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あやかし娘と恋をして  作者: 神父二号
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第十九話 遅番の夜

 鼬の妖二人と出会った日の翌日は、大雨だった。

 俺が六波羅に出勤する前から降り出して、昼間になっても、夕方になっても、夜になってもずっと降っていた。

 都では珍しいほどの、長雨だった。


「すげえ雨だぜ……冬四郎さん」

「すごい雨だな。両次さん」


 詰め所の引き戸を半分開け、月すら隠す黒々とした雨雲を睨みつけながら、同僚の両次と話す。


「こりゃ、まるで……」

「まるで?」

「俺の心みてえだ……」

「アホかお前」


 俺は両次の頭をはたいた。

 今夜は久々の遅番。

 同僚たちと夜の非常事態に備えて、詰め所に泊まり込む日である。


「実は昼間、六条のお凛さんの飯屋に行ったんだがな」

「何だよ急に」

「またフられちまったんだよ……う、う、ぐすっ……」

「またか……」


 もっとも、非常事態など滅多にないので、だいたいは一晩中ひたすら雑談することになるのだった。






「ふいー、ただいまッス!結構すごい雨ッスよ~!笠があってもずぶ濡れッス」

「川が氾濫しなければいいけど。あ、これお菓子。家の者がさっき詰め所の門前で。差し入れだってさ」


 夜回りに言ってた同僚二人が、着物をぐしょぐしょに濡らして帰ってきた。

 兵六と勝五だ。


 また凛さんにフられた両次。しっかり者の勝五。落ち着きのない兵六。

 俺と一緒に動く、歳が近い六波羅南組の同僚たちである


「権さんが上がる前に言ってた通り、五条大橋まで様子見に行ってきたよ」

「そうか、お疲れさま勝五。川はどうだった?」

「水かさは上がってたけど、全然大丈夫そう。心配いらないと思う」

「そうか。よかった、氾濫したら一大事だもんな」

「けっ、するかよ、氾濫なんて。俺の心が先に決壊するわ。ああ、お凛さん……」

「何ぶつぶつ言ってんすか両のアニキ。あっ、まさかまたお凛さんにフラレ……ぷぷっ、いてえっ!?」

「しばくぞ兵六」

「既にしばいてるじゃないッスか!」


 茶々を入れる両次と兵六を無視して、勝五と話をする。


「街の様子はどうだった?」

「特に目立った家屋の被害はなし。でも夜中の見回りだし、雨で灯篭も使えなかったから何とも。詳しいところは朝にならないとね」

「遅番終わっても、そのまま続けて勤務になるかもな」


 今日の朝からずっと降り続いている雨だ。

 このまま夜通し降れば、何らかの被害がある可能性は高い。


「まあ、夜中の間は大丈夫だろ。それよりなんか話そうぜ。遅番は毎度暇でしょうがねえ」

「そうッスね。あ、勝五、このお菓子仕事終わりにもらいに行っていいッスか」


 両次と兵六は詰め所の板敷に盛大にだらけ、勝五の持ってきた菓子を頬張っている。


「おい、お前ら気を抜きすぎだ。遅番とはいえ仕事だぞ」

「それより冬、お前噂の水あめ女とはうまくやってんのか」

「……うるせえ」


 夏の大駕籠祭りからこっち、六波羅内部でずっと水あめをどんぶりで買ったことを弄られてきた。

 水あめを一緒に食った女がいるとか、なんとか。六波羅の連中の勘繰りは、おおよそ当たりであった。

 だが、妖のあざみのことを他人に話すわけにもいかず、俺はひたすら黙秘を続けた。

 気づけば大駕籠祭りでの俺の相手は、「水あめ女」なる謎の呼称で呼ばれ始めていたのだった。

 あれから一月半以上が経って、ほとんどの職員は忘れたようだが、時折思い出したように話題にのぼるのがめんどくさい。


「ちっ、ぼーっとしたり急にやる気出したりで、色男はこれだから……はー、どうせ、俺なんてよぉ……」

「腐りすぎだろ両次。シャキっとしろ」

「あーあ、六波羅の武士がモテるっての、大嘘だよなあれ。俺女にモテたことねぇわ……」

「両のアニキも、五条西の茶屋に行ったらモテモテッスよ!オレ最近ハマってて……へへへ」

「アホかおめーは!そりゃモテてるんじゃねえ、カモられてるってんだよ」

「ええっ、そそ、そんなはずないッスよ!雪ちゃんは俺だけだって……!」

