それは修羅の道(2)
「二人とも、そろそろ準備運動は終わったか?」
「はい」
「はい」
けやきが双子に声をかけると、二人はいつもの様に高さの違う声を揃えて答えた。彼らの傍らで羽根をパタパタと動かして準備運動をしているレインとショウも、今や遅しといった顔でけやきを見る。
中庭では、相手の学校を含めた選手六名が、既に各種の準備を整えつつあった。
「右足首の痛みは?」
双子は、部長に対して緊張の色を隠せないまま答える。
「お陰様で無視できるくらいには」
「お陰様で無視できるくらいには」
「よし、くれぐれも無理はするな。兎に角、この前の様な怪我にだけは気を付けろ。今私が言うべきはそれだけだ」
けやきは双子に対して試合の事を口にしない。出来ない。双子やレインに今何を言ったところで、厳しい現実を突きつけるだけだと彼女は思うのだ。
けやきが先程本人達に言っていた事だが、この試合に関してけやきが部長として兄妹に求める事は、一にも二にも何かを吸収してもらう事だった。それ以上を今この二人に望んではならない。彼等はそれほどのプレッシャーの中で戦っているのだ。それがけやきの判断だった。
けやきは旧校舎1の壁面に掛けてある時計を見る。つられて兄妹も同じ方へと視線を向けた。
「始めるかー?」
そんな中庭の気配に気づいたのだろうか、部室の中から薄石高顧問の声が聞こえてきた。
「いいですかー?」
顧問に問われた薄石の生徒の一人が、けやきに向かって大きな声で確認すると、けやきも「はい」と大きな声で答えた。
「よし、行くぞ」
「はい」
「はい」
「グァ」
「グェッ」
「グゥ」
けやきに促され、兄と妹とドラゴン達はコート中央へといざ進み出でた。
ガイは部長としての信頼を寄せるけやきをその背に乗せ、大虎高チームの誰よりも先を黙して歩く。
陽は、相手の人間選手の顔を順番に見た。今この瞬間まで、緊張の所為で相手の顔など碌に見てなどいなかったのだ。
向かって左。ガタイの良い男子生徒は、面長で四角い顔の向きを変えて辺りを観察している。早くも大人の男性の雰囲気を漂わせるその短髪の男子は、その身に纏う雰囲気からして冷静に周りを見るタイプだと容易に想像できた。
向かって右に立つ同じく男子は、自分達と同じ一年生だろうか?どこか遠慮がちではあるが委縮している風ではなく、サラサラとした襟にかからないくらいの髪を首を振って払った。試合が始まる瞬間を今や遅しといった表情で待ちわびる集中の只中にあるその顔は、まさにスポーツ選手のそれであり、その眼は中央に立つ男子を見つめていた。
そして、その中央に立ってけやきを突き刺す様な眼光で見ているのが、恐らくはキャプテンだ。その身に纏うオーラから陽にはそう思えてならない。
鋭い眼光で見ている、と表現するのはいささか恣意的すぎるな、と陽は思った。睨んでいる。そう、彼の表情は、けやきを睨んでいると表現した方が正確だった。
その憎悪に歪んだ顔をよくよく見れば、それ自体は随分と整った顔立ちをしている。つり上がり気味の細い眉と額を隠す程度の髪はクセ毛で、身長は百七十センチギリギリ無いくらい。陽より少し高い程度だ。
三人とも、"SUSUKIISHI"のアルファベットを筆記体で胸にプリントしてあるユニフォームと、かなり使い込まれた竜具を身に着けている。
けやきは、睨め付けてくる男子に対して臆する事もなく、自分から自己紹介した。
「大虎高校三年生。主将・樫屋けやきです。今日は遠路より御足労有難うございます」
果たしてけやきが丁寧な挨拶をしなかった場合、この男はどのような口調で自己紹介していたのだろうか?
