最後の敗北者(3)
タイガーモールがある一帯は、大虎市きっての繁華街である。
周辺に立ち並ぶビルのうち十階を超えるものは八棟にものぼり、その多くはオフィスビルである。
商業施設もビル群の中にちらほらと混ざっており、中でも家電量販店”ガオガオ”は大虎発のチェーン店という事で市民に親しまれている。
外の熱気など忘れさせる冷房の利いた館内で、今日も何十という数のテレビがただの二組か三組の客に向かって、時には一組も客が居ない中で、放送を垂れ流している。そのチャンネルが今日行われている竜球大会の生中継に設定されているのは、果たして偶然なのだろうか?
テレビコーナー担当の幕乃内太郎三十五歳独身は、あくまでテレビには背を向け、遠く携帯端末コーナーをうろつく客に”こちらに来い”という念を送り続けている。
だがそれは表向きのポーズに過ぎず、誰も知らない彼の内心奥深くでは、龍球大会の中継をポテチ片手に見守るもう一人の彼がふかふかのソファに腰かけている。
その彼の精神空間の中で中継を観るのに使っているテレビは、彼の貯金では到底手が出ない八十型テレビである。
背中ごしに実際に展示販売されている八十型の方から――厳密にはそのすぐ傍らのサラウンドスピーカから――実況の声が聞こえてくる。
『大虎高校攻めあぐねています』
解説役が合いの手の様に補足する。
『大虎高としては、自陣に攻め込んでしまっている相手チームのメンバーをあえて相手コートに連れ戻したい意図もあるのかもしれませんねぇ』
『先程、試合開始直後に大虎高校の最大戦力である樫屋選手が、ジャンプボールで競り負けました。そこから許してしまった一点。精神的なダメージも大きかったのではないかと推察されます』
『大きかったでしょうねぇ』
『大虎高校、英田良明選手を中心にパスを回して一分以上になります。連山高校は既に一点を取っている事もあり、積極的にボールを取りには行っておりません』
画面は引きの画になり、選手達の配置が映し出される。大虎高コートのゴールリング手前には江別ユニットが構えている。それ以外の全選手は連山高コートのゴールリング周辺へと集結していた。
解説役は、何か感慨深げな声になって続ける。
『ただ、相生裕子選手の防御が硬くて単に切り崩せないまま、なし崩し的にこの状況になったとも取れる状況なんですねぇこれ』
『相生選手。先天的に右の手首から先がありません。しかし、いえだからと言った方が正確なのでしょうか? 凄まじいドラゴン捌きを身に着けています』
『彼女はぁ、脚でドラゴンに指示を送るんですねぇ。使える左手は常にボールを扱うのに使うんですねぇ』
幕乃内は、テレビに振り返った。
画面は引きの画のまま。パスを回す大虎高と、それに相対する連山高が映っていた。
放送席の実況担当絵巻は、手元の資料を漁って解説担当の長谷川に確認した。
「相生選手、それから彼女の親しい友人でもあります角川朝美選手は共に二年生です。ベンチに控えるのは、去年まで今年の彼女達以上の活躍を見せておりました三年生の先輩二人。やはり先輩を手ぶらで返したくないという想いはあるものなのでしょうか?」
「それはあるでしょうねぇ。うーん、言うだけ野暮なのかもしれませんが、相生選手だってその、手の事もフォローして引っ張ってきてくれた先輩達に、恩返しもしたいでしょうねぇ」
「なるほど」
顎まで流れてくる汗を、良明は手の甲で拭った。
(ウチのコートに相手チームのユニットを残したまま、樫屋先輩まですぐそこまで上がってきたってことは、このまま攻め抜けっていう事……だよな?)
良明は眼前の裕子を見た。
(この人、決して俺とレインの動きを先読みしてるわけではないのに、反応速度が尋常じゃない……)
良明は、先程からフェイントを織り交ぜつつ裕子のユニットをかわそうとはしているのだが、レインが一歩を踏み出した時点で裕子により毎度毎度完全にルートを塞がれるのだ。
その超反応を実現しているのが彼女の反射神経と集中力により実現している反応速度と、彼女が脚でドラゴンに指示しているという事実の二つの要素であるという事は三度目の競り合いで良明にも解った。
だが、だからどうすればいいのかが解らない。良明には、まるで解らなかった。
裕子が良明へとボールを奪う素振りを見せつける。良明は直ぐに陽へとパス。パスは無事に繋がり、ボールは未だ大虎高のものである。
この流れを、もう十回弱はやってきた。
良明はちらりと思う。
(やっぱり、出し惜しみせずにアレを今ここで使うべきか?)
心の中で首を横に振る。
(薄石に……その後に続く敵チームに見られている可能性は、十分ある。今ここで手の内を明かすのは大会全体で考えれば決して最善策じゃあない)
”他校の選手や関係者が今この瞬間にBコートに視線を向けている”
その良明の予想には、根拠があった。
連山高校は、去年の夏大会の優勝校。そのシード校の第一試合に注目が集まるのは想像に難しくない。とすれば当然、その相手である自分達も必然的に多くの視線を浴びる事になる。
今後戦う相手の選手がこの試合を直接見ていなくとも、”双子の動きを予測しての連携”という戦法を伝聞で相手に知られる事は、十分に考えられる様に思われた。
そうやって、良明が思考を廻らし続けていた時だった。
「陽ッ!」
けやきが、ガイの上から手をあげてパスを求めた。彼女等が位置するのは上空五メートル程、相手ゴールリングに対して真正面。陽は、振り返りつつけやきへとパスを出した。
(先輩、攻め切る気かっ!?)
