見上げ、立ち向かう(3)
「皆、体力は大丈夫? 一試合しかしなかったとはいえ、遠出だったわけだし、夜更かしはしないように」
壁掛け時計は、二十二時過ぎを指している。土曜日の映画番組は起承転結の転に差し掛かった辺りだろうか。
「そうですね、私も竜達の所に顔を出したらすぐに休みます」
けやきのその言葉から解る通り、その場に居るのは今会話に参加していた四人だけだった。ドラゴン達の姿はそこには無い。本来ならば彼等も交えた上で明日の試合の話をしたい所だったが、ホテルのシングル部屋にはとても全員を収容する事は出来そうになかったのだ。
勿論、全体ミーティング自体は昼間の内に寺川が皆を乗せて運転してきたマイクロバスの中で済ませてはある。その場でも薄石チームによる攻撃の迅速さに関しては話題に出たし、今しがた長谷部が口にしたそれに対する対策も、そのミーティングの場で言った事の繰り返しに過ぎなかった。
「枕が変わって寝付けなかった、なんて事にならなければ良いのだが……」
少し心配そうに双子を見やるけやき。それまで、真剣な表情と真剣な口調で喋っていた陽は、惰性によりその態度のまま「その時は」と続ける。
「その時は、徹夜明けのテンションのまま……こう…………本気を出すと、いうか」
「…………」
「…………」
「…………」
それは、陽があんまり真顔で言う物だから、その場の誰しもが何か深い意味が込められた言葉なのではないかと彼女の発言を咀嚼している間であった。
「……陽、それ……だめなパターンだ」
兄の指摘を皮切りに、部屋中に笑いが満ちていく。
快晴の日の夜の星空は、嘘くさいくらいに壮大で、きらびやかで、しかしながら音も無く。兎に角、実に心奪われる眺めを見せびらかしてくるのだった。
だが、或いはそれは自分の主観に因る所が大きく、見る者にとっては皮肉で残酷な美しさなのかもしれない。どこぞの双子よろしく、レインはそう思うのだ。
ホテルの屋上には、夜空を楽しむにはいささか無粋な金網が巡らせてあり、宇宙の摂理に基づいて展開された満天の星空に対し、どうにも人の配慮によるそれが目ざわりに過ぎるのだった。
屋上ビアガーデンの片隅でとぐろを巻くガイは、彼の横で犬の様な座り方をして星空を見上げるレインに、不意をつく様に問うた。
『そろそろ、教えてくれても良いんじゃないか?』
『……なにを?』
『お前が抱えている事情のハナシだ』
『…………』
『なあレイン。せめて、けやきには教えてやってくれないか? あいつには、部の長としての責任という物があるんだ』
『………………ごめん』
『だめか』
『言ったら、私が何をされるか解らない』
そのレインの発言が、彼女が意図したものなのかどうか。ガイはしばし考えた。
『……ほほう』
『え、なに?』
『つまり、お前は誰かに何かをされるかもしれない状況にあるわけだ』
『っ!! 待って、それ、今のナシ!! 誰にも言わないで! お願い!!』
ガイはやれやれと言いたげなため息をついて答える。
『言わないよ。……というか、考えてもみろ』
流れ星が、会話のタイミングなどお構いなしに尾を引いていく。
『お前、雨の日の河川敷でケージの中に閉じ込められてたって言うじゃないか。誰か、人の手によって危害を加えられているという事は皆とうに承知してるさ』
『あ……そっか』
ガイは、このやりとりにより確信した。
(”人の手”という言葉をレインは否定しなかった。こいつを追い詰めたのは、ほぼ確定で竜ではない。人間だ)
『……ねー、ガイ先輩』
『なんだ?』
『…………』
『……どうした?』
『ごめん、やっぱり――』
『いいから言ってみろ。怒らないから』
『……私、良明達に、みんなに……ガイにもだけど。……悪い事、しちゃってるのかな』
『何かと思って身構えたらそんな事か。脅かすなっ』
『だって! 私、何のお返しもできてないのに、学校に住まわせてもらってる。私が学校に住んでるっていう事が大勢の人に知れたら、もしかしたらみんなに迷惑かけるかもしれないのに』
