それは修羅の道(6)
力なくボールが地面を打つ音が中庭に響き渡る。それよりも前にゴールリングからの電子音が鳴っていた筈だが、双子の意識にはそれが認識できていなかった。
夕焼け色に染まりゆくいつも通りの中庭の眺めが、まるで異世界の様だった。
双子は、完全に言葉を失い続けている。
そして、彼らが跨るドラゴン達も、像の如く身じろぎ一つ出来ない。
シュートを放った来須の身のこなし。それが、到底良明や陽と同じ一年生のそれとは思えなかった。
これでスコアは二対一。
すなわち、あと一点取られればその時点で大虎高チームの敗北である。
(……それはまだいい)
自コートに戻る足を止めたガイの上で、けやきはそう思うのだ。
(真に問題なのは、相手の戦力に一分の隙すら無い事)
「先輩」
「すみません」
双子は、二人とも俯いてけやきにそう言った。
「いや、防御の指示を出したのは私だ。今の失点は私の責任だ」
今の双子には、そのけやきの本心から放たれた言葉が自分達への慰めの言葉にしか聞こえなかった。
「兎に角、重要なのは次に打つべき手を、誤らない事だ」
けやきは言いながら時計を見上げた。
スコアは二対一。試合の再開は大虎高チームのボールから。つまり、一気に点を取ってスコアをタイに戻しておくのが試合の流れとしても望ましいのではないか。良明はそう思った。
だが、
「でも、正直あの三人からさらに一点を取り返すのは、かなりの難しさだと……思います」
「そうだ、その判断で正しいぞ英田兄」
けやきから返ってきた言葉に、良明と、それから陽は、「え」と小さく声を上げた。
心のどこかで自分の言葉を否定して欲しいと思っていた良明は、その声に心ならずも後ろ向きな色を籠めてしまう。
「先程のフラットポジションからの攻撃により結果的に一点を奪われた薄石は、今現在これ以上無いくらいに我々を警戒しているだろう」
確かにそうだ、と言う顔でけやきの言葉に集中する双子。
「しばらくは私がボールをキープして守り抜く。二人はあたかもパスを待っている様な位置取りを続けて、相手の警戒を攪乱しろ。今はそれしかない」
下手に攻めようとすれば、ボールを奪われた挙句にカウンターで”最後の一点”を奪われかねない。けやきが慎重になる理由は特にそこにあった。
「先輩」
陽が口を開く。
「なんだ」
「私達は……ここから先どう動けば、どういう役割を目指せばいいですか?」
けやきは、この窮地にあって陽に対して感心の念を抱いた。
この試合に関して、今現在の兄妹の実力では戦力としての能力を見込めない事は明らかだ。今陽が述べた言葉は、それを明確に自覚したからこその一言であり、その上で、この試合を少しでもいい方向に捻じ曲げようとする意志の現れでもあったのだ。
けやきは、ガイの首筋にそっと手を当てて口を開く。ガイは変わらない冷静な視線を後輩達に向けるのみ。
「感づいていると思うが、今日の練習試合はあまりにも相手が悪すぎる。攻守共に今のお前達に立ち向かわせるのは酷だと思う」
まだ何か言葉を続けようとしていたけやきだが、そこまで聞いて良明はどうしても言葉にせずにはいられなかった。
「あの来須っていう人、一年生……って言ってましたよね。俺達と同じ」
「英田兄」
「はい」
「それなんだが、一つハッキリと解った事がある」
「解った事?」
「薄石高校のあの一年生は、ただの高校龍球選手ではない」
けやきの言葉に対し口々に意外そうな声を出す兄妹とレイン。それに対し、ドラゴン達は至って冷静な面持ちだった。
強いて彼らのその表情を表現するならば、”やっぱりか”といった、けやきの言葉に対して既に並走しようとする意志が見て取れる、そんな表情だった。
「少なくとも来須と、あと安本。あの二人は一般人ではない」
兄妹はけやきの言葉の意味を図りかねた。
「一般人では」
「ない……?」
「恐らくは――」
けやきは、敵コートで自分たちと同じ様に会話している薄石高チームを見やって続ける。
「――あの者達は、龍球でプロを目指す者が通う、ウィングボールスクールに所属している人間達だ」
「プロを……ッ」
「目指す……!?」
”ウィングボール”。それは、龍球に対するワールドワイドな呼称である。
かつてドラゴンがこの国の外からやってきた事は、竜属博物館での展示を見た事で兄妹にとっても既知の情報だった。
当然、彼等ドラゴン達には種としての故郷があるし、現代においてドラゴンは世界各地に存在しているのだ。さらに言えば、龍球の本場はドラゴンイーターの影響が色濃いこの国よりも、むしろ世界の方にある。
そんな舞台で渡り合う事を目指すプロの龍球プレイヤーが、国内には数百名程存在している。頂点を決める戦いへの限られた切符を手に入れようとする、いわば人生をかけた戦いに挑む本気のプレイヤー達が鬩ぎ合う世界。将来を見据える児童から今を戦う大人までが幅広く所属するそこでは、その実力によりランクが与えられ、日々他のプレイヤーと切磋琢磨を繰り広げているという。
それが、ウィングボールスクールという場所だ。
けやきは、来須本人の身のこなしと、さらには安本の”あんた、ウチの一年なめくさしすぎ”という発言により確信したのだ。
来須は、まさにその切磋琢磨の世界に身を置く人間なのだと。
「いいか、英田兄妹」
二人は、沈黙してけやきの言葉を待った。
「絶対に、あいつを自分と同じ土俵の人間だと思うな。自分よりも上手くて当たり前の、別の枠組みの者達だと思え」
沈黙を続ける双子。
「いいか?」
「……はい」
「……はい」
心苦しそうな表情を浮かべるけやき。双子の言いたい事は、痛い程分かっていた。
”もし、そんなレベルの人間が県大会にごろごろと出て来たら?”
