最終章 片腕の英雄
書類にひと段落ついたのはパーティの開始時刻が迫ってきたころである。アクイラは右腕の袖を短く切ってもらっておいた制服を慌てて羽織った。冷静に仕事をこなしていたものの、ここ数日アクイラの頭の中はスカーレットでいっぱいである。近くにいた兵士に手伝わせ、アクイラは不格好な長さの右そでを織り込み、スカーレットがいつもそうしていたように黒い布を巻いた。それから先刻レインドが送ってくれた腕輪を上腕に巻いた。これで少しはマシだろうか。肩章をつけ、レインドの補佐、新兵の教官、二度の戦争で大いに功績を遺したことを意味するメダルを指定の場所にとめて銀の髪を整える。最後に軍人らしく利き腕の反対、右腰に剣を下げれば準備万端である。
「セルゼウス殿、お時間ですよ」
パーティは開く時間だけは決められているが、入場も退場も個人の自由だ。今回は将軍や王からの言葉はない。完全に軍人とその家族のための会である。だからスカーレットがすでに会場にいる保証はないのだが、アクイラは部下にせかされて階段を下りて行った。
まだ右腕が軽い感覚は不慣れで、油断をすれば転びそうだ。現に動けるようになってから何度も転んでいる。それに動けるようになったとはいえ腕はまだ完治しておらず傷む。
アクイラは日ごろの生活で不便を感じるたび、スカーレットが一体どれほど努力してきたのかを身に染みて感じた。だが今は隻腕でありながら戦った彼女が一つの目標でもある。今は教官として指導にあたったり書類整理ばかりだが、いつかは戦う軍人として復帰するつもりだ。
アクイラは剣をそっとひと撫でし、会場である大広間に足を踏み入れた。
その瞬間、アクイラは立ち止まった。スカーレットを探さなければならないと思っていたが、それは不要だったらしい。誰が見ても目を引かれる深紅の髪を後ろで束ね飾り付けられたあの女性は、スカーレットに違いなかった。会場にいるほかの女性とは少し変わったドレスは、スカーレットが軍人の一人であったことを連想させるような気がする。
スカーレットと話していたカーリィがアクイラを指さし、スカーレットは振り向いた。ドレスの裾がふわりと広がる。スカーレットも目を見開いてアクイラを見たが、やがて照れくさそうに笑みを浮かべた。銀色と赤、調和のとれたドレスを身にまとう彼女は、アクイラが戦場で見た時よりずっと美しかった。これがスカーレットの本物の美しさだ。彼女は戦場に咲くべき花ではなかったのだな。
アクイラはいまさらそんなことを思い、苦笑しながら歩み寄った。
二人は十分に近づき、アクイラは手を差し出した。スカーレットはその手にちょん、と自分の手を置いてアクイラを見上げる。アクイラは口を開けたり閉めたりを何度か繰り返した。
「ふふっ、どうしたのよ」
「あー、君があんまり、その……あんまり綺麗だから、驚いていた」
「今までは綺麗じゃなかったってことかしら」
「違う! 今までももちろん綺麗だったさ。ただ俺が思っていたよりもっと綺麗だったってことだ」
あわてて弁解するとスカーレットは顔を赤く染め上げて視線を逸らした。
「あ、あんまり褒めないでね。恥ずかしいのよ」
「ああ、すまん」
「仕返しじゃないけど、あなたも素敵よ。あと、このドレスはあなたを想って選んでみたのだけれどどうかしら」
素敵だと言われたことよりも、アクイラは後の言葉に胸を撃ち抜かれた。いささか言い過ぎかもしれないが、アクイラにしてみればそれだけの衝撃があった。赤面するアクイラを見て、スカーレットは「言ってみて正解だったわね」と笑みを浮かべた。
アクイラには後ろのほうでカーリィとレインドがにやにやとこちらを見ていることが分かった。アクイラはどうしようもない上司だと思いながら、ワインをもらいあいているテーブルに着いた。いつかの酒場でしたように乾杯して、ワインを飲む。スカーレットはグラスを置きながらまず言った。
「腕は大丈夫なの? まだ辛いはずよ」
「ああ、いいんだ。最近座ってばかりだったからこういうときくらいは」
「無理しないでね」
今度はスカーレットのほうからテーブルの上に手を伸ばしてきたので、アクイラはその上に手を重ねた。握手はできなくなったが、こうすることはできる。アクイラはふぅっと息を吐き、ここ数日頭を占めていたことを話すことにした。
「それで――考えてきてくれただろうか」
「ええ、もちろん。ちゃんと真面目に考えてきた」
「ならばよかった。では俺から」
重ねた手に力を込めて、アクイラはスカーレットを見つめた。
「俺は腕こそ失ったものの、今まで通り軍団勤務を続けるつもりだ。ただ、軍団暮らしはやめて、この近くに家を買おうと思う。いくつか良い物件があるんだ。そこで――一緒に暮らしてほしい。俺と生涯を共に過ごしてほしい」
あたりは様々な人々の声であふれているはずなのに、アクイラの意識はスカーレットだけに向けられていた。ほかの音は聞こえない。顔を赤らめるスカーレットの声が、鼓膜を揺らした。
「あなたは私の右腕だもの。それを生涯のこととしてくれるなら、これからは私も生涯、あなたの左腕になるわ」
どくん、と胸の奥で跳ね上がった。微笑むスカーレットに、アクイラは思わず立ち上がっていた。
「愛してるわよ、アクイラ」
「スカーレット……俺も、俺も愛しているさ……!」
「ふふっ、あははっ、もう、そんな泣きそうな顔やめてよね。立派な軍人なんだから」
そんなに泣きそうな顔だろうか。だがたしかに、泣こうとすれば泣けるような気もする。
気が付くと上品な音楽が会場に響いていた。あたりの人々は家族と手を取り合ったり、上司の娘が若い兵士にダンスの申し込みを受けていた。アクイラも座っているスカーレットの真横まで来ると、軍団兵士らしい敬礼をし、膝をついた。
「新しい指輪を買わないと、今度は俺の名前を入れてもらうからな。それから結婚式は3回だ。ここと、俺の故郷と、君の故郷。厩にはフレンダーとブラッドを入れて、君は俺が帰ってくるのを待って夕食を作るんだ」
「あら、もう計画もちゃんと立っているのね」
「俺が考えてきたのは君を幸せにできるかどうかだ。この程度は当然だな」
アクイラの手を取りスカーレットが立ち上がる。アクイラはスカーレットの手の甲にキスを落とすと音楽に合わせて踊りだした。嬉しさで元気が有り余ったのだろうか、歩くだけで転びそうだったのが嘘のようだ。いいや、違う。これはスカーレットがすべてわかっていて重心を調節してくれているのだな。気が付いてアクイラは微笑んだ。
微笑みあって白い裾を舞い上げ踊る二人の姿は、会場の人々の目に美しく映った。
皆一瞬動きを止め二人に見とれた。死闘を潜り抜けたであろう二人。
軍人は部下たちから敬礼と尊敬を受け、女は軍人であったことが嘘のように微笑んでいる。片腕であることを感じさせない二人の動きは、洗練されていた。
お互いの動く一歩先をすべて知っているかのようにステップを踏んでゆく。
戦場の二人を知る者たちは、祝福の拍手を送った。
END
2015.9.16
スカーレットが幸せになれたというよりは、アクイラが報われたなって自分で思ってしまった。おめでとうアクイラ……!




