パーティーと私②
ダンス中にぶつかった相手である侯爵子息が怒ったように口を開く。
「おい、ぶつかっておいて何もないのか」
「……ぶつかってきたのはそちらだろう」
ベルトルド王子が、険しい顔で淡々と言い返す。
何分ダンス中のことだ。ぶつかられた、という感覚が強いけれど、あちらも同じかもしれない。
ちょうど、曲の切れ目になって、ざわざわと視線が集まり始めた。自ら立ち上がったアリーチェ・ヴィオーラ男爵令嬢はつかつかとこちらに歩み寄ると、可愛らしい笑顔を浮かべた。
「ベルトルド王子! ぜひ私と踊ってください」
「だが……」
言い淀むベルトルド王子に、苦虫をかみ潰したような侯爵子息。一方で私は、今だ王子に抱き止められているような状態のままなことに意識がいってそれどころではない。
「いつまでお前ら……」
「おっ、踊ってきてくださいっ……!」
このまま人目を集め続けるのはまずい。
やっとのことで、侯爵子息の言葉を遮って、ベルトルド王子を促した。第一この態勢のままでは、私の心臓がもたない。
「……っ!! 悪いっ!」
王子はぐいと私を引き離すと、くるりと背を向ける。そして深い深いため息を吐くと、男爵令嬢が差し出した手をとった。
「お、お相手させていただきます」
ぎくしゃくと歩き出したベルトルド王子に、男爵令嬢が弾むような足取りで付いていく。
侯爵子息は、不機嫌そうに二人の背中を睨み続けていた。そして、二人がダンスホールに消えると、にやにやと嫌な笑みを私に向けてくる。
何を言われるのかと警戒して眉を寄せると、その口元が釣り上がって余計にかんじの悪い表情になった。彼が口を開いたタイミングで周りがざわめきだし、人垣が割れた。
「フラン! 随分大人っぽくなったね。ドレス姿も似合っているよ」
「ありがとうございます。アルヴァロ王太子殿下」
にこやかにこちらに歩み寄る王太子に、淑女の礼で応える。すると、侯爵子息も形ばかりの礼を取り、小さな舌打ちを残して雑踏へと消えていった。
何もトラブルがないままに別れられてほっとしていると、哀しげな声音で王太子が続けた。
「もうアル兄様とは呼んでくれないのかな?」
「もう子供ではありませんもの」
つんと横を向いた私に、アルヴァロ王太子は「へえ」と興味深げに呟いた。
「それは残念。本当に妹になったら呼んでもらえる?」
「なっ……!」
本当の妹なんて、ベルトルド王子と結婚後ということだ。ひょうひょうと言ってきた王太子の顔を、動揺しながら見つめた。
見つめ返してくる榛色はきらきらとして、ベルトルド王子とそっくりなのに、やっぱり二人は似ていない。
昔から変わらない。この人はにこにこと笑いながら、人をくったところがある。くすくす笑う王太子殿下をじっとりと睨む。
「アル兄様は意地悪だわ」
ふんと息を吐いて、昔の呼び名でむくれて見せると、アル兄様は満足げに口の端を上げた。その傍らに麗しい姿が見られなくて、周囲を見回す。
「オリヴィア様は?」
「ヴィーはお仕事中。抜け出すなら早めにこなしておかないと」
「えっ? アル兄様は……?」
「僕も半分くらいはお仕事だから大丈夫だよ。いろいろ王子も大変なんだよ」
いたずらっぽく笑う目線の先には男爵令嬢と踊るベルトルド王子がいる。普段も可愛い彼女は、ドレスアップした今日は一段と可愛くて。自分で言ったことなのに、思わずきゅっと唇を噛み締めた。
「踊っていただけますか?」
うやうやしく差し出されるアル兄様の左手。一歳だけしか変わらないのに、いつも余裕があるのはどうしてだろう。あと一年もすれば、私も少しは余裕ができるのかしら。
「喜んで」
その手を取って、ダンスフロアに進めばちょうど曲が終わってしまった。
「ちょうどよかった。さあ、次の曲だ」
再び流れ出した音楽にあわせて、くるりくるりと軽やかに踊る。ベルトルド王子が相手でなければこんなにも簡単なことなのに。
「お仕事って?」
「未来の義妹と仲良くするのも仕事だろう?」
ふと疑問に思って尋ねれば、けろりとアル兄様は答えた。その口調から仕事だなんて思っていないことは十分にわかる。わざわざ私を気遣ってくれたのだろうか。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。それにナイト役も頼まれていたしね」
こちらを見つめる榛色がいたずらっぽく瞬く。
「えっ?」
「良いんだよ。こちらの話だから。たまには弟のいうことをきいてやるのも悪くない」
ベルトルド王子が……? きっと前々から侯爵子息とのトラブルに巻き込まないか心配してくれていたのだろう。
「だけど、ただ使われてやるのも面白くないな……。フラン、耳を貸して?」
続く言葉が耳に届くと、途端に頬が熱くなった。
アル兄様と一曲踊り終えると、ダリオとクレートがやってきて、入れ替わるようにアル兄様は去っていった。
ちくちくと刺すような視線を感じながら、二人と相対する。
「フランチェスカ! ちょっと避難させてくれ」
「すみません。少しの間で良いので」
二人にはまだ婚約者がいない。嫡子のクレートは嫁入り先の優良物件だし、跡取りではないダリオも公爵家との縁を考えれば婿として望む令嬢も多いのだろう。
「人気者も大変ね」
実感を込めて呟けば、それぞれ困ったように笑われた。聞けば、開始早々取り囲まれて、半ばもみくちゃにされたらしい。
「ものすごく疲れました……」
「同感だ。俺なんて跡取りでもないのにこの勢いだ」
