてもわからない。心とでも言っておけば押し通せるかもしれないが、もし心を持ったベクターズが現れでもしたら一瞬で崩壊してしまう。そもそも心の定義すら不明だ。
翔子を傷つけないための具体的な策が出てこないうちは、この事実は隠しておいたほうがいいかもしれない。
響子は、動画ファイルの入ったフォルダを、三十二桁のパスワードを掛けて圧縮した。
※
会津 爽香は、少しばかり機嫌を損ねていた。
私物のビデオカメラが壊されたのは、まあいい。アレはもともと買い換える予定だったし、処分の手間が省けたと思えばむしろ運が良かったとも言える。
部下が微妙にほっとしていたのも、まあいい。そもそも彼らが自分に聞かれるのを懸念していたであろう会話は、バッチリ聞いている。子供っぽいとかしょうもないとかは、よく言われるのでもう無視していた。
爽香が機嫌を損ねている理由は、弥十郎への嫌がらせの手段が一つ潰れてしまったことだ。
致命的な事故が起きたわけではないので、またモノを用意すれば実行できるのだが……ビデオカメラも、諜報用のベクターズも、また用意するのは面倒臭い。
撮影したらすぐ逃げられるように、脚力特化のベクターズを作ってみたのだが、これがなかなか手間がかかってしまったのだ。もうやりたくない。
ビデオカメラを改造して、リアルタイムで映像が送られてくるようにすればよかった。仕切り直しになるぐらいなら、そっちのほうがまだマシだ。横着してビデオカメラをそのまま使ってしまったことが、悔やまれる。
もういい。面倒なので、ローカル検索サービスで施設の衛星写真を入手し、印刷して叩きつけてやろう。
因みに、件の施設はどのサービスでも規制が入っているようで、詳細はわからなかった。こちらの所属している――勧華製薬の研究施設が地下にあるのは、隠密性の点で有利だからである。こちらのやっていることは正真正銘の悪徳事業なので、大企業に金を握らせてもまずいことが起きるのだ。
金を握らせるだけではなく抱え込んでしまえばいいのだが、勧華製薬にそこまでの資金は無かった。
まあ、いい。いずれ支配する相手だ。そのための研究も、私的に進めている。
とりあえず、規制で一部に光が入った衛星写真を印刷した。これを 『調査の結果』 と言って提出するのだ。弥十郎も、これで少しはストレスを溜めるだろう。その後の対応については、あまり考えていない。
とにかく、相手に不快な思いをさせれば目的は達成だ。
印刷した写真を、調査の結果と書いたプラスチックのファイルケースに入れる。提出は、昼休みが終わった辺りでいいだろう。
余った時間で、個人的な研究を進める。爽香は座り直し、ブラウザを閉じた。
※
実験生物部門から提出された報告書は、ふざけたものだった。昨夜の食事の際に起こした胸焼けが、悪化しそうな勢いだ。
内容は、トランセンデンター一号の入り浸る建物の住所と、その航空写真。航空写真には規制が入っているのか、建物の実体はわからない。
因みに、トランセンデンターの居場所は、次元干渉センサーでサーチしている。トランセンデンターの行う強力な次元干渉をサーチし、場所を特定する装置だ。ただし肉体の四次元化を行っていない場合は、次元干渉が微弱なのでセンサーの反応も微弱である。よって、動向を完全把握するのは難しい。
しかしそんな難しい中でも入り浸っているのがわかり、なおかつ怪しい施設がここなのだという。この他の候補は公衆トイレなので、恐らく無関係だ。
……とりあえず、住所が記されているだけマシだと思っておこう。爽香には、それぐらい寛容に接しないと胃が保たない。
住所がわかれば、現地調査ができる。
弥十郎は、棚からアンプルを一つ手にとった。CODE-T3を大量生産向けに調整したものの試作品だ。誰で試そうか考えていたところだが、ちょうどいい。今この瞬間、自分に試してしまおう。
これは……想像を絶する効果だ。
悪化しそうだった胸焼けがスウッと治り、若者時代に感じた全能感にも近しいものが弥十郎の脳内に広がった。手首に現れた痣は、トランセンデンター特有のものだ。
これが、トランセンデンター。人類の新たなる一歩。
早速、トランセンデンター一号が入り浸っているという施設の視察に行こう。移動には、実験生物部門が独占している転送装置を拝借する。アレは爽香が開発したものだが、全く関係ない理由で予算を捻り出したものだ。結果的に役に立ってはいるが、不正であることに変わりはない。そこを突けば、使っても邪魔はされまい。
まあ、文句は言われるだろうが。
※
その気配は、いつもとは違うものだった。
ベクターズ出現を感知した翔子は、しかし違和感に頭を悩ませる。
今日のアルバイトは午前シフトなので、出撃する際の障害はない。だが、この違和感の正体が気になった。
嫌な予感と共にライダースーツを着込み、バイクに跨る。
場所は、インセクサイドの施設近くだ。また、偵察なのだろうか。
だとして、この違和感はなんだ。
翔子は第六感をフル稼働させ、ベクターズの出現地帯を探る。
――いつもの出現プロセスが終わっても、次元への干渉が続いている……?
