最後の敗北者(4)
「それはそれとして、だ」
そう言ったけやきの表情は、実のところ先程から冴えなかった。彼女が普段からあまり感情を表に出す人間では無い事を良明も陽もよく知っているが、それにしたって得点をその手で決めた直後にしては随分と深刻な様に見える。
良明も陽も、レインもショウも、その理由は容易に察しがついた。
「恐らく試合再開直後には、相手チームの速攻が来る」
良明は、腑に落ちないという口調でそう告げたけやきに尋ねた。
「でもここまでの流れからして、こちらが速攻を想定してるっていう事は相手も解りきってるはずですよね? 本当に来るでしょうか?」
ガイは、「グゥン」と唸って何かを訴える。
それを見て、彼が背に乗せる騎手はガイによる良明への反論を引き継いだ。
「いや、可能性は高い」
けやきは確かな自信を籠めてそう即答した。その理由を求めている顔の良明に、彼女は続ける。
「現状、彼らが認識するこちらの最大戦力は、私とガイ。つまりこのユニットだ。それを一度完全に突破した以上、相手は恐らくまたあの脚力を活かして攻めてくる」
陽が整理して確認する。
「私達に速攻という手の内がバレているっていう事を承知の上で、その一手を打ってくる……私達にそれを止めることは出来ないと、相手はそう考えているっていう事ですか?」
けやきは「そうだ」と頷いた。
「じゃあ、そこで俺達がやるべき事は――」
「ああ。再開直後にボールを持っている相手選手に対して、さらに先手を打って攻めかかる。パスを出す暇も与えずに、速攻が繰り出されるよりも前に、ボールを奪うしかない。いいか、想定される状況はいくつかあるからよく記憶しろ。まずは――」
「さて、どうなるかしら」
連山高校三年・源治薫子は、”お母さん”という愛称に並々ならぬ複雑な感情を抱いている。
端的に言うならば、その呼び名に関して自分でも好きか嫌いか断言できないのである。
たぶん命名した朝美としては、”薫子”という名前とその喋り方、あとは本人が自覚するくらいの面倒見の良さが印象的でそう呼ぶことにしたのだろう。
だが当の薫子は思うのだ。自分は、かなり泥臭い女であると。
別に、損得に対して貪欲という意味ではない。むしろ薫子は何かと奥手な方だし、周囲もそれを認知している。
薫子が自分の事を”泥臭い”と思っているのは、読んで字の如くの意味においてである。一度竜球コートの土を踏むと人格が変わった様になり、ユニフォームの汚れなど微塵も気にせず、なりふり構わなくなるというのが彼女の自分に対する認識なのである。
こんな自分を、朝美も裕子もどうして”お母さん”などという愛称で呼び続けるのか、彼女は不思議でならなかった。
薫子は、ボールを手にしている朝美に視線を送り、彼女が自分に振り向くのを待った。視線に気づいた朝美の表情は案の定硬く、薫子はベンチから優しく微笑んで、こくりと頷いた。
薫子と同様ベンチからコートを見守っているのは、彼女と同じ三年生であり江別のクラスメイトでもある大井聡である。
彼の”さっちょ”などという女子女子したあだ名が浸透したのもまた、江別が言うところの”一年生のツーバカコンビ”が原因であった。
二つ上の先輩を捕まえて”さっちょさん”て。
大井は当初そう思っていたのだが、なんだかそのあだ名を拒むと薫子とツーバカコンビの間にできたほんわかとした空気から自分だけ取り残されてしまいそうだったので、黙認する事にした。
大井とはそういう男だ。
普段は大人然とした話し方をすることでキャラを定着させていたりする大井だが、その実内面は、仲間に自分を必要としてもらう為に努力し、認められる事に安息を見出すタイプである。平たく言えば、要は寂しがりやなのである。
だが、それで信頼に十二分に足る実力を身に着けたのだから実際彼は大した選手である。朝美や裕子には競技者として尊敬されており、部長である江別からも薫子と同様に全幅の信頼を置かれている一人だ。
因みにそんな大井の内面を薫子だけはとうに見抜いており、彼女の大井に対する接し方には彼の性格への配慮が常に下敷きとして存在していたりする。
親友というわけでもない異性の同学年にそこまで気を回すあたり、やはり薫子は”お母さん”なのである。
つい今しがただって、薫子はベンチから朝美を呼び止めて「気負いすぎないで」と声をかけてやっていた。
コート上では程よい緊張感に顔を引き締める朝美が、今まさにボールを片手に手綱を引いた。
「こっちは任せて!」
試合の再開と同時に、陽はそう叫んだ。相手はもちろんけやきと良明の両名。そして”こっち”とは、つまり目の前に捉えた裕子のユニットの事である。
陽を乗せたショウは羽根を大きく広げ、裕子ユニットの前に立ち塞がった。
状況はけやきの想定通りだった。彼女は自らが行うべき事を迅速に開始する。
けやきが事前に想定した連山高チームによる試合開始直後の行動パターンは、大まかに三つ。