生徒同士は平等という原則があっても、家同士の兼ね合いはもちろんある。誰を相手にするかや、誰から相手にするかだけでも、相当に気を遣うことだろう。
「おつかれさま」
視線は痛いけれど、少しくらいなら労うのも悪くない。この間に、挨拶が必要な相手を見つけておくのも良いだろう。
「一年生ながらダリオ様は雄々しくていらっしゃるわ」
「あら、クレート様はお美しくてよ。ご覧になって。どんな姫君も霞んでしまうわ」
そこで令嬢たちの会話が漏れ聞こえ、クレートが憮然と顔をしかめた。
「綺麗も可愛いもこの年になって喜ぶわけがないじゃないですか。……これだけ飾りを省いたのに」
小さく呟くクレートの服装は、確かにクラヴァットもシンプルですっきりとした印象だ。クレートは、中性的な容姿をしている上に、比較的小柄だから、ドレスだって似合ってしまうと思う。
――クレートが聞いたら、怒るだろうけれど。
「いやー……。じきに伸びるって」
「ダリオに言われてもまったく響きません」
ダリオが緑の瞳に同情の色を載せて言った言葉を、クレートがピシャリと拒絶する。
ダリオは昔から体格が良かったから、その気持ちもわかる。
二人の背中越しには、踊ったり、歓談したり思い思いに過ごす生徒たち。その中でも、ベルトルド王子はすぐにみつかって。男爵令嬢とはもう一緒にいないようだけれど、今度は他の令嬢たちに囲まれている。
おつきあいもあるもの。……しょうがないわ。
「はあーぁ。いつまで続くんだ、これ」
「婚約者が決まるまでですかね……」
残念ながら、それも難しいのかもしれない。うんざりといった様子の二人に、ベルトルド王子をちらりと見てから曖昧に微笑むと、クレートが口を開いた。
「言いそびれましたけれど、とても良く似合っていますよ」
* * *
ダリオとクレートとしばらく過ごしたあとに、王子と合流できたものの、先生方への挨拶をしているうちにあっという間に時間が過ぎてしまった。
名残惜しい気持ちで、一夜の夢といった様相の講堂をあとにする。あたりが暗くなると、魔法の光で講堂がきらきらと輝いているのがわかって、来たときよりもさらにきれいに見えた。
最後に一度振り返って忘れないように目に納めてから、ベルトルド王子に微笑みかける。
「今日はありがとう」
ベルトルド王子は目を見張り、「別に」と言い残すと、まだ話を続けようとしていた私を置いて、すたすたと足を進めた。だけど、その方向だと男子寮へは遠回りだ。
「ベルトルド王子? 待って」
「行くぞ。夜道は危ない」
やっぱり優しい。嬉しくなって隣に並ぶけど、やはり私の方を見てくれない。
せっかくおばあさまが可愛くしてくれても、好みには合わなかったんだろうか。
明日からは夏季休暇で王子にしばらく会えなくなる。その前に、ベルトルド王子の姿を目に焼き付けておきたい。
隣を歩きながら、王子を見つめ続ける私に気づくと、暗がりでもわかるくらいに眉を寄せられる。
「あんまり見るな」
「だって、格好いいもの」
「……はっ?」
熱くなる頬を感じながら小声で返すと、ベルトルド王子は驚いたような声をあげて俯いてしまった。そのまま、あーとかうーとかぶつぶつ呟いていて心配になってしまう。
「あの……?」
「ああもう! 行くぞ」
なぜか怒り出した王子が歩調を早めたので、急いで追いかける。追いついた私をちらりと見ると、王子はため息を吐き、歩調を緩めてくれた。
会話もなく歩く私たちを、柔らかい光を放つ月だけが見ている。
「…………休暇どうするんだ?」
しばらくの沈黙のあとに突然、ベルトルド王子がぼそりと話しかけてきた。
「私は学院に残ることにしたの」
「……フローラばあさまには……?」
なぜか険しい声で返されて、困って笑う。仲直りができても、なかなか前みたいには戻れない。
「伝えてあるわ。一緒に研究を進めるつもり」
できるだけ楽しげに返すと、ベルトルド王子が考え込むように「そうか」と呟いた。
「ベルトルド王子は、明日には出るんでしょう?」
「ああ、そのままぎりぎりまで城で過ごすことになる」
ベルトルド王子が忙しいのはわかっていても、学院に通い始めてから毎日姿を見れたから、会えなくなるのが淋しい。
「なら、次に会えるのは新学期だね」
「そうだな」
ベルトルド王子がなんでもないことのように答える。
私の意気地なし。嫌われたらと思うと、会いたいも、淋しいも伝えられないのに、単に肯定されたことにがっかりしてしまうなんて。
また沈黙。寮の明かりが見え始めた。最後に一つだけ、伝えなきゃきっと後悔する。
決意を込めて大きく深呼吸をすると、ベルトルド王子が怪訝そうにこちらを見た。
「ドレス……! ありがとう」
ベルトルド王子はびくりと立ち止まり、ふいと顔をそらした。そのまま何も答えないので、心配になってまじまじと見つめる。
ダンス中にアル兄様から、このドレスは王子が選んでくれたのだと聞いた。もし本当のことなら、お礼を伝えたかったのだけど……。
もしかしたら、アル兄様にからかわれただけかしら。だったら、期待した自分がものすごく恥ずかしい。
「……ほら」
振り返りもせず、差し出された腕。少し赤らんだ頰が、私の見間違いじゃなければいいのに。
祈るような気持ちでその腕を取ると、残り僅かな道のりを噛みしめるように歩いた。
申し訳ありません!
現在、私生活がたてこんでいて更新がゆっくりになっています。
少し間が空いてしまいますが、完結まで投稿予定です。
作者のペースにお付き合いいただけると、とても嬉しいです!