長の器を満たすモノ(3)
(もし僕の考えが正しかったとして、それは別に、今の竜術部を根底から否定する要素にはならない)
坂は、本校舎を出て、旧校舎1に入り、旧校舎2へ続く通路に差し掛かろうとしていた。
(けど、だからこそ真実味がありすぎる。そしてもし僕が思う通りなら、僕は、やっぱりあの樫屋先輩という人を信用できない。今回の事とは別に、何かもっととんでもない闇をあの人は抱えているんじゃないか……。これから先、そういう疑心暗鬼とよろしくやっていく自信が、僕には無い……)
遠くグランドの方から、昼休みの喧騒が聞こえてくる。
良い日差しの日だった。皮肉なものだ、と坂は思った。
旧校舎2の、竜術部の部室が見えてくる。出入り口の扉が開け放たれており、普段通り部長がガイと昼練に励んでいるらしい事が窺い知れた。
(毎日そうだ。あの人は兎に角ガイさんが好きで、恋愛感情の意味で本当に大好きで、ガイさんの為なら何だってやってしまえる。認めたくはないけど、やっぱりその動機付けで完全に合点はいってしまう……)
開け放たれた部室の入口を潜り、坂は部屋の中を見渡した。
「副部長、今、樫屋先輩はどちらに?」
部屋の中には、副部長の石崎だけが居た。
ノートPCに向かって何やら作業している。
「んー、外」
尋ねるまでも無い質問が坂の口から零れたのは、彼の動揺の証だった。
ざっざっと進んでいく坂を気にも留めないで、石崎は作業に没頭していた。
「部長!」
ゴールリングに入ったボールを視線で追っていたけやきは、聞き慣れた声がした方へとその美人顔を向けた。
「練習中にすみません、ちょっと、話があるので来てもらっていいですか?」
ガイの首筋に掌を当てる事で”しばらく待っててくれ”という意思を伝え、けやきは彼から降りて坂の方へと歩き出す。
「何かあったか?」
坂の心情を知らぬけやきは、それでも彼の放つ雰囲気の異質さにすぐに気づき、真剣な声でそう言った。
そのまま部室を横切って野ざらしの廊下までけやきを連れて来た所で、坂は躊躇うことなく開口一番、こう言った。
「先輩。ここからのやりとりで、どうか嘘は言わないでください。僕も、嘘は言いません」
「坂、突然どうしたんだ? いいだろう、嘘は言わない。だが、答えられる事とそうでない事がある。答えられない事ならその時点でそう伝えよう」
「すみません、それで結構です」
部長のその言葉で、坂の不信感がこの期に及んでさらに増した。
ただし、この時けやきが言った答えられない事というのは、ガイとの恋愛周りの事柄を指していた。坂がこれから指摘する事を、けやきは全くもって予想出来てなどいなかったのである。
「この学校での龍球の歴史は、この学校の創立と同時に始まった、と。以前先輩は、皆でビデオを観た時にそう仰ってましたよね?」
「ああ」
「僕がさっき生徒手帳で見た限り、この学校は創立から既に六十年を超えています」
「ああ、厳密に言えば、今年で六十七年目だった筈だ」
「先輩……」
坂は、この期に及んでけやきがこんな簡単な矛盾に気づかないのか、と不思議でならなかった。
「先日、新入生達に見せたビデオは、竜術部創立元年のものなんですよね?」
絞り出す様に、坂はそう尋ねた。
坂は、今この瞬間までの約一年、けやきの事を心底尊敬していた。
彼女の動機は考えようによっては不純ではあったが、途方もない猛勉強と努力の末に彼女はドラゴンに関する様々を体得し、龍球では県大会優勝を狙えるところにまでのし上がった。名門でもなんでもないこの大虎高校を、事実上彼女一人で、一代でのし上がらせたと言っていい。
けやきによる凄まじいガイへの愛を感じたので恋心こそ抱く事は無かったが、少なくとも坂は、心の、魂の何処かで彼女に憧れを抱いていた。
決して、恋人を助けるという目的を達成する為に、右も左も解らない一年生への説得の言葉の中に嘘を交える様な人間ではないと、信じていた。
坂は、そんな樫屋部長の言い訳など聞きたくないし、だからと言って黙りこむ彼女も見たくは無かった。坂の心の何処かで、どうにか自分の指摘をかいくぐり、自らの犯した罪を誤魔化してほしいという声が響いていた。
が、より鮮明な言葉で、坂は自分を慰める様にこう思った。
(証拠は、放送室の中に今も残ってる。部長が言い逃れすることは、出来ない……)
「せめて」
坂は涙声になりかけて一度言葉を詰まらせた。