なぜ、そんなことが起きているのだろうか。
バイクを奔らせながら、翔子は考える。しかし考えたところで、そう簡単に思いつくものではない。継続的な次元干渉に、心当たりがあればいいのだが――。
そこまで考えて、翔子は思い当たった。答えは、すぐ近く――いや、翔子自身が、答えそのものだ。
次元干渉を感知できるのは、次元が歪められたその瞬間に限られる。歪んだ状態で放置された場合、それは歪みが定着した状態になり、感知できなくなるのだ。例えば、レヴァンテインの動力。あれは次元を歪めて強引に永久機関を創りだしたものだが、次元は歪んだ形で定着しているので翔子の第六感では感知できない。――という仮説を、少し前に響子から説明された。
そして、翔子の身体は常に次元干渉を行っている――という説明も、受けたことがある。生命活動を行っている都合上、継続的に次元に干渉しているだとかなんとか。
なので、もし翔子と同じような存在が居たとすると、それは継続的に次元干渉を行っているということになり、翔子の第六感には常に反応があるということだ。
ということは、つまり。
翔子と同じような力を持った相手が、インセクサイドへの接触を試みている。
敵か味方かは分からないが……ベクターズと同じ現れ方をした以上、第三勢力というのは考え難い。恐らく、ベクターズに近しい存在だ。
そこに思い至ってから、ある考えが翔子の脳裏をよぎる。
一度思いついたことは、なかなか頭から離れない。それが嫌なものであればあるほど、脳に強くこびりつく。頭を振っても、頭を掻いても、こそげ落ちることはない。
この力の、出処は。
ベクターズと同じ所にあるのではないか?
※
これはセンサーのエラーだろうか。
ベクターズの出現を感知するこのセンサーは、翔子の第六感と (恐らく) 同じで、次元の歪んだ瞬間を感知する。
だからこうして継続的に反応が出ることは、本来ならばありえないことなのだ。それに、反応は少しずつ動いて――こちらに向かっている。
ベクターズの転送が継続的に行われているとは考え難い。なら、一個体が継続的に次元干渉を行っていると考えるのが自然だ。
そんなことができるのは、翔子ぐらいのものである。
しかしこのセンサーは、機械的処理で翔子の干渉波を弾いていた。よって、翔子がこのセンサーで感知されることはない。
ならば、このセンサーに反応しているのは一体何者なのか。
まあ、答えはシンプルだろう。
何もしていないのにエラーを吐くほど、このセンサーはヤワじゃない。
午前中のことも考慮するなら、多分、翔子と同じような力を持った相手だ。確か、トランセンデンターと呼ばれていた。
翔子は――トランセンデンターは、無類の強さを誇る。そんなものが単騎で来るということは、何らかの交渉だろうか。――いや、こちらの実体を掴みきれていない以上、向こうから交渉の席を設けるとは思えない。単騎というのは、同じ立場で話しあうための最低限の戦力というわけではなく――それで十分と判断した、戦力なのだろう。
制圧が目的なら、それなりの物量も必要だ。ならば、相手の狙いは威力偵察といったところか。
こちらの実体が知られていない以上、そのアドバンテージは大切にしたい。こんな厄介なお客様は、返り討ちにするべきだ。だが、できるのか?
本来ならキャサリンに対応してもらうところなのだが、いかんせん相手が悪かった。ヴィディスの性能で翔子の同類――トランセンデンターとまともにやり合えるのかと訊かれれば、首を横に振るしかない。相手が翔子よりも弱い可能性はあるが、楽観は危険だ。むしろ、翔子より強い可能性だってある。
そんな相手にキャサリン一人をぶつけるのは、看過できないことだった。
せめて翔子が居れば――。
そうだ、翔子だ。ベクターズ出現と同じ反応があったのだから、今こちらに向かってきているはずだ。
同じトランセンデンターなので、翔子ですら危ないが、二人いれば勝機はある。キャサリン共々こんな極端に危険なことに巻き込むのは本意ではないのだが、ここで情報が漏れてしまえば更に厄介なことになりかねない。二人に頑張ってもらうしか無かった。
「テキは!?」
キャサリンを呼ぼうと思ったその瞬間、彼女がチーフルームに駆け込んでくる。ジャストタイミングだ。この息の合い方は日頃の成果だろうか。
「まずいのが来ている。極めて危険な相手だろうから、翔子君が来るまでなんとか時間を稼いでから、二対一で叩きたいところだ」
事情を話すと、キャサリンは真剣な表情になる。それは彼女の滅多に見られない一面だった。
「マズイノ?」
相手がどのようにまずいのか、どう伝えるべきか少し迷う。まあ、長々と説明している暇はないので、手短に伝えてしまうべきだ。
「翔子君並み、あるいはそれ以上の相手だ。普通に戦えば、勝ち目はない」
