それは修羅の道(7)
(あんなヤツに、負けたくない!)
(あんなヤツに、負けたくない!)
追い詰められたこの状況で。
つい先程までは、スキルアップだけを目的にしていたはずなのに。
今しがた安本の口から放たれた暴言により、双子の中で今まで感じた事の無い様な不思議な色の感情が顔を覗かせていた。
試合再開。
兄妹は一先ず自分達の中の感情に対しそっぽを向いて、眼前の状況に対して集中し始めた。
陽は自分に言い聞かせる。
(ミスるなミスるなミスるな勝ちたい勝ちたい勝ちたい)
心配そうにそんな陽を見つめる良明だが、勿論、試合再開の役割を自分が進んで受け持つなどという事を言い出す気は、毛頭無かった。
試合の危機的な状況。安本による突然の罵声。
嫌な緊張感が支配するコートの中で、陽は、自分のタイミングでショウに合図した。
「ショウさん、始めよう」
(焦らず、確実に、パスを回す)
陽は相手との距離を見極めつつ、傍らの良明ユニットをちらと見る。
可能ならば一旦良明にパスを出し、その後そちらに敵の意識が行ったうえで良明がけやきにパスを出す――という流れが望ましい。
今しがたけやきが唱えたのは、兎に角相手の注意が色濃く向けられているうちは、無暗に攻めないという方針だった。
陽もそれが正しいと思うし、そもそも、もはやけやきの言う通りに動く以外にこの勝負に勝機は無いとも思っていた。
相手は、幸いにしてけやきをマークしていない。試合再開早々に三ユニットがかりでボールを奪うつもりなのだろう。今なら。今、陽からけやきにパスを出せば、そのボールは中空の見えない橋を確実に渡り切る。
思えば、レインをこの竜術部に連れて来た日以降、陽も良明も”努力”という表現が決して大袈裟ではない量の練習を積んできた。
たった三週間という限られた期間ではあったが、目に見える上達だってある。たとえば、けやきや直哉とのミニ試合では不可能だったロングパス。当時はふわふわとした軌跡しか描けなかったパスも、今ならほぼ一直線に目標へと到達させる事が出来る。
短期間とはいえ、死に物狂いで行ってきた練習の数々。
そして、それを駆使して尚届かない領域に居る目の前の敵。
深淵から覗き込む悪魔の様な、そんな、得体の知れない巨大な影に足が竦み上がりそうになる。
(攻めも守りも敵わない相手だよ。だったら、私とアキが今出来る事って一体何なんだろう?)
陽は、手元からショウの視線を感じた。
”がんばれ”
陽には、彼女が青い眼でそう訴えかけている様に見えた。
(せめて、言われた事だけは。勝ちへの唯一の道である、樫屋先輩からの指示だけは、完璧にこなしたい……)
兄と妹の思う事は、大体いつも同じである。陽にとって、また良明にとって、それは当たり前の事であり、だからこそ今この瞬間に関しては確信が持てた。
(アキにパスを出しても、ちゃんと樫屋先輩に繋げてくれる)
陽は、この時点で決心した。けやきへの直接のパスはナシだ。
丁度彼女の思考が終わるくらいのタイミングで、薄石チームは動き出した。久留米沢のユニットが、陽へと猛然と突き進んでくる。
(引き付けすぎたらダメ。けど、まだ。視線は久留米沢さんを見たまま、アキには決して向けずに、感覚だけでタイミングを見極める……)
視界の隅で、来須のユニットが良明へと近づいて行くのが見て取れた。
(今!)
陽は、再開前に一度だけ確認した良明が居る筈の場所めがけ、振りかぶったボールをあらん限りの力で送り出した。
(うん、だよな)
陽がけやきに対して直接パスをする事は無いだろう事を、良明は半ば確信の元に想定していた。故に、彼が陽のパスを取りこぼす事は有り得ず、妹から兄へのパスは無事に繋がった。
陽に向かっていた久留米沢のドラゴンが、無駄のない動きで良明の方へと方向転換する。
軸足に全体重をかけた一歩のみで、その進行方向を変更させたドラゴン。その上の騎手は、既に目標である良明の姿を正面に捉えている。
(まったく、これが経験者のスキルってモンなのか)
良明にしてみれば、その久留米沢が跨るドラゴンの一歩だけで力量の差を思い知らされ、嫌気がさしてくる様な心境だった。
「陽! 上がれ!!」
ボールを受け取った良明が叫ぶ。勿論敵チームを欺くための偽の偽の指示だ。
だが、陽はあえてその通りの指示をショウに伝達した。それにより多少なりとも敵チームへの攪乱が成功する事も有り得るし、陽がその場に残留する理由も特に無かった。
良明ユニットが、久留米沢達の猛追から逃げる様に薄石コートを進行していく。久留米沢に加え、さらに来須のユニットが良明の方へと向かってきた。
良明の視界の中の陽にはマークなし。
(つまり、残る薄石チーム部長のユニットは、恐らく俺の左斜め後方に位置する樫屋先輩の周辺に居る筈だ)
ボールを手にした良明は、安本ユニットの現在位置を大よそ予想して視線はレインと同様に前方に向け続けた。
「英田!」
