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ステップガールとワイバーンの領主.改定版  作者: 六葉翼
ロンドン魔女紀行

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9/33

ヤドリギの契約者Ⅱ



彼女の心は、泣きながら森の中をさ迷い続けていた。幾日も幾日も。


そうして歩き続けるうちに。

帰り道もとうに失くした。


「どうして?私どうしたらいいの、お姉さん」



最初に占ったカ-ドの意味。

今ようやく解けた気がした。


醜い哀れなザリガニの姿。


ブリーディングハートの女。


あれが私だと。


知らなければよかった、未来など。


いっそここで朽ち果ててしまおう。誰にも看取られず。醜い秘密の殻に隠れた。自分の心と共に。


『月が満ちれば変わるはず』


何処かで誰かの声がした。底知れぬ深さと、優しさを湛えた女の声。


『時がくれば世界は変わる…その日は来る…その日来れば…月は満ちる』


振り向いたが誰もいない。辺りに人の気配も。


「探したよ、ノ-ラ」


目の前に現れたカンテラの眩しい光。目が眩む。


「お姉さん!」


懐かしい声を聞いた。


ノ-ラの目から涙が溢れた。


「森の中を随分探したんだよ、ノ-ラ」


カンテラの下にはいつもと同じ。ぶっきらぼうな声と、優しい笑顔が覗いた。


「ごめんなさい、お姉さん!私、お姉さんの家まで伺ったのですが、その…お客様がいらっしゃるようで…遠慮を」


俯いたノ-ラの爪先が地面を掘った。


「遠方から兄が訪ねて来てね、なんだ、遠慮せずに入って来れば。あんたを紹介も出来たのに」


「ごめんなさい、お姉さん。お兄さんはまだ家に?それでしたら私が作った食べ物を」


「兄はもう帰ったよ」


「そうですか、それは残念な事をしました。私には、兄弟も姉妹もおりませんので、とても仲の良い兄妹なのですね」


「そうかな、どうして、そう思う?」


「はい、お兄さんにあんな風に甘えるお姉さん…初めて見ました」


「見たのか?」


「はい、しっかりとこの目で!」


「忘れてくれ」


「はい、構いませんよ…但しです」


息が届く位まで、ノ-ラは彼女に近づいて言った。


「私にも同じ事をして下さいませ」


ノ-ラは目を閉じた。そのノ-ラの頬を彼女は摘んだ。


「お前は…顔を合わす毎に私をからかうようになる。さては味をしめたな」


「痛い!痛いです!」


ノ-ラは手足をばたつかせて抗議した。


程無く、ノ-ラの頬を詰まんでいた指は離れ。気がつけば、彼女の腕の中抱き巣組められていた。


「お姉さん、何を!…何をされるのですか…」


「止めて下さい」


蚊の鳴くような声で言った。


「こうして欲しいと言ったのは、お前自身だぞ、ノ-ラ・オブライエン」


彼女のコ-トの中は、きっと魔法で使う色んなハ-ブの香りがするはず。


そう空想した事はあった。微かに鼻先を擽るのはあざみの香り。けれど目にした事はあっても。


その花を手に取って、花弁の薫りを嗅いだ事は一度もない。


しなやかな弓の弦ような指の先が、彼女の頬を一撫でしたかと思えば。


そのまま、痩せて尖った顎の先に添えられ。上向かせる。


「お姉さん…何を…」


「クリスマスの約束事さ、知らないのかい?」


カンテラの灯りを掲げるまでもなく。夜空を覆っていた雲の間から、月が顔を覗かせた。


月灯りに照らされた森。指差した木立の間をノ-ラは見て言った。


蜘蛛の巣に似た黒い植物の影。


「ヤドリギですね」


「クリスマスに、ヤドリギの下で出会った者同士は」


必ずキスをしなくてはならない。


この国では昔からそういう習わしだった。


「だから、お前をこの木の下で呼び止めたんだ」


「でも、お姉さん、私たちは…」


「男でも女でも老人でも子供でも、そういう習わしだろ?」


「はい」


「古い習わしには従わなくては」


「従います」


2人はオ-クの森のヤドリギの下で口づけを交わした。


上気したノ-ラの頬。

彼女の掌が包み込む。


「ノ-ラ、私の手は温かいか?」


「はい、初めて手を繋いで頂いた時から、とても温かいです」


「私の唇は?」


「…そんな事は、言えません」


彼女はノ-ラの見ている目の前で、コ-トを肩先まで下ろした。


彼女は、コ-トの下に何も身に着けていなかった。


左の鎖骨から白い胸元の辺りまで。赤い十字の傷痕。夜目にもはっきり浮かび上がって見えた。


「私の胸は温かいぞ、ノ-ラ」


「お姉さん…風邪をひいてしまいます」


「では、こちらに来て私を温めてくれ」


躊躇うノ-ラの体を、彼女のコ-トが包み込んだ。


ノ-ラは目を閉じて。


彼女の胸に顔を埋めた。


「私の傷痕」


耳元で囁く声がする。


「お前にだけ見て欲しい」


「お前にだけ触れて欲しい」


「私はお前を傷つける」


「構いません」


「お前が傷つくと、私はそれ以上に傷つく」


「嬉しいです」


自然に閉じた瞼から涙が溢れた。


「そうして2人で生きて行こう」


鎖の鳴る音がする。ノ-ラの目の前に金の鎖が差しだされた。


「アルカナの恋人の絵札を覚えているか?」


「はい、金の鎖に繋がれた男女の姿が描かれている…」