ガイは、いくつか頭に浮かんだ否定の言葉の中から、最も現実主義者寄りな物を選ぶことにした。
『シキさんの身体が龍球をするには限界がきている事、お前だって知ってるだろう。お前が居なければ、どのみちこうしてマトモに戦えていやしなかったさ。そもそも、俺達はなにもお前の事情だけの為に戦っているんじゃない。本気でやりぬいて大会で結果を出さなければ、竜術部そのものが廃部になるんだからな』
レインは下を向いて
『……わすれてた』
と言った。その顔は安心した様でいて、少しだけ寂しそうでもある。
『それでいい』
『え?』
『そんな重要な事を忘れているという事は、それだけ本気で龍球をやれているという事だろう。だから、それでいい』
『そっか』
会話が途切れた事を切っ掛けに、レインはそれまで彼女の意識の外にあった疑問が唐突に気になりだした。
『ねぇ先輩』
『ん?』
『なんで今、その話を? 別に嫌とかそういう事じゃないけど』
レインの身の上を問いただす事を、わざわざ大会初日の夜にする理由が彼女には解らなかった。こんな話、学校でしたって良い様なものだろう。そう思えてならないのである。
今しがたガイが彼女に問いかけた一連の事柄は、むしろ考えようによってはレインの精神状態にだって影響しかねない様な話だと考えられない事も無い。
『けやきから、聞いてないか?』
『え?』
『昨夜の事だ。この大会の事務局に、空き巣が入ったらしい』
『ほんとに!?』
『寺川氏が見せてくれた新聞にも載っていた』
今この時まで全く知らなかったという顔のレインに対して、ガイは続ける。
『不可解なのが、荒らされた形跡という物が無く、盗られたものも殆ど無かったらしいという点だ』
『……”ほとんど”って、何が盗まれたの?』
ガイは、その問いを待ってましたと言わんばかりのどや顔で、
『聞いて驚け』
と、レインに首をもたげた。
なんだろう、とドキドキ顔でガイの言葉を待つレインに、彼はこう言い放った。
『観葉植物だ』
『へ?』
『前日まで事務所の玄関口に置いてあったという、観葉植物だけが無くなっていたらしい』
『なにそれ?』
『わからん』
ガイは、『だが』と言って続ける。
『なにぶん、龍球がらみの団体の事務局という、我々に関わりが無いわけではない場所での話だ。お前の事件と、何か関わりがあるんじゃないかと思ったんだがな……』
レインの思考の表層に、二つの切り返しが浮上した。
ひとつは、”残念ながら、私にはさっぱり”。彼女は、もうひとつの方を採用する事にした。
『心配してくれたんですか?』
嬉しそうで、少しだけ意地悪そうな声だった。
普段は――ドラゴンの言語で――敬語なんて使わないクセに、ここぞとばかりに”ですか”なんて言い出すレインである。
『それ程深い意味は無い。ただちょっと確認しただけだ』
そんな彼女のからかいに気づいてか気づかずか。ガイは冷静な口調でそう返した。
なんだか楽しくなってきたレインは、一歩だけガイにすり寄って尋ねる。
『背中の上で寝てもいい?』
『そこは基本的にけやきの特等席だ。……というか、そろそろ寝るぞ。明日に差し障る』
自分でけやきの名前を出してガイははっとしたのである。
(何の気なしにレインと話していたが、ふたりっきりで話している所なんてけやきに見られたら妙な誤解を生みかねない)
『えー、けち』
と言ってふざけるレイン。対するガイは、『よし、部屋に帰る』と言い捨てて彼女を置き去りにし、その場を去ろうとした。
それ以上何も言わず、ガイのがっしりと折り畳まれた羽根を見つめるレイン。
なんだか、レインからふざけ過ぎて反省している様な空気を感じ取り、ガイはたまらず振り返った。
右手では、人間やドラゴンが酒を片手にわいわいやっている。
その風景と対照する為にそうなっているかのように、左手にはビールのケースやガスボンベ、青いビニールシートがかかった資材が闇に包まれていた。
ガイも、レインも、片方の頬には光が。もう片方の頬には闇が張り付いている。
『金目の竜というものにはな』
