真紅の招待状と、甘美なる特権
新宿第4ダンジョン最深部——吸血鬼の真祖リリスの居城。
ジュリの「物理的な愛の質量」によってどうにかフリーズから復帰したエンリは、ようやく乱れた呼吸を整えてリリスと向き合っていた。
「……ふふっ。ようやく再起動できたようね、王子様」
リリスは優雅にソファに座り直し、細い指先で自身の銀髪を弄んだ。
その仕草ひとつひとつが人並み外れて美しく、スレンダーな肢体からは小悪魔的な色気が漂っている。対照的に、エンリの隣でキッとリリスを睨みつけるジュリは、非の打ち所がない美貌を持ちつつも、その豊満なスタイルを武器にする「敬語お姉様系」の威厳を放っていた。
「さて、無駄なジャブはここまでにして。……本題に入りましょうか」
リリスがパチンと指を鳴らすと、背後の影から黒衣を纏った吸血鬼の精鋭たちが音もなく現れ、テーブルの上に古びた、だが強大な魔力を帯びた羊皮紙を広げた。
「これが私の率いるクラン【真紅の夜】の全貌よ」
エンリがその紙に視線を落とすと、そこには単なる組織図を越えた、ひとつの「国家」とも呼べる規模のネットワークが記されていた。
「私のクランは、このダンジョンの『深層』におけるすべての物流と情報を支配しているわ。パノプティコンのような地上の猿たちが必死に集めていたデータも、私たちから見れば使い古されたゴミのようなもの。私たちはこの世界の『裏側』で、何百年もかけて物理エンジンの穴を研究し続けてきたの」
リリスは身を乗り出し、甘く、それでいて抗いがたい強引さで提案を告げた。
「エンリ。貴方、私のクランに入らないかしら?」
「……クランへの勧誘か」
「ええ。貴方のような『物理法則のハッカー』が、野良の探索者として燻っているのは、世界のリソースの無駄遣いよ。私のクランに入れば、貴方には以下の『特権』を約束するわ」
リリスは楽しげに指を一本ずつ立てていく。
「一つ、【無限のリソース提供】。この深層でしか手に入らない超高純度のアーティファクト、そして物理法則を記述する『生のコード』を、貴方の研究材料として好きなだけ提供するわ。地上のギルドが一生かかっても手に入らない宝の山を、貴方のオモチャにしていいのよ」
「二つ、【絶対的な安全圏】。地上の政府や組織が貴方を狙ってきても、私のクランが物理的、そして魔術的に完全に遮断する。貴方は誰にも邪魔されず、自分の好きなだけハッキングに没頭できるわ」
そして、リリスはいたずらっぽく微笑み、エンリの耳元に唇を寄せた。
「三つ……【真祖のバックアップ】。私自身の魔力を、貴方に共有してあげる。……私の血を介して、貴方の演算能力をブーストさせるの。……理屈抜きで、世界そのものを書き換える感覚、味わってみたいと思わない?」
リリスの小悪魔的な囁きが、エンリの防壁をジワジワと溶かしていく。
「お待ちくださいませッ!!」
そこへ、我慢の限界を迎えたジュリが、テーブルを叩いて割って入った。
「王子様! 惑わされてはいけませんわ! そのような不透明な契約、秘書として断じて承認できません! クランの規模だの魔力の供給だの、そんなものは私の『物理的サポート』の代替にはなり得ませんのよ!」
ジュリはエンリの腕をグイと引き寄せ、自らの柔らかい胸に強く抱きかかえた。
「メリットと言うのなら、私のクラン(私の隣)こそが世界一ですわ! 私と契約を続ければ、【24時間365日の完全栄養・体調管理】。そして【あらゆるストレスを解消する高度なスキンシップ(お風呂回等)】。何より、王子様の脳を直接焼くような魔力など使わずとも、私の愛の質量だけで心拍数を最適化して差し上げますわ!」
「あら。メリットの質が、随分と世俗的で下品ね、乳牛さん」
リリスが冷ややかに笑う。
「何が下品なものです! 王子様の心身の健康を保つことこそ、ハッカーにとって最優先のインフラ整備ですわ!」
「……はぁ。お前たち、少しは静かにしろ」
エンリは、最強のクランからの「合理的すぎる提案」と、有能秘書からの「情熱的すぎる対抗案」の板挟みになり、深層の主と出会ってから一番の処理負荷に悩まされることになる。
「リリス。お前の提案は、論理的に見て悪くない。……だが、僕のハッキングには、こいつの『物理的な計算外の動き』が必要不可欠なんだ」
「……あら。私の本能(魔法)よりも、この女の肉体(物理)の方が重要だと言うの?」
リリスが少しだけ不満げに頬を膨らませるが、エンリは眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「どちらが上かではない。どちらも『僕の世界』を構築するための重要なピースだ。……どうせなら、お前のクランごと僕がハッキングして、僕の専用フォルダに整理してやろうか?」
その不敵な言葉に、リリスは一瞬驚き、次の瞬間には顔を真っ赤にして恍惚とした笑みを浮かべた。
「……あはっ! 私たちごと、ハッキングする……? 素敵だわ、本当に貴方は最高ね!!」
「そうですわ王子様! 敵対するクランすらも統括し、私の管理下に置く……! それこそが真の支配ですわ!!」
こうして、吸血鬼のクランへの勧誘は、なぜか「二人の美少女を同時に支配下に置く」という、エンリのさらなる処理落ちを招く新展開へと転がっていくのだった。




