最後の敗北者(7)
(無理に私一人でボールを奪う必要なんて無い。良明を乗せたレインが追いついてくるまで時間を稼ぐべき)
だが、それは薫子も承知している。
「いえ、ここは突破します」
右か、左か。陽は薫子の一挙手一投足に目を凝らす。そのの無駄のない動きの中に、ほんのわずかなクセを見出そうとする。だがやはり、その身のこなしには一切の無駄は無く、相手に動きを読まれない様にする為の心得など、薫子はとうに身に着けているのだと陽には解った。
「源治ぃ!」
大井がパスを求めて叫んだ。
良明はそちらへのマークをすべきか、それとも陽へと合流すべきか一瞬だけ迷う。
それが、陽にとってのヒントになった。
(どうせ一対一じゃあ敵わない。ならいっそ――)
そう思った陽がとった行動は、龍球という競技の常識ではおよそあり得ない選択だった。
龍球だけではない。恐らくは世の中に存在する多くの球技において、この様な選択は悪手中の悪手であるはずだったのだ。彼女の行動を見た瞬間、観客席では軽いどよめきさえ起こった。
陽を乗せたショウは、薫子ユニットの正面から、自ら離脱した。
実況席にも戸惑いが広がる。
『おおっと、これはどういう意図でしょう。英田陽選手、ここでドラゴンを源治選手の前から離脱させます』
と絵巻が声音に疑問を織り交ぜて口にすると、長谷川はコート上を注視してコメントした。
『源治選手の後方に移動して、あー、もう一人の英田良明選手のユニットと合流していますねぇ』
実況席後方で試合の観戦を続ける受付の二人も、揃って組んでいた腕を思わず緩めて身を乗り出している。
コート上では兄妹のユニットが合流を完了させた。
「陽!」
「うん! そのタイミングしかない」
彼等二人の正面では、ついに薫子を乗せたジョウがけやきとガイの所に到達しようとしていた。
薫子の顔に疑問や迷いの色は無い。或いは、彼等双子が企んでいる何かしらの作戦も見破っているのかもしれない。そんな事を二人に思わせる程に冷静である。
「急ぐぞ!」
「解ってる!」
レインとショウは力いっぱい羽ばたいて、薫子を乗せるジョウの後方へと追いすがった。
会場とけやきと薫子と、彼女等の跨るドラゴンがついに陽の意図に気づいた。
薫子が得点を得る為には、確実にどこかのタイミングでけやきユニットの防御を突破する事になる。そこで三対一でボールを奪いに行く。それこそが陽の考えであり、実際それは薫子が当初組み立てていた”英田兄妹のユニットを完全に振り切ってから攻め込む”という目論見を崩す行動そのものであった。
「けれど、それなら!」
薫子はけやきとの攻防を避け、大虎高コートの禁止エリア手前で再度上昇した。薫子の意図を汲み取り、大井と江別が共にドラゴンを移動させる。
「合流して、混戦に持っていくつもり!?」
ショウの上で気づいた陽が、良明に提案する。
「アキ、ここは先輩を信じて私達は他のユニットのマークを――」
「陽……アレ」
良明は、自分の方を向いている陽の視線を正面へと促すように指差した。
妹は、何かを悟った様な顔で視線を前方から外そうとしないでいる兄を不思議そうに見た。
だが彼女が思うに、良明がこの表情になった時は大抵彼が考えている通りの事が前方で起こっているものなのだ。良明がこの表情になった時に、結果的に勘違いであったという事は基本的には無い。
一体自コート奥で何が起ころうとしているのか。
彼女は、促されて視線を誘導される事にいささかの敗北感を感じながらも良明と注目する先を同じくした。
そして、陽は確信する。もう大丈夫であると。
前方。大虎高ゴールリング前のけやきは、俯き、その眼光を静かに研ぎ澄ませていた。
そっと、顔を上げる。
その深い深い茶色の眼は、強力な敵を前にして集中の彼方へとその意識を俯瞰させていた。
坦懐。スポーツという物に於いては致命的とも思えるそんな心の有り様が窺い知れる。そんな表情である。
(これこそが、樫屋けやきという選手の欠点なのだろう)
大虎高校竜術部顧問・寺川はそう思った。
「強力な敵を前にして試合に臨む状態を、数十秒から数分間継続しなければ、完全に集中した状態で全力を出し切れない」
寺川の言葉に直家は問う。その視線は、遥か前方でただならぬ気配を放ち始めるけやきに釘付けになっている。
「何故ですか、彼女程の実力者が――」
「勘違いしてはいけないのは、樫屋君は常に真剣ではあるんだよ。全力を尽くそうともしている。ただそれ故に、相手の能力を見極めて対策を立てようとしてしまう。……無鉄砲に突っ込む事が、性分ではないんだよ」
「ですが、だとしたらそういう意味では、英田兄妹のユニットが繰り広げた攻防は――」
「ああ、そうだね。とてつもなく意義のある事だし、ともすれば彼等だけでボールを奪えたかもしれないからね」
そこまで言うと、寺川は席を立つ。