ガイは、たぶんレインだって知っている事を口にして、励ましの言葉とした。
『類稀なる能力を秘めている……という、伝承がある』
間。
そして、口を開いたのはレインだった。
『大抵の人間は男か女か見分けてくれないから、私はあんまりこの金色の眼、好きじゃない』
『いいじゃないか、それこそ……特別感がある』
『とくべつかん、かぁ』
レインには、ガイからの取って付けた様なその励ましがとても嬉しく思われた。
だからこそ、これ以上甘えちゃあいけない。そう思った。
『ありがとうございます。明日、頑張って勝ち進みましょう!』
ガイは、今度こそ何も言わず踵を返した。
彼が下階へと続く階段へと至る直前、その背の羽根が一度だけ優しく扇がれた。
けやきが屋上に到着する、二十一秒前の事である。
*
そして、決戦の日はやってきた。
「良く寝たぁ」
ホテルのロビーで人目もはばからず豪快な欠伸をする双子。どうやら調子は良さそうだ。
これで、けやきは部員全員の体調確認を終えた。ドラゴン達も、生徒達も、その誰もが万全の状態。彼女が懸念した”枕が変わって云々”という心配は、幸いにして杞憂に終わった。
その後、なるべく朝早い時間に会場入りし、まだ人の入りもまばらな観客席のベンチに陣取った一行は、その場で早々に最終ミーティングを進めた。
かの薄石高校との再戦。その軍議の場に居るのは昨日ホテルに宿泊した十名である。石崎やシキを含む競技参加者と、長谷部母子だ。寺川と他の部員達も、間もなく到着する手筈になっている。
「薄石の次は、名礼木山高か岐前高のどっちか勝った方。岐前高は前回大会の準優勝高だから今回シード高ね」
石崎がそう言うと、双子は「うわぁ」と口に出しそうな顔で唐突に悪いニュースを伝えてきた彼女の顔を見た。
が、けやきはあくまで冷静に二人に言う。
「組み合わせで我々がAブロックに決まった時点で、彼等と当たるのは避けられない事だ。今は目の前の薄石の事だけを考えよう」
「そう、ですね」
「たしかに」
苦々しくも同意の言葉を口にする良明と陽。尚も不安げなその表情に対し、仄かに灯る豆電球の様な声を掛けたのは、本人以外、その場の誰にとっても意外な人物だった。
『頑張ろう、私もがんばる』
レインは、ドラゴン達を見回し、人間達を見上げた。
その頭にぽんと手を置き、良明は応える。
「頑張ろう。絶対に勝って、お前と部を護る」
部員の誰もが、戦いに臨む戦士の顔になった。
「ここが天王山だ。これまでの三ケ月の、その全てをぶつけてやれ」
けやきに続き、長谷部も煽る。
「たった三日だけど、教えられる事は教えました。少なくとも、あの秘策が全く通用しない筈はない。蹴散らしてきなさい!」
長い言葉を述べた所で、兄妹は理解出来まい。シキは、ただ一言だけ大きく鳴いた。
『ぶちかますぞ!』
一同が、石崎に視線を向ける。
「わ、私も!?」
自分を指で差して慌てた後、石崎はごほんと一つ咳払いした。勝利に対して貪欲な眼差しになり、手元のノートPCを持つ手に力を込めて言い放つ。
「すぐ傍から、常に皆を観てた私だから言える。良明、陽、レイン。あんたら超頑張った! 超強くなった!! もうこの前の、練習試合の時のあんたらとは別人だって、断言できるよ」
言われた二人と一頭の脳裏に、約九十日間の出来事が次々にフラッシュバックしていく。
不覚にも、目頭が熱くなる兄妹。
石崎は、すぅと深呼吸を一つ。もう一言だけ続けた。
「薄石が強かろうが、薄石の次が前回準優勝高だろうが、知ったこっちゃない! 思いっきりやって勝つだけだよ!!」
誰もが抱いていた高揚感が、ここ数日で最も大きくなった瞬間だった。
心のウォームアップはこれで十分。あとは試合で勝つのみだ。
一同は、今や遅しと時計を確認する。
客席の別の一角には、一組の男女が腰を下ろしていた。
陽が、散々「観に来ないで」と念を押しておいたのに。
英田夫妻は昨日と同じく第一試合の開始よりも随分早い時間に開場入りし、素敵な仲間に囲まれる我が子達を愛おしそうに見つめていた。




