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1.命の代価

たったったったった…!


「……止まれ…!」


「どうしたロミア」


「…あれは…」


いつものように依頼を受け、忍び込んだ貴族の館。闇に紛れ標的の元へ駆けるロミアは、間も無く月明かりに照らされる廊下の先を見つめ、警戒を強めた。


「…誰か…居るのですか…?」


すた…すた…すた…


「…あの男の娘か…何でこんな所に…」


「っ…!?あなた達は…何者ですか。何故この屋敷に…もしかしてお父様を狙ってるという…」


「ロミアどうすんだ!?」


深夜を過ぎた丑三つ前。余りにも唐突に出会う少女と暗殺者。せっつく仲間の言葉に脳裏を過ぎる大切な妹と、幼い姿に重なる影。


別に、殺しが好きな訳じゃなかった。ただ生きる為に刀を振り、気付けば闇へと堕ちていた。それ程に積み重ねた日々は重く、師の喪失に心を病んでいたのだろう。

もう、どれだけ後悔しても遅く、抜け出せない地獄は彼女に選択を諦めさせた。


「…見られた以上は仕方ない…始末する」


「ひっ…!?けど…そうはいかないわ!あなた達も運が悪かったわね。すぅ…ヨルっ!ヨルーっ!」


「っ…!?」


(…どういう事…娘の顔に痣がない。それに…叫んでいるのは誰かの名前…?屋敷の警備は全員片付けた筈だけど…このあたしが見落とした?いや…だとしてもあの勝ち誇った顔は…何より情報との差異が大き過ぎる。…嫌な予感がするわね。それも、とびきり嫌な予感が…)


「ふふんっ!これでもう、あなた達は終わりよ!」


「…アーロス!バン!」


「分かってる!」


「おうよ!」


逡巡を振って殺意を向ける。ロミアの鋭い視線が少女を射抜くと共に…月明かりに照らされた幼い顔がはっきりとその目に映り込む。


長くこの世界に身を置けば、情報の誤りくらいはままある事。仮に護衛や警護の人数が違うのであれば、新たに雇い入れたと考えるのが自然だろう。

病に侵され、床に伏せっている筈の少女が部屋を出るのもその範疇と言える。

しかし、今回の依頼を受けるにあたり聞かされた経緯。娘の特徴として挙げられた顔に広がる赤黒い痣が消えていれば話も変わってくる。

加えて、聞き覚えのない何者かの名を叫び、腰に手を当てるその自信。

ロミアは即座に仲間の二人に指示を出し。言うが早いか。男達はその場から勢い良く駆け出していった。


「本来なら殺す予定も無かったが…」


「悪りぃな嬢ちゃん…」


「え…ちょっと待って…ヨル……ねぇ…ヨルってば…私…このままじゃ殺されちゃうんだけどー!?」


「「死ねぇっ!」」


ひゅっ…


がきーんっ…!


「…だから寝ていろと言ったんだ。余計な手間を掛けさせやがって」


「氷っ…の盾!?」


「ヨルっ!」


「何だこいつ…!?どこ…か…ら…」


ぶしゅうぅぅぅっ…!…どさ…


迫る凶刃を前に威勢など見る影もなく。涙を浮かべて叫び、縋る。少女は訪れる死を前に目を背け。そして間も無く。響音と共に耳を掠める嫌味な言葉に笑みを湛えて振り返る。

同時に。突如現れた氷の盾に攻撃を阻まれ、驚愕に目を剥く男は次の瞬間。誰何を叫ぶよりも早く、血飛沫を撒き散らし床に倒れ伏した。


「バン!?くそっ!…ロミア、お前は逃げろ!こいつはやばい!」


次いでもう一人。立ち尽くす男を前に、運良く拾った命である事を即座に理解する。

アーロスは視界に散る仲間の姿を見て、絶対的な強者に対する畏怖と、避けようのない死を予感した。


不意を突かれたとは言え、無残にも斬り刻まれ、鮮血を撒く。気付いた時にはそうであったという事実だけが残るほど速く、強い。

男の手には剣どころかナイフすら見当たらず。であれば。怒りに任せて飛び込むなどあり得ない。

これまでに幾度となく超えてきた死線を凌駕する。目の前の死地に活路があるとすれば…。

決断は行動を促し、半身を翻す。直後、アーロスの言葉はこれを上回る叫び声に掻き消された。


「馬…鹿…アーロス!後ろだっ!」


「っ!?」


ざしゅっ…!


