動機
セリウス・ジュータの目的は、自分とクルトの婚約解消と、クルトとエマの婚約。
それを聞いて、アンジェリカは目を瞬かせ、セリウスを凝視した。
「どうして、婚約解消を求めるのですか? あなたにどんな利益が?」
「利益など求めていませんよ」
セリウスが自嘲気味に笑う。
「僕はただ、エマ嬢が幸せでいてくれるのなら、良いのです」
アンジェリカは首を傾げてみせる。
「つまり、家の利益ではなく、あなた個人の自己満足のため、ということですか?」
「そうですね。そうなってしまいますね」
あっさりと頷いて、さらに続けて言う。
「婚約自体、家の利益をあまり考えていないのです」
「と、いうと?」
「エマ嬢との婚約は、僕の我が儘で成立したのですよ」
「我が儘……」
アンジェリカは考える。
セリウスにとって、エマとの婚約は家の利益を考えていない婚約でそれはセリウスの我が儘であり、セリウスはエマに幸せになってもらいたい。
アンジェリカは、ああ、と納得した風情で頷いてみせた。
「つまり、あなたはエマ様のことが好きなんですね」
「ええ」
セリウスの頬が僅かに赤みを帯びた。
「好きなら、どうして婚約を解消しようとなさるのですか?」
エマとクルトが婚約を結ぶ。それは即ち、エマとセリウスの婚約も白紙に戻るということだ。
それなのに、どうしてこんな事をするのか。このまま婚約関係を続け、結婚したらいいのに。
セリウスは頭を小さく振った。
「好きだからこそ、なんです」
「理由を詳しくお訊きしても?」
アンジェリカが訊ねると、セリウスは目を丸くして視線を泳がせる。少しして、溜め息をついた。
「いいでしょう」
いいのか、と正直期待していなかったアンジェリカは、内心驚いた。
「いいのですか? てっきり、恥ずかしがって喋らないかと思いました」
「話したほうが、説得に応じてもらえるかなって。それに僕、こういう恋話をしたことがなくて……いつも吐き出したいなって思っていたんです」
セリウスが忙しく手を弄り出した。心なしか、先程よりか顔が赤い気がする。
「御友人にお話したこともないのですか?」
「僕の友人、寝取り魔で。その友人に話したら、エマ嬢を取られるんじゃないかと思って、話せなかったんです」
「お節介とは思いますが、そんな人、さっさと縁を切ったほうがいいと思いますよ」
「でも、それ以外は気さくで良い人なんです」
「寝取り魔の時点で、良い点が霞んでいますけど」
もしかしてこの人、駄目な人を捨て置けない人なのかもしれない。それ以前に、その人以外に友人はいないのだろうか。それはそれで気になるが、そろそろ話を進めたい。
「まずは、どこから話すべきか……」
「とりあえず、出会いと好きになった切っ掛けを、でしょうか?」
エマとの会話でも、恋バナらしきことはあまりしていない。つまり、不慣れな内容だ。アンジェリカもどこから聞くべきか分からないので、とりあえず小説の中での会話の流れを思い出しながら、そう口にした。
「出会い、ですか……実は、きっちりと対面したのは、見合いの席が初めてでして。それまでは、遠くから見つめるだけで」
「そうなんですね。では、好きになった切っ掛けは?」
「そうですね……初めて彼女を意識したのは、二年前の建国記念祭のことです。建国記念祭についてはご存知ですか?」
「話に聞いたことは」
建国記念祭は、アンジェリカがこの国に来たときには、既に終わっていた。建国記念祭は三日間続く、大規模な祝福祭だ。国中がお祭り騒ぎになり、三日目は貴族たちが王城に集まり、豪華な晩餐会(立食式)を開いて終わりなのだと教えてもらった。
貴族は体調不良や、余程のことがない限り全員参加だそうだ。クルトも嫌々ながら参加したのだと、ヘルツが言っていた。
「その建国記念祭の晩餐会に、当然エマ嬢とクルト・グレーウェンベルクが参加していまして。エマ嬢は、他の令嬢からクルト・グレーウェンベルクを守りつつ、クルト・グレーウェンベルクに懸命に話しかけていましたよ」
セリウスが苦笑を浮かべた。
「ですが、売り込み方が少し下手で。必死に入れ込もうとしていましたが、クルト・グレーウェンベルクは困惑するばかりで、あまり効果はありませんでしたが」
「ああ……」
容易に想像が出来た。猛烈にアタックするエマに、良いあしらい方法が分からず、途方に暮れるクルトの姿が。
「それを見て、最初は馬鹿な人だと思いましたよ。売り込み方が下手で、空回りして、本人には振り向いてもらえなくて」
でも、とさらに言い紡ぐ。
「それでも、彼女は心の底から笑っていました。空回りしていることに気付かないほど鈍感なのか、彼と一緒にいるだけでそうなってしまうのか。どっちか分からないですが、彼女の笑顔はとても輝いていました」
セリウスの笑みが、苦笑から柔らかい笑みに変わった。
「それに彼女は、彼がどんな反応をしてもめげませんでした。そんな彼女の姿を、いつの間にか目で追うようになって」
「気が付いたら好きになった、と」
「そういうわけです」
アンジェリカは、なるほど、と軽く頷く。
「好きになった経緯は分かりました。では、どうして誘拐に至ったのか、そこを教えてください」
「貴女はまるで、面接官みたいですね」
「あら。面接したことがあるのですか?」
「騎士団の入試の時に。落ちましたけど」
「そうですか」
どうしてこんなに細いのに、騎士団に入ろうとしたのだろうか。純粋に入りたかったのか、クルトに対して対抗心があったのか。
どちらでもいいか、とアンジェリカは。
「では、続きどうぞ」
と、促した。
「まあ、クルト・グレーウェンベルクと貴女が婚約したその後、彼女の父親が彼女の婚約者を探している、という話を聞いたのです。彼女は事故物件ではないけど、クルト・グレーウェンベルクのことが好き、というのは有名な話でしたからね。気遣って皆、遠慮していたんですよ。そこに付け入れました」
彼は浮かない顔をした。
雨音が聞こえてくる。天井を見る。雨漏りはしていないようだが、雨が強くなり長引いたら、分からない。
「婚約者になってから、彼女はずっと遠くを見ていました。僕のほうを見てはくれますが、あんな輝く笑顔を向けられることはありませんでした」
彼は俯いた。
「僕は彼女のあの笑顔が好きなんです。だから、無理して笑っている彼女を見ると、本当にこのままでいいのか、と思うようになりまして。もしかして、彼女の幸せはクルト・グレーウェンベルクにしかないのか、僕では役不足ではないか、と」
「それで、エマ様とこ……クルトを婚約させようと?」
「はい。それにはまず、貴女をどうにかしないといけないんです」
セリウスの仄暗い瞳が、アンジェリカを捕らえる。アンジェリカは一歩後ずさった。
「つまり、わたしを亡き者にしようと?」
セリウスは笑みを刷った。




