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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
4.真夏の暁光
102/229

最後の敗北者(8)

 良明はその手に持ったボールを構え、上昇していくレインの背の上で視覚と触覚を研ぎ澄ませた。

 手に馴染むボールが別れを拒んでいるかの様な感覚に襲われる。視界の正面に今しがた捉えたゴールリングが、果てしなく遠くに感じたりもするのである。

 だが、不思議と緊張は無かった。

 その原因が、ただでさえ尋常ではない実力を備えたけやきの変貌ぶりからくる安心感であったのか、或いは単に一点をリードしている事からの落ち着きであったのかは彼自身にすら解らない。


 迷いや躊躇ではないのかもしれない。だが、何かしらの思考により身体の動きが硬くなりかけている。

 背にかかる重さからそれを感じ取ったレインは、丸く金色をした眼をほんの僅かに良明の方へと向け、喉を鳴らして微かな声をあげた。

 シュートを促し、或いは励ましともとれる相棒の声を、騎手は確りとその耳で受け止めた。


 良明は、名残惜しむ様に掌から離れようとしないボールに意識を集中させて、すうと一息、蒸し暑く、じめっとした空気を吸い込んだ。一瞬の瞑想から覚めた良明は、ゴールリングへとその手のボールを投げ放つ。


 ビーーーーッ!

 得てしてあっけなく、三点目は決まった。

「大虎高、一点。ゲームポイント、ワンスリー!」


 観客席が沸き上がる。

 ただの三点目ではない。決勝点の三点目である。それは、強豪・連山高校からもぎ取った、三回戦への扉を開く三点目であった。

 実況席の絵巻と長谷川は驚愕と称賛の入り混じった歓声でまくしたて、審判は電光掲示板を確認し、自分のコールに誤りが無い事を確認した。


 動き続ける時間の中で、コート上の選手全十二名とベンチの面々だけがただただ静かに佇んでいた。

「勝った……去年の優勝高に、二点差で……」

 陽の口にしたその言葉は、いつもの多分に漏れずそのまま良明の感想でもあった。最後の一点を決めた良明にさえ、実感というものが無かったのだ。

「樫屋先輩のあの集中状態……あれが決定的だったな」

 辛うじて感想をそう口にした良明も、それに対して言葉を返す陽も、集中の糸は既にきれ、既にいつもの眼に戻っていた。

「うん。この先の敵に、負けるイメージが全く沸かないもん、私」


 だがただ一人、けやきの表情だけは未だに試合の最中のそれと変わらなかった。

 まるで、強敵を求める鬼の様に。言葉も無く、ガイから降りる気配も無く、ただただどこか遠くを見据えていた。

 身も蓋も無い表現をしてしまえば、”不完全燃焼”。その五文字がぴったりな雰囲気が彼女の全身からは溢れていた。


「樫屋けやき!」


 彼女が素に戻ったのは、石崎にフルネームを呼ばれたからである。

 もし石崎が何も言わなければ、けやきは果たしていつまでこんな調子を続けていたのだろう?そんなことを、その場の誰も想像すらしなかった。

「英田兄妹。それより、少しいいか?」

 我に返ったけやきはこくりと頷き石崎に礼の眼差しを送ると、第一声で英田兄妹を呼んだ。

 双子は夫々のドラゴンに騎乗したまま、けやきの方へと近づいて行った。



 連山高校のベンチに戻った主将江別は、にかっと笑って言い放った。

「悪い、負けた!」

「部長、なんでそんなハッピーなんですかー、もー」

 朝美は江別に対してそう返すと、横に座る裕子も彼女と同じような調子で「そうですよー」と言って続けた。

「私達先輩達がどんな顔して戻ってくるのかと思って心配してたんですよ! 割とマジでビビってたんですからねー。私達、何言われるんだろーって」


『…………』

 その場の全員が沈黙した。

 ドラゴン達は首を垂れ、朝美はやっと抑えたところの涙を再びその眼に溜めている。


「言うわけないだろ、なんもよー……」

 江別は空の彼方を見て腰に手を当てた。背中越しに後輩達に続ける。

「いいか、お前等!」

――一秒程の、何かを抑え込むような沈黙。――

「見せるべきモンはこの二年間で全部見せた。来年の春、観客席に居る一年どもを引っ張ってくのはお前等二人だ! こんな所で、あいつらに情けなく泣いてる所見せんじゃねぇぞ!!」

 とうに号泣している朝美は、江別に向かって聞き取れるかも怪しい声でおちゃらけてみせる。

「部長が、超……泣いてんじゃないです、かぁ!」

「泣いて()ーよ。なめんな、俺、部長だぞ?」

 江別の傍らで、大井も腕で目元を拭う。


「じゃあなんで向こう向いてるんですかー、先輩」

 裕子は気丈にも一切涙を流さずに江別にそう返した。

 彼女が泣かなかったのは、ひとえに先輩を見習っての事だった。

 三年生三人の中で唯一その表情に平静を宿していた薫子を見て、裕子は思う。

(ああ、やっぱりこの人は”お母さん”なんだ。自分だって辛いくせに、周りを動揺させない為に気丈であり続けようする…………たぶん、誰かがこの人のそんなポジションを引き継いでいかないといけないんだ……)