「がはあっ!?」


「全く…人使いが荒いお嬢様だ」


どさ…


「…っ……!」


(…氷の剣…あれでバンとアーロスをやったのか。誤算だった…こんな奴がいるなんて。可視出来るほど濃密で…研ぎ澄まされた魔力。強い…下手に動けばあたしも…)


しかして事もなく。皮肉を込めて。少女を見下ろす男の手に握られた一振りの剣を見て、敗北の瞬間が脳裏を過ぎる。

およそ武器とは言い難い魔力の集積。速さと膂力が物語る強さ。何を聞かずとも本能が鳴らす警鐘に身を委ね。また、帰りを待つ愛しい妹の為。ロミアは声を押し殺して隙を窺った。


「ヨルっ!…あいつら!お父様を狙っている暗殺者よ!捕まえて!」


「だから、俺はお前の召使いじゃないと何度言ったら分かるんだ。…捕まえたいなら勝手に捕まえろ」


すた…すた…すた…


「もうっ!ヨルの意地悪!」


「……………」


「…あんた…一体何者…?」


「…立場が逆だろう。俺がお前に答える事は何もない。さて…残るはお前一人だが、何か言い残……それは…刀か…」


「…だったら何?」


すっ…


窮地を逃れ、清々しい程に虎の威を借る狐を遇らい、女の元へと近づいていく。

その理由を問われたら…無論、殺す為。

少女の指図に応える気など更々無いが、やる事もそう変わりはしない。


元より…理由などあってないようなもの。

男にとって、この世界に生きる全ての人間は等しく無価値なもの。今はただ、それすら下回ったに過ぎないと。

眼前に立ち、目と目が合って初めて気付く。男の瞳が自身を映していない事に。

だとしても…いや、だからと言って勝機が無い訳では無い。

意図も分からぬ問いに乗じて武器に手を伸ばす。ロミアは死を覚悟すると共に、未だ己が剣で活路を見い出せると、そう信じていた。


「…ふっ…いや、遠回りもしてみるもんだな。…気が変わった。女、一矢報いたいなら全力で掛かってこい。俺に一太刀浴びせる事が出来たら、命は見逃してやる」


「……随分と余裕ね」


「事実、俺とお前では天地の差がある。擦り傷一つでも負わせられたらお前の勝ちだ」


「……そ…………」


(何を考えてるのか知らないけど、油断しているなら今が好機。望み通り、全力で叩ッ斬る…!)


僅かに一言二言、問いの答えに薄く笑み。先程までとは明らかに違う男の様子に光明を得て相対す。

大太刀を振るロミアにとっては既に間合いと言える距離。対して、長剣とは言えヨルにとっては一歩踏み込む必要がある絶妙な距離で睨み合う。これを、状況有利とほくそ笑むにはまだ早い。

長く、そして重い大太刀は鞘に納まったまま、男の踏み込みよりも速く抜き放ち振り抜く。

出来る出来ないではなく、やらねばならない。同様に、これが挑発であるか、罠であるかなど些細な事。


生きて帰る。生きて妹の元へ帰るのだと。ありもしない希望に縋り。

やってみなければ分からない。或いは可能性もある筈と賭けに出る。

そんな都合の良い事ばかりで溢れる世界なら、男が見る景色も少なからず色付いていただろう。

腰を落とし、柄を握って構えを取る。いつしか胸に芽生えた未練を知らず。女は、内なる魔力を惜しげもなく刀に込め始めた。


ぎゅっ…


「…はぁぁぁぁぁぁぁっ…!」


「…これまで見た中では群を抜く魔力だ」


「……あんたは強い。けど…その驕り、あの世で後悔しろ。……鬼降…撃閃ッ!!」


ちゃき…


だんっ!!


しゅっ!


…きーーーーんっ!