けやきがそう言って良明にパスを求める事が出来たのは、直前に良明が陽に対して敵陣に先行する様に指示していたからである。
あの一言が無ければ、”良明がこれから出すパスの目標は陽である”という薄石高チームの認識が幾分か薄まってしまい、薄石チームのけやきへの警戒が多少なりとも増していた筈である。
そして良明は、けやきが彼の名を呼んでくれたおかげで彼女のユニットが居る正確な場所をつかむことが出来たのだ。
すかさずけやきへとパスを繋ぐ。
けやきとガイの後方から割り込む様に安本がパスカットを試みる。咄嗟の判断により機転を利かせたのは、ガイだった。
ガイの羽根が安本の視界を遮り、けやきは苦も無くボールを受け取った。
「てめぇエ!」
背後で威嚇する安本を尻目に、ガイは一気にコートを上昇していく。
すかさず薄石チーム全ユニットが羽ばたいて、ガイとけやきへの追従を開始した。
それを視界に捉えながら、レインとショウは各々の独断によりあえて自コート側へと数メートル下る。もう薄石コートのゴールリングまでさほど距離は無い。このままでは良明や陽がシュートを打つ羽目になる事を考えての行動だった。
シュートを外してリバウンドを取られる事のリスクを考えれば、やはり得点はすべてけやきに任せた方が良い。当の良明と陽も、悲しいかなドラゴン達の判断と同じ意見であった。
ボールを持つけやきはガイの上で周囲の気配を探る。
(下前方から来須、左下やや後方から久留米沢。安本はドラゴンの羽根の音からしてそれと同等の高度。後方からか)
自分を取り巻くユニットの配置を一瞬で整理しきると、今度は相手の心理への推察を試みる。
(完全に私がシュートを打つ事に対して警戒しているな。下のレイン達にはまるで意識が行っていない。この状況ならあの二人のどちらかにシュートを試みさせてもリスクは小さいが、二人は恐らく先程取り決めた作戦を守る事を優先するだろう)
けやきの考察と時を同じくして、安本は心の内で高笑いしていた。
(バレバレなんだよ、下の一年坊主どもはどうせ高確率でシュートを決める事はできねぇ。だからあんたにパスを集中させて、全ての攻撃をあんただけがやるつもりなんだろう。全部看破済みだよこの野郎、久留米沢と来須には既にあんたのマークを最優先する様に言ってある!!)
高度五メートルまで上昇した所で、けやきは思い切った行動に出る。
その手に持ったボールを
「なにっ」
直下へと投げつけた。
そして、直後にこう叫ぶ。
「ショウ!!」
凄まじい勢いで下降してくるボールに対し、陽ははっとする。
「そっか!」
良明と陽、それにレインも、まだシュートの成功率はさほど高くはない。だが、大虎高チームにはけやきのユニット以外に、もう一頭だけ龍球熟練者がいた。
その事を、安本は知っている。前回の県大会で、大虎高校の三年生が騎乗していたドラゴン。忘れもしない、青い目をした若年のドラゴンだ。
「てめぇらはマークを続けろ!」
薄石のチームメンバーに叫ぶが早いか、安本はその場で自らの乗るドラゴンから飛び降りた。
ボールがショウの手元に渡ると同時に、陽は咄嗟にその背中から降りてショウのシュートを促した。どすん、と安本が着地するのと時を同じくして、ショウは間を置かずにすぐさまシュートを放った。
「まずは点を取られない事だけに集中しよう」
一連の展開を見守っていた良明は、先程のけやきの言葉を小さく呟き、現状を照らし合わせた。成程、相手チームの大半が上空に居るこの状況ならば、シュートを打つという選択もナシでは無いと思える。
その言葉の前に同じくけやきが言った、もう一言。
「しばらくは私がボールをキープして守り抜く。二人はあたかもパスを待っている様な位置取りを続けて、相手の警戒を攪乱しろ。今はそれしかない」
良明は、今この時を相手チームへの攪乱に成功した瞬間だと捉えた。
けやきとガイ以外で、この局面に立ち向かえる戦力は誰か。
陽と組んでいるユニットとしての能力で言えば、決して高くは無い。だが、単純にシュート精度という個人の能力で言えば、ショウは決して頼る事を躊躇すべき選手ではなかった。
またもデジャブ。
先日のミニ試合の時に完全にショウに頼っていた双子は、夫々にあの日の自分と妹――兄――を思い浮かべた。
レインも同様だ。同族として、後輩として、ショウに庇護を求める心と信頼を抱かずにいられなかった。
ショウは、果たしてそんな彼等の想いを今この瞬間に意識していたのだろうか。彼女の表情からそれを読み取る事は出来ない。ただ、経験と練習により洗練された身のこなしで、ボールをリングめがけて投げるのみ。
強いて言うなら、その眼には期待を背負う覚悟を宿していた。
「入れ、入れ!」
良明が呟き、陽が見守り、安本が睨む。
全選手の試合に傾ける集中力が、ボールの行方を捉える事に注がれる。時は止まる事も無く、対決の結果には何の興味も示さずに、ボールを中空へと誘っていった。
しかして試合という名の本流は流れ続ける。