ケースA。あくまで朝美を軸にはするが、巧みなパス回しで連山高のユニット全員で通常の侵攻を行う。
この場合、朝美ユニット特有の侵攻スピードは大幅にスポイルされ、大虎高側としては通常の試合再開時の攻防として処理する事が出来る。故に、このパターンに関して実行の可能性は低いとけやきは踏んでいた。
ケースB。大虎高チームのディフェンスを完全に無視する形で、連山高の全選手が朝美ユニットによる速攻に追従し、大虎高コートへと侵攻する。
この場合、けやき、良明、陽の三ユニット全てで朝美ユニットへと挑むことが出来る半面、万一自チームの三ユニットがかりでかかって尚突破された場合には二点目の失点が濃厚となる。
ケースC。大虎高チームのディフェンスにマークを付けて、朝美ユニットを速攻に専念させる。
これをされると、大虎高チームはフルメンバーで朝美に対してボールを奪いに行けなくなる。朝美ユニットによる速攻の強力さは試合開始直後の攻防によって実証済。それを最大限に機能させる為には、妨害してくる因子を少しでも多く減らす必要がある。具体的に言えば、それは良明と陽とけやきのユニットによるディフェンスである。
朝美以外の二人のユニットを大虎高チームのどのユニットに差し向けるのかが肝になるところではあるが、相手チームがマークしてくる選手のうちの一人にけやきが選定される事は、その実力から明らかであった。
けやきは、目の前の現状と自身の予想を照らし合わせてみる。
結論から言えば、連山高チームが選択したのは完全なるケースCであった。ただ、陽と良明の両ユニットが夫々裕子と江別のユニットに張り付いた事で、相手のけやきユニットを封じるという思惑を潰す事に成功している。
これで、精密機械の様にボールを追従してくる裕子は陽をマークせざるを得なくなったし、相手チームの主将である江別も良明ユニットにより身動きが取れなくなった。
先程のインターバル時にけやきが出した指示があってこその状況だった。
意図して作り出したこの状況で、けやきとガイがやるべきこと。
無論それは、朝美ユニットへのリベンジである。具体的には、朝美のドラゴンが加速するよりも前に速攻を潰し、ボールを奪う事。
連山高の他のユニットを封じている限り、朝美からボールを奪いさえすればけやきが得点を得る事は決して難しく無い筈である。
今、朝美が手綱を引いて動き出す。同時に、けやきを乗せたガイは早くも彼女達の前へと躍り出ていた。ガイは暗幕の様に分厚い羽根を広げて朝美の進路を奪おうとする。
一度完全に競り負けた朝美を前にして、けやきには勝算があった。
そもそも、先程のジャンプボールで最終的にけやきがボールを奪われたのは、”一定速度で上昇を続ける”という朝美ユニットの動きを読めなかったからである。あの動きさえ把握していれば、けやきが最初にジャンプボールを手にした時点でその両手を背後なりに避けてしまえば、朝美の手はボールには届かなかった筈である。
憂慮すべきは、その後の朝美が乗るドラゴンによる素早い加速と最大速度。これに関しては、小細工なしにガイの移動速度を上回っていた。
つまり、要はその加速の前に潰してしまえばいいのだ。
(後は、朝美ユニットのオフェンス能力次第。これが樫屋ユニットを上回っているかどうか、だ……)
眼前をレインの羽根に覆われ視界を奪われた江別は、手綱を握る拳に汗を滲ませた。
江別の贔屓目無しの判断として、朝美ユニットがけやきのディフェンスを突破する可能性は半々といったところだった。それ位の能力が後輩のユニットにはあると江別は思っている。
彼は、連山高チームのブレインである。
去年の夏、この連山高校が優勝を飾ったのは当時の三年生が優秀だった事も確かに一つの要因であったが、当時から江別は他校チームの研究を重ね、先輩達にも臆することなく様々な意見を具申していた。
お調子者のツーバカコンビに必要以上にきつく当たらないのも、考え有っての事だ。運動部で先輩に対してあのような態度を取っていれば、普通ならば怖い顔の一つでもして正してやるのがふつうだろう。
だが、江別はよく理解していた。彼女等は龍球に対して本気なのだと。
江別が練習内容を話している時には話の腰を折るどんな些細な冗談も言わず、一度試合が始まれば、日頃の軽口からは想像もつかない様な真剣な眼差しをしてそれに臨む。
それが、彼女等なりのけじめであり、気持ちのメリハリの付け方であり、龍球部という部活の楽しみ方なのである。
それを、部長・江別は知っていたのだ。
同様に”お母さん”こと源治薫子の事も、”さっちょん”こと大井聡の事も、その性格や技術に関して江別は正確に把握している。
江別自身、自分でも今後の人付き合いが心配になる様な人間観察っぷりだと思う。
その彼が、である。
かの樫屋けやきのユニットに匹敵する能力があると、朝美ユニットを見込んだのだ。自分や裕子のユニットの動きが封じられているこの状況も、江別の予想の範囲内の事だった。