「あはは……藍染着ててもおかまいなしだもんね、遊女さんたちは」


 とりとめのない、どうでもいい話で盛り上がる。

 大雨の夜に心配すべきなのは、川の水かさくらいのものだ。

 これだけのどしゃ降りの中で、喧嘩や犯罪を起こす輩はまずいない。


「はぁ、天神祭りまであと一週間だってのに……俺は今年も、独り身だ……」

「あー、そういやもうすぐッスね。そろそろ天神さまの境内で、舞台作り始めてるんじゃないッスか?」

「昨日見回ったけど、まだだったぞ」

「昨日?冬さんが急用で抜ける前?遅いと思ったけど、天神さまに行ってたの?」

「ああ、まあな……ちょっと町人たちが境内で喧嘩してて」


 まずい、藪蛇だった。俺は適当にはぐらかした。


「そういや昨日早引けしてたな、冬。急用ねぇ……どうせ女絡みだろ。水あめ女だ、大駕籠祭りの水あめどんぶり女」

「お前はいいかげん、女から頭を離せよ、両次……」

「いいや、そうッス、女ッスよ女!だって天神祭りが近いンスよ。天神祭り!」


 兵六が鼻息荒く、声を大きくした。


 一週間後の天神祭りは夏の大駕籠祭りほど大規模ではないが、それでも五条以南の人々が沸く大事な祭りだ。

 五条東通りを中心とするこの祭りは、七条辺りまでの大通りに多くの屋台が並ぶのだが、それよりも注目すべき点がある。

 それは、遊女が集う五条東通りが中心であるという点だった。

 廓通りが中心ということもあってかこの祭りは、なんというか破廉恥なことに、「縁結びの祭り」という側面があるのだ。

 祭りの最中に通りを連れ添って歩くのは、だいたい男と女の二人組と決まっている。

 自分の相手を見つけ、屋台や喧噪を楽しみ、その後は――その後はよく知らないが、そういう祭りだ。


 飯綱天神の御利益が恋愛成就だの安産祈願だの言われているのも、この祭りに関係がある。

 本来は鼬の妖の領地のはずなのに。鼬の老人は笑うだろうが、萩乃は呆れるか怒るかしてそうだ。


「天神祭りを過ごす女を得ずして、武士とは言えねえッス!」

「そうだ!よく言った兵六」

「でも、僕らは祭りの夜もお仕事だよ」

「すっぽかす。権座隊長も天神祭りは毎年やる気ねえだろ。あの図体で愛妻家の子煩悩なんだからよぉ。去年だって気づいたら消えてたろ」

「すっぽかすッス!女の子誘うッス!」

「お前らな、祭りだからって腑抜けたこと言ってんな」


 俺は大きくため息をついた。

 この手の行事において、六波羅の武士が担う役割は大きい。

 祭りには決まって、喧噪や揉め事がつきものだからだ。

 だから、祭りの夜は六波羅総出で一晩中警邏すると決まっている。検非違使も同様だ。

 大駕籠祭りの夜もそうだったが、祭りの中を練り歩き、最低限の秩序を守る必要があるのだ。


「俺は遊女の雪ちゃん誘うッス!勝五はどうするッスか、許嫁さんいるんスよね?」

「僕は……ちゃんとお仕事するよ。祭りの日は、父上が検非違使の別当さまにお呼ばれしてるから。僕も神妙にしていないと」

「真面目だな、勝はよ。じゃあ冬、お前もどうせ真面目に働くんだろ」

「……言われなくてもそのつもりだ」

「おいおい、ほんとにそれでいいのかよ。水あめ女に愛想つかされるぜ?年一の天神祭りで誘ってこない男なんて」

「ぐ……だから、俺には水あめ女なんて相手は……!」

「甲斐性無しの冬四郎さんだぜ、まったく。女が可哀想だな」

「んだとお前、両次ぃっ……!!」

「あだだだっ、あだ、あだだだだ!!」


 むかつく顔した両次の首を締め上げながら、俺はあざみのことを思った。

 あいつは、萩乃によれば、母上の手前あまり自由に身動きできない身らしい。

 天神祭りの日に都合よくやってくるとは限らない。いやむしろ天神祭りじゃなくてもいいから、また会えるだけでも。

 家に来た夜以来、久しくあってないのだ。

 季節はもう、秋になってしまった。


『次何やるか、考えといてね?』


 そういや結局、今度会った時に何をするかまだ決めていなかった。

 また家で過ごす場合を考えて、市場で何か面白いものでも探そうと思ってはいるのだが。

 いや、けど確かに、天神祭りの夜をあざみと過ごせたら――

 そう言えば、よくよく考えると飯綱天神の祭りってことは、鼬の一族の祭りみたいなものか?

