常連の灯
第一夜 雨の鯛あら
俺は島田忠夫、六十三歳。
下町の小さな印刷屋を、まだ細々と続けている。
毎晩、仕事が終わるとまっすぐ「やまびこ」へ向かう。ここに来ない日はない。
煤けた看板をくぐると、カウンターのいつもの左端の席が俺を待っていた。
「親父、ただいま」
「おかえり、島田さん。今日は鯛のあら煮がいい出来だぞ」
店主の佐藤浩一(五十二歳)は、静かに微笑みながら動き始めた。
大鍋で昆布と煮干しの出汁が静かに煮立つ。鯛のあらを熱湯で霜降りし、臭みを取る。醤油・みりん・砂糖を黄金比で合わせ、弱火で二十五分。アクを丁寧にすくいながら煮込むと、汁が琥珀色に輝き始めた。刻み生姜を散らして蒸らすと、脂の甘い香りが店内にふわりと広がる。
小鉢に盛られたあら煮は、汁がたっぷり染み、身がほろほろと崩れそうだった。
隣では鶏皮の焼き鳥がパリッという音を立て、たれを二度塗りして七味を軽く振る。
一口。熱い汁が舌に染み渡る。
「……今日の出汁、昆布が効いてるな。身の甘みが引き立ってる」
俺は熱燗をちびちびやりながら、焼き鳥の皮のパリパリと脂のジュワッとした食感を堪能した。
親父は相槌を打ちながら、時々自分の昔話を少しだけ話してくれる。それが心地いい。
一時間ほどで満足して店を出る頃、雨は少し小降りになっていた。
家路につきながら思う。
明日も、絶対に来よう。