「寺川先生?」
と言って視線を寺川へと持ち上げる直家に、寺川はこう返した。
「とっても大事な用事だよ。じきに戻る」
それだけ言うと、寺川はそのまま観客席の階段を上って行ってしまった。
薫子は直観した。
(やはり、一対一では危険すぎる)
もしけやきにボールを奪われた場合、そのまま連山高コートへと攻め上がられる事も考えらる。まして、今や連山高のメンバーがディフェンスを中止して続々と大虎高コートへと駆け付けている状況だ。
ここでボールを奪われる事は致命的な状況を招きかねないと、そう薫子はすぐに気がついた。
が。
「……ガイ、行こう」
けやきが声に出したその一言に、ガイは彼女のやりたい事のすべてを把握して「グァ」と鳴いた。
上空で仲間を待つ薫子に向かって、けやきとガイはついに飛翔した。
旋回を始めようとしていた薫子の正面へと意とも容易く割り込み、けやきは薫子とボールの動きを凝視した。
直観的にその四肢の可動可能域を評価し、相手チームの選手の位置も把握し、ありとあらゆる選択の中から彼女が実行し得る現実的な行動を頭の中でピックアップしていく。一瞬の内に思考ではなく直観でそれをやる。今のけやきには、それが可能だった。
「――――戻っ」
薫子が発そうとした瞬間、その手の中のボールはけやきの手中へと移動した。
「英田ァあ!」
けやきはガイの背の上で叫ぶと、その腕を振りかぶった。
良明と陽は、連山高コートの方向へと全力で手綱を引っ張る。
レインとショウは顔を見合わせ、唸り声すら上げずに軸足に力を込める。
けやきの声音には、それらの行動を指示する色が含まれていた。
”上がれ。どんなに遠くとも、必ずボールは届かせる”
言葉として表現されてはいない意志を確信の元に読み取り、兄妹とドラゴン達は行動を続ける。
と、そこで良明は気いた。
連山高コートへと反転する直前の風景に違和感があった。
振り返る瞬間の視界の中。
正面に薫子ユニット。左手からは江別ユニットが迫っていた。だが、直前の風景をいくらフラッシュバックさせてみても、そこに大井のユニットの姿が見当たらない。
「上だ!!」
大虎高ゴールリング手前に留まり防御を続けるけやきの声に、英田兄妹は取れそうな勢いで首を振り上げた。
大井ユニットが、英田兄妹の前方へと降下してきていた。
その瞬間、双子の行動方針は決定する。
「私が」
二文字で役割分担を終える。
陽は届こうとしているけやきからのパスへとショウを寄せ、良明はボールとは無関係な方へと移動した。
「一人だけ先行させる気か。なら俺はこの娘からボールを奪い取るまでだ!」
大井は陽の前方で構え、ドラゴンに翼を広げさせる。
陽がボールをキャッチし前方を振り向くと、大井はドラゴンを降りて既に陽へと迫ろうとしていた。
陽から良明へと出るであろうパスの軌道をドラゴンで制限し、騎乗する大井がボールを奪いに行く。それは、大井が得意とする戦術だった。
特筆するべきなのは、その迅速さ。
大井は地を蹴ると、今や陽の懐にあるボールへと潜り込ませる様にその腕を伸ばした。
「――っ!」
陽がボールをキャッチしてから大井が襲い来るまで、一秒と経過していない。
陽は咄嗟に無関係な場所へとボールを投げ放つ。そうしなければ、確実にその手の中の物を奪われていた。
(よし、これで相手のオフェンスは崩れた。あとはウチのメンバーでアレを回収して反撃すればいい)
大井はドラゴンへと騎乗するべく踵を返した。
そして、それを目の当たりにする。
陽がボールを放った先に、ノーマークの良明ユニットが待ち構えていた。
連山高ベンチの朝美と裕子が思わず立ち上がる。
江別が「戻れ」とやまびこを返しそうな声をあげ、薫子がジョウから飛び降りてドラゴンを先行させる。
一人一人、一頭一頭の実力で言えば、連山高は完全に大虎高のそれを凌駕していた。まして、今コートに居る江別、大井、薫子は朝美や裕子の能力のあらゆる面で上を行く、完全上位互換の実力者とさえ言っていい。
裕子の脚による指示という特殊スキルはあるが、それすらもこの三年生三人はマスターしている。
対する良明や陽は、彼等連山高の誰一人に対しても一対一では殆ど勝機が無い程には実力の隔たりがある。
それでも大虎高がこの場面にこぎつけたのは、言うまでもなく彼ら以外のメンバーの実力とけやきの突出した能力があったからこそだ。
良明の能力1と陽の能力1の和が良い意味で2にならないという事実は、実のところこの試合においてさして機能的に作用したわけではない。
確かに、今この局面で良明が陽のボールを得た事は彼らの特殊能力があったからこそではあるが、仮にこの場面で彼等がこの特殊能力を使用していなかったとしても、同じような優位状況は今の完全集中状態のけやきが居る限りは発生していた筈である。