「せめて、竜術部のありのままを記録する役目を任せてくれた僕には、騙す様な事をしないで欲しかった!」
次の瞬間、けやきの口から出てくる言葉がどんなものであれ、坂は甘んじて受け止めようと思った。この状況を招いたのは、事を追及した自分なのだ。これから自分が傷つくのは、自分自身の所為なのだ。そう理性に言い聞かせながら、直後に発せられるであろうけやきの言葉を待った。
「……坂」
「はい……」
「その通り、そのビデオは竜術部創立の年のものだぞ」
坂は、信じられない、といった顔でけやきを見た。その眼には今にも零れそうな涙が溜まっている。
「先輩! 六十七年も前に、ビデオカメラがあるはずないじゃないですか!! 先輩は、英田君達に対してこの部の歴史を誇張して伝える事で、興味を引き付けようとしたんじゃないんですか!!」
「さ、坂、何を言っている。竜術部の創立は十九年前の事だぞ?」
「十九年も前に、ビデオカメラがあるはずな――……」
坂は、けやきの自分に向けられている心配そうな視線に気づきつつ、その発言の一部を復唱した。
「じゅうくねん?」
「ああ……ああ、そういう事だな。坂、すまない。……確かに、きちんと誰かに説明したことは今まで一度として無かったな」
本当に本当に申し訳なさそうに、男泣き十秒前くらいの坂にけやきはそう言った。
「え、せんぱ……?」
六十七年前から活動が続いているにもかかわらず、竜術部の創立は十九年前。
けやきの言っている事がまるで理解できないと言った顔で、坂は言葉を詰まらせた。
「元々、この学校の創立当初に作られたのは、ごく一般的な”龍球部”だったんだ。それが、ガルーダ―イーターの台頭と時を同じくして衰退していった。理由はお前も知っての通り、彼等ガルーダイーターによる世論操作が原因だ。そして、廃部の危機に瀕した当時の龍球部は、部の活動範囲を龍球以外の事にも広げ、部の掛け持ちを学校側に認めさせる事でなんとか竜術部として”存続”するに至った……と、いうのがこの部のここまでの経緯らしい」
坂亮太十六歳の耳が、みるみるうちに暗室の様な赤に紅潮していく。
「すまなかったな。ここに至るまで、随分と思い悩んだろう」
「えーと、はい……」
ごまかす事も出来ず、けやきの質問に正直に答える坂。”僕も、嘘はいいません”という啖呵がまさかこんな形で跳ね返ってくるとは、彼は思いもしなかった。
「そもそもお前がそこまで疑うという事は、普段の私の素行に何か問題があったという事か……」
「いえいえ……ええっ、と……」
「この際だ、はっきりと言ってくれ。今後の為にも正せる事なら正したいんだ」
けやきは心の底から申し訳なさそうに坂にそう申し出た。サンドバッグ状態の今の坂が、そんな誠実な態度をとってくるけやきの言葉を無下にするわけにもいかなかった。
「一番最初は、部長達相手に入部直後の二人があんなに善戦していた事が引っかかって、もしかしたら、その……」
「私達が手を抜いているのではないか、と」
「すみません、僕」
「いや、いい。続けてくれ」
「……その後、英田君が倒れた次の日に、随分と……その、新入生の二人に優しくされていたなぁって。それで僕が勝手に不信感を募らせ始めて……」
念の為繰り返すが、先日調理実習で同級生の女子がポテトサラダを作る姿にグッときていた坂亮太十六歳の耳は、現在暗室の照明の様に真っ赤である。男子なのにとても可愛い。
しかしながら、けやきはそんな坂に対してあくまで誠実である。彼の紅潮する顔には一切触れないし、からかわない。坂はいっそからかい倒してくれと思った。
「誤解を完全に解く為にも、順に説明しよう。……まず、あの日英田兄妹が善戦した事にはいくつかの要因が絡み合っていると私は思っている。まず、序盤に直家の奴が陽の力量を見誤った為に、彼がボールを奪われた事。次に、ショウの存在の重要性に陽が気づき、ここぞという場面でショウに重要な局面を任せていた事。あともう一つ言うならば、あの双子をはじめ一年生チームの気迫が、決して負けられないという勢いに満ちていた事……試合に関してはそんなところだろうか」
それほどまでの圧倒的な観察力を、試合の最中に発揮していたけやき。ああ、やっぱりこの人は天才なんだな。と坂は思った。彼の耳はまだ赤い。
「私がその翌日二人に優しく……というより、甘く接していた件だが」