「手を出して」


言われるままに差しだした。


右手に鎖が巻かれる。


「クリスマスの贈り物だ」


彼女は自分の右の手首に。

自ら鎖を巻き付けた。


「魔女でも切れぬ金の鎖」


再び強い力で抱きすくめられた。


「私とお前の未来を占う、絵札に恋人はあったか?」


ノ-ラは哀しげに首を振る。


「そんなものは、テムズ川にでも投げ捨ててしまえばいい!」


「そんな!?せっかく、お姉さんが下さったのに!」


「アルカナは、お前に幸せな未来を見せてくれたか?」


「いいえ」


「お前が絵札の先に見ていたものは?」


「貴女です」


「ならば、もうそれは必要ないんだよ、ノ-ラ。私は、未来永劫お前とこうして一緒にいるのだから」


たとえ未来を占う絵札が手元にあったとしても。それが自分の望む未来を呈示してくれるとは限らない。


夢見ていた未来が現実となり「それを捨てよ」と言うのなら。「拒む理由など何もない」ノ-ラは思った。


「お姉さんがそうおっしゃるのなら、捨てます」


ノ-ラは彼女にそう言った。


「いい娘だ、ノ-ラ」


金の鎖の擦れ合う微かな音。

ノ-ラを心地よくさせた。


心の何処かで「これは現実ではなく夢なのだ」という思いがして。


寂しくなる。


夢かアルカナが見せる。これは幻に過ぎない。だから覚めてしまえば。


それで終わり。


「でも、アルカナが無ければ…お姉さんに会えない」


「絵札など無くても、同じように此処にはこれる」


「本当に!いつでも此処にこれるのですか?」


「阿片やアブサンを使えば、いつでも好きな時に…そうだ!道に迷わぬように、お前にまじないをしてやろう」


掴んだノ-ラの二の腕に力が込められる。


爪の先が皮膚に食い込み。


一筋の血が流れた。


「印があれば、いつでもお前は私に会える、さあノ-ラ、今から私の家に向かおう、クリスマスの続きを2人で…」


答える代わりに、ノ-ラは金の鎖を鳴らして、差しだされた彼女の手につかまる。


そうして2人は森の中へと消えた。




「マレフィキウム」


彼女の口にした言葉。


男には全く耳に馴染みがなかった。


「植物の学名か…種痘に関係した言葉にも聞こえますが」


そのどちらでもないと。

彼女は否定した上で。


「どちらかと言えば、今あんたが言った植物よりも、後者の方が近いかね」


「病原菌ですか?」


「病原菌ではないが、人に無尽蔵の災厄をもたらすという意味では…似ているかも知れないね。ノ-ラ・オブライエンの魂に巣食うマレキフィムは…」


「マレキフィウムとは、一体何ですか」


彼女は、少し上を向いて考える仕草をした後、呟くように言った。


「魔法そのものと言っていいだろう。マレキフィウムとは、魔法の根源となるものと解釈していい。そして厄介な事にね」


「厄介な事に、何ですか」


「ノ-ラの魂に寄生したそいつは【女】という性別を持ってる。大古の昔からずっとそうなんだ」


ヤドリギの秘術は、ケルトから派生し。ドルイド、キリスト教にまで伝播したと伝えられている。


多くの賢人や知識人、時の権力者や魔法使いに至るまで、清濁合わせた人間の塊が追い求めた…永遠にして不滅の魂。自らの意思で、あらゆる時代に輪廻転生を繰り返す秘術…


「それがヤドリギの魔法さ、もっとも、人間でそれに成功したやつは未だいないがね」


「それは…まるで神の所業ではありませんか!」


「魔法とは、自然界の法則や、天の摂理と呼ばれるものと変わらない、人が、神や悪魔や魔女を創造する以前から、それはそこに存在した」


その中でも取り分け破壊的。

そして残忍な攻撃魔法。


「ノ-ラは生まれながらにして、まるで赤子を守るようにして、その魂を抱いて生まれて来た」


「何かの間違いではないですか?」


あまりの事に思考が追いつかない。


「間違い?」


彼女の方眉がつり上がる。


「生まれて来た事が?」


「いえ、そうではなく、貴女の友人がそんな恐ろしい存在だなんて…」


「間違いか…」


鼻を鳴らす。彼女の声はどこか自嘲を含んでいた。


「私を欺く事は出来ても、この剣はけして欺けない」


彼女が翳した刀身は不安気な男と、虚ろな死者の群れを映していた。


「師からの授かり物であるこの剣は、昔やつに蹂躙された同胞や、血族の魂が込められている。もし私たちの宿敵が近くにいれば。怒りと熱でそれを知らせる。それは、釜戸の中で鍛え上げられた鉄のような熱さだ!間違うはずなどない!」


彼女はそう断言する。


「かつてノ-ラに初めて出会った時。この剣は、灼熱の熱さで私の体を焼いた…それは、私の終生消える事のない傷痕となった。彼女がマレキフィムの魂を抱く者であると。忘れぬよう、私は傷痕を消さなかった」


「しかし、貴女は一度たりとも彼女の前で剣を抜かなかった」


「剣の呼びかけに背いたのだ」


「たとえ、その身が焼かれ続けても、ですか」


「私は半端者の魔女だからな」


「最初に伺うべきでした」


「何をだ」


「貴女や、貴女の師は、そもそも何なのですか」


「私たちはアゲインスト」


「向かい風…とは一体」


「向かい風の魔女さ」


彼女は男にそう言った。

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