最後の敗北者(6)
「源治」
名を呼ばれた薫子は、いつもと変わらない大人びた顔立ちを意識もせず、キャプテンである江別の方を見た。そして、その先の言葉を告げられるまでもなく、こう答える。
「解ってる。朝美ちゃんの為にも、裕子ちゃんの為にも、必ず追いつきましょう」
二人の会話の意味が解らない男が一人居た。何のことだと思いながら大井はベンチを見ると、その朝美と裕子の様子を見て納得した。
「問題ない。一点返せば済む話だ」
呟く様にそう言った大井の内心には、もっと別に言いたい事が沢山あった。
(まるで自分の所為で負けが確定したみたいに泣きやがって。そんなに俺達が頼りないか? いや、解ってる。違うんだろ。自分達の所為で状況が良くない事が悔しくて申し訳なくて……要はそういうトコなんだろ?)
「けどだからって泣くなよ。そんな事されたら俺――」
途中から思わず口に出ていた大井の言葉は、彼が跨るドラゴン以外には聞き取れてはいなかった。そして、そこから続く最後の一言も。
「――本気、出したくなるじゃねぇか」
ぼそりと素の口調になる大井に江別が「何か言ったか?」と問いかけるが、彼はすぐさまメッキを取り繕って「何も」と言って返した。
良明と陽は、ボールを持つ薫子が漂わす雰囲気に思わず見入った。夫々のドラゴンが口々に『落ち着いて』という意味合いの唸り声を上げ、彼らの緊張を軽減しようとしている。
薫子が優し気な表情はそのままに、視線を向けてきた。
良明と陽は目線を逸らさない様にすることで精一杯で、その表情から何らかの意図を読み取る余裕などは皆無だった。
だが、一つだけ彼女の表情を見ていて気付いた事がある。
薫子は、口元こそ優しく微笑んでいて、手綱を捌く所作一つ取っても気品に溢れてはいるのだが、その眼だけは決して笑っていなかった。
挑発的とも楽観的とも違う。
冷静に、冷淡に、相手を観察して何かを見抜こうとしているのだ。
(威圧感の原因はこれか……?)
まるで良明がそう思考した事を悟った様に、薫子はくいと手綱を引いて試合を再開させた。
「……え?」
陽がそう声を漏らしたのも無理はない。
そのドラゴンの動きは、先程裕子が乗っていた時とはまるで違って見えた。
(ライン取りに無駄が一切無い。まるで今から攻め込んで、ゴールリングに至るまでの動きが確定してるみたい。迷い……ううん、動きを吟味するっていう考えがまるで感じられない!)
薫子が跨るドラゴンは一歩、二歩と踏み出すにつれ速度を増していく。無論、ドラゴンが三歩、四歩と進む間に大虎高コートへの侵攻はじわりじわりと着実に進行する。
そしてあるタイミングで何かを読み切ったかの如く、薫子はついにドラゴンに対して”飛翔”を指示した。
「エンペラー展開。私が陣形最奥でゴールを守る」
けやきの指示に「はい」と声を揃えた兄妹は、夫々のドラゴンの手綱を引いた。
綱から伝わる緊張感に、レインは成す術がない。声で良明を元気づける事はもうしたし、もはやそれ以上良明を気遣う時間は残されてはいなかった。今は自分と仲間の実力を信じて中空の薫子へと挑むしかない。
図らずも、その時のレインとショウの思考は英田兄妹よろしくシンクロしていた。
(大丈夫、恐怖なんて必要ない。仮に全力を尽くした結果ディフェンスを抜かれたところで、ゴールリング手前にはけやきが居る!!)
だが、その思考は彼らが薫子を間近に捉えた段階で打ち砕かれることとなる。
薫子の眼は、朝美が先程見せた完全集中状態へと既に変わっており、より一層の威圧感を纏っていた。
それはまるで、親の仇を取るべく立ち上がった戦士が十年振りに憎き仇敵を目前にしたかの様な、冷静を取り繕い、心内ではマグマの様に燃え滾る憎しみを蠢かせているかの様な、そんな眼だった。
そして彼女の静かなる迫力に呼応する様に、一切の躊躇いも戸惑いも元来持ち合わせている様には見えない動きで迫ってくるその相棒ドラゴン。
その姿に、良明と陽は確信した。
(さっき、あのドラゴンに乗っていた隻腕の選手が凄かったのは確かだと思う。けど、それだけじゃなかったんだ)
(あのドラゴンこそが、騎手の意図を汲む能力に秀でている。だからこそあの選手は、安心して精密な攻防に専念する事が出来た……)
双子が先手を打って薫子へと向かっていく。その姿はまるで恐怖に耐えかねたB級映画の脇役の様で、勢いこそあれど何とも頼りがいの無い雰囲気を漂わせていた。
良明と陽。二つのユニットを目前にして、薫子は一言だけ相棒のドラゴンに対して呟いた。
「私達の最後の大会を始めましょう……成」
薫子を乗せるドラゴン、ジョウは羽根を二回ほど羽ばたかせてさらに上昇する。
レインとショウはすぐさまそれに追従した。
幸いにして、薫子にはそのまま大虎高の二ユニットを突破する意図は無い様に見えた。あくまで冷静に、確実に一ユニットずつを攻略していくべく勢いをあえて落とそうとしている。