けやきは、言葉を選ぶ様な間の後に続けた。
「その前日、厳密には英田兄が目を覚ました直後に、実は私は彼等の母親と会ったんだが」
「え」
「その場で――」
けやきの脳裏に、今と同様に申し訳なさそうにしていた当時の自分にかけられた由の言葉が、口調まで含めて鮮明に蘇る。
『ああ、いいのいいの。本人達が勝手に無茶して馬鹿やっただけだから気にしないでくださいな。ああ……ただ、あの子達、熱した直後に叩きすぎると割と簡単に折れちゃう事があるから、たまーにガス抜きしてあげて貰えると扱いやすいと思いますよ』
「――と、言われてだな」
「それで、あんな露骨に優しく……」
「ああ……」
けやきは、坂があまりに酷い精神状態である為に一つ質問し忘れている事にまで言及した。
「あと、件のビデオに関してだが」
「お? ああ、はい」
「そんな具合の心理で見たのなら、ラベルも貼らずにダビングしたビデオはさぞ不審だっただろう。……ダビングしたのは、ビデオの劣化を防ぐのと、手元に映像をおいておきたかったからだ。あと、ラベルを貼らなかったのは、あの二人が”創立一年目初試合”という文言にも関わらずあれだけの戦いを見せる先輩方から、プレッシャーを感じかねないと思ったからだ」
おやしかし、と枕に顔を埋めたい心持の坂は思う。
「でも、あのビデオに映っていた先輩方がかなり技術的に熟練していたのって、前年まで龍球部として龍球をやってらっしゃったからこそなんじゃ……」
「ああいや、それが違うらしいんだ。竜術部として部を立ち上げなおした当初、当時の竜術部で龍球が出来る生徒はゼロだったと当時の文書に記録されている」
「前年の龍球選手が、全員三年生だったっていう事……ですか?」
こくりと頷くけやき。
「今の英田兄妹にとって、竜術部として再出発されたメンバーの先輩方が見習うべき対象なのは確かではあるのだが、これまであの二人が運動部でなかった事も考えると、教えてやるタイミングは選ばなければならないと、私が独断で判断した」
「ああ……」
「適当なタイトルを付けてラベルを貼っておけば良かったな。すまなかった」
「いえ、いえ! 僕こそあんな……その、とんでもない事を」
けやきが気を使って”竜術部の創立”という言葉を避けてくれたり、暴言まがいの言葉を吐いた後輩に対して下手にでて謝罪してくれているのが、坂にしてみればとてもとてもいたたまれなかった。
「あの、先輩……」
「ん、なんだ?」
「すみませんでしたァ!!」
深々と頭を下げる坂に対し、けやきは「やめてくれ」と言って彼の肩をつかみ、元の姿勢に戻した。
「だが坂。私は安心したぞ」
「安、心?」
「お前の様に周りを観察する人間は、今の大虎高竜術部には必要な存在だ。私が引退した後、部で何が起こっているのかを見守る役目はお前に任せたぞ」
今の大虎高竜術部とはすなわち、今の世論と戦い続けなければならない、内部分裂などしている場合ではない大虎高竜術部、という意味であった。
坂は、あまりにも有り難いけやきの言葉に、本当に泣きそうになっていた。
そして、そんな感情の高ぶりもあってか、彼はここで一つの提案をするに至る。
「先輩」
「なんだ」
「その当時の卒業生の方は、今どちらに?」
「私も、英田兄妹の事を考えて所在を調べようとはしているんだが、いかんせん時間と手段が、な……」
「それ、もしよかったら僕に探させてもらえませんか?」
「坂、いいのか? 言葉で言う程楽な仕事ではないぞ」
「わかってます。今日の事に対するせめてものお詫びとして、それから今後の竜術部の為に、是非やらせてください!」
テロリン!
不意に、辺りに電子音が聞こえてきた。
それは、普段から誰もがよく耳にする音であった。街中を歩けば一日に一回は目にする、写真撮影によく使われるそのツールを、世間ではケータイと呼称する。
部室の中から半身を乗り出し、今しがた撮影した未だに耳が真っ赤な状態の坂と真剣な眼差しのけやきの映り具合をチェックする石崎。にやりと嗤う。
部室の中に彼女が身体を引っ込めたかと思うと、中からこんな声が聞こえてきた。
「ガイー! けやきが浮気してるぅー!」
間髪入れずにけやきは部室の中へと戻っていった。
「石崎ぃ! 冗談でも言って良い事と悪い事が――」
けやきは、ずかずかと石崎を追いかけ始めた。
坂は、晴れ渡った空をもう一度見上げてみた。




