談話
(負けた……)
肉をかじりつつ、珊瑚はそう思った。
たかが肉だ。ただの肉だ。なのに、この柔らかさは何だというのだろう。
過去、砂虫から家畜まで、多くの肉を口にした事があるが、こんなものには巡り会った事がない。
「気に入ってくれて良かったわ。あの蒸気は熱すぎるから、蒸し風呂よりお料理向きだと思ったのですけど。こんなに上手く行くなんて」
「タエ殿のお陰ですよ。さすがに、我々ではあの蒸気を岩で囲めませんから。蒸してから焼くと肉も柔らかくなりますし、子供向けの料理にはぴったりでしょう」
「ふふ。せっかくの地熱ですからね。あれなら燃料も要りませんし」
と、レリウスにタエが笑いかける。
「きゅい?」
会話を聞きつけた珊瑚が疑問の声をあげると、タエが珊瑚の方を向いた。
「珊瑚ちゃんの卵を見つけた場所の近くにね、熱い熱い蒸気が噴出す場所を見つけましてね。そこを岩で囲んで、入り口をつけたのですよ」
平たく言えば、間欠泉を利用した巨大な蒸し釜だ。
中には職人達に作らせた石の棚が入っていて、そこに食材を置けば蒸せるようになっている。
誰かが火の番をする必要もなければ、棚を洗う必要もない。
常に噴出す高温の蒸気を、そのまま利用すれば良いだけだ。
「薪を作らずに済みますし、客への評判も良いですしな」
「ええ、本当にありがたいこと。これも、料理人の皆様のおかげですね」
出来た料理は、陶器の皿に盛られて蓋をされ、城下に通じる湯の坂道に浮かべられる。
それを下方の職人が受け取り、最後の味付けをするのだ。
すぐに提供すれば熱々の料理。雪を使ってきゅっと冷やせば、温泉に漬かりながら食べられる、ひんやりとした冷製料理となる。
棚で蒸されるのは肉ばかりではない。プリンなども、複数ある棚の一つで作られる。
それに使われる卵は、温泉の残り湯を川に捨てる場所の上に建てられた、鳥小屋から採れる新鮮なものだ。
「くるる……」
話の内容の半分しか理解できずに、珊瑚が丸い目をまばたかせる。
だが、そんな事をしているうちにも満腹による眠気が訪れて、珊瑚はぺたりと雪原に伏せた。
近くでは、タエとレリウスの会話が、まるで子守唄のように続いている。
この二人以外は、皆、小屋に戻ったり街に戻ったりしたようだ。
「タエ殿」
下方から飛んで来た梟から手紙を受け取ったレリウスが、それを読んでからタエを見上げる。
「住民登録の書き換えが済んだようです」
「まあ、早いのですね」
そう声を弾ませたタエに、レリウスが内容を読み上げた。
「ジーネは、ロイの推薦通り、ラーニアと共にクルジの屋敷に行かせました。ダトイーンの屋敷は事実上、国に没収された事になっておりますから、誰に与えようと問題はないでしょう。ネバは、シャンザ一家の側の空き家に住まわせました。ここの生活が気に入ったという当人の希望によるものですが、名目上は、贖罪のための労働をさせる為、という事にしてあります。エルバは彼女の娘とロイと共に、今しばらくここの小屋に」
レリウスの手が二枚目の手紙を広げる。
「ナティマの情勢は、中央部を除いてはおおむね平和であるとの噂です。ただ、砂虫の大量発生により、中央が外部との遮断を強めているとの事なので、行商はそこを迂回せざるをえないかと」
「そう……」
タエが顔を曇らせる。無事に帰って来てくれれば良いが、心配なのだ。
そんな会話をうとうとしながら耳に入れ、珊瑚は再び鼻を鳴らした。
(変な竜だ)
ちら、と薄目を開いてタエを見る。
まるで竜らしくない彼女が、人間に肩入れしているように思えてならないのだ。
心配なら見に行けば良いし、砂虫が邪魔なら焼き払えばいい。
それだけの力があるのは、とっくにわかっているはずなのに。
(ま、我には関係のない事だがな)
弱い人間達がどうなろうと、珊瑚の知った事ではない。
ただ、この国が滅びるのだけは勘弁して欲しいと思った。
こんなにも美味しい料理がなくなるのは困るし、時々話題になっている、そのオンセンというのも試してみたい。
それに、ラタが死ぬのは困る。愛しい愛しい契約者の匂いがするのだから。
(もうしばらく……このままでもいいか……)
眠気に鈍る頭で、そんな事を考える。
その後、くぅくぅと寝息を立て始めた珊瑚に気付いて、タエが、その眠りを守るようにぐるりと尾をめぐらせた。
「入れないだと?」
ナティマ王都への入り口で、ディラノの剣呑な声が上がる。
だが、兵士はがっちりと門を閉め、首を横に振るだけだった。
「ああ。行商だろうと何だろうと、ここを通すわけには行かん。上からそう言われているのだ」
「そんな話は聞いていないぞ。それに、きちんと許可なら取った。この国に危害を加えたりもしない。なのに無理だと、そう言うのか?」
「ああ。悪いが、その子と一緒に別の場所を探してくれ」
「しかし!」
ディラノが声を張り上げる。
空は既に夕暮れの色で、夜が近い事を告げている。
今から王都を離れ、他の町を探すとなると、夜中の砂漠を通らなければならない。
独り身ならまだしも、アニアを連れての移動は危険だ。
「親父……」
下方から聞こえた不安そうな声に、ちらりと斜め下のアニアを見下ろす。
それから膝を曲げ、目線の高さを合わせて、ディラノはアニアの両肩に手を置いた。
「大丈夫だ、何とかする。何とかしてみせるから、そんな顔をするな」
心配するな、と繰り返して再び膝を伸ばす。
「頼む。絶対に迷惑はかけない。だから、せめて内側に入れてくれ」
「駄目だ。何度言ったら理解できるんだ? それとも、ここで切り伏せられたいか?」
兵が一歩、ディラノに詰め寄る。
慌ててディラノが剣に手をやると、詰め所の中から声が聞こえて来た。
「通してやれ。不審者と言えども女子供に罪はあるまい」
どこか冷たい、鋭い声。
それに兵士が小さく息を飲むと、声が再び続けた。
「子供は中へ。そこの大男は……そうだな。ひとまず牢に入ってもらおうか」
「何だと!?」
「それが子供を入れる条件だ、赤竜の間者。嫌なら二人揃って砂漠に戻るがいい」
声は主張を譲らない。
ちらりとディラノが兵士の様子をうかがうと、やけに緊張している様子が見て取れた。
ディラノが溜息をつく。
「わかった。その条件に従おう」
「親父!?」
「なあに、必ず迎えに行くさ。お前を一人にはしない。そう決めたからな」
それは、自分自身に誓った事だ。
そして、タエとの約束でもある。
「そんなに心配しなくてもいい。それより、帰ったらゆっくり風呂に入ろうな」
砂だらけじゃ嫌だろう? とアニアに笑いかける。
それにアニアがうなずいたのを確かめて、ディラノは兵士に向き直った。
「さあ、条件は飲んだぞ。さっさと中に入れてくれ」