”自分達二人は、そんなレベルの相手に対して、これから先に積み重ねていく練習で太刀打ち出来るようになれるのか?”
その問いに対するけやきの中にある答え。それは、彼女にとっては胸を張って断言できる確信がある言葉だった。
”大丈夫だ、必ず戦える様になる”
ただ、その一言を今この場で口にする事が、けやきには出来なかった。それは、恐らく今の二人とそれからレインにとっては、にわかには信じ難い回答であろうと思えてならなかったからである。
この実力差を見せつけられた直後の二人にとって、今目の前にあるのは圧倒的な実力の差であり、絶望の壁であり、その先にある仄かな可能性のうねりなど、見える筈が無いのである。
「まずは点を取られない事だけに集中しよう。さっきの事は気にするな。私も気にしない」
不安な表情を押し込めきれない兄妹に対して、けやきは今一度促す。
「いいな」
それでようやく、二人は気持ちを切り替える決心をつけた。
「はい」
「はい」
ショウがボールを拾うのを見ると、彼女の背の上の陽はセンターラインへと手綱を引いた。それを切っ掛けに、大虎高チームは試合を再開するべく移動を開始した。前方では、既に薄石高チームの選手達が配置についている。
陽の左側後方、少し離れた所にけやきが待機し、良明は陽のすぐ後ろに陣取る。
面持ちは、重かった。
「作戦は決まったかい?」
けやき達の前方から発せられた安本の挑発的な口調に、兄妹とレイン、そしてショウは耳を疑った。
安本の無礼な喋り方は、けやきとガイにとっては先刻承知の横柄な態度である。だが彼女等以外の者に対してもその態度を崩さない事が、けやきとガイには少なからず意外だった。けやきは陽に手を伸ばし、しばし試合再開を待つようにジェスチャーで指示する。
「安本」
眠りにつく様に静かな心持が読み取れる口調で、けやきはその名を呼んだ。
安本は、不機嫌そうながらもそれに応じる。
「なんだよ」
「つい先刻も尋ねたが、何がそんなに気に入らない。少なくとも、先日部に入ったうちの一年生達にはそちらの思うところは関係の無い事なのではないのか?」
「……ああそうだよ? 俺が気に入らねぇのはてめぇとその竜だ……今のところはな」
安本は、開き直る様に言い放った。
「折角の練習試合なんだ、友好的にいこうじゃないか。そんな――」
けやきは、尚も静かに言葉を紡ぎ続けようとしたが、それが安本には我慢ならなかったらしい。
「うっせぇ! いいからてめぇらは俺等に負けときゃいいんだよ! 完膚なきまでになァ!!」
それは、口調にしても内容にしても完全なる暴言だった。
それまで、遠くで何かぶつぶつとやり取りをしている事しか解らなかった部室の中にまで聞こえてくる声で、安本はついに感情を込めて叫んだのである。
「あんの馬鹿タレ……」
部室内の黒川が顔を真っ赤にして椅子から立ち上がった。言うまでも無いが、顔を真っ赤にした理由の半分は恥じらいからである。薄石高の名に泥を塗る行為以外の何物でもない行動に対し完全に激昂した黒川は、部室内の者が自分に注目している事にも気づかずに、試合を止めに入ろうといよいよ席から離れようとした。
と、その時。
「黒川先生」
春先の桜でも眺めながら酒宴の場にて人間観察を楽しむような、飄飄としたその声の主は、寺川だった。
「ああこれは本当に申し訳ありません、今すぐに試合を止めて私から一言――」
黒川は、漸く部室内の視線が自分に向いている事に気づきつつ深々と寺川へと頭を下げた。
「まぁ、見守りましょう……」
「え?」
「折角の練習試合、ですから」
寺川の声と表情は、今、目前で怒声が聞こえたとは思えない程に穏やかなものだった。
「生憎――」
一方。コート内のけやきは、猛々しい罵声に対しても全く動じなかった。
今のけやきは小学生の頃とは違う。理不尽な物言いにも涼しく対応できる様になった自覚はあるし、まして今は後輩の目がある場である。なにより、高校三年生樫屋けやきにとって、今はあの大虎祭の時の様に感情に任せて冷淡な言葉を並べたてる程の状況ではなかった。
「――お前が何の恨みで苛立っているのかは、断定できない。だが、安本」
「……」
「これは、お前達が申し込んでくれた練習試合だ。お前がどう言おうと、私達は全力でやらせてもらう。進んで負けに行くつもりなど、毛頭無いとだけは言っておくぞ」
「ふん」
ニタリ。それまでの表情を一変させて嗤い、安本は相棒の竜の手綱を握って試合の再開を促した。
「陽、待たせたな。始めよう」
表情の不安の色を一層濃くしているのは、陽と良明とレインである。
けやきはそんな後輩達を見て、むしろその事にこそ内心焦りを感じていた。が、それと同時に双子の中ではある感情が芽生え始めていた。
それは、今ここで口にするべきではなさそうな一言。
それは、双子が視線のやり取りだけで共有した一言。