「薄石高校三年、安本暦人。キャプテンです、よろしく」
安本暦人は、ぶっきらぼうにそう挨拶した。
けやきに視線を向けられて、「あ」と口々に声を漏らした双子はそれぞれ挨拶する。
「英田良明。い、一年生です! 本日は、ま、まこ、とに――」
何も言葉を用意していなかった良明がしどろもどろになっていくのを助ける様に、陽が同じく自己紹介した。
「英田陽。同じく一年生です。本日はよろしくお願いします!」
陽がぺこりとお辞儀すると、相手チームの残る二人も先程陽が人相を確認していった順に挨拶を始める。
まず、四角い頭の大男。
「三年、久留米沢智樹。よろしく」
続いてサラサラの髪のスポーツマン。
「一年、来須倫太郎です。よろしくお願いします」
この手の改まった自己紹介の場では、特に理由が無い限りはドラゴンの名は紹介しないのが習わしだ。特に自己紹介が望ましくないというわけでもないのだが、ドラゴン自身が人間の言葉を発音できる声帯を持っていない事から、それが一般的なならわしである。
石崎が部室から出てきて、龍球用の白いボールが無造作に置かれたコート中央へと進み出た。
「いいっすよ、そっちのボールからで。そのくらいのハンデは無いと釣り合わないでしょう」
石崎が部室を出てその場に至るまでに、十秒弱は時間があった筈である。
安本は、彼女が双方の準備完了を確認する段階まであえて待ったうえでそう言ったのだ。それが意図的な行動であった事は、緊張に包まれている今の英田兄妹でさえ認識できた。
石崎に無駄に足を運ばせた上での、露骨な挑発。それでいて、気遣いの体をギリギリの所で成してはいる。
けやきは、先程から向けられている安本の敵意をあくまで受け流す様に、こう返答した。
「お気遣い感謝します。ですが、是非とも薄石高の方のジャンプボールを拝見しておきたいので、あくまで通常のルールでお願いします」
平静のまま挑発を受け流す事がそのまま相手への威嚇になる事を、けやきは勿論理解している。
「そうですか、いいでしょう。じゃあ、よろしく頼みますよ。そっちの……」
安本は淡々と言葉を返し、石崎を見た。
「石崎です。よろしく」
「石崎サン」
石崎は、けやきとは対照的なまでの露骨な不快感を表情に出し、隠されざる敵意を安本に対して叩きつけていた。相手が面識のない他校の相手でなければ、彼女は間違いなく文句の一つでも口にしていた筈である。
石崎は、自分に任された仕事を断行する。
「では、ただいまより前半十五分、後半十五分の試合を開始します。両者向かい合って、礼」
人間とドラゴン、全十二名が向かい合って一礼した。
ここまでけやきに指示されるがまま、淡々と試合の準備を進めて来た双子に、突如として試合というものへの実感が沸き上がってくる。
兄と妹はお互いの顔を見る。
もう引き返せない。否、この二人は最初から引き返す事などできないのである。豪雨の中でレインを助けたその日から。或いは、それを連絡してきた藤と友人になったその瞬間から。
(やるしか……)
(ない)
兄妹は頷きあって視線を正面へと戻した。
ホイッスルを咥える石崎。龍球においてそれは、間もなく試合が開始される事を意味する合図である。
しばしの沈黙。
そして、粛々と進められる手順の中でその時はついに訪れた。
ビッ。
石崎は、今ジャンプボールをセンターライン直上に、振り上げた。ホイッスルと同時に、彼女の手に握られているストップウォッチのSTARTボタンが押される。
今この瞬間。この練習試合の火蓋が切って落とされた事により、本年度の大虎高校竜術部の本当の意味での戦いは始まりを告げた。
圧倒的な戦力差。交錯する夫々の目的。龍球への熱情。目には見えないが確実にその場に存在する様々なものが、今こそ渦を巻いてその場へと吹き荒れようとしていた。
けやきは今、ガイの背に乗ってボールへとその細い腕を伸ばす。
ガイの背中からの跳躍の上、さらにその長身の身体を伸ばしてボールを追うけやき。
一方の安本は、妙に低い位置で跳躍の頂点に達していた。申し訳程度と言っていい高さのジャンプを終えた安本とその相棒のドラゴンからなるユニットは、未だ中空を下降している最中のけやきを見上げた。
ドラゴンが地上へと到達する感触を身体に感じながら、安本はけやきの手の中のボールに狙いを定め、今、手綱を引いた。その安本からの指示に対し、恐るべき反応速度で彼の跨るドラゴンは再び地を蹴る。
けやきは一瞬のうちに相手の意図を悟った。
(あえてジャンプボールを譲り、不安定な体勢の私からボールを奪うつもりか)
その行動は、身長差から不利と判断した安本がけやきに対抗する手段として理に適ってはいる。だがそれでも、この様な大胆な策を実行に移す事に対してけやきは多少なりとも驚いた。安本の取ったこの策は、龍球の戦術としては決してメジャーなものではない。一般的なテクニックしか認めない保守的な考えの選手であれば、”姑息な”とさえ形容するかもしれない。
或いは、この練習試合に臨む何日も前から用意していた策である様にさえ感じる。試合開始時のボールを譲ろうとしてきた安本を前に、けやきはそんな事を思った。
安本の、口ぶりの乱暴さとは裏腹な、勝負への純粋な拘り。けやきは、この波紋が消えていく様に短い時間の中にあって、そんな彼のギャップに対して関心さえ抱いた。
身体を支える物が無い状態にありながら、けやきは上半身を捻って器用にもそのまま良明へとボールをパスする。
それを見るなり、体格の良い三年久留米沢が良明へと進路を定め、猛然とドラゴンを走らせた。
良明にとって選択は三つ。
まだマークのついていない陽にパスを出すか、熟練者であるけやきにボールを戻すか、自らが相手コートに打って出るか。
安本は、未だけやきの周辺から移動していない。
(陽!)