「ゆーちゃん、ヤセ、我慢してるの……見え見え!!」

 朝美にそう言われ、裕子の目元も熱を帯び始める。


 真夏のグラウンドは、日の照り返しを受けて燃え上がる様に熱かった。気温もこの夏一番の暑さの筈だと、裕子は思う。



 この大会で使用されるロッカールームは、基本的に一チームにつき二部屋、一試合につき合計四部屋があてがわれる。当然である。男女入り混じって行われる以上、同じチームだからと言って同じ部屋で着替えろというわけにもいかない。


 ロッカールームがそこそこの広さを有しているのは、この汎用屋外競技スペースが龍球以外の競技でも使用されるからである。

 部屋に十五本並ぶロッカーは横幅が五十センチあり、一つ一つがやたらとケバケバしい青で塗装されている。それとのセットなのだろうか。ロッカールームの中央に鎮座する背もたれの無いベンチも同じ青で、いささか目に煩く感じる。

 換気扇はあるが窓は無く、圧迫感が息苦しさを容易に誘発するだろう事を設計者は気づかなかったのだろうかと、多くの選手が思ったりするものだ。


『Aコートの次の試合は、亀谷中央工業高校対、薄石高校の試合です。参加選手は、五分以内に控室を出て、準備をお願いします』

 やたらと句点の多い館内放送が響き渡り、安本は青いベンチから立ち上がった。トーナメント表と時計を見比べてから口を開く。

「……亀谷超えたら大虎か」

 さも今気づいたような言い方、言い回しだ。

「そんな事言って部長、昨日の一回戦から今までずっと大虎の事はチェックしてたんじゃないんですか?」

 靴下を履きながら来須がそう指摘するが、安本は平静のままの表情でこう答えた。

「あいつらが負けたら負けたで、その相手を倒せば俺達の方があいつらより上だって事だ。俺と久留米沢にとって重要なのは、最後の大会で樫屋()を上回ってるって事だよ」


 安本は何とも嘘くさい不機嫌そうな表情を浮かべてみせて、こんな事を言うのである。

「この大会、大虎の奴等に最後に敗北した学校があの連山になるってのが気に食わないところじゃあるが、まぁ仕方ねぇ。あいつらも付けるべき実力は付けて来たって事でソコは納得する。要は俺達があいつらに勝てばそれでいい事だ」

 最後の敗北者。

 安本の口から出てきたその単語は、このすぐ後に極めて皮肉めいた色を帯びる事になる。


 話が一段落するのを見計らい、久留米沢は言った。

「それよりお前等、解っているな?」

「ああ」

「はい」

 口々に返事する安本と来須。

 そして、それまで静かにやり取りに耳を傾けていたドラゴン達も無言で久留米沢に視線を向けた。


 安本は、うんざりした様子で続けて久留米沢に言った。

「つうか、その話題何回目だよザワ」

「いや、それならいいんだ。もうこの話題は出さない」

「俺等だってな……そこが疎かだった所為で春大会のあと分裂しかかったわけじゃねえか」


「部長、ここにきてハッキリ言いますねぇ」

 と意外そうに指摘する来須に、安本は淡々とした面白みのない表情で「事実だ」と返した。

「元はと言――」

 安本が何か言おうとした時だった。


「やっばいやっばいやっばい!!」

 突如としてドアを開け放ち、緑山学二年生が部屋へと飛び込んできた。まるで部屋の中の六名を驚かせようとしたかのような、応援団も顔負けの声量だった。

「遅ぇよどこ行ってたんだ。もうコート出るぞ」

 と抗議する安本部長の言葉など耳に入っていないと言った様子で緑山は額に汗を滲ませ、焦りの表情を声に込めて続けた。


「なんだよ、試合前にバテてんじゃねーぞ学。相手が大虎だからっつって俺等六選手だけで戦おうなんて思っちゃいねぇ。状況次第でお前も駆り出すからな?」

 半分大真面目な忠告、もう半分は緊張を解す意味も兼ねた冗談である安本の言葉に対して、緑山は尚も表情を崩す事は無かった。

 まるで何か使命を帯びてその場に居る様な、一刻も早く息を整えて他の部員達に何かを教えなければならない様な、そんな顔をしている。

 ドラゴン達が真っ先に彼の放つ焦りの色を伴う雰囲気をかぎ取り、悪い予感を伴う心地の悪い緊張感に包まれた。

 結局、緑山は碌に息を整えないうちに最低限の一言に極めて重要な情報を込めて口から出力した。


「大虎高校が、棄権するかもしれません!!」


 ユニフォームを着ようとしていた上半身裸の来須が振り返り、安本と同じくベンチに座っていた久留米沢が立ち上がる。

 アル、コウ、サイ。

 ドラゴン達は一斉にその体の動きを止め、緑山の言葉を頭の中で繰り返した。


 はたして、その言葉を頭の中で理解できた者はその場に何人いたのだろうか?

 否、誰もが解っていた。だからこそ、誰一人として発すべき言葉を即座に選定できずにいたのである。

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