良明もそちらへと視線を移すが、どうやらけやきの意図はそんなポジティブなものではなさそうだった。
けやきの背後五メートルに、敵ユニットが迫っている。大虎高ゴールリング付近で待機していた江別のユニットだった。
膠着状態が続く試合を動かそうと、大虎高コートから自陣へと戻る判断をしたのだろう。
先程の強力な速攻。今現在直面している頑強な防御。けやきはそれらの判断材料から三対三のユニット同士でまともに戦っても分が悪いと判断し、一気に得点を決める選択をしたのだ。
言い方を変えれば、けやきは相手チームにそうさせられた(・・・・・・・)のである。
だが、ここで良明は思う。
(顔つきからして恐らく、連山高のキャプテンは樫屋先輩に迫っているあの男子の人。……メンバーの一人は樫屋先輩でさえ追いつけない速攻を繰り出し、もう一人は超反応でこちらの動きを封じてくる強靭な盾……)
けやきは、ボールを振りかぶる。
(じゃあ、彼女達を取りまとめるあのキャプテンは、どんな武器を――――)
けやきとガイの背後に迫っていた江別ユニットが、既にその距離を一メートル未満にまで縮めていた。
瞬間、良明は悟る。
(駄目だ……悠長に構えていられる相手じゃ、ない)
彼は、一度だけ陽の表情を確認した。ショウをゴールリングへと誘導する彼女は、こくりとほんの僅かに頷いてみせた。
これにより良明は確信する。
(行ける。陽もその気だ。やっぱりこの局面を切り抜けるには、あれしかない!)
「先輩! ボールを!!」
良明はけやきを見上げ、上昇していくレインの背の上で両手を思いっきり伸ばした。
が、ガイの上でボールを構えるけやきは、視線を正面に向けたままこう返した。
「まだだ!」
そして、その手のボールを投げ放つ。そのタイミングは、江別が彼女の手元へと腕を伸ばすのと同時と言っていい瞬間だった。
ボールは迷いなくリングを突き抜け、今、大虎高校最初の得点を決めた。
ビーーーーッ!
「大虎高、一点。ゲームポイント、ワンオール!」
自陣へと戻っていく大虎高の選手を見ながら、江別は他の選手と合流する。
「悪い、間に合わなかった」
裕子は癖の様にドラゴンの首筋を撫でながら言葉を返す。
「どっちかってと私ですよね、今の。あの少年のパスをもう少し積極的に追いかけとくべきでした、ごめんなさい」
「まぁ確かにそれもだな。まぁお前等、ユニットとしての完成度はかなり高いからガンガン狙ってけ。それだけで、あの顔がそっくりな二人は対処出来るだろ」
ここで、朝美はぽつりと一見しょうもない事を口にする。
「あの二人、兄妹っぽくない?」
「……かもな、ノーチェックだったが双子でチームに所属してるのかもしれない」
その言葉に応じたのが裕子ではなく江別だった事が、朝美は少し意外だった。
朝美としては、むしろ江別からは”こんな時にそんな事はどうでもいい”だとか言われて、軽く窘められるとさえ思いながら言ったのに。
江別が心内に抱く引っかかるもの。それがあったからこそいつものようなツッコミを受けなかった事を、この時の朝美は気づかなかった。
けやきはゴールリング付近まで戻ってくると、良明と陽とを順番に見て言った。
「敵の力量と状況をよく見た判断ではあったが、あれを使うのはギリギリまでやめておけ」
良明は結果的に自力で一点をもぎ取ってきたけやきを前にして、言葉を探しあぐねた。
そんな兄を見て、陽が代わりに口を開く。
「やっぱり、他の学校に見られてますか? この試合」
けやきは頷き、相手チームを見て言った。
「それもある。だがそもそも、新たに習得した戦術という物の最大のアドバンテージは、”目の前の敵にとって未知であること”だ。他の学校に手の内を明かすという事は、目の前の相手に対して手の内を明かす事にもなる。この試合に勝つ為にこそ、使い所は極めて慎重に選ぶべきだ」
それまで目の前の相手をどう攻略しようかという発想しかないままに試合を進めてきた陽と良明にとって、そのけやきの言葉は目から鱗だった。
「存在するか否かも解らない。存在したとして、それは無数にある戦術のうちどれに該当するのか。そもそも未知の戦術であるのか。……非公開の武器というものは、何もかもが未知であるという事を肝に銘じておけ」
「はい」
「はい」
陽は、返事するのと同時に想った。
(思い返してみれば、練習試合の場で薄石高が繰り出したレギオンフォーメーションだって、まさに樫屋先輩の言う”未知の武器”だった……そしてそれは、先輩でさえ対応しきれずに、結果として最後の一点を許す事に繋がった。今、私とアキが手にしている武器は、つまりはそういう物なんだ)
「だがな、二人とも」
兄妹は今一度けやきの真剣な顔を見た。
「だからこそ、それを使う時の判断はお前達二人がやるんだ。最大限の有効性をもって、最初の一回を繰り出すために」
”兄妹お互いの思考を推察し、相手選手の反応の上を行く動作で以て圧倒する”
この戦術の性質上、確かに発動のタイミングはけやきが指示を出すよりも、彼等二人で判断した方が高い効果が見込める事は確かな様に思われた。良明と陽はけやきのその指示に対し、わが意を得たりと思わずには居られなかった。