視線で合図を送るが早いか、良明は陽へのパスを選んだ。
彼がボールを放ったのは、久留米沢が良明の目の前三メートルに差し掛かったタイミング。それは良明が狙った距離ではなかったが、久留米沢達との駆け引きとして抜群の間合いといえた。久留米沢と良明の三メートルという距離は、パスカットされる可能性はかなり低い遠さでありながら、久留米沢が陽の方へと方向転換するにはやや遅すぎる近さである。
久留米沢は表情こそ冷静なままだったが、心内ではほんの僅かに歯噛みした。
頭一つ分逸れた良明からのパスの軌道を的確に見極めてキャッチする陽。彼女が懐へとボールを持ち直した時点でも、その周辺には相手のユニットは存在しなかった。久留米沢ユニットは言わずもがな、安本ユニットでさえも陽へのマークは行っていなかったのだ。
安本、久留米沢に続く相手チームの三ユニット目。来須とそのドラゴンは、現在相手コートのゴールリング手前に位置していた。
(出来るだけ相手チームを引き付けてから、樫屋先輩にパスするのが安全なのは解ってる。解ってるんだけど……)
陽は小脇にボールを抱えて反対側の手でショウの手綱を引いた。コート上空へと飛翔すると、相手コートのゴールリングへと一直線に向かって行きながらこう思う。
(ここで先輩を頼ったんじゃ、何の練習にもなんないじゃん!)
前方に構えている相手チームの一年生・来須のディフェンスを抜く自信は、彼女には全く無かった。
今日までの練習に関して、けやきに命じられたメニュー全てに対して一切根を上げずにこなしてきた兄妹だったが、実際問題、不得手というものは未だいくらでも存在する。中でも敵の防御をかいくぐって攻め入るというアクションに関しては、陽も良明もまだまだ素人レベルそのものだった。
それはチームとして致命的な攻撃力不足ともいえたが、けやきとガイのユニットがその穴を埋めるという事を金曜日のミーティングで確認した。
今は、その穴埋めに期待して自らの技術を試す時だと陽は思ったのだ。
意を決し、ショウの背からロングシュートを試みる陽。
ショウが上手い具合に高度をゴールリングの輪の高さとほぼ同一に合わせてくれていた事もあり、陽の放ったシュートは正確にゴールリングを捉えていたと言って良い。
だが、いかんせん距離がありすぎた。来須はいとも容易く彼女のシュートを遮り、しっかとそのボールをキャッチした。
「どまー、ナイシュー」
張り上げた良明の声が僅かに震えている事を、その場の者達の中で陽だけが気づく。
そして、気づいた陽がボールを投げたその両腕もまた、小刻みにぷるぷると震えていた。
陽は、章に跨ったまま自分の両腕をもみほぐす。
「はは……」
自嘲するかのような妙な笑いが陽の口から漏れ出した。
一見、淡々と先制点を狙っていた陽だったが、実の所緊張で気絶してしまいそうだった。恐らく、兄もそうなのだろうと思う。
だが、それでもやるしかない。練習試合に対して積極的に参加しなければ、上達は見込めない。それはつまり、部とレインを守るという大目標の達成から遠のくという事に他ならなかった。
(これでいい……)
陽は自分に言い聞かせながら、すぐさまショウを自コートに戻らせた。