ぴし…


「…悪くない」


すとっ…


「…うそ…でしょ……」


果たして。覆る事もなかった勝負の行方は言わずもがな。然りとて。弾かれ、床に突き刺さる刀は男の持つ氷の剣に僅かな爪痕を残すに至る。

その身に鬼を降ろし、激烈な斬撃を放つ。居合いの極致とも言うべき秘奥をもって敗北を喫する。

それも、覚悟はしていた。届かないと思ってもいた。がしかし…その差は余りにも大きく。

今も、自身の剣を見つめ感嘆の息を漏らす男を前に、ロミアは聳える壁の高さを知り、絶望に打ち拉がれた。


びりびり…


(…あたしの方が速かった。なのに…この男はあたしの居合いに合わせてただ、剣を振り上げただけ。…どうする…このままじゃ確実に殺される…!別れさえ言う事を許されない…これが死…。あたしは今まで、こんな理不尽を突き付けてきたのか…)


「それで…この女、どうするの?」 


「っ…!?」


(…なん…だ…この黒猫は…いつからそこに居た…いや、それよりも…何か…何か助かる道は…!)


「そうだな…」


未だ衝撃に痺れる自身の手を見つめ、刹那の攻防を振り返る。その過程はどうあれ、敗北に死を。死に未練を。未練に己が業を顧みる。

…それでも尚、湧き上がる生への渇望は止め処なく。次の瞬間には首を刎ねられてもおかしくはない。そう思えばこそ、顔を上げる事を躊躇った。

自身の強さに胡座をかき、謙る事を知らず。ロミアはここで初めて、命を乞う惨めさを思い知る。


ばっ…!


「…頼む…!命だけは助けてくれ!」


「……………」


「…あなた、何言ってるの!?人の命を狙っておいて…ヨル!生かしておいたらまたお父様が狙われるわ!もう捕えなくていいから早くそいつを殺して!」


「はぁ…お前ら全員、少し黙ってろ」


「…ファティル、お前のせいでオレまでヨルに怒られたじゃないか…」


「ち…違うわ!アリカのせいで私がヨルに怒られたのよ!それより、今まで何処に行ってたの?」


「……………」


(武芸の心得がない俺にはこいつの技、その良し悪しは分からないが…剣や槍、弓や槌よりは遥かに魅力を感じる。刀か…男なら一度は憧れの武器を持って戦ってみたいと思う…それくらいの時間はあってもいいだろう。…茜、もう少しだけ待っていてくれ…)


平伏し、頭を下げて言い募る。何が出来るか出来ないか、ではなく。もうそれしか生き残る道は無いと。

恥辱を飲み、屈辱を噛んで言い縋る。ロミアの言動にヨルのすぐ後ろで憤るファティルの言はご尤も。だが、何かを思案する男にとっては雑音にして不快な声。これを一蹴し、また考えに耽る。


彼女の為の遠回り。それは自身の為でもあった。目指す西の果てで待ち受ける困難に対し、万全を期す。圧倒的な魔力を持ちながら、何故今以上の力を欲するのか。答えは単純にして明解。

既に、覇天と名付けられた力には前例がある証左。仮にもし、同等の魔力を有する者と戦闘になった時…勝負の行方は神のみぞ知るだろう。

それが、元の世界へ帰る為に必要な戦いであれば敗北は許されず。そんな機会が二度あると思う事は、男にとって甘えでしかなかった。


こうして、刀と技に価値を見出されたロミアの命。後は男の琴線に触れる言葉一つで拾う事が出来る。そんな場所に、彼女は知らず立っていた。


「…女、命乞いをするのはいいが…それがどれだけ無意味な行為か、知っているのか」


「……………」


「であれば…潔く死ぬのも悪くないだろう」


「…都合がいい事を言っているのは分かっている。が…まだ死にたくない…」


そして間も無く。ロミアは男の繰り出す問いに沈黙を。続く言葉に深く頭を下げて答えを返した。

それは想像に容易く。男の期待するものではなかったが、皆誰しも自分の命は惜しい。そんな事は聞かずとも分かっている。

知りたいのは、そうまでして縋る生への未練は何に起因するものか。

或いは、人と人間の境を露呈させるべく。ヨルは一問ずつ、核心へと至る言葉を投げていった。


「何の為に。単なる生への執着か」


「………残してきた妹がいる。あたしには…あれの行く末を見守る義務がある。…死ぬ訳にいかないんだ…」


「なら、大切な妹の為に…お前には何が出来る」


「あたしに出来る事なら何でもする!だから…命だけは…!」


「言うだけなら簡単だ。誰にだって出来る。…そうまで言うならこの場で腕を落とせ。片腕と引き換えに命は助けてやる…いや、その前に一度伽をしてもらうか。腕が無くては出来る事も限られる。その身体…存分に楽しめそうだ」