 狐のあざみは天神祭りを嫌がるだろうか。一応狐と鼬は仲が悪いことになっているらしいし。


「ちょっ、冬のアニキ?」

「冬さん?ねえちょっと冬さん」

「……へ?」

「両さん、真っ赤になってるよ」

「あ。すまん、両次」

「……ごほっごほっ、ぐは……お、俺は、今度こそ……げふ」


 雨粒が地面を叩く音に混じり、ごろごろと重い音が聞こえてきた。

 俺達は騒ぐのをやめ、詰め所の入り口へと向かう。

 引き戸を開けると同時に、黒く分厚い雲が青白く明滅した。

 雨に加えて、雷まで鳴り始めたようだ。まだまだ荒れそうだった。


「おー、飯綱の天神さまがお怒りッス」

「お前と両次がアホな話で盛り上がるからだろ」

「んなわけあるか、お前ら二人に怒ってんだよ冬、勝。せっかくの天神祭りで、クソ真面目なお前らに」

「そうかな。僕らに怒るために、わざわざ都全部に大雨降らすわけないよ」

「勝お前、すげえ冷めたツッコミすんのな……」


 都の雷鳴の轟きは、五条の飯綱天神の怒りと言われているものだ。

 俺も父上にそう教わり、信じてきた。

 だが、その飯綱天神が本当は鼬の妖のものだというのだから、今となっては天神さま云々とはなんだったんだと言う気持ちになってくる。

 そういえばあっちの世界でも、今夜は大雨なんだろうか。

 萩乃は昨日無事に帰れただろうか。父上母上に怒られてはいないだろうか。

 あざみは――どうしているだろうか。


「……冬のアニキ、また呆けてるッス」

「ほっとけほっとけ。冬みてえな真面目野郎は、一回女を知ったらこうなるんだよ」

「両さん、そういう言い方よくないよ」


 その時である。


 詰め所の奥の引き戸が、ガララと開いた。

 俺達は素早く振り返り、その場で直立不動の姿勢を取る。

 俺達の上司の上司、奉行衆であった。


「……なんだ、今日の遅番は若い衆だけか」

「はっ」

「権座は?」

「本日は早番ゆえ、既に退庁しております」

「そうか。川は見たか?」

「水かさがあがってはいますが、氾濫の可能性は低いかと」


 四人を代表して、俺が奉行さまの問いかけに答えた。他の三人は、息を殺して黙りこくっている。

 厳格な雰囲気を持つ、白髪交じりの武士だ。

 ただそこに立っているだけで、空気が引き締まるような威圧感がある。

 奉行さまがゆっくりとこちらへ歩いてきて、そのまま引き戸の隙間から外の様子を確かめた。


「……明朝、八条九条を中心に、都の被害を調べるように」

「はっ」

「被害によっては内裏に報告し、町人への援助を行わねばならんぞ」

「権座隊長を呼びましょうか」

「いや、今晩は構わんだろう。動くのは夜明けからでよい」


 この六波羅の詰め所ほどしっかりした作りの建物なら、この程度の雨は問題ではない。

 ただ、都の町人たちにとっては、家がやられてしまう可能性もあるほどの大雨だった。

 特に奉行さまの言う通り、八条や九条は比較的貧しい層の町人が住む場所で、家屋の強度もそれだけ心配なのだ。

 もし被害が大きいならば、内裏の指示のもと炊き出しなどの救済活動を行う必要もあった。


「……それと」

「はい」


 奉行さまが、ぎろりと俺達を見渡した。

 深く刻まれた皺の隙間から、鋭い眼光が光る。


「遅番は、遊びではない。雨が降ろうと雷が鳴ろうと、勤勉に勤めるように」

「も、申し訳ございませんっ!」


 俺達は頭を深々と下げ、奉行さまが去ってからしばらく経つまで、上げなかった。


「……お前らが騒ぐせいで、奉行さまに怒られたろうが」

「俺達のせいかよ、冬だって騒いでたろ」

「そうッスよ」

「もう静かにお仕事してないとね。権さんの溜めてる文書でも片付けようよ」

「はぁー、だるっ……これで朝からは被害の見回りってんだからな」

「遅番なんてクソくらえッスね」

「うるせえうるせえ。ほら、仕事するぞ」


 俺達は権座さんの机の上の文書の山を分け合い、各々机に向かった。

 俺達にできる範囲で文書を捌き、後は決裁を受ければいいだけの状態にしておくのだ。


「……なあ、冬」

「なんだよ、両次。もうおしゃべりは無しだぞ」

「天神祭り、楽しみだよなぁ……うしし、見てろ。俺は絶対お凛さんを誘って……お前には負けねえからな」


 普段から人相の悪い両次が声をひそめながら、それはもう楽しそうに笑う。

 今日も飯屋の凛さんにフられたと言っていたばかりなのに、まだ懲りてなさそうな笑顔だった。

 少し下心が滲みながらも屈託のない表情が、両次の根っこの人柄の良さを物語っていた。


「冬のアニキ、俺も今度遊女の雪ちゃんを紹介するッスよ……めっちゃ可愛いんス、マジで。遊女とは思えない純情さで」

「もう、二人とも……冬さんの仕事のジャマしちゃダメだよ……」

「うっせえ、勝五……お前は高貴な許嫁がいるからって余裕ぶりやがって……独り身武士は必死なんだよ。天神祭りが勝負なんだ」

「ぼ、僕だってまだあの人とはそんな進んだ関係じゃ……」

「ぷっ、ははは……」


 奉行さまにバレないよう、ひそひそと話す同僚達。

 そんな有様に思わず笑った俺につられて、他の三人も笑い出した。

 また奉行さまに乗り込まれたらたまらないから、できるだけ声を抑えて笑った。

 そんな自分たちの様子がまた滑稽で、おかしくて。

 小さな笑い声はいっこうに止まらなかった。


 そうして久々の遅番の夜は、楽しく過ぎていくのだった。

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