それを聞いて、キャサリンは一瞬怪訝顔をした。なぜそんなことがわかるのか、と問おうとしているような顔だったが――すぐに真剣な表情を経由し、普段の表情に戻る。
「ワカッタ。時間カセイデルヨ」
彼女はそう言って、部屋を出た。
なぜ相手のことがわかったのか、それはおいおい説明しよう。しかし力の出処を察する可能性があるので、翔子には秘密にしておく。いつ明かすのか、それとも墓まで持っていくのかは、まだわからない。
知って乗り越えるという選択肢はあるが、そこには深い苦しみが待ち受けている。知らずに済むなら、それが一番いい。
……響子的には、別に翔子が化け物であろうが人間であろうが別にどうでもよかった。なんであれ翔子が翔子であることには違いなく、それが全てだ。
だが、本人からすればそうは行かないだろう。
響子自身、自分の考え方が周囲とはズレていることを自覚している。普通は、相手が化け物でも構わないだとか、簡単に割り切れることではない。
だからこそ、最初に翔子が気にしていた時に 「君の外見と心は、紛れも無く人間のもの」 と言ったのだ。例え人間としてはありえない数値が出ても、気にすることはない、と。
まあ、彼女自身が折り合いを付けられるのなら、それが一番いいのだが……そう簡単な話ではない。
ないから、苦悩しているのだ。
※
「ヘーンシーン!」
ヴィディスを纏い、キャサリンは出撃する。
相手が翔子並みの強さを持つという響子の話が本当なら、それは一大事だ。タイマンでの戦いでは、翔子に圧倒的な分がある。キャサリン一人で対応するのは無茶だ。
開いた塀から飛び出すと、敵の姿が見えた。なるほど、確かにこれまでのベクターズとは一線を画す姿をしている。スマートかつ力強い濃紫の身体に、角の生えた頭部。これは……悪魔がモチーフなのだろうか。尻尾や羽こそないものの、その邪悪なフォルムには悪魔的な意匠が見られた。
そして。
「……ほう、そちらからお出ましか」
「シャベッタ!?」
これまでのベクターズは、意思疎通ができなかった。人の言葉を話さない怪物との対話は、不可能だ。
しかし今目の前にいる相手は、人の言葉を話した。
キャサリンの戸惑いを察したのか、相手は自分から語り始める。
「驚くのも無理はあるまい。これまでの個体は、動物を調整したものだからな。だが、私は違う」
これまでの個体――ベクターズのことだろう。それはどうやら、動物を何らかの手段で調整したものらしい。そして、 「私は違う」 ということは……。
「君達のお仲間と同じ、トランセンデンターだ」
トランセンデンターってなんだよ。
とは思ったものの、響子のはっきりしない物言いと併せて考えれば、まあ、なんとなくはわかる。翔子のあの融装能力に関連する単語なのだろう。多分、そのような能力を持った者の呼称だ。
響子がどのような過程で相手の正体に気づいたのかは不明だが、脅威であることに変わりはない。彼女の言う通り、翔子が来るまでの時間稼ぎに徹するべきだろう。実は翔子が来る保証など無いのだが、きっと彼女は来てくれる。
「トランスファー、リニアモーターガン!」
《Transfer》
時間を稼ぐべく、キャサリンはリニアモーターガンを呼び寄せた。ケーブルを腰のコネクタと接続。弾幕を張って、相手を牽制するのだ。
敵にマズルを向け、引き金を引き――しかし、何も起こらなかった。
マズルが真っ二つだ。いつの間に? どうやって? そんなことを考える間もなく、リニアモーターガンが発熱する。放電、あるいはコンデンサーが破裂するかもしれない。キャサリンは急いでケーブルを引き千切り、リニアモーターガンを放り捨てた。一拍置いて、爆発。
「流石に的確な判断力だ」
声が聞こえたのは――背後。まずい。振り返りながら距離をとるが、一瞬で詰められる。懐に入られた。咄嗟の判断で両手をクロスし、来るべき攻撃をガードする。
予想通りの位置に、予想通りの軌道で、拳がめり込んだ。身体が、大きく後ろに吹き飛ばされる。
威力も、大体予想通りだった。以前にとった翔子のデータよりも、少しだけ弱い。しかしそれでも致命的な威力で、右腕の多重装甲にクモの巣状のヒビが入ってしまった。一層目は既に吹き飛んでいて、二層目が露出している。アラートの内容によると、どうやら三層目とその下の人工筋肉にもかなりのダメージがあるらしい。右腕はもう駄目だろう。
まともに喰らえば肩口から先が持っていかれるような攻撃だ。この程度で済んでよかった。四肢欠損は洒落にならない。
だが、まだ安心するのには早過ぎる。怪我こそしなかったものの、現状では八方塞がりだ。効果的に時間を稼げるような手段はなく、いつまたあの拳が飛んでくるかはわからない。
飛び道具が通用せず、身体能力でも引けを取る。この状況で、どう繋げばいいのだろうか。