「…っ!?………分かった。それで命は助けてくれるんだな…恩に着る…」


そうして、求められた代償は余りにも大きく。

もう二度と剣を振る事は出来ないと。もう二度と両の腕で妹を抱き締める事は出来ないと。

更に…若いとは言えない身体。けれど仕事をする上で役に立つ程には魅力があると自負していた。その初めてを。いつか…なんて夢を見てきた初めてを求められ口籠る。それが理不尽に対する逡巡や憤りではなく、生を噛み締める安堵と喜びである事。そして、心からの感謝である事を…ヨルは拳を握り、一粒の涙を零す女の姿に理解し。教えを請うに相応しい人間であると、その価値を認めたのだった。


「…決めた。ファティル、こいつに部屋を用意しろ。アリカ、お前はそこいらに転がってる塵の片付けだ」


「………………」


「はーい。…女、良かったね。けど…余りヨルには近付くな。ヨルの側に居ていいのは…オレだけだ」


「…え…ちょっと…これは一体…」


どういう事なのか。

背を向け少女と一匹に向き直る。男の不可解な言動に目を丸くさせ。状況に追い付けず。へたり込むロミアを置き去りに一変する空気。

恐らくは、きっと…。助かった。助かった筈と言い聞かせ。懸命に理解を得ようとした矢先…。男の言葉に異を唱える声が響いた。


「ヨル!それは幾ら何でも駄目よ!あなたでも許さないわ!」


「お前の意見なんか聞いていない。これは決定事項だ。お前は自分の命、その価値を自ら下げるのか。その身は恩人の言葉一つ叶えられない程安いものだったと」


「それは…でも…」


すた…すた…すた…


「…ファティル、彼の言う通り。お前の命は安くない。ヨルの言う事は今、何よりも優先されると思いなさい」


「侯爵…」


「お父様っ!」


たったったったっ!


「無事で良かった」


「はい!でも…あいつはお父様を狙う刺客だって…」


「それでも、ヨルが決めた事なら従うと、私は彼と約束した。自身を狙う暗殺者と一つ屋根の下か…お前の奇病を治してもらった見返りとしては安過ぎるくらいだ」


「…分かり…ました…」


声を荒げる少女に対し、命の価値を問う。まだ幼いファティルにその意味が理解出来るかは怪しくも。薄闇から歩み出る男はヨルの言葉を肯定すると共に、少女を抱き締め、諭すように意味を説く。

男の名はハールィン・アスト・ウォル・サハール。もはや言うまでもなく、ロミアとその組織に狙われた侯爵家の当主であり、ファティルの父。

小国とは言え、侯爵ともなれば思い通りにならない事など数える程度にあるかないか。そんな彼が何故闇ギルドの刺客に狙われる事となったのか。全ては腕に抱く愛しい娘の為。


まるで呪いのように全身を蝕む痣のような紋様と、脈打つ胸部の腫瘍。突如身体の異変と激しい痛みを訴える娘を連れて教会へ駆け込むハールィンを待ち受けていたのは、目を覆いたくなる現実だった。

原因は不明。回復魔法も効果はなく、打つ手無し。遂には奇病と言われ、教会に匙を投げられた男は、最後の希望と縋りエリクサーを求めた。

その執念は凄まじく。手段を選ばないやり口は方々から恨みを買う程。しかし、そうまでして手に入れた最上級の回復薬も望む効果を齎してはくれず。諦めきれないハールィンは各地の教会を巡り、果てに男と出会う。


そんな、これまでの苦労を思えば笑みさえ溢れる見返りを二つ返事で了承し、此度の騒動もひと段落かと思いきや…。


「決まりだ。…何をぼけっとしている。お前は俺に付いてこい」


すた…すた…すた…


男の中ではまだ何も、終わっていないどころか始まってすらいなかった。


「…それはどういう…」


ぴた…


「言葉の通りだ。ほら、さっさとしろ。…ハールィン、庭を借りるぞ。アリカ、ついでに婦人と使用人達も戻しておいてくれ。ここまでしてやったんだ。朝食がパンとスープだけになるのはごめんだからな」


「…いや…だから…ちょっ…待ってくれ!」


「構わない。自由に使ってくれ」


「はいはい。まったく…ヨルは人使いが…精霊使いが荒い」


かくして。

言われたじろぎ頬を染め。慌てふためき付いていく。

偶然にも出会い、価値を見出され。ひと時を過ごす事となる。

ヨルと少女と暗殺者の、数奇な日々が幕を開ける。

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