「アキ!」
陽が表情で問いかける。良明は、それに対してこくりと頷いた。
(うん、たぶん上空で完全に俺達を撒いて、そのうえで樫屋先輩の所に行くつもりだ)
ジョウは羽根をばさりと大きく広げ、迫りくる二ユニットを見下ろした。高度で言えば十メートル程。その高さは、事前に良明と陽の両名に関して龍球経験が浅い事を知っていた薫子が、彼等にとって少しでも困難な状況での攻防に持ち込むために選んだ、勝負の場だった。
無論、彼女はこの高高度での攻防などとうにマスター済み。そうではない可能性が高い相手を翻弄するというのが彼女の意図である。それは、強豪高が経験の浅いチームにレギオンフォーメーションで差をつけるのと同じ理屈である。
良明と陽は、意を決して薫子の手元のボールへと夫々の腕を伸ばす。
その瞬間、二人の視界の中で太陽光を背に受けた薫子の眼光がギラリと煌いた様に見えた。そしてそれに気を取られた瞬間、薫子の顔のすぐそばを何かが突き抜ける様にして打ち上がる。
良明はそのボールの初速に眼を見張った。それも、見ていて着地点が確りと予想できる様な正確無比な軌道で、それは放物線を描いている。
良明の背後一メートル。薫子が手にしていたボールは、恐らく三秒後に確実にそこへと到達すると思われた。
薫子のユニットは英田兄妹の間に割って入る形ですれ違い、下降してくるボールへと先回りした。
と、そこで彼女は思いもかけない物を目にする。
(これに反応します、か)
見れば、良明と陽はすぐにドラゴンを反転させ、薫子の前方へと割り込もうとしている。
ボールが薫子の手元に落ちてくるのが先か彼らが割り込むのが先か、微妙なところではあったが、どうやらレインとショウの動きは一瞬だけボールよりも後れを取っていた。
薫子の手へと白球が戻ってくる。
良明と陽の両ユニットよりも大虎高のゴールリングに近い位置に移動した薫子は、そのままジョウを攻め込ませようとして手綱に力を籠めかけた。
が、薫子が視界から兄妹を外そうとする直前、それが危険極まりない選択である事を彼女は本能的に悟り、瞬時に把握する。
彼女の本能に訴えかけたモノ。
それは、彼女がその瞬間に視た兄と妹の眼であった。「オオオ」と唸る彼等のドラゴン達に呼応するかの様に変貌したその眼は、薫子同様に完全集中状態のそれへと変容していた。
口々に言葉にならない掛け声を発して、良明と陽は薫子へと今一度襲い掛かる。
今度は良明が上空を塞ぎ、陽が正面から腕を伸ばす。
(いいでしょう。ならば奇はてらわず、正面から突破するのみ)
薫子は意とも容易く陽の攻撃をかわし、視界の片隅で上空の良明の動きを精査した。
良明は、眼下の薫子の手元に未だ握られている白球を凝視する。
(陽、解ってるな?)
良明は引き付け役。陽ユニットがその隙に薫子の背後へと回り込む。
その役割分担を視線をかわすことなく完遂した陽は、良明と対峙する薫子の持つボールへと今一度その手を伸ばす。
そしてそれと同時に、良明は正面からジョウの懐付近へと潜り込む様にレインに指示した。レインが移動したその場所は、薫子ユニットと大井ユニットを結ぶ線分を分断する位置だった。
(よく見ていますね、大したもの。それに今の連携……どうやって意思疎通をしたのかまるで解らなかった。けど、ならばッ!)
陽は、突如広げられたジョウの羽根に視界を塞がれた。そしてそれは、同時に陽の攻撃を防ぐ事にも成功している。
ショウの動きを麻痺させたジョウは、滑空する様に降下を始めた。
「レイン!」
『まかせて!』
対するレインは自ら羽ばたいて地表へと先行し、改めて薫子ユニットの正面へと良明を寄せた。良明は、向かって左側から左の腕で薙ぎ払う様にボールを奪おうとする。
薫子は当然それをかわすべく、ボールを自分の左脇へと逃がす。
(っ?!)
直後、薫子は背後に気配を感じた。振り返りはしない。
その主が陽とショウである事は自明であったが、妙なのはそのタイミングであった。
まるで、今良明が左側からボールを奪おうとする来る事が事前に解っていたかの様なタイミングで、ボールを逃がした薫子の左側から迫ってきている。
薫子は咄嗟に手綱を引き、ジョウを再び羽ばたかせる。やや連山高コート側へと後退しながら上昇していくジョウの背の上で薫子が眼下を確認すると、陽が腕を空振りしていた。
(どういう事? 今しがた、あの娘のユニットの視界は完全にジョウの羽根が覆っていた筈……)
ジョウは羽ばたきによる風圧で良明とレインの追従を阻みにかかる。
良明ユニットとの距離が五メートル程に達した時点で薫子は手綱を引き絞り、突如として反転。一気に大虎高コートへと攻め込もうとする。
「させない!」
躍り出た陽は、自分が成すべき事を把握